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2016年9月12日月曜日

スーサイド・スクワッド

(Suicide Squad)

 DCコミックスに登場する悪役ばかりを集めたスピンオフ企画が映画化されました。DCコミックス版クロスオーバー作品としては、『マン・オブ・スティール』(2013年)、『バットマン vs スーパーマン/ジャスティスの誕生』(2016年)に続く、シリーズ三作目という位置づけになります(一作目はスーパーマン単体の作品でもありますが)。
 ようやくDCコミックスの映画化製作も軌道に乗り始めたようで嬉しいデスね。今後もマーベル・コミックスに負けないように頑張って戴きたいです。

 ヒーロー単体作品の映画化よりも統一世界観のクロスオーバー作品を優先していこうというマーベルとは真逆のアプローチが成功しております(危ない橋を渡っている気はしますが)。
 この先は『ワンダーウーマン』を挟んで、遂に『ジャスティス・リーグ』となるそうなので、とりあえずそこまでは失速しないで下さい(お願いだから)。アベンジャーズに負けるな。

 本作の監督はデヴィッド・エアー。脚本も御自身で書いておられます。
 キアヌ・リーブス主演の犯罪サスペンス『フェイクシティ/ある男のルール』(2008年)や、ブラッド・ピット主演の戦争もの『フューリー』(2014年)の監督さんですが、アメコミにも造詣が深かったようです。
 製作総指揮にザック・スナイダーの名前も挙がっておりますが、シリーズを通して作品の雰囲気がきちんと維持されているのが嬉しいデスね。

 本作では時系列的にも前二作に続く背景が描かれていて、スーパーマンが登場して世間を騒がせ、そしてスーパーマンがいなくった(一時的にね)あとの世界が舞台となります。
 もはやメタヒューマンの存在は公然となり、政府としても対策を講ぜざるを得ない。最初のメタヒューマン(スーパーマン)は善人だったが、次もそうとは限らない。もしも第二のスーパーマンが悪人であったなら、どうすればいいのか。
 メタヒューマンに対抗できる組織が必要だ。

 マーベル・コミックスには国家的な組織として「シールド」が登場しますが、DCコミックスの方にも「アルゴス」なる組織が登場します。マーベルにあるものは、大抵、DCにもあるんですよ。
 本作に於いて、このアルゴスの長官アマンダ・ウォーラーを演じているのは、オスカー女優ヴィオラ・デイヴィスです。コミックスだと結構、美形に描かれていますが、実写だと強面と貫禄の方が強烈な配役デスね。
 これくらいインパクトがないと、シールド長官ニック・フューリー役のサミュエル・L・ジャクソンには対抗できないか。どうしてどちらの組織も黒人をトップに描きたがるんですかね(大人の事情かしら)。

 さて、アルゴスとしては実戦に投入する実働部隊も揃えねばならない。アマンダ・ウォーラーはこれを「タスク・フォースX」と呼んでおります。
 設立意図は理解出来ますが、その為にかき集めた連中が悪党揃いというのが笑えますね。まぁ、超能力を得た人間は、欲望に負けて犯罪に走る輩の方が多いのであろうから、ヒーローよりもヴィランの方が数が多いのだろうとは察せられますが(笑)。
 それにメタヒューマンに対抗するなんて危険な任務は、命が幾つあっても足りるものでは無いので、最初から犯罪者をメンバーにしておけば、殉職しても気が楽だ。ヴィオラ・デイヴィス曰く、「悪をもって悪を制す」のだ。どこかで耳にしたような台詞ですね。

 ロバート・アルドリッチ監督の『特攻大作戦』(1967年)は漢のバイブルでありますし(ですよね?)、望月三起也の『ワイルド7』なんてのも容易く思い浮かぶところであります。
 任務の過酷さが「自殺も同然」であるから、付いた仇名が「スーサイド・スクワッド(自殺部隊)」。正式名称の「タスク・フォースX」よりも通りが良くなりました。
 個人的には、隊員を「使い捨て」にすることが前提であるので「エクスペンダブルズ」と呼んだ方がピッタリすると思うのですが、まぁ、世の中には既にそのような名前の作品もありまして、後発はネーミングにも苦労します。
 指示に従わぬ犯罪者共の首に「爆弾付チョーカー」を嵌めて強制するのはB級のお約束。

 本作でかき集められる悪党達は、デッド・ショット、ハーレイ・クイン、キャプテン・ブーメラン、ディアブロ、キラー・クロック、エンチャントレス、スリップ・ノットといった面々。『バットマン』に登場した悪投をメインに固められています。
 これはやむを得ないか。『フラッシュ』や『ワンダーウーマン』といった単体作品がないので、『バットマン』出身者を多用せざるを得ないのは判ります。これに部隊を指揮する軍人を含めて総勢八名で構成……と云うのが、冒頭で語られる当初の構成でありました。

 本作ではそれぞれの役を、ウィル・スミス、マーゴット・ロビー、ジェイ・コートニー、ジェイ・ヘルナンデス、アドウェール・アキノエ=アグバエ、カーラ・デルヴィーニュ、アダム・ビーチが演じております。隊長となるフラッグ大佐役がヨエル・キナマン(新生ロボコップがこんなところに)。
 しかし『バットマン』出身の悪党の中で、一番有名なヤツが入っておりませんですね。
 ジョーカーはどうした。

 実は本作ではジョーカーにあまり出番はありませんです。ジャレッド・レトが配役されたことで前評判も高く、前任者であるヒース・レジャーを越えられるのかと興味津々で劇場に足を運んだのですが、そこはちょっと期待外れでありました。
 そもそも本作の主役は、ウィル・スミスとマーゴット・ロビーなのです。デッド・ショットとハーレイ・クインが一番目立つし、活躍もするのであって、ジョーカーの出番はほとんどない。
 ジャレッド・レトの役作りに文句があるワケでは無いです。これはこれで個性的なジョーカーであると思いますが、いかんせん本筋のストーリーに関係してこない。専ら活躍するのは恋人であるハーレイ・クインばかり。

 まぁ、ジョーカーも刑務所に収監された恋人を救おうと、裏で色々と活動したりもしますが、そこは本筋ではないので描写もアッサリしたものです。ヒース・レジャーの体現した狂気はなかなか越えられんか。
 これについては、ハーレイ・クインを登場させたことで、あの『ダークナイト』(2008年)で見た悪意の塊のようなジョーカーの凄みが半減してしまったとも云えます。「恋するジョーカー」と云うのも新しいですけどね。
 出番が少ないので、エキセントリックな性格もあまり強調できないのがツラい。

 ぶっちゃけ、『バットマン vs スーパーマン』に登場したジェシー・アイゼンバーグ演じるレックス・ルーサーとあまり差別化が図られていないようでもあります。
 この先、『ジャスティス・リーグ』が結成された暁には、スーパーヒーロー同士の共演は当然としても、スーパーヴィランの側もちゃんと共演して戴きたいのですが、このシリーズでジェシー・アイゼンバーグとジャレッド・レトを並べても大丈夫なのか。どちらもエキセントリックな性格だし、甲高い笑い声だし(個人的には「ジェシー・アイゼンバーグのジョーカー」と云うのもちょっと観てみたかった)。

