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2011年7月29日金曜日

トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン (3D)

(TRANSFORMERS : DARK of the MOON)

 遂にこのシリーズも3Dです。CG特撮を使いまくりの作品であるから、3D化は避けられないか。でもこの場合は、やはり日本語吹替版で観るのが宜しいですね。
 3D作品で字幕を追いながら観賞するのは結構、しんどい。
 それに別の理由で、このシリーズは日本語吹替版がいいよね。

 やはりサイバトロンの司令官は玄田哲章ボイスでないと。
 本当は「オプティマス」じゃなくて「コンボイ」と云ってもらいたいのですがねえ。
 それを云い出すとメガトロン様は加藤清三で、スタースクリームは鈴置洋孝でないとイカンのですが、それはもう無理だし……。
 まぁ、劇場版も三作目となり、「オプティマス」とか「プライム」とか云う台詞にも何とか慣れてきました。

 今回は冒頭のマイケル・ベイ風トンデモ歴史観の描写が素晴らしいデス。
 「アポロの月面着陸は無かった」なんぞと云うトンデモより、こっちの方がずっと面白いわ。米ソの宇宙開発競争の真の理由やら、チェルノブイリの原発事故の真相やら、全力で嘘八百の映像を作り上げるスタッフの心意気。
 リアルなニュース・フィルムの映像も使いつつ、その前後に違和感ないよう退色したりスクラッチの入った映像を挿入する。
 そうかー。ケネディ大統領の演説の理由はそうだったのかー。
 もう信じるからな(笑)。

 しかしシリーズも三作続くと、最初の設定から随分と食い違うと云うか、印象が異なってきますね。地球とサイバトロン星の関わりは、非常に歴史がある上に、何度も来訪されていたのか。とても宇宙の片隅にある惑星とは思えませぬな。戦争の趨勢を決める重要戦略拠点じゃないですか。
 まぁ、そんなところに突っ込んでも野暮ですし、マイケル・ベイ監督作品にそんなこと云っても仕方ないデスね。ストーリーも、あって無きが如しですから。

 地球に居候を決め込んだオートボットさん御一行は、米軍にいいように利用されつつ、中東の違法核研究施設を襲ったりしながら生活しておりましたが、とある事件を発端に、冷戦時代から隠されていた事実に気が付きます。
 自分達よりも早く、地球圏にはサイバトロンからの来訪者があった。それこそが行方不明になった先代プライムであるセンチネルが指揮する宇宙船であり、月面に不時着していたのだ。
 急ぎ月に飛んだオプティマスらは墜落船の残骸からセンチネルの遺体を回収し、オプティマスの持つマトリクスのパワーで蘇生させるが、実はそれらはすべてディセプティコン側の計略の一部だった……。

 何故、七〇年代にあれほどまでに月面へロケットが飛ばされたのか、それ以降、宇宙開発がぱったり止んだのは何故か。トンデモ歴史を全力で支える屁理屈の数々が素敵です。
 しかし……。えーと。ディセプティコン陣営の策略の深さには恐れ入るのですが、その策は誰の発案なのですかね。
 確かメガトロン様は十九世紀に北極に墜落した挙げ句、氷漬けになり、二〇世紀中は米国の秘密研究施設で凍結保存されていたのでは。
 だから冷戦時代のことなど知る由もないし、作戦指揮も執れなかったと思うのデスが……(第一、そんなに気の長い人でもないしな)。
 それにセンチネルの宇宙船の飛来時期と、メガトロン様の飛来時期にはかなり時代の差があるので、ほぼ同時期にサイバトロン星を離れたという設定には無理があるでしょう。あとから出発したメガトロン様の方が、百年ばかり先行して地球に到着するとは不自然じゃなイカ。
 うーむ。時空の歪みですかねえ。SF的解釈をこじつけられなくも無いが。

 まあ、メガトロン様がそうなのだと云い切るのだからそうなんだろう。きっとショックウェーブが影でサポートしていたんだよ。今回からの新キャラだけど。
 それにしても今作でのメガトロン様のお姿はおいたわしい。
 前作『トランスフォーマー/リベンジ』で負った深手が癒えておらず、頭部の破損もひどくてあちこちショートしている。それでもスタースクリームらが謀反を起こさず従っているのだから大したものデス。
 破損箇所を隠す為にマントを羽織っているのが『ガンダム00』ぽいぞ。
 しかし自由自在に変型できる割には、負傷しているとトラックに変型してもオンボロだったりするのは何故なんでしょうね。破損箇所はトランスフォームで治せないのかなぁ。
 ──なんて、マイケル・ベイ監督作品で深く考えちゃダメですね。

 とりあえず恒例の激烈カーチェイスなシーンやら、ど派手なロボットバトルがてんこ盛りの二時間半は、見応え充分で大満足でした。
 今回は前作のようにロボットバトルばかりではなく、カーチェイスもあり、変型シーンもたっぷりあって、バランスの取れた構成になっています。
 特に3Dカメラを駆使した撮影は、本家ジェイムズ・キャメロンも賞賛するほどですからな。義理で誉めているわけではなかったですね。
 シカゴ上空からのスカイダイビングの場面なんぞは、3Dで観ないとイカンでしょう。後半の戦闘シーンは3Dのお陰で迫力ありましたし。やはり完全CGで3D映画を作るより、実写素材を駆使して3D化する方が迫力あるのか。

 配役が三作を通じて変わりがないというのも良いですね。
 サム役は変わらずシャイア・ラブーフ。二度も地球を救いながら、大学を卒業しても職がないとは哀れな。まぁ、ヒーローとはそういうものだと『ダイ・ハード4.0』でブルース・ウィリスも仰っていましたね。平時には用無しの存在ですから。
 サムの家族も変わらず登場。父(ケヴィン・ダン)も母(ジュリー・ホワイト)も相変わらず。特に、場の空気を全く読まないお母さんが素敵です。いきなり「家族会議よ!」と叫んで、下ネタトーク全開するお母さん(笑)。
 しかもまるきり関係なさそうな発言が、貴重な助言になったりする。いい御両親だ。

 他にもシモンズ「元」捜査官(ジョン・タトゥーロ)や、NEST部隊のレノックス少佐(ジョシュ・デュアメル)、エップス曹長(タイリーズ・ギブソン)が皆勤賞。
 サムに新しい恋人(ロージー・ハティントン=ホワイトリー)ができているのは御愛敬。
 ゲストとしてジョン・マルコビッチや、フランシス・マクドーマンドといった大物やら、パトリック・デンプシーまで登場するとは豪華ですな。特にマルコビッチが楽しそうだわ(笑)。
 それから、バズ・オルドリンが本人役で登場してオプティマスと会話したりします。
 本物のオルドリン飛行士に「あのミッションは極秘だったのだ」と云われると、リアリティが増しますわ。ホントに信じるぞ。

