とにかく前作の『ゲド戦記』(2006年)があまりにも酷くて、私の大好きなアーシュラ・K・ルグィンの原作小説を見るも無惨にしてくれた恨みには根深いものがありました。だからどうせまた大した映画じゃあるまい、という甚だしい先入観の元に観に行ったのデス。そりゃ、しょうがないよな。『ゲド戦記』がアレだもんな。
だったら最初から行かなきゃ良いのに。まぁ、ヒドい映画には後で「如何にヒドイか」を突っ込んで楽しむという自虐的な楽しみ方がありまして(汗)。
でも……。えーと。うーん。
フツーに面白かったヨ? あれ? おかしいな。ツッコミ処がてんこ盛りの残念映画を期待していたのに。
その意味では期待ハズレでした。しかしフツーに面白かったのことに文句付けられては、監督も堪りますまい。親父の宮崎駿は、企画と脚本に名前が出ていますが……。
高橋千鶴の絵柄が見事にジブリ・タッチの絵になっている。物語も基本的な部分だけ踏襲されているが、もはや別物である。それは仕方ないか。
基本的なところは、青春恋愛もので、惹かれ合う少年と少女が実は兄妹かも知れないという部分。なんとまたベタな展開であろうか。イマドキはこんな設定のラブストーリーにはなかなかお目にかかれませんよ。
でも時代背景を1963年に設定変更したこともあって、妙に合っているようにも感じられました。ちょっとアナクロだが、そこがいい。
おかげで主人公達が通う学校も、学生運動華やかなりし六〇年代の雰囲気にマッチしているように感じられるが、どっちかと云うと旧制高校の雰囲気ですかね。男子生徒は硬派で蛮カラだ。エネルギーが有り余っとるね。
私はどっちかと云うと学園ものとしてのサイド・ストーリーの方が気に入りました。
老朽化したクラブハウス──通称「カルチェラタン」──取り壊しに反対する学生達の活動と、クラブハウスの再生を描く部分。こちらをメインストーリーにしてくれても良かったんじゃないかと思うくらい。
生徒会長である水沼くんがもう、絵に描いたような「メガネの秀才」でした。お約束だわ(笑)。
このカルチェラタンの魔窟っぷりが素晴らしいデス。もう老朽化しているという以前に、違法建築なんじゃないかと思わせるくらいゴテゴテしている。ここは九龍城か。こういう建物を描かせたら宮崎駿の右に出る人はおりますまい。
ゴミとホコリとガラクタに埋もれたような建物ですが、住人にとっては憩いの場なんだろうなあ。きっと凄く落ち着くんだろうなあ。女性にはお奨め出来ませぬが。
特に、木造階段の踊り場に巣を張っている哲学研究会がいい。
部室があてがわれていないので、踊り場に掘っ立て小屋を据え付け、階段を上り下りする学生達に誰彼構わず哲学問答を吹っかけている。楽しそうだなあ。
カルチェラタン存続を訴える男子生徒のリーダー格である風間俊(岡田准一)と、主人公の松崎海(長澤まさみ)の出会いが笑える。
俊は取り壊し反対をアピールする為に、昼休みに校庭の貯水槽にクラブハウスの屋根から飛び降りるのである。たまたま友達と校庭でお弁当を食べていた海の目の前に、俊が飛び降りてくる。
これはボーイ・ミーツ・ガールのお約束なのであろうか。
今度は男子の方が空から降ってきたよ(笑)。
学生達の活動とは別に、コクリコ荘での日常生活の描写が素晴らしく丁寧でした。米の計り方から、洗濯機の使われ方まで、実にリアル。正しい時代考証ですね。
私は冒頭の、台詞がまったく無いまま、コクリコ荘の朝の風景を淡々と見せていく演出が気に入りました。医学生やら、画学生やらが住まう下宿屋なのだが、実にアットホームな雰囲気。昔はこうだったのかねえ。
ここで海ちゃんの日課が、旗を揚げることであると説明される。
いわゆるUW旗──航海の安全を祈る──という旗。あとになって朝鮮戦争時に海で亡くなった父親の為に揚げていると云うことが判る。
しかしある日、学園新聞に「旗を揚げる少女」についてのポエムが掲載される。書いたのは、どうやら風間俊であるらしい。
ここでちょっと疑問(些細なことですが)。
コクリコ荘の海ちゃんの立ち位置からは、眼下を行き交うタグボートが見えないのである。当然、一隻のボートが返礼を旗を揚げていることも知らなかった(見えないので)。
旗を揚げている方からボートが見えないのであるから、ボートの側からも旗を揚げている人が見えない筈である。事実、何度か海上からコクリコ荘を見上げたカットが入るが、茂みや手前に建つ家などで、コクリコ荘の二階から下は見えていない。
どうやって俊は「旗を揚げているのが少女である」と知っていたのであろうか。不思議だ。
この映画のクライマックスは大掃除の末に生まれ変わったカルチェラタンを、理事長が視察に訪れる場面ですね。ここはもう本当に楽しい場面です。
やっぱり本筋をこちらにしてもらいたかったッ。
それはさておき、実にまっすぐな恋愛もので、兄妹疑惑が持ち上がっても、素直に「好きです」と云えるあたり、観ている側が赤面しそうな演出ですが、なかなか宜しいのでは。
あとで解明される「両親達が学生だった頃のエピソード」なんかも、過去と現在の繋がりが感じられて無理がない。
ラストの航洋丸の小野寺船長の台詞が印象に残りました。
「立花の息子と、沢村の娘に会えるなんて、こんな嬉しいことはない。ありがとう」
実に爽やかなハッピーエンドでした。
主役の長澤まさみや岡田准一は、アニメの声優としても違和感ありませんね。俳優をアニメの声優に起用することについては、当たり外れがあるものデスが、ここ最近のジブリ作品には大きなハズレは無いか。
唯一、理事長役の香川照之だけ、ちょっと浮いていたような……。なんかわざとらしいというか、ガハハハと笑うあたりの演技がちょっと(汗)。
で、それなりに満足して劇場を後にしたのですが……。
帰りに書店に寄ると、角川書店からシナリオ本が出ているのを見つけました。
宮崎駿のシナリオに、イメージ・スケッチやら、脚本完成までのミーティングのレポートを追加した、一種のメイキング本ですね。シナリオだけだと薄っぺらくなるので、その前後にアレコレとオマケが追加されている。
なるほど、こうやって映画の脚本は練られていくのか。興味深い……って、宮崎吾朗監督はミーティングに出席していないじゃなイカ!
すべては、宮崎駿と鈴木プロデューサーと共同脚本の丹羽圭子らによるミーティングで決められていたのである。その完成度たるや、実に見事。
鑑賞後だからよく判るのデスが、もう映画のほとんどはこの時点で完全に出来上がっているのデス。各場面のレイアウトや、コクリコ荘の設定なんかも、宮崎駿のスケッチに実に忠実であったことが判る。
こんな見事な設計図が用意されていたのでは、もはや監督の仕事には何が残されているのだろうか。宮崎吾朗監督の腕をちょっと見直しかけたのに……。うーむ。
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