 でもその分、本作に於いてはハーレイ・クインの魅力が炸裂しまくりなので、ジョーカーの出番が少なくてもあまり残念ではありません。「スーサイド・スクワッド」の中では数少ない女性メンバーですが、間違いなく最弱でありましょう。
 他のメンバーは神業とも云える技能や超能力の持ち主ですが、ハーレイ・クインには何もない(イカレたねーちゃんであるだけ)。主兵装は「バット(木製)」のみ。
 しかしそれでも本作中で魅せるマーゴット・ロビーの魅力は大変素晴らしく、本作のヒロインであると断言して差し支えないでしょう。
 『ターザン : REBORN』(2016年)では、ターザンの貞淑な妻ジェーンを演じていたのに、一転して本作ではイカレたビッチを演じております。でもビッチの方が可愛いとはこれ如何に。これがビッチ萌か。

 冒頭でヴィオラ・デイヴィスが部隊設立を説明する下りがありまして、各メンバーを紹介してしていきます。
 一人、登場するたびに技能を紹介し、各人のアップと共に名前と犯罪歴等が字幕で表示される。しかもかなりコミック的な演出であるのが笑えます。
 逮捕時の経緯まで語られますので、本作ではバットマンやフラッシュもチラ見せ的に登場します。バットマン役のベン・アフレックでシリーズを繋ごうという演出か。
 でも今回もまたフラッシュ(エズラ・ミラー)の出番はワンカットのみ。「他にもメタヒューマンが存在するのだ」と云う予告扱いにされるのはよろしいのデスが、早いところフラッシュ単体の作品が制作されないものでしょうか(先にTVドラマとして制作されていますから、まったくの無名ではないか)。

 犯罪者ではないメンバーとして、エンチャントレスが挙げられておりまして、これが一番異色のキャラクターですね。
 演じているカーラ・デルヴィーニュはイギリスの女優さんだそうで、キーラ・ナイトレイとジュード・ロウが共演した『アンナ・カレーニナ』(2012年)にも出演していたそうですが印象薄いです。
 『アンナ・カレーニナ』のジョー・ライト監督は次作『PAN/ネバーランド、夢のはじまり』(2015年)でもカーラ・デルヴィーニュを人魚役に配役しておりました。

 エンチャントレスは「六千年前の古代の魔女」であると説明され、思いっきりオカルトの香りを振りまいております。いきなりこんなキャラを出してきて大丈夫なのかと心配でしたが、デヴィッド・エアー監督はなかなか巧くまとめておりました。
 劇中で描かれる太古の魔法が作り出すカラクリが、クリプトン星の超科学の産物かと見紛うような代物で、オカルトと云えども「ある種の科学的法則に則っている」と伺わせてくれます。
 明らかにエンチャントレスもまた、メタヒューマンであると云う描かれ方です。
 カーラ・デルヴィーニュはエンチャントレス本人と、エンチャントレスに取り憑かれたジューン・ムーン博士の一人二役を演じていて、落差の激しい特殊メイクが印象的でした。

 オカルトめいたキャラではありますが、エンチャントレスの振りまくダークな雰囲気が、マーベルの『アベンジャーズ』とは異なる赴きですね。
 考えてみれば、シリーズの次回作(予定)の『ワンダーウーマン』もまた、神話的な背景を持つキャラですから、割とイメージが繋がりやすいように配慮されているように思えます。

 犯罪者でないメンバーとしては、隊長役のヨエル・キナマンと、その護衛役として登場するカタナもいます。カタナを演じている福原かれんは日系アメリカ人の女優さんだそうですが、本作が映画初出演だそうな。
 劇中では割とネイティブな日本語台詞を口にする場面もありました。まぁ、ちょっと違和感あるような演技ではありますが、日本刀で何でもぶった斬る暗殺者ですから、そこがちゃんと描けていたので良しとしましょう。
 これまた先日観たマーベルの『X-MEN : アポカリプス』(2016年)に登場したサイロック(オリヴィア・マン)と、かなりキャラがカブっておりますが、元々DCとマーベルはキャラが被りまくりなので仕方ないか。

 本作では、エンチャントレスとその弟、及びディアブロがオカルト又は超能力系のキャラクターとして登場し──ディアブロは火焔能力者──、メタヒューマンとして描かれております。キラー・クロックも辛うじてメタヒューマンの範疇でしょうか(怪力だし)。
 が、それ以外は特殊技能を持った普通の人間であり、その筆頭がウィル・スミス演じるデッドショット。百発百中の凄腕スナイパーとして登場し、劇中でも神業的な狙撃の腕を披露してくれます。
 ウィル・スミスが演じているので、コミック的なスコープ付のマスクは描かれないのかと思われましたが、やっぱり途中でマスクが出てきました。いや、でも、無理してマスク被らなくても良かったですね。
 マスクなしのウィル・スミスが片眼に赤いモノクル的なスコープを付けているのが、一番似合っていましたので、映画版のデッドショットはこれを基本形にして戴きたいです。

 尤も、本作に於けるデッドショットは娘を愛する家庭的な父親の側面も持っていて、あまり悪人らしくありません。暗殺稼業も仕事と割り切ってやっていますが、娘の前では殺人を躊躇う場面もあって、原作コミックスのような寡黙かつ非情なキャラクターにはなっておりません。
 この先、「愛する者を失って」そのような変貌を遂げるのか、気になるところではありますが、そもそもギャラの高いウィル・スミスを何度も登場させられるのかと云う点が問題であるように思われます。
 マーゴット・ロビーのハーレイ・クインと並んで、もう一方の主人公でもありますし、本作ではまだ善人要素が残っているデッドショットでしたが、これはこれで。

 さて、エンチャントレスもスーサイド・スクワッドの主戦力として構想していたアマンダ・ウォーラー長官でしたが、狡猾な魔女がいつまでも只の人間に従っているわけもなく、割と簡単に裏切られて反旗を翻されます。
 実は本作のラスボスがエンチャントレスだったと云う構図でありまして、結成と同時に裏切り者が街を破壊し始め、スーサイド・スクワッドの初任務はアマンダ・ウォーラー長官を救出してエンチャントレスの暴走を食い止めるというもの。
 部隊最強のメンバーを敵に回して、残り全員が束になって勝てるのか。
 デッドショットとディアブロの能力が頼みの綱だろうと思われましたが、バットを振り回してエンチャントレスに立ち向かうハーレイ・クインの勇姿にクラクラしました。やはりビッチ萌だ。