 とりあえずこれにて三部作完結……なのですが、さっぱり完結しているようには見えませんねえ(汗)。
 ああ、今度こそメガトロン様はお亡くなりになられましたが、これはガルバトロン様として復活するのに必要な過程ですから。これでこの実写版も新シリーズに突入となるのですかねえ。
 そうそう。ガルバトロン様で思い出しましたが……。
 劇中でセンチネルの台詞にちょっと笑いました。

 「多数の幸福は常に少数の幸福に勝るのだ」

 何故にそんな『スタートレック』のミスター・スポックのような台詞を。そりゃコバヤシマル・テストじゃないデスか。
 ──と思ったら、センチネルプライムの声はレナード・ニモイでした(アニメ版『トランスフォーマー ザ・ムービー』ではガルバトロン様をニモイが演じていた)。
 楽屋落ちなネタだなあ(笑)。
 しかしそれなら今回の日本語吹替版でのセンチネルプライムの声が勝部演之だと云うのが納得いかん。レナード・ニモイなんだから、ちゃんと菅生隆之にしないとイカンじゃろう。いや、本音ではレナード・ニモイは久松保夫なのですが(汗)。

 うーむ。字幕版でもう一回、観ようかしら。




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2011年7月24日日曜日

ポケットモンスター ベストウィッシュ

ビクティニと黒き英雄ゼクロム
ビクティニと白き英雄レシラム

 90年代のTVアニメとしての無印ポケモンしか知りません。
 でも、うちのムスメらは今のTVシリーズを観るのである。遂にワケの判らぬ念仏のような歌を歌い始めた。「ポケモンいえるかな」か。一体、どこで覚えてくるのだ(ED主題歌か)。

 さて「理想の黒」か「真実の白」か、どちらを観るか。
 いや、問題はそこではない。どっちを先に観るのかである。
 こういうときに、うちのムスメ共はなかなか合意に達しない。わざとやっているのか。

 姉(8歳) 「理想の黒が先ッ」
 妹(6歳) 「しんじつのしろ~」

 いや、もう、パパはどっちが先でもいいんだよ。どうせどっちも観るんだろ? ジャンケンか何かで決めてくれ。するとジャンケンに負けた方が「三回勝負」とか云い出すので困ります。ああもう。ポケモンでそんなにモメないで。
 判っていたことですが、結局は同じ日に両方観ることになりました。
 幼いうちから映画をハシゴすることを覚えるのも如何なものかと思うのですがねえ。

 だが、こんな映画だとは思わなかった。
 これは同じ映画ではないか。

 サトシとピカチュウ御一行様は、山間の町アイントオークにやって来た。そこで開催されるポケモンバトル大会に参加する為である。そこで彼らは伝説のポケモン、ビクティニの噂を耳にする。ビクティニは、あらゆるポケモンをパワーアップさせる不思議な「勝利ポケモン」だと云う。
 一方でアイントオークの人々の歴史も語られる。かつては大地の民と呼ばれ、肥沃な平野「大地の郷」に暮らしていたが、国が乱れ、荒野と化した郷を捨て、民は方々に散ってしまっていた。
 青年ドレッドは荒野を甦らせ、再び大地の民を呼び戻そうと考えていた。その為にビクティニの力を借りようとするのだが、目的を遂げる為にビクティニを酷使する。ドレッドと止めようと、サトシは……。

 二本の映画は、どちらも同じ物語でした。いやもう、九割方は画も台詞も一緒。アドベンチャー・ゲームの分岐にように、若干、シチュエーションが変わるだけ。

 『黒き英雄ゼクロム』では、ドレッドは白龍レシラムを味方にして目的を遂げようとする。サトシはそれに対抗する為に、黒龍ゼクロムの力を借りる。
 『白き英雄レシラム』では、ドレッドは黒龍ゼクロムを味方にして目的を遂げようとする。サトシはそれに対抗する為に、白龍レシラムの力を借りる。

 敵味方が逆転するだけではないか。まぁ、些細なところで他にも違いはありますが。
 冒頭でドレッドが大地の民を呼び寄せようと奔走する場面のみ、それぞれにオリジナルですが、あとはもう一緒。
 ところどころ、同じポケモンでも色違いだったり、種類が違っていたり、ある場面の構図が『黒』と『白』では左右逆転していたりしますが。
 エンドクレジットで流れる主題歌は別々か。『黒』の主題歌は「宙 ─そら─」で、『白』の主題歌は「響 ─こえ─」。歌っているのはどちらも Every Little Thing で……。
 物語としての本筋はまったく変わらない。結末も一緒。
 なんじゃこりゃ。

 ビミョーな間違い探しゲームをさせられているような気になりました。

 うちのムスメらも最初に『黒』を観たときは、それなりに面白がり、感動もしていたようですが、次に『白』を観たときには、かなり期待外れだったような反応でした。

 「……なんか同じお話だったね」

 あからさまに「つまんない」と云われなかっただけマシか。こういう映画の公開手法は如何なものか。二本が同じ映画だと知らなかったこちらが悪いのか?
 なんか詐欺に引っかかって、倍の料金を支払わせられたように感じる。もうすこし観客のおサイフに優しいやり方は無かったのか。両方のチケットを買ったら割引になるような……。

 取り立てて二本の映画の差異が楽しめるような作りになっているワケでもなく、片方で語られていなかったことが、もう片方で明かされるような展開があるワケでもない。
 もうちょっと脚本を考えてもらいたかった。これでは安直だと云われても仕方あるまい。いやもう、安直だと云い切ろう。長寿番組の人気の上に胡座をかいたヒドイ商売である。

 私のポケモンに関する知識は、ムスメらのリクエストにより観に行った劇場版の知識しかない。『アルセウス 超克の時空へ』(2009年)と『幻影の覇者 ゾロアーク』(2010年)のみ。
 今作から旅をしているサトシの仲間の面子が変わっているのですが、それは訊くまでもないことなのか。
 タケシくん(うえだゆうじ)とヒカリちゃん(豊口めぐみ)はどこへ行ったのだ。
 今はデントくん(宮野真守)とアイリスちゃん(悠木碧)デスか。
 うーむ。豊口めぐみと悠木碧のどっちがいいのかという問題は大変難しいので、旅をするならヒカリちゃんとアイリスちゃんを二人連れて行けばいいのに。野郎は要らぬ。
 それ以前に、「ポケモン・トレーナー」という職業は判るが、「ポケモン・ソムリエ」ってナニ?
 うちのムスメは確かヒカリちゃんのポケモンであるポッチャマがお気に入りだった筈だが。
 その辺を娘に尋ねるとニベもない回答でした。

 「パパ、それはもう別のお話なのよ」

 ……はあ。そうですか。パパは無印ポケモンの頃しか知らないのデスよ。
 やはり一緒に観ている『仮面ライダー』とか『プリキュア』のようには理解出来ないのか。まぁ『ドラえもん』については心配ないが。

 ポケモンも、メインのキャストは90年代に始まった頃から変わっていないので、そのあたりは理解出来るよ。さすがに「ロケット団ってナニ?」なんぞという非常識な質問は発せずに済んでいるのが有り難いデス。
 とは云え、今作に於いてはロケット団の出番が非常に少ない。もう空気。
 もうちょっと活躍してはくれぬものか。

 ドレッド役のつるの剛士はなかなか声優としても巧いですね(まだちょっと硬いか)。他にも高橋英樹や大地真央がいたりして、ゲスト陣はそれなりに豪華です。
 ビクティニも水樹奈々だし、山寺宏一や中川翔子も役を変えながら今作もちゃんと登場してくれていますね。
 しかし高橋英樹がポケモンの声を演じるとは(笑)。
 ゼクロムが高橋英樹で、レシラムの方は谷原章介か。格の高いポケモンはそれなりの俳優を起用するのがお約束なのですか。
 まあ、美輪明宏がアルセウスを演じて以来、そういうのにも慣れましたけど。

 メインの配役で云うと、松本梨香と大谷育江のコンビはもう鉄板ですな。三木眞一郎、林原めぐみ、犬山イヌコのトリオもですが。
 将来、『ドラえもん』のようにメイン・キャストが刷新されるときが来るのでしょうかね。
 とりあえず来年の夏には、もうちょっとマシな映画をお願いマス。一本だけで良いです。


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2011年7月16日土曜日

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART.2 (3D)

(Harry Potter and the Deathly Hallows : part 2)

 いよいよオーラスです。第一作から十年目にして遂に完結ですか。長かった。最後だけ3Dにしなくても良さげなものデスが、これも時代の流れか。そういう意味では子役の成長過程やら、技術の進歩やらも感じられるシリーズになりましたね。
 デヴィッド・イェーツ監督はシリーズ最多監督になりました。『不死鳥の騎士団』以降のシリーズ後半は独壇場ですな。

 さて、残る分霊箱は三つですが、『死の秘宝 PART 1』で「ロケット」ひとつ破壊するのに、エラい苦労していたことを思うと、この調子で全部片付けてしまえるのか、甚だ不安でした。
 しかし前半で結構、調子よくいきましたね。
 このあたりの発見の過程がちょっと手抜きのように感じられますが、もう完結編で長々と引っ張るわけには行きませんか。割と簡単に見つけて、破壊していきますね。
 しかし生徒同士で殺し合い、命を落とす者が出る(かなり自業自得的描写ですけどね)という展開は如何なものか。シビアじゃのう。

 孤立無援となったホグワーツ魔法学校に立て籠もる教師と生徒達。籠城戦である。
 これは戦争映画かッ。
 魔法省はさっぱり頼りにならないし、他の魔法学校についてはどうなったのか言及もされない。確か三大魔法学校とか云う設定もあったのでは……。
 最終巻を二部作にしてもなお省略しまくりか。

 ホグワーツを守護する緊急防衛呪文を唱えて、「この呪文、一度使ってみたかったのよ」とはしゃぐマグゴナガル先生が可愛い。判ります(笑)。
 画面で見るとトロルやら大蜘蛛やら、今までのシリーズに登場した設定を総動員しての激戦であることが窺われますが、短いカットで終わってしまうのが惜しい。クライマックスに向けて立ち止まっている暇は無いのデスね。

 スネイプ先生までもお亡くなりになり、その死後にやっと真意が明かされる。ここはもっと強調して演出してもらいたかった。愛に生き、生涯にわたって愛を貫いた真の漢の生き様をッ! ハリーはもっと後悔しろ!
 セブルス~(泣)。

 とうとう自分の出自を自覚し、覚悟を決めたハリーの元に最後の秘宝「蘇りの石」が現れる。
 えーと。結局、「死の秘宝」はダンブルドア校長が全部、持っていたんですか。なんか安直なのでは……。
 死者の魂を一時的に呼び戻せるアイテムのおかげで、遂に両親、シリウス、ルーピンらの霊魂と相見えるハリー。今まで写真の中でしか見ることの無かった両親と言葉を交わせるとは素晴らしい……のですが、どうにも父ジェームズの存在が今まで希薄だっただけに、初の親子対面なのにアンタ誰的な雰囲気になってしまうのは残念。
 それに、個人的に云いたいこともある。
 父ジェームズ(とシリウス)には、是非云いたい。何故、スネイプ先生にひどい虐めを行ったのか、と。霊魂とはいえ、もっと責めて然るべきではないか。

 ついでにスネイプ先生の霊魂も呼び戻して貰いたかったッ。
 せっかくの「蘇りの石」ではないか。スネイプ先生も呼び出せ。そして謝罪しろ!
 クライマックスを前に、スネイプ先生と和解する場面が何故ないのですかッ!
 セブルス~(泣)。

 そして覚悟を決めたハリーはヴォルデモートと対峙し、息絶える。
 うわ。ホントに死んだのか──と思いきや、ギリギリ臨死体験で何とかなりました。実は死んだのはハリーの中に潜んでいた、ヴォルデモートの一部のみ。
 ハリーは図らずもヴォルデモートが作り出した分霊箱のひとつだったので──って、分霊箱を作り出した御本人がそれに気づかぬとは、なんか迂闊ですねえ。自分の霊魂が七分割されているのか、八分割されているのか、判らないのデスか(判らんか)。今まで散々、二人の間に交感があったのに、その原因に思い至らぬとは、闇の帝王としては間抜けという他ない。
 ダンブルドアは気がついていたと云うのに……。

 それにしても都合良く、ハリーだけ助かるものだなあ。なんか御都合主義ぽく感じられます。
 聞くところに拠ると、原作小説ではちゃんと説明されているのだという。筋の通った理屈があるそうですが、映画ではよく判らなかった。
 ダンブルドアの霊魂と会話したときも、そこまで説明してくれなかったし。
 と云うか、臨死体験して校長と会えるのなら、なんでここでスネイプ先生とも会えないのか。セカンド・チャンスだったのにッ。
 セブルス~(泣)。

 すべてはダンブルドア校長の深遠な計画の一部だったのだ。さすが大魔法使い。やはりヴォルデモートより一枚上手でしたか。
 しかしこの計略、わざわざダンブルドア校長が本当に死んでみせる必要があったのか疑問だなあ。死んだふりだけでも良かったんじゃね?
 ──と云ったところ、原作を読んでいた知人が教えてくれました。実は校長は分霊箱のひとつ「指輪」を破壊したときに、呪いを受けて余命一年足らずであったという。
 『謎のプリンス』の冒頭で校長が右手に怪我をしていた理由がソレだったかッ。
 そんなん、映画だけ観ている者には判んないよう(泣)。