 紆余曲折の末、エンチャントレスを倒すスーサイド・スクワッドでありますが、部隊運用の問題を突かれて政治的窮地に陥るウォーラー長官に助け船を出すのが、大富豪ブルース・ウェイン(ベン・アフレック)であったと云うエピローグが付いてきます。
 交換条件に政府の持つメタヒューマンの情報を要求し、着々と仲間集めに邁進している様子が伺えます。そしてスーサイド・スクワッドを解散させないなら「我々」が解散させるぞと、脅し文句のような台詞を口にして去って行くベン・アフレックでありますが、果たして本当にジャスティス・リーグは結成されるのか。
 とりあえず次作の『ワンダーウーマン』も期待して待ちたいと思います。




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2016年8月3日水曜日

ターザン : REBORN

(The Legend of Tarzan)

 エドガー・ライス・バロウズ原作による冒険小説の映画化です。何度目の映画化になるのでしょうか。もはや原作者バロウズの名前を知らずとも、主人公「ターザン」の名前を知らない人はいないと云っても過言ではない。
 バロウズ原作の冒険小説の中では最も有名なシリーズですね。個人的には「火星」シリーズや「地底世界」シリーズも好きなのですが、ターザンもの以外の映画化にはイマイチなものが多いのが残念です。『ジョン・カーター』(2012年)もなぁ……。
 モノクロの無声映画時代に始まり、カラーになり、TVシリーズにもなり、アニメ化もされております。

 ターザン役で最も有名な俳優というと、やはりジョニー・ワイズミュラーでしょう。あまりにも有名で、ワイズミュラー以外にも沢山いるのに歴代ターザン役者の名前がさっぱり思い浮かびません。
 ちょっと調べると、レックス・バーカー、ゴードン・スコット、ジョック・マホニー等々といった俳優が名を連ねておりますが、全く存じません。でもきっと全員マッチョな俳優に違いない。
 あのキャスパー・ヴァン・ディーンも『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)と同じ年に『ターザン 失われた都市』に出演していたとか(リコ、ナニしてるンすか)。

 個人的には、ジョニー・ワイズミュラーは別格として、印象深いのはヒュー・ハドソン監督による『グレイストーク/ターザンの伝説』(1983年)のクリストファー・ランバートですね。劇中に登場する猿たちのリアルな特殊メイクも忘れ難いです。流石はサル師、リック・ベイカーです。
 それからディズニー製アニメ映画の『ターザン』(1999年)もありました。

 本作でターザンを演じているのは、アレクサンダー・スカルスガルドです。あの北欧の名優ステラン・スカルスガルドさんの長男ですね(弟達も皆、俳優か)。
 SF者としては『メランコリア』(2011年)や『バトルシップ』(2012年)への出演で記憶しておりますが、『メイジーの瞳』(2012年)といったドラマでもお見かけしております。
 親父のステランさん並みにビッグになって戴きたいと常々思っておりましたが、まさか「ターザン」役に抜擢されるとは。予想以上ですわ。
 特にターザンとしての容貌が、クリストファー・ランバートを彷彿するのが気に入っております。彫りが深くて、額と眼の高低差があるところがいい。

 一方、相手役のジェーンを演じているのがマーゴット・ロビーです。近年では『フォーカス』(2015年)でウィル・スミスと共演しておりましたね。『フランス組曲』(同年)でもお見かけしております。
 しかしマーゴット・ロビーで一番強烈な役と云えば、『スーサイド・スクワット』(2016年)のハーレイ・クイン役でありましょう(いや、まだ公開されてませんけど、予告編だけで今からワクワクしております)。
 本作では既にターザンの妻となったジェーンを演じており、英国で窮屈な貴族暮らしをするよりもアフリカでの自由な暮らしに戻ることを望んでおります。夫から身を案じられていても、それをはね返すタフな女性です。

 本作は時代が一八八五年と明確に示され、ベルギーがコンゴを植民地化している背景が描かれています。ベルギー国王の名代として現地に派遣され、逼迫した王室財政の為に莫大なダイヤの鉱脈を手に入れようとする悪党を名優クリストフ・ヴァルツが演じております。
 一見、なよなよして部下の軍人達に守られているようで、実は腕も立つ悪党というのが判り易いキャラクターです。悪党のくせに敬虔なキリスト教徒であり、腕に巻いたロザリオで容赦なく敵の首を絞め殺しております。

 ダイヤの鉱脈と引き換えに、ターザンの身柄を引き渡せとクリストフ・ヴァルツに迫るコンゴ奥地の部族の族長ムボンガを演じているのが、ジャイモン・フンスーです。『ブラッド・ダイヤモンド』(2006年)や『テンペスト』(2010年)といった出演作が忘れ難いですが、社会派や文芸作品だけでなく、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)とか、『ワイルド・スピード SKY MISSION』(2015年)なんかのアクション映画でもお見かけしております(主に敵のヤラレ役としてですが)。
 本作ではターザンに敵対する部族と、ターザンに友好的な部族が登場します。一口にコンゴと云っても様々で、劇中では他にも幾つかの部族が登場します。

 一方、ターザンに同行し、クリストフ・ヴァルツとジャイモン・フンスーの悪党コンビにターザンと共に立ち向かう善人側のキャラクターとして登場するのが、サミュエル・L・ジャクソンです。本作では米国特使の役です。
 「コンゴ奥地で起きている奴隷労働の実態を暴きたい」とターザンに同行するわけですが、南北戦争(1861年-1865年)で戦った経験もあると豪語しつつ、ジャングルでは割と足手まといになってしまうのがお約束デスね。
 本作ではサミュエルのコメディ演技が一服の清涼剤デス。

 本作の監督はデヴィッド・イェーツです。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007年)以降の「ハリー・ポッター」シリーズ後半を全部監督した人ですね。今後公開予定の『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年)の監督も務めておられるし、もはやハリポタ監督が定着してしまった感があります。
 そんな中でガラリとイメージを変えて本作を監督しているのは、やはりタマには違うものも監督したいという気持ちが働いたのか。本作のアクション場面を観ていると、ハリポタから解放されて自由になったイェーツ監督が想像できて微笑ましい。
 本作の続編が製作されたら、またその監督を務め、いずれ「ハリー・ポッター」と「ターザン」の二枚看板状態になるのでしょうか。

 その他、序盤で英国首相役としてジム・ブロードベントが顔を見せておりました。『マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙』(2011年)や、『クラウド アトラス』(2012年)で存じておりますが、「ハリー・ポッター」シリーズのスラグホーン先生役でも知られておりますね。
 これもまたハリポタつながりか。と云うか、英国人俳優で「ハリー・ポッター」シリーズに出演していない人の方が珍しいですか。