 そして最後の分霊箱が、愛蛇ナギニ。
 まぁ、妙に可愛がると思ったら、ペットまで分霊箱化させていたのか。
 ここでネビルくん、大活躍。
 あのドジっ子だった少年が、遂に闇の帝王に向かって啖呵切りますよ。これは頼もしすぎる。遂にはグリフィンドールの剣まで召喚してしまうし。ハリーを超えたよ!
 大蛇退治という大役を果たしてしまったので、ベラトリックスとの対決は無しか。個人的にはベラトリックスとの因縁の対決という展開も期待していたのですが……。
 代わってベラトリックスに天誅喰らわすのが、まさかのウィーズリー夫人。
 考えてみればハリーの母リリーも、一介の魔法使いでありながらヴォルデモートと刺し違えましたからね。やはり母の愛は何よりも強いのか。

 色々ありましたが、派手なバトルの末に、ヴォルデモート卿との最終対決もしっかり描かれ、きちんと完結してくれた。総じて、やはり非常に面白い映画ではありました。
 何より長大なシリーズに相応しく、エピローグにもしっかり尺を割いてくれたことは十年間、アレコレ云いながら付き合ってきた者としては嬉しい限りです。

 この「十九年後」というエピローグが実に楽しい。
 どうやらホグワーツは再建され、ハリー達は無事に卒業できたらしい(笑)。
 各カップルの子供達がホグワーツへ入学する年齢になったのですね。キングズクロス駅のプラットホームにはかつて見たお馴染みの光景が展開しております。
 とうとうあの子役達が老けメイクで、親の役まで演じるようになったと云うことが感慨深い。まぁ、エマたんはほとんど老けてませんでしたけどね。
 それにしてもハリーとジニーの息子の名前は、アルバス・セブルス・ポッターとな。

 なんか重たい名前を背負わされた少年が可哀想デス。ただでさえ「あのハリー・ポッターの息子」と噂になることは必定であるのに、その上に偉大な校長先生二人の名前を冠せられるとは。ジェームズ>ハリーと続いてアルバス・セブルスか。フツーに名前を付けてやれよ。これではいわゆるDQNネームなのでは……。
 もうアルバスくんの苦難の学園生活が目に見えるようデス。
 更に、ホグワーツは校内いたるところ心霊スポットですからね、彼は在学中にダンブルドアやスネイプの幽霊にも悩ませられたりするのでしょうかねえ(すんません。原作小説読まずにテキトーなこと書いてマス)。
 〈ハリー・ポッター〉シリーズはこれでめでたく完結しましたが、続編の企画はないのですか。
 息子の〈アルバス・ポッター〉シリーズとか。その場合は「アルポタ」とか呼ばれるのかな。




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コクリコ坂から

(From Up On Poppy Hill)

 宮崎吾朗の第二回監督作品ですね。
 とにかく前作の『ゲド戦記』(2006年)があまりにも酷くて、私の大好きなアーシュラ・K・ルグィンの原作小説を見るも無惨にしてくれた恨みには根深いものがありました。だからどうせまた大した映画じゃあるまい、という甚だしい先入観の元に観に行ったのデス。そりゃ、しょうがないよな。『ゲド戦記』がアレだもんな。
 だったら最初から行かなきゃ良いのに。まぁ、ヒドい映画には後で「如何にヒドイか」を突っ込んで楽しむという自虐的な楽しみ方がありまして(汗)。
 でも……。えーと。うーん。

 フツーに面白かったヨ? あれ? おかしいな。ツッコミ処がてんこ盛りの残念映画を期待していたのに。
 その意味では期待ハズレでした。しかしフツーに面白かったのことに文句付けられては、監督も堪りますまい。親父の宮崎駿は、企画と脚本に名前が出ていますが……。

 高橋千鶴の絵柄が見事にジブリ・タッチの絵になっている。物語も基本的な部分だけ踏襲されているが、もはや別物である。それは仕方ないか。
 基本的なところは、青春恋愛もので、惹かれ合う少年と少女が実は兄妹かも知れないという部分。なんとまたベタな展開であろうか。イマドキはこんな設定のラブストーリーにはなかなかお目にかかれませんよ。
 でも時代背景を1963年に設定変更したこともあって、妙に合っているようにも感じられました。ちょっとアナクロだが、そこがいい。
 おかげで主人公達が通う学校も、学生運動華やかなりし六〇年代の雰囲気にマッチしているように感じられるが、どっちかと云うと旧制高校の雰囲気ですかね。男子生徒は硬派で蛮カラだ。エネルギーが有り余っとるね。

 私はどっちかと云うと学園ものとしてのサイド・ストーリーの方が気に入りました。
 老朽化したクラブハウス──通称「カルチェラタン」──取り壊しに反対する学生達の活動と、クラブハウスの再生を描く部分。こちらをメインストーリーにしてくれても良かったんじゃないかと思うくらい。
 生徒会長である水沼くんがもう、絵に描いたような「メガネの秀才」でした。お約束だわ(笑)。

 このカルチェラタンの魔窟っぷりが素晴らしいデス。もう老朽化しているという以前に、違法建築なんじゃないかと思わせるくらいゴテゴテしている。ここは九龍城か。こういう建物を描かせたら宮崎駿の右に出る人はおりますまい。
 ゴミとホコリとガラクタに埋もれたような建物ですが、住人にとっては憩いの場なんだろうなあ。きっと凄く落ち着くんだろうなあ。女性にはお奨め出来ませぬが。
 特に、木造階段の踊り場に巣を張っている哲学研究会がいい。
 部室があてがわれていないので、踊り場に掘っ立て小屋を据え付け、階段を上り下りする学生達に誰彼構わず哲学問答を吹っかけている。楽しそうだなあ。

 カルチェラタン存続を訴える男子生徒のリーダー格である風間俊(岡田准一)と、主人公の松崎海(長澤まさみ)の出会いが笑える。
 俊は取り壊し反対をアピールする為に、昼休みに校庭の貯水槽にクラブハウスの屋根から飛び降りるのである。たまたま友達と校庭でお弁当を食べていた海の目の前に、俊が飛び降りてくる。
 これはボーイ・ミーツ・ガールのお約束なのであろうか。
 今度は男子の方が空から降ってきたよ(笑)。

 学生達の活動とは別に、コクリコ荘での日常生活の描写が素晴らしく丁寧でした。米の計り方から、洗濯機の使われ方まで、実にリアル。正しい時代考証ですね。
 私は冒頭の、台詞がまったく無いまま、コクリコ荘の朝の風景を淡々と見せていく演出が気に入りました。医学生やら、画学生やらが住まう下宿屋なのだが、実にアットホームな雰囲気。昔はこうだったのかねえ。