 さて、本作はディズニー製アニメとしての『ターザン』の続編を、『グレイストーク/ターザンの伝説』式にリアルな実写ドラマで描いたような印象です。もはやターザンとジェーンの馴れ初めなんか、いちいち描かなくても皆さん御存知ですよねと云わんがばかりに、いきなり英国貴族グレイストーク卿として登場するターザンの姿が気に入りました。
 しかし世間一般にはワイズミュラー式のイメージが流布して定着してしまったらしく、「ミー・ターザン、ユー・ジェーン」なんて台詞を引用されて辟易しているといった様子でいるのが笑えます。有名人は辛いよ。
 もはや本名の「ジョン・クレイトン」を知らずとも「ターザン」の名前だけは知られている。

 余談ですが、「ミー・ターザン、ユー・ジェーン」と云う台詞はバロウズの原作小説には登場ません。これはジョニー・ワイズミュラー主演の映画で有名になった台詞ですね。
 ワイズミュラーは演技が素人なので初期は片言の台詞が多かったそうな。でも実はワイズミュラーがそんな台詞を発した映画は一本も無いのだそうで、この台詞がどこから生まれたのかは今となっては判らないらしいが、伝説的な台詞ではあります。

 本人の与り知らぬところで勝手にターザン像が一人歩きしているのが伺えます。そもそもグレイストーク卿自身がフィクションの登場人物でありますが、それがまたフィクションの設定に悩まされていると云う二重構造が笑えます(台詞の由来も考慮すると三重かしら)。
 まぁ、熱烈なファンによってはシャーロック・ホームズと同様に、「グレイストーク卿ジョン・クレイトン=ターザン」は実在の人物であると信じている方もおられるのでしょう(いるのか?)。SF作家のフィリップ・ホセ・ファーマーは、グレイストーク卿の伝記なんてものも書いていますしね(その伝記、日本語訳されないものかしら)。

 そしてある日、ベルギー国王から「グレイストーク卿をコンゴへ招待したい」旨の招待状が届いたと、英国首相から呼び出しを受けます。これを英国のアフリカ進出の足掛かりとしたいと首相直々に招待を受けるよう要請されますが、本人にはアフリカに戻るつもりはない。
 観ている側としては、冒頭のクリストフ・ヴァルツとジャイモン・フンスーの密約を知っているだけに、この招待が罠であろうと容易に察せられます。
 当初は丁重にお断りするグレイストーク卿でありましたが、「アフリカで行われている不正を世界に訴えたいのだ」と云う米国特使サミュエルの真摯な説得もあって渋々承知します。しかし愛妻ジェーンまで同行するとなっては、心中穏やかではいられない。
 実はジェーンは一度、流産しており、英国での暮らしに馴染めないでいると語られます。アフリカへの帰郷はジェーンの療養の意味もあるようですが、危険が待ち受けていると判っているところへ愛妻を連れて行くことに釈然としないものも感じております。

 序盤の説明パートもそこそこに、いよいよアフリカへ出発する一行です──といったドラマが進行していくのと並行して、回想シーンが随所に挿入され、ターザンの生い立ちも語られていきます。断片的な映像ですが、かなりドコカデミタ感のある映像ですし、理解出来ない方はおられますまい。
 私が本作をディズニー・アニメの『ターザン』の続編のようだと感じるのは、この断片的な回想シーンが、ほぼディズニー・アニメで観た場面を忠実に実写化しているように思われるからでして。ぶっちゃけ、かなり参考にしているのではないかと疑っております(笑)。
 特に、初めて自分以外の人間を見たターザンがジェーンにやらかす痴漢紛いの行為が、かなりアニメ版を彷彿いたしますデス。

 他にもアフリカに漂着した両親がサバイバルの過程で命を落とす下りや、孤児となった赤ん坊がゴリラの群れに拾われる場面もしっかり描かれています。昨今のCG技術はリアルな動物が演技する場面も簡単ですね。特殊メイクを施した役者が類人猿の演技をすることはもはや無いのか。リック・ベイカーの伝統の技も廃れてしまうのかと思うと、なんか哀しいデス。
 劇中では、ゴリラではなくてマンガニと云う似て非なる種であると説明される場面がありますが、見た目は完全にゴリラです。

 マンガニは架空の動物で、原作小説では類人猿と云うよりも、猿人──言語を持ち、個体に名前があり、部族を形成する──であると描かれておりますが、本作ではゴリラの亜種のような感じです。ディズニーのアニメ版では、完全にゴリラとして描かれておりました。
 バロウズの原作小説は二〇世紀初頭発行ですし、当時のアフリカには猿人が生き残っていたり、アトランティス文明の末裔が生存したりしていたと書かれても違和感はなかったのでしょうが、さすがに百年経ってリアルに映像化すると陳腐な設定になりますでしょうか。
 本作では折衷案として、見た目はゴリラだが、ゴリラほど穏和ではなく(かなり凶暴)、独自のコミュニケーションを行う不思議な動物として描かれております。

 アフリカ到着後はクリストフ・ヴァルツの罠を出し抜き、ベルギー領コンゴヘ潜入するターザン一行。このあたりから次第に「グレイストーク卿」ではなく「ターザン」の顔に戻っていきますが、やはり英国暮らしが長かった所為か、本調子に戻るには時間がかかるようです。
 その隙をクリストフ・ヴァルツに突かれ、不覚を取って捕らわれるターザンの図がちょっと意外でした。最初から無敵のヒーローには描きたくないのは理解出来ますが、逆に不自然に思われました(最初、わざと捕まったのかとも思ったくらいで)。

 サミュエル・L・ジャクソンの助力もあって脱出するターザンですが、妻ジェーンは人質として掠われてしまう。
 愛する妻を助け出し、クリストフ・ヴァルツの野望を挫くために、ようやく立ち上がるターザン。本気になった後は、もう完全に超人です。本能覚醒か。
 過去のターザン映画では定番の「蔓を使ってジャングル内をスイングして渡っていく図」もしっかり描かれます。しかもかなりスピーディになっている。
 過去のシリーズとは異なるリアルかつ派手なアクション描写も心がけながら、お約束の展開も再現したいというイェーツ監督の演出はかなり成功していると申せましょう。
 密林に轟く「例の雄叫び」もちゃんと発しますよ。

 西洋人がアフリカを植民地化して搾取しまくりであった──黒人の奴隷化や象牙の乱獲──という批判的な部分もしっかり描きつつ、昔懐かしい活劇調のアクション──走る列車の中での乱闘とか──も復活させております。
 かと思えば、CG全開で「水牛の群れの大暴走」を描き、白人達の植民街を壊滅させるスペクタクルも迫力たっぷり。
 総じて、忘れられていた原作設定をリスペクトしつつも、ターザン映画のお約束もきちんと踏襲していると云う、かなりバランスの取れた内容になっておりました。

 そして事件解決後は英国に戻ることなく、友好的な部族の元に留まるターザンとジェーンです。英国では流産してしまったジェーンも、アフリカの開放的な暮らしの中で再び身籠もり、無事に男児を出産すると云うハッピーエンド。
 そしてターザンは今日もジャングルの平和を守って駆け抜けるのであったという次第で、マンガニを従えて密林の中を高速スイングしていくアレクサンダー・スカルスガルドの勇姿でエンドです。
 アクション映画としての完成度も高いし、このリメイクと云うかリブートでもって、シリーズ化されたら嬉しいデスね。将来、アレクサンダー・スカルスガルドさんの代表作と云えば「ターザン」だと云われるようにならないものかしら。




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2016年6月18日土曜日

アウトバーン

(Collide)

 エラン・クリーヴィー監督・脚本による英独合作のクライム・アクション映画です。英国人俳優が多数出演しながら、ドイツを舞台にしております。
 背景に映るケルンの大聖堂が印象的ですが、専らアウトバーンを疾走する高級車の激烈なカーチェイスが宣伝されております。実際、劇中では高級車が何台も登場しては、盛大にクラッシュする場面もありますし。
 でもアウトバーン上のカーチェイスだけではなく、街中でもカーチェイスしますし、執拗な殺し屋の追跡や、派手な銃撃戦もありまして、カーチェイス一辺倒ではない。
 小技を効かせて緩急つけたサスペンス演出も見事なアクション映画の佳作でありました。

 邦題からはカーチェイス「のみ」であるかのような誤解を受けてしまいそうなのが心配デス。
 いっそ原題直訳の『衝突』でも良かったような気がします。ほら、『激突!』(1973年)とか『破壊!』(1974年)なんてアクション映画もありましたし(例えが古いデスカ)。本作も「!」を付けて、『衝突!』にすれば、ちょっとレトロな感覚が逆に新しいと云われたカモ。
 まぁ、『衝突!』でもやっぱりカーチェイスがメインだと思われますか。

 監督のエラン・クリーヴィーは、リドリー・スコットが製作総指揮を務め、ジェームズ・マカヴォイとマーク・ストロングが出演したクライム・サスペンス映画『ビトレイヤー』(2013年)の監督さんでしたか。残念ながらスルーしちゃっておりますが、割と評判は良さげですよね。
 本作ではジョエル・シルヴァーが製作に名を連ねております。大物が次々とプロデュースに回ってくれるあたり、監督の腕は信頼されておるのでしょう。実際、結構面白かったし。本作が良かったので、『ビトレイヤー』も観てみたくなりました。
 小難しいところは一切省きエンタメに徹して、きちんとまとめているのが清々しいです。

 主演はニコラス・ホルト。『X-MEN』シリーズではビースト/ハンク・マッコイ役でお馴染みですが、『マッドマックス/怒りのデス・ロード』(2015年)の白塗り山海塾メイクなウォーボーイズの一員であったのが忘れ難いデス。ひゃっはー。
 本作においては、頭の切れる犯罪者として登場し、相棒(マーワン・ケンザリ)と二人でヤバい仕事でも腕と度胸で華麗ににこなしているらしく、組織のボスから重宝がられています。久々に特殊メイクなしのイケメンなニコラス・ホルトが拝めます。
 劇中では「バート・レイノルズに似ている」と盛んに言及されていて、本来の役名よりも「おい、バート・レイノルズ!」と呼ばれたりもしておりました。似てるか?

 ヒロイン役がフェリシティ・ジョーンズ。『博士と彼女のセオリー』(2014年)ではホーキング博士の奥さん(最初の)でした。『テンペスト』(2010年)でヘレン・ミレン演じるプロスペラの娘役だったあたりから憶えております。
 本作ではあまり出番は多い方ではありませんが、主人公ニコラスが命を賭けるに値する女性であると描かれております。ちょっとヤクザな主人公が堅気の女性に惚れてしまい、惚れた女のために大それた事をしでかしてしまう──と云うのはよくあるパターンではあります。

 冒頭のアバンタイトル部分がクライマックスのサワリをチラ見せする演出になっていて、派手にクラッシュした車が横転する場面をスローで映しながら、主人公ニコラス・ホルトのモノローグが入ります。
 「バカなことをするにはそれなりの理由が必要だ。その理由が “愛” なら、それほど悪いものじゃないだろう?」
 壮絶なクラッシュも、意味なくやっているのではない──すべてはフェリシティ・ジョーンズの為なのだ──と云う前置き。いや弁解か。

 そして主役よりも脇役が豪華です。アンソニー・ホプキンスとベン・キングズレーですよ。実はこの二人の共演が観たくて劇場に足を運んだのです。
 劇中では、アンソニーとベンが対面する場面が二回ばかりありまして、もう主人公そっちのけでストーリーを進めてもらえぬものかと思ったりもしました。

 本作でのアンソニー・ホプキンスは、英国出身の大企業のCEOですが、裏稼業がドイツ最大の麻薬王。貴族らしい落ち着いた物腰で、教養に溢れ、和やかに上品に振る舞いつつ、にっこり笑って人を殺してしまうあたりが実に冷酷です。コワイ。
 もう、『羊たちの沈黙』(1991年)以降、アンソニー・ホプキンスの笑顔が信じられなくなってしまいましたが、やっぱりそうだったのだ。
 「君、モーツァルトは好きかね。そうかそうか。じゃあ、すぐに逢わせてあげよう」バーン。

 対するベン・キングズレーも楽しそうに麻薬密売組織のボスを演じております。これがアンソニー・ホプキンスの対極にいるようなキャラクターです。
 トルコからの移民で──今度はトルコ系か。相変わらず演じる役の人種を選ばない人です──、教養の欠片も無い下品なジョークを連発しているオヤジです。成金趣味でケバゲバしく着飾って、半裸のお姉さん達を横にはべらせて、酒とドラッグでハイになっている。
 冷徹なアンソニー・ホプキンスに対して、割と人情味に溢れていそうですが万事アバウトなので頼りになったりならなかったり。こちらは憎めない悪党ですね。

 そもそもがアンソニー・ホプキンスとベン・キングズレーの確執から始まったストーリーですし。当初、二人は仲良く連んでドイツで麻薬を売り捌き、巨額の利益を得ております。
 アンソニー・ホプキンスが貿易会社を営み、国外から麻薬を密輸すると、ベン・キングズレーがドイツ国内で売り捌く。二人の二人三脚体制は盤石であると思われたのですが……。
 あるときベン・キングズレーが、「そろそろ対等のパートナーとして事業を進めていかないか」と提案します。最初は、割と下請業者的なポジションだったことが伺えますが、ここまで成功を収めたからには認めてもらいたいと思ったのでしょう。
 しかしこの提案はアンソニー・ホプキンスによって、実に慇懃かつ無礼に却下されてしまう。
 「君の今までの功績には大変感謝しているし、立場も尊重するよ。だが君には人格や品性の面で問題があるだろう。私と対等のパートナーにはなれないよ」
 笑顔を絶やさず、穏やかな口調で壮絶にディスられて、呆気にとられるベン・キングズレー。無礼千万な台詞を真顔で口にするアンソニー・ホプキンスが傲慢すぎて笑ってしまいます。