 ここで海ちゃんの日課が、旗を揚げることであると説明される。
 いわゆるUW旗──航海の安全を祈る──という旗。あとになって朝鮮戦争時に海で亡くなった父親の為に揚げていると云うことが判る。
 しかしある日、学園新聞に「旗を揚げる少女」についてのポエムが掲載される。書いたのは、どうやら風間俊であるらしい。
 ここでちょっと疑問(些細なことですが)。
 コクリコ荘の海ちゃんの立ち位置からは、眼下を行き交うタグボートが見えないのである。当然、一隻のボートが返礼を旗を揚げていることも知らなかった(見えないので)。
 旗を揚げている方からボートが見えないのであるから、ボートの側からも旗を揚げている人が見えない筈である。事実、何度か海上からコクリコ荘を見上げたカットが入るが、茂みや手前に建つ家などで、コクリコ荘の二階から下は見えていない。
 どうやって俊は「旗を揚げているのが少女である」と知っていたのであろうか。不思議だ。

 この映画のクライマックスは大掃除の末に生まれ変わったカルチェラタンを、理事長が視察に訪れる場面ですね。ここはもう本当に楽しい場面です。
 やっぱり本筋をこちらにしてもらいたかったッ。

 それはさておき、実にまっすぐな恋愛もので、兄妹疑惑が持ち上がっても、素直に「好きです」と云えるあたり、観ている側が赤面しそうな演出ですが、なかなか宜しいのでは。
 あとで解明される「両親達が学生だった頃のエピソード」なんかも、過去と現在の繋がりが感じられて無理がない。
 ラストの航洋丸の小野寺船長の台詞が印象に残りました。

 「立花の息子と、沢村の娘に会えるなんて、こんな嬉しいことはない。ありがとう」

 実に爽やかなハッピーエンドでした。

 主役の長澤まさみや岡田准一は、アニメの声優としても違和感ありませんね。俳優をアニメの声優に起用することについては、当たり外れがあるものデスが、ここ最近のジブリ作品には大きなハズレは無いか。
 唯一、理事長役の香川照之だけ、ちょっと浮いていたような……。なんかわざとらしいというか、ガハハハと笑うあたりの演技がちょっと(汗)。

 で、それなりに満足して劇場を後にしたのですが……。
 帰りに書店に寄ると、角川書店からシナリオ本が出ているのを見つけました。
 宮崎駿のシナリオに、イメージ・スケッチやら、脚本完成までのミーティングのレポートを追加した、一種のメイキング本ですね。シナリオだけだと薄っぺらくなるので、その前後にアレコレとオマケが追加されている。
 なるほど、こうやって映画の脚本は練られていくのか。興味深い……って、宮崎吾朗監督はミーティングに出席していないじゃなイカ!

 すべては、宮崎駿と鈴木プロデューサーと共同脚本の丹羽圭子らによるミーティングで決められていたのである。その完成度たるや、実に見事。
 鑑賞後だからよく判るのデスが、もう映画のほとんどはこの時点で完全に出来上がっているのデス。各場面のレイアウトや、コクリコ荘の設定なんかも、宮崎駿のスケッチに実に忠実であったことが判る。
 こんな見事な設計図が用意されていたのでは、もはや監督の仕事には何が残されているのだろうか。宮崎吾朗監督の腕をちょっと見直しかけたのに……。うーむ。




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2011年7月10日日曜日

アイ・アム・ナンバー4

(I AM NUMBER FOUR)

 SF版『トワイライト/初恋』と云うか、ライトノベルの映画化作品ですね。古参のSF者からすると、手垢の付いたネタと云うか、よくあるパターン的印象がするのは否めませぬ。
 しかし決して手を抜いて製作されているわけではなく、きちんとした段取りを踏んで、丁寧に仕上げられた佳作と申せましょう。
 監督が『イーグル・アイ』のD.J.カルーソだからかですかね。

 滅亡した異星人(ロリエン人)の生き残りが地球人の振りをして地球各地に潜伏しており、敵対する異星人(モガドリアン)に追われているという設定。
 ロリエン人は見た目は地球人とまったく変わらないが、モガドリアンの方は歯が尖っていたり、鼻の両側にエラが付いていたりで、サメを思わせる容貌。もう見ただけで善玉と悪玉の区別が付く。悪玉はもう見た目通りに凶暴で、血に飢えた連中で、情け容赦ない。
 このあたりの問答無用な設定が、いっそ清々しいと云うか、開き直った感があって、ここがスルー出来ない方には、この映画はお薦めできませぬ。

 どうでもいいが「ロリエン」と云う単語自体、ナニやら私には『指輪物語』を想起させるというか、妖精=エルフ=善玉という図式を狙っているように感じられます。「モガドリアン」もそうだよな。きっと「モガドール人」と云う意味なのだろうが、これもまた『指輪物語』ぽいネーミングですな。あからさまにモルドールを連想させるというか、ちょっとあからさま過ぎやしませんかねえ?

 ロリエン人の生き残りは九人。いずれも年端のいかぬ少年少女。但し、各自が様々な超能力の持ち主であり、モガドリアンは彼らが成長することを怖れている。何とか能力を使いこなせぬ年齢のうちに抹殺しようとしつこく追跡している。
 一方、少年少女にはひとりずつ守護者が付けられ、成長するまで彼らを護衛している。

 えーと。この護衛の人達もロリエン人なのだから、生き残りは九人じゃなくて一八人なのでは(汗)。しかも守護者は各々が腕の立つ剣士のようではあるが、超能力は無いらしい。少年少女はロリエン人の中でも貴重な存在であったという設定である。

 少年少女には番号が振られている。主人公であるジョン(アレックス・ペティファー)は、ナンバー4。
 超能力を持つ九人の少年少女──おお、実にアニメ向けというか、少年誌に連載されるようなネタではありますが……。
 いきなりナンバー3が抹殺される場面から始まっちゃったので、ちょっとビックリしました。

 うーむ。九人のメンバーが勢揃いすることは、どうやら無いらしい。なんか残念ですなあ。
 冒頭のナレーションで、既にナンバー1から順に発見され抹殺されていることが説明される。何故、順番でなければならないのか、理由は説明されない。なんか拘りがあるのだろうか。
 既に三人まで狩られてしまったので、次は主人公の番というワケであるが……。
 なんかもう色々とツッコミたくて仕方のない点が多々あるのですが、そこはスルーしてあげましょう(笑)。

 超能力者が追っ手の目を逃れながら各地を転々とするという設定自体は、特に目新しいものではありませぬが、きちんと段取りを踏んで描写されているのが好印象でした。
 特に主人公がティーンエイジですから、色々とお約束なことがいっぱいあって……。