 「口は災いの元」と申しますが、本作で起きる事件は全て、このアンソニー・ホプキンスの不用意な発言に端を発しております。自業自得と云うか何と云うか。
 このあたりの展開が、実にマンガ的です。まったくリアルではありませんね。実に判り易い。
 普通、そこまで拒絶したら相手がどう出るかくらい想像がついても良さげに思われるのですが、アンソニー・ホプキンスは全然心配していない。自信家であるにしてもやりすぎなのでは。
 それとも、本当に悪気はなかったのか(それもまたスゴイわ)。
 当然のことながら、プライドを傷つけられてハラワタ煮えくり返る思いのベン・キングズレーとしては、このままで済ますわけがない。一泡吹かせてやろうと腕の立つ手下を呼びつけるわけで、これがニコラス・ホルトとマーワン・ケンザリの二人組。

 ニコラスのことを「バート・レイノルズに似ている」と云うのは、ベン・キングズレーでして、劇中では専ら「バート・レイノルズ」呼ばわりしています。手下の名前を覚えるつもりが全く無いのか、相手を仇名でないと憶えられない人なのか。
 異議を申し立てようものなら、「貴様、バート・レイノルズをバカにするのか」と逆鱗に触れそうになる。お気に入りは、ジョン・ブアマン監督の『脱出』(1972年)のようです。劇中ではベン・キングズレーが、「『脱出』のバート・レイノルズは良かった」と褒めそやしています。
 確かに。でもそこまでバート・レイノルズを持ち上げるなら、ジョン・ヴォイドにも一言くらいほしいところです。まぁ、ニコラス・ホルトとジョン・ヴォイドは似ていませんけど。

 しかしニコラスは最近、ナンパに成功して恋人にしたフェリシティに堅気になることを約束しており、自動車解体業に就いている毎日です。堅実ではあるが、稼ぎは少ない。
 ヤバい仕事からは足を洗ったんですと、一旦はベン・キングズレーの元を辞するニコラスですが、突如としてフェリシティが倒れます。
 実は彼女は健康上に重大な問題を抱えており、臓器移植手術を受けねば命が危ないのだという。色々と事情もありまして、急に大金が必要になりますが、そのような貯えはない。
 ドラマの展開が無理なく──それとも御都合主義か──ニコラスが再びヤバい仕事を引き受けざるを得ないように転がっていきます。

 丁寧な描写ではありますが、ベン・キングズレーが待っていてくれるあたりが親分肌というか、ちょっとヌルいかも。自分の復讐計画よりも、手下の事情を優先してくれるとは。
 恋人を人質にして無理強いするのが定番展開かと思っていたので、ベン・キングズレーが戻ってきたニコラスを黙って迎え入れる描写に意表を突かれました。何か裏があるワケでも無いし、仕事を引き受けざるを得ないように策を巡らすワケでも無い。ちょっといい親分カモ。
 このあたりの本題に入るまでの序盤展開──二人のボスの確執や、主人公の動機付け──の描写が脚本の手抜きではないかとも思われますが、アクション主体の映画ですからそこまで難しいことを求めるのは野暮か。

 それにもうひとつ。ベン・キングズレーが提示するのが、アンソニー・ホプキンスが密輸している麻薬を、その輸送途中で強奪してこいと云う難題ですが、今までその仕事の片棒を担いでいた人が説明してくれるので、かなりの手間が省けております。
 標的のセキュリティや輸送ルートやその他諸々の事柄を探り出す必要がないのがお手軽です。本作の尺は九九分ですし、短い尺でアクションをメインに描くのだから仕方が無いですね。

 ついでにベン・キングズレーは、強奪計画に直接必要でないアンソニー・ホプキンスの麻薬ビジネスの全貌を語ってくれたりもします。
 どうやって密輸入しているかだけでなく、それを売り捌いて大量の現金にしたあと、どうやって国外に持ち出しているのかまで説明してくれる。貿易業として、高級車を輸出する際に、一台につき五〇〇万ドルずつ隠しているのだ。あからさまに伏線ぽい説明も御愛敬ですね。

 そして前半は強奪計画の遂行がヤマ場です。たった二人で作戦計画を練っているので、大丈夫なのかと心配になります。しかし本題に関しての描写には、手抜きがないのがいいです。
 ちゃんとこの場面から伏線が敷かれているのも、なかなかお見事でした。
 総じて、本筋に入るまでの理由付けや説明事項はあっさりと済ませ、本筋が始まったら気合いの入ったアクション描写や演出が続きます。監督の力加減がどこにあるのか明確すぎるのが清々しい。

 麻薬輸送トレーラーの強奪までは、多少はヒヤヒヤさせながらも巧くいきますが、そこから先は山あり谷あり。奪ったトレーラーはすぐに追跡部隊が編成されて、あっさり取り戻され、ニコラス・ホルトは敵に捕まってしまう。連行された先が、高級車輸出用の倉庫。ここでアンソニー・ホプキンスと御対面となります。
 「こんなバカなことをする奴の顔を拝んでおきたかった」と語るアンソニー・ホプキンスの笑顔が怖いですが、語り終えた後の処刑と死体の始末は部下任せであるのがお約束デスね。
 ボスが引き上げた後、機転を利かせて脱出したニコラスは高級車の一台を奪って逃走──と、長い前置きでした。

 ベン・キングズレーの説明で、一台だけでも五〇〇万ドルが積み込まれていると判っているので、恋人フェリシティの手術代には充分。追跡してくるアンソニー・ホプキンスの部下達も高級車を運転しているのは、あの倉庫にはそれしか無かったからと云う理屈もとおります。
 この辺りはカーマニアではない私にはよく判らないところではあります。パンフレットの解説記事では、ベンツ、ジャガー、ポルシェ、アストンマーティン等々がズラズラ出てきていたそうですが、誰がナニに乗っていたのやら。とりあえずカッコ良くて速そうな車が沢山出ます。

 しかしいきなりアウトバーンに乗り入れたりはいたしません。やはりヨーロッパでカーチェイスするなら、狭い石畳の曲がりくねった路も爆走して戴きたい。
 まずは観光名所モンシャウの街中を駆け抜けます。モンシャウはドイツとベルギーの国境近くにある、オシャレで美しい木造家屋で有名な人気観光スポットだそうです。
 何故、そんなところをわざわざ通らねばならないのかよく判りませぬが、中世ドイツの雰囲気を漂わせた古い街並みですから、絵にはなりますね。観光名所を背景にするのはお約束。
 でもきっとドイツ人が観るとツッコミ処満載な移動になっているのでしょう。