 転校先の高校──転校生が異星人で超能力者か! 涼宮ハルヒなら放っては置かないところですな──で、気になる女の子サラ(ダイアナ・アグロン)とボーイ・ミーツ・ガールしたら、アメフト部のイケメン部長(当然、イヤな野郎)でサラの元カレに絡まれたり、イジメられている科学ヲタクの少年と仲良くなったり、もう学園ドラマとして定番な展開が順を追って消化されていく。元カレ野郎の親父が町の有力者(保安官)であるというのも、素晴らしい。外さないねえ。
 表向きナンバー4は父子家庭ということになっている。守護者である剣士ヘンリー(ティモシー・オリファント)が父親役。本当の両親を知らないので、サラの何気ない一家団欒に憧れてしまったりする心理描写が実に丁寧に描写されていく。

 しかし演出が丁寧なのはイイが、おかげでなかなか事件が進展しません。もう残りのナンバー5からナンバー9までが集結することが無いのは明白なのデス。続編前提か。
 だから色々と未回収なままになっている伏線がある。

 実の父の形見であるという謎な箱。「時が来ればお前に明かそう」と云われながら箱の中身は謎のまま。
 他にも、ナンバー4の能力は他のロリエン人とは異なり、特殊であることが説明される。ヘンリー曰く「お前とナンバー9だけが持つ能力だ」
 でもナンバー9、登場しないし! 何故、その二人なのかの説明もない。

 物語はオハイオの田舎町での学園青春ドラマに、次第に追跡の輪を縮めていくモガドリアン御一行様と、同じく謎の美少女の追跡行が断片的に挿入されながら進行していく。のんびり青春している場合ではないのであるが、ナンバー4は色々と迂闊なことをやらかし、ネットに動画を投稿されたりして、正体を晒しまくっている。ほとんど追ってきて下さいとお願いしているようなものだ。そうしないと追っ手の方も困るからでしょうが、なかなか御都合主義的です。
 凄腕の剣士である筈のヘンリーが、UFOマニアなヲタ野郎共にあっさりやられて捕まってしまうと云うのも、実に御都合主義的である。守護者のくせに弱すぎるぞ、ヘンリー!

 謎の美少女(テリーサ・パーマー)が実は仲間であるナンバー6であり、一番頼りになる助っ人だったりしますが、両手に花状態にならないのはおかしい……(日本のアニメなら間違いなくそうするね)。
 ナンバー6が男勝りの闘士で、ちょいビッチであるのはとてもイイのですが。
 しかしナンバー5をとばして、いきなり6ですか。しかもナンバー6の守護者は既にモガドリアンに殺されている。あれ? 順番に抹殺していくというルールはどうなったのでしょう?

 まぁ、何だかんだ云って、高校の校舎を舞台にしたクライマックスの攻防戦は、それなりにド派手なので、なんとか一本の映画としては合格でしょう。TVシリーズの第一話パイロット版に多額の制作費を投入しているだけのようでもありますが……。
 怪獣映画としてもなかなか迫力有りますし。

 結局、意外な展開は何一つ無く、お約束を片っ端から消化していく(だけの)物語なので、途中で寝てしまっても全然問題ない(実は前半の学園ドラマ部分がちょっと眠くて……)。
 いや、ひとつだけ意外なところがあったか。
 イヤな野郎だった元カレのマーク(ジェイク・アベル)が最後でイイ奴に転向してしまうことか。なんでそんな爽やかな奴になっちゃうんだよ(笑)。

 原作は六部作になる予定(まだ完結していないのか!)だそうだが、映画の方はどうなるんですかね。なんか先行き、非常に不安デス。
 とりあえず残りのメンバー全員が登場するまで、なんとか製作して戴きたい。
 うーむ。誉めているのか貶しているのかよく判らなくなりましたね。


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トレヴァー・ラビン/オリジナル・サウンドトラック 『アイ・アム・ナンバー4』
アイ・アム・ナンバー4 <ロリエン・レガシーズ> (角川文庫)

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2011年7月7日木曜日

鋼の錬金術師/嘆きの丘(ミロス)の聖なる星

(FULLMETAL ALCHEMIST : The Sacred Star of Milos)

 まず、私は原作コミックスをまったく読んでおりませんッ。
 その上、最初のTVシリーズであるハガレン(いわゆる無印)はそこそこ観ておりましたが全話ではない。何とか劇場版第一作『シャンバラを征く者』まではついて行けたが、二回目のアニメ化作品(フルメタ)はほとんど観ていない。
 さて、こんな状態で劇場版第二作なんぞ観賞して大丈夫なのか。『シャンバラ~』は無印ハガレンの劇場版だから理解できたが、この二作目はフルメタの劇場版なのだから、理解できないのではないか……と云う一抹の不安がございました。
 でも大丈夫だ、問題ない。
 と云うか、コアなファンではないので、問題があったとしても気が付かなかったと云うのが正しい(汗)。

 個人的には第一作『シャンバラを征く者』の続きも観たいのですがね。エルリック兄弟vsナチスというインディ・ジョーンズばりの冒険活劇はもう観られないのか。どこかで製作してくれないのか(無理)。

 『ミロ星』──『嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』を略してこう呼ぶらしい──は、独立した物語なので、基本設定だけ承知していれば、私のような者でも問題なく理解できます。エルリック兄弟以外はほぼ新キャラばかりですし。
 チケット購入時に特典コミックスと称した小冊子ももらいました。これによると原作の十一巻と十二巻の間のエピソードだそうな。

 独立したオリジナル・エピソードなので、スカーも、ホムンクルスも出番なし。
 マスタング大佐も、ホークアイ中尉もほとんど出番なし。おおう、アームストロング少佐も顔見せだけか!
 そもそもヒューズ中佐も登場しないのである。時系列的にはお亡くなりになったあとのエピソードになるので、やむを得ないのでしょうが。これが一番、残念。
 どうしてヒューズ中佐が御存命時のエピソードは劇場版化されないのか。大体、私は二度目のアニメ化の際にも、ヒューズ中佐の葬式をまた観てしまったので、そこで観るのを止めてしまったのだった。なんかそれ以上、観続ける気力が失せてしまって。

 ──という、ハガレン・ファンを名乗るのもおこがましいワケですが、逆に前後のエピソードの繋がりもよく判らず、本編とのリンクがあるのか無いのかもよく判らないので、単純に冒険活劇アニメとして観る分には、『ミロ星』は充分な出来ではないかと思います。
 まぁ、脚本は真保裕一ですがね。
 真保裕一の脚本と云えば『ホワイトアウト』(2000年)があったか。小説の方は読んでおりませぬが、映画としてはかなり無茶な展開もあったような。『アマルフィ/女神の報酬』(2009年)については忘れよう。忘れたい。あんなスカタン映画。
 つい最近も『アンダルシア/女神の報復』を観たな。基本的にはミステリ作家なので、この『ミロ星』も冒険活劇ではありますがミステリ色が強いです。

 セントラル刑務所から脱獄した謎の錬金術師メルビン(森川智之)を追って、エルリック兄弟は西部国境の街テーブルシティへ。そこはクレタとアメストリスという大国に挟まれ、蹂躙されている弱小民族ミロスの聖地だった。エルリック兄弟はそこでレジスタンスの少女ジュリア(坂本真綾)と知り合う。
 大国の知らない独自の錬成陣を駆使したミロスの錬金術は「賢者の石」を錬成できると伝えられ、エルリック兄弟はその秘密をめぐって、クレタとアメストリスとミロスの三つ巴の事件に巻き込まれていく。

 それにしても軍事国家アメストリスは、あっちでもこっちでも弱小民族を虐げておりますな。本編でもイシュヴァールを弾圧しておりましたが、ここでもか。

 結構、謎解き要素が多くて、色々考えられてはおりますが……。
 アクションの合間に謎を解いていくので、あとから考えるとエドとアルは物凄い勢いで解き明かしているわけですね。クレタの支配が三百年続き、その後でアメストリスがミロスを占領して十年間、その間まったく誰にも解けなかった謎を、たった数日で解き明かしてしまった(笑)。
 大仕掛けではありますが、ミロスの都市に隠された謎が、とても判りやすかったりして、何故これに誰も気がつかなかったのか不思議。
 このあたりの冒険活劇とミステリの謎解きというバランスの取り方が、ちょっとまあ……不満と云えば不満ですが。うーむ。

 メルビン・ボイジャーの意外な正体──と云うのも、あまり意外ではなかったか。彼が本当にジュリアのお兄さん(本名はアシュレイ)だったら、そっちの方が驚きでしたが。これもミステリとしては定番とも云えるし、お約束をきちんと守ってくれた展開には満足です。

 ドラマとしては、エドとアルのエルリック兄弟と、アシュレイとジュリアのクライトン兄妹の描き方が対照的なのが印象に残りました。
 マスタング大佐の台詞──失った時間は取り戻せないが、これからの時間は己の選択次第だ──というのは、判ります。よく云われることですし。
 互いを思いやるエドとアルに比べて、あの兄と妹の仲は決定的に引き裂かれてしまったのだと考えると、なかなかに切ない。恐らく兄妹の仲は修復出来ないのではないか。

 一件落着後、ジュリアの兄は妹に別れを告げることなく姿を消してしまう。クレタ軍人として、この先も生きていくらしいという描かれ方をしていた。
 その一方で、遂にミロスは独立を宣言し、一見するとハッピーエンドなのであるが……。
 あの状態が長く続くとはどうしても思えませぬ。いずれまたアメストリスや、クレタが侵攻してくるのは目に見えている。これからのことを考えると、あの兄と妹は戦場で相見えることになるのか。なんかもう不幸な結末が待っているようで切ない。
 それともミロスの「賢者の石」錬成システムは破壊されてしまったので、最早占領する価値無しとして捨て置かれることになるのだろうか。それならそれでいいのですが……。
 そうなると気になるのはクライマックスでのハーシェル(木内秀信)の台詞ですね。
 ミロスの錬成システムが破壊されたことをエドに告げられ、逆に礼を云う。これでもう秘密は自分の頭の中にしかない、と。
 つまりハーシェルはミロスを占領せずとも、その気になればいつでもどこでも「賢者の石」を大量生産出来たということになり……。いや、どうもハーシェルの行動は不可解だな。
 ハーシェルの目的はメルビンに復讐することだけであり、「賢者の石」を錬成するつもりは無かったのか。逆にミロスのシステムを破壊し、自分の知った秘密は生涯隠し通すつもりだったのか……。
 このあたりも説明不足な感じがします。

 活劇としては良くできているのですが。ど派手な錬金術の描写とか。
 個人的には前半の、列車の上での立ち回りと云う古典的なアクションが嬉しい。複雑怪奇な鉄橋の描写も、ビジュアル的にはなかなか興味深い。
 欲を云えば、聖地の火山に言及されたので、クライマックスは巨大火山の大噴火まで行くのかと期待したのですが、溶岩の流出もそれほどではなかったのが残念(いや、もっとドカンとやるのかと思ったんですよ)。
 ゲスト・キャラの中ではバタネン(屋良有作)というオヤジが気に入りました。脇役かと思いきや、結構活躍してくれたし、声が屋良有作というのがいいやね。

 岩代太郎の音楽もなかなか聴き応えあったし、L'Arc~en~Cielの主題歌もいかにもなので、久々に「ハガレンを観たぜ」という気分になりました。
 しかしフルメタ・ハガレンを最後まで観たという知人は、TVシリーズがきちんと完結しているので、特にこの劇場版は観なくてもいいのではないかと云う意見でした。そういうものなのか。
 無印ハガレンだけ観ていてはイカンのか。フルメタ全六四話をイッキ視聴するのは、結構キツそうだ。私はヒューズ中佐の死を乗り越えることが出来るのだろうか(汗)。




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2011年7月3日日曜日

マイティ・ソー (3D)

(THOR)

 日本では北欧神話の雷神の名前はドイツ風に「トール」と表記するのが一般的だと思いましたが、ここは英語発音のまま「ソー」なのか。なんか間が抜けているように感じられるのですが、いいのかなあ。
 「ソア」とか「ソール」と云う表記の方がまだマシに思えるのですが……。

 そー。

 ともあれ、マーヴェル・コミックスのヒーローの中でも、一番古風で神秘的なキャラですね。神話の神様だしな。これが「アベンジャーズ」の一員となるワケで、まずは単体での映画ですね。『アイアンマン』>『インクレディブル・ハルク』>『アイアンマン2』と続くシリーズの四本目か。
 『アイアンマン2』のラストシーンからちゃんと続いている。コールソン捜査官(クラーク・グレッグ)もしっかり登場してくれています。

 世界観が神話そのままではなく、SF的な解釈が施されているあたり、ちょっと嬉しい。アスガルドもヨトゥンヘイムも、宇宙のどこかにある惑星という描写。北欧神話にある通り、九つの惑星がスターゲイトというか超空間ネットワークで結ばれているという設定。このスターゲイトの名前が「ビフロスト(虹の橋)」というのもいいですね。
 今作ではアスガルド、ヨトゥンヘイム、ミッドガルド(地球)の三つまでが描かれております。そのうちヴァナヘイムとかムスペルヘイム、ニヴルヘイムなんて惑星も登場させてくれるのですかね(是非、続編を)。

 冒頭、地球上に於いて戦われた神々と巨人達の戦いが壮観です(短いシーンですが)。主神オーディンが威厳たっぷりで勇ましい。さすがアンソニー・ホプキンス。
 相当の激戦だったらしく、巨人族から力の源である「箱」を取り上げ、巨人らをヨトゥンヘイムに封じ込めたが、オーディン自身も負傷し、隻眼となったことがサラリと語られる。幼い二人の息子、長男ソーと次男ロキに戦の思い出話をするオーディン。子役の少年達がなかなかイメージに合っていて可愛いです。
 そして数千年後のアスガルド。さすがに老いて引退を考える歳になったオーディン(神様とは云え長命だなあ)は長男ソーに王位を譲ろうとするのだが……。