 カーチェイス一辺倒ではないので、主人公もかなり頻繁に車を乗り換えます。激烈カーチェイスをやりながら、一台の車に乗り続ける方が不自然でしょうか。
 結果として、何度もクラッシュしながら車を乗り捨て、五〇〇万ドルの現金だけ抱えて、次の車に乗り換えることを繰り返します。したがってカーチェイスの合間には、狭い路地裏を走って逃げたりもしますし、なかなかバラエティに富んだ追跡劇が展開するのが面白い。
 行く先々でかっぱらう車に高級車が多いのは御愛敬でしょうか。
 狭い街並みの中での追跡を挟んでから、おもむろにアウトバーンに乗り入れます。しかし速度制限のない高速道路であると云う設定は……あまり活かせていなかったような。
 そしてアウトバーン上でのクラッシュが冒頭で描かれたファースト・シーンに繋がるという趣向です。

 更に、捕らわれた際に身元を特定され、恋人フェリシティの存在もバレてしまい、自分が逃走するだけではなく、ケルンの病院で治療中の恋人の身にも危険が及ぶ。
 カーチェイスと並行して、病院に殺し屋の別働隊が乗り込んでくる場面などもあり、色々と手を変え品を変えて盛り上げようとするサービス精神旺盛な演出です。
 最後はケルンまで戻ってきて、アンソニー・ホプキンスと直接対決となりますが、ここで更にベン・キングズレーまで乱入して来るので、ややこしくなる。と云うか、やっぱり二大巨頭に挟まれると主人公の影が薄くなってしまうのはやむを得ませんかねえ。

 紆余曲折ありまして、最後にはアンソニー・ホプキンスも当局に御用となり、恋人フェリシティはアメリカでの臓器移植手術の段取りも付くと云うハッピーエンド。ニコラスの相棒だったマーワン・ケンザリにもきちんと報いがあるのはよろしいのデスが……。
 ベン・キングズレーの方はどうなっちゃったんでしょうね。新聞の一面には「麻薬王逮捕」の大見出しとアンソニー・ホプキンスの写真がデカデカ載っておりましたが、ベン・キングズレーには言及されていなかったような。掴み所の無い人でしたから、どうにかして逮捕も逃れたのかしら。
 とりあえずニコラスが云うとおり、「愛の為にやらかしたバカな行い」ではありましたが、「それほど悪くは無かっただろ?」と訊かれたら、否定は出来ない幕切れでありました(実は割と気に入りました)。




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2016年6月4日土曜日

デッドプール

(Deadpool)

 マーベル・コミックスの映画化も、とうとうデッドプールを主役に据えた作品が製作されてしまいました。最初は脇役だったのに出世したなデップー。
 二〇世紀フォックスが製作するマーベル・コミックスの映画化作品でありますので、『X-MEN』シリーズのスピンオフ作品になります(そのハズですが……)。
 だから劇中にはX-MEN』シリーズでお馴染みの「恵まれし子らの学園」も描かれ、X-MENのメンバーも二人ばかり登場しております。コロサスとネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド(長いッ)の二人だけですが。
 一応、台詞の上では「プロフェッサー」にも言及されてはいるものの、サイクロプス(ジェームズ・マースデン)やウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)は出番なし。なんでや予算の都合か!(このツッコミは劇中にもあります)。

 『X-MEN』シリーズからスピンオフ作品が製作されるのは良いとして、ウルヴァリンの次がデッドプールであることに納得イカンです。何故、ガンビットを主役にした作品が無いのだ。ガンビットを出せ(私はガンビット推しですがナニカ?)。
 一緒に『ウルヴァリン : X-MEN ZERO』(2009年)に登場していながら、ガンビット(テイラー・キッチュ)よりもデッドプール(ライアン・レイノルズ)の方が先か。うがー。

 とは云うものの、本作のデップーは『ウルヴァリン : X-MEN ZERO』とはまるで別人です。演じているのは、ライアン・レイノルズのままなのですが、きっとまた別の時間線のハナシなのでしょう。
 『~ ZERO』では、序盤にチームXのメンバーとして登場し、華麗な二刀流で機関銃の弾もぶった斬る凄腕を披露してくれていました。あの場面のライアンは輝いていた。
 ついでにお喋りなところも描かれ、「無駄口が多い」だの「黙っていれば最高の兵士なのに」だの云われておりました(設定が「お喋りな傭兵」ですから)。
 そして『~ ZERO』のクライマックスでは、ミュータント撲滅を企むストライカー大佐(ダニー・ヒューストン)による大改造を受け、対ミュータント人間兵器ウェポンXI(イレブン)、別名ミュータント・キラーの「デッドプール」として登場し、ウルヴァリンと死闘を繰り広げてくれました。

 これがまた「不死身体質」の上に「両腕からブレード」、「テレポート能力」、果ては「目からビーム」まで出すと云う化け物っぷり。ライアン・レイノルズ頑張りましたね。
 改造手術の所為で、肌が腐ったアボガド風になると云う描写はおとなしめでしたが。
 死闘の果てにウルヴァリンに首を斬られて倒されはしましたが、エンドクレジット後に首なし死体が自分の生首を探り当てると、生首の両目がぱちりと開くというオマケ映像付で、デッドプール/ウェイド・ウィルソンは死んでないよとアピールしてくれました。
 それから七年経って遂にデッドプールが帰ってきたわけですが……。うん、まぁ、全然別人ですね。

 そもそもストライカー大佐に改造されてウルヴァリンと対決すると云う図式が本作にはありませんです。ライアン・レイノルズがウェイド・ウィルソン役であると云う点だけが同じか。他には「よく喋る」ことと「剣の腕は達人クラス」である設定もそのままか。
 しかし今回は主役になった所為で、『~ ZERO』の頃よりもよく喋るようになりました。自分でナレーションまで担当してくれます。
 そしてデップー最大の特徴である「読者に話しかける」と「メタ発言」もブチかましてくれます。本作は映画ですので、カメラ目線で観客に話しかけてきたり、撮影中のカメラのアングルを変えてしまったりする演出になりました。演劇理論で云うところの、いわゆる「第四壁を破る」と云うやつですね。
 その上、自分達が映画の登場人物であると承知した上で、俳優の名前を挙げながらギャグを飛ばしてくれます。本作はやたら映画ネタのギャグが多いです。

 先述の「予算の都合云々」の他にも、プロフェッサーについては「マカヴォイ? スチュワート? 時系列が判んないよー」などと口走ったり、「グリーンのコスチュームは絶対に着ないぞ」などと自虐的な台詞も飛び出します。そんなに『グリーン・ランタン』(2011年)は嫌だったのか(気持ちは判る)。
 他にも『127時間』(2010年)のネタバレや、『96時間』(2008年)のリーアム・ニーソンを揶揄するような台詞も飛び出します。どれも二〇世紀フォックスが配給しているから大丈夫か。
 ネガ(中略)ウォーヘッドを見て、「リプリーじゃないか。『エイリアン3』の!」とも云ったりしますが、ネタのチョイスが古くて、若い女の子には通じないのが哀しい。
 恋人同士が「ルークの背に貼り付くヨーダのように」一緒にいると云うのは……『スター・ウォーズ』はもはや古典だから説明不要かしら。
 贔屓のミュージシャンも「ワム!」ですし(ただの「ワム」ではなく「ワム!」)。

 おまけに劇中では、アニメネタも炸裂しております。
 ライアン・レイノルズが自宅で宝物にしているのが、ゲームセンターでゲットしてきた景品であるのはいいとして、それが「五体のライオン型のロボが合体する巨大ロボ」のグッズです。
 劇中では盛んに、ボルトロン、ボルトロンと連呼されておりましたが、そこはちゃんと『百獣王ゴライオン』として戴きたかった。『機甲艦隊ダイラガーXV』でもいいけど。
 まぁ、『ボルトロン』は米国ではオリジナルのシリーズにも発展しているそうですが。
 そんなアニメネタが入ってくるのは、監督の趣味なのか。それともライアン・レイノルズの趣味か。
「俺たちもライオンロボみたいに合体しようか」なんて台詞もありましたし(出来ません)。

 原作コミックスでは他にも、一人ボケツッコミとでも云うべき自問自答の癖があるのですが、本作ではその部分は控えめでしたね。
 原作では吹き出しの色を変えてまで、頭の中でボケとツッコミを繰り返すので、二重人格のようにも見受けられるのですが、本作ではそこまで病的な描写にはなりませんでした。
 もしやっていたら、きっと『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のゴラムのように、声色を変えながらライアン・レイノルズ独演会の様相を呈していたことでしょう。

 実は私は諸般の都合により、本作を日本語吹替版で鑑賞しておりまして、ポンポン飛び出すデップーのメタ発言は吹替版の方が楽しめるような気がしました。
 本作でライアン・レイノルズの吹替を担当しているのは加瀬康之です。これも『~ ZERO』と同じですね。
 しかし加瀬康之は『アベンジャーズ』シリーズではポール・ベタニーの吹替を担当しておりますので、将来デップーが『アベンジャーズ』に出張すると、ヴィジョンとの掛け合いで吹替が加瀬康之の一人二役に……などと云うのは杞憂か。

 『アベンジャーズ』と『X-MEN』は製作会社が異なるので、いかに同じマーベル・コミックスの映画化作品と云えどクロスオーバーは出来ませんからね……と今まで思っていたのですが、本作を観ているとそうでもないかと云う気になってきました。
 実は本作の背景にはマーベル・コミックスではお馴染みのものが登場しております。クライマックスで悪党共がアジトにしている場所がそれでして、特に何の説明も無く、悪党達は廃棄された巨大な空母のスクラップを根城にしております。
 この空母、よく見ると巨大なタービンが付いていて、SHIELDの飛行母艦ヘリキャリアだと判るのですが……。
 何故、ヘリキャリアがこんなところでスクラップになっているのか。ファンであれば直ちに『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014年)の事件が想起されることでしょう。

 でもそれは別の会社の映画のハナシなのに、いいのか。デップーは第四の壁どころか、別会社の作品の壁も越えてしまえるのか。
 この調子だと本当にライアン・レイノルズの演じるデッドプールが『アベンジャーズ』シリーズに登場できる日が来るような気がしてきました。
 劇中ではサミュエル・L・ジャクソンのことにまで言及しておりますからね。本当に眼帯をしたサミュエル・L・ジャクソンがチラリとでも顔見せしてくれたら良かったのにィ。
 いや、そうなると今度はブラックウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)と共演になってしまって、ちょっと気まずいかも知れません(離婚した元妻ですから)。

 さて、本作では改めてウェイド・ウィルソンは如何にしてデッドプールになったのかと云うヒーロー誕生時のエピソードが語られます。大抵の場合、それを長々と説明し始めるとドラマのテンポが悪くなって、一向に本筋が始まらないまま終わってしまう羽目になることもしばしばあります(そして失敗作の烙印を押されるのだ)。
 が、本作の場合はアクション場面の合間に、回想が挿入される形式になって、時系列が前後しますが判り易い演出になっています。
 オープニング・クレジットからして、何だかよく判らない壮絶なカーチェイス場面をスローで描きつつ、どうしてこうなった的に時間を巻き戻しながら展開していく趣向ですし。

 監督のティム・ミラーは本作が初長編作品となる方だそうですが、腕は確かなようです。
 本作以外だと、エドガー・ライト監督の『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010年)の視覚効果に名前が挙がっています。あとはCGアニメの短編作品が二本ばかり。
 その所為か、デッドプールの微妙な表情にはアニメ的な演出が伺えます(マスクの目が細くなったり見開かれたりする)。
 派手なCGエフェクトだけでなく、細かい部分にも手を入れていますね。

 それはそれとして、本筋はと云うと──
 元・特殊部隊の傭兵、今は単なるゴロツキであるウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)にも春が来た。しかし恋人ヴァレンタイン(モリーナ・バッカリン)との幸せな生活の中、突如として末期癌を宣告され余命幾ばくも無い。
 ワラをもすがる気持ちで怪しげな治療に応じてみると、それは人間のミュータント因子を活性化させた上で、仕立てた超人を兵器として転売しようとする悪党達の陰謀だった。
 活性化したミュータント因子のお陰で不死身体質を獲得し、癌が完治したのは良いが、皮膚はただれて腐ったアボガド状態。こんな醜い面相では恋人のところには戻れない。
 自分をこんな目に遭わせた悪党を捕まえ、何としても顔を元に戻させねばならない。
 ──と云う事情が、壮絶アクションの合間に語られていく趣向です。

 ここでライアン・レイノルズに改造手術を施すのが、エド・スクライン演じる武装組織のボスです。自身もまたミュータント因子が活性化しており、絶大な身体能力の上に痛みを感じない特異体質を獲得しております。
 特にストライカー大佐やウェポンX計画などとは関係ないように描かれておりました。ウルヴァリンの存在も語られなかったし、見方によっては「デッドプールは自力で不死身体質になった」と云えなくもないです。
 きっと怪しげな注射の成分がウルヴァリン由来のものだったのでしょう(多分)。

 名前の由来も、原作コミックスとはシチュエーションが異なりますが判り易く説明されていました。荒くれ共が集う行きつけのバーの店主と常連客が、「次に誰が死ぬか」で不謹慎な賭けをしている。バーの店主は親友のくせに自分が死ぬことに賭けていて、それを元に「死の賭け(デッドプール)」と名乗るようになる。
 この店主を演じているのはコメディアンのT・J・ミラー。とぼけた表情で親友にも容赦の無い毒舌を吐きまくっています。如何に親友とはいえ、面と向かって「『エルム街の悪夢』のフレディみたいだ」とはなかなか云えませんですね。

 そして「死んだと思われているならマスクで正体を隠せ」との親友のアドバイスに従い、次第にデッドプールのスタイルが確立されていきます。真紅のコスチュームを選んだ真相が、クリーニング代を節約したいからと云うのが切ない。
 そんなおちゃらけた