 アスガルドの背景美術がなかなか美しい。『タイタンの戦い』のオリンポスとはまた違った趣ですが、神々しくて雰囲気たっぷり。遠未来的SF都市のようでもある。特に名前を呼ばれませんが、あの都が「ヴァルハラ」なのでしょう。

 老いた父王に二人の息子。兄弟同士の愛憎劇という実にシェイクスピアぽい設定にケネス・ブラナー監督の演出がピタリとハマってます。さすがに巧い。
 特に最初のうちのソーの無鉄砲さと傲慢さがいい感じで、度が過ぎてオーディンの失望を買っちゃうあたりの芝居は流石デス。ホプキンスの方も名演技。

 主役のソーはクリス・ヘムズワース。リメイク版の『スタートレック』でカーク船長のパパ役だった人ですね。『パーフェクト・ゲッタウェイ』でも脇役でしたが、遂に堂々の主役ですね。劇中で披露してくれる筋肉美が見事です。
 でもどちらかと云うと、私は次男ロキの方が気に入りました。トム・ヒデルストンは馴染みのない役者さんですが、華々しい兄の影に隠れた弟という役が巧いです。
 脳天気で脳みそまで筋肉なバカ兄貴とは対照的に、頭脳派で策略家。出生の秘密まで持っていて(実は巨人の血を引いている)、密かに苦悩するという影のある役。悪役ではありますが、これは憎めない。
 兄への愛情と嫉妬の板挟みになるあたりで、もうロキを主役にしてもらいたい。スピンオフ企画は無いのかしら。

 二人の息子のうち、一人は考えが足りず、もう一人は考え過ぎて、どちらも父親の真意を汲み取ってくれないというのは悲劇ですね。心労のあまり倒れてしまうアンソニー・ホプキンスには同情してしまいます。

 オーディンの妻、フリッガ役がレネ・ルッソでした。最近、映画出演から遠のいておられましたが、お元気そうで何よりデス。相変わらずお美しい。
 浅野忠信がソーの家来である三戦士の一人、ホーガン役。おお、ちゃんとヘムズワースと芝居をしている。しっかり出番がある。寡黙な戦士なので台詞は少ないが……。
 『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の松崎悠希みたいなことは無いぞ。
 でも、三戦士にはあまり出番が無いので活躍できないのが残念デス。
 それからナタリー・ポートマン。『ブラック・スワン』で産休に入ったと思っていたのですが。まだ一本、撮っておられましたか。

 「アベンジャーズ」にリンクする設定が色々と散りばめられているのは御愛敬。
 セルヴィック教授(ステラン・スカルスガルド)が、「知人のガンマ線科学者」に言及したり(ハルクですね)、バートンと云う名のシールド隊員が登場したりする(別名ホークアイ)。
 うわ。ホークアイが登場したよ。しかも『ハート・ロッカー』のジェレミー・レナーが演じている。今回は顔見せだけでしたが(笑)。
 原作者スタン・リー御大もカメオ出演しておりました。地面に突き刺さったソーのハンマー──「ムジョルニア」てのは発音しづらい。「ミョルニル」でも同じですが──を引っこ抜こうとしてトラックを壊してしまうお爺ちゃんの役。

 傲慢さ故に過ちを犯した主人公が故郷から追放され、少しずつ学んで人間的に成長していくというのは宜しいが、映画だと学習過程がかなり短縮されてしまうのはやむを得ないか。打ちのめされた後、急に素直になってしまう。性格が単純であるが純朴なのでしょう。原作通りではあるか。
 原作通りと云うと、大食漢であるという設定や、女性の手に口づけするという古風な性格もちゃんと描写されています。字幕では判りづらいが、多分、喋り方も古風なのではないか(原作のコミックスではそうなっている)。吹替版にちょっと期待したいです。

 そして映画として完結させる為には、追放されっぱなしと云う訳にもいきませんね。倒れたオーディンに代わって全権を握ったロキの策略で、ヨトゥンヘイムの巨人がアスガルドに侵入するという事件が発生。主人公としては、故郷の危機に際して帰還せねばならない。
 結構、壮大な物語ですが、ほとんど異世界での事件なので、地球上ではニューメキシコの田舎町しか映らないのはやむを得ないか。本格的な活躍は次回作以降になるのですかね。

 北欧神話から引用された設定が随所にあれど、物語に直接関係ないと説明しないという演出は潔いですな。
 玉座に座ったロキが、オーディンの槍を持っていたりする。クライマックスの兄弟対決では、雷槌ムジョルニアの一撃を軽々と受け止めてしまうほど強力な槍である。
 あれはやっぱり「グングニル」なんだろうなあ。さすが神槍。
 他にも、序盤で鎧兜に身を包んだオーディンが馬に跨がって登場する印象的な場面があります(ほんの一瞬ですが)。アンソニー・ホプキンスの勇姿が素晴らしいが、あの一瞬だけ映る馬は、やはり「スレイプニル」とか云うのだろうか。

 そう考えていくと、宝物庫の番人として設定された「デストロイヤー」は、名前だけ惜しい。もう少し北欧神話ぽいネーミングにはならなかったのか。「バーサーカー」でも「ベルセルク」でもイイけど。デザインは格好良いのに、名前だけ残念。

 結局、ロキはロキで、アスガルドの為に最善と思われる手を打とうとしていたのだと判るのですが、策略が過ぎて誤解されていたというのが哀しい。そんな策略、フツーは欺されるというか、誰だって誤解するわ。頭の回りすぎる人にも困ります。
 目覚めたオーディンに「それは違うぞ」と諭されますが、なんかここでも誤解が生じたようで、父親から拒絶されたと勘違いしたのか、自らアスガルドを去ってしまう。
 兄弟の断絶は深まる一方か。簡単に和解されると物語は終わってしまいますが。

 かくして一件落着となりますが、物語はまだまだ続くようで。
 堂々と「ソーは『アベンジャーズ』で帰ってくる」と予告まで付けられていました。

 例によって例の如く、長々と続いたエンドクレジット後にまた次回作への布石が打たれております。今回は登場しないのかと思っていたら、ちゃんとニック・フューリー長官(サミュエル・ジャクソン)も登場してくれました。
 ナニやら得体の知れないアイテムを披露してくれますが、これが次作の『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』に繋がるワケですね。
 その次はいよいよ『アベンジャーズ』本編に突入するのか。ホントにそんなオールスター・キャストな映画が出来るものなのか。楽しみですが、ちょっと不安。




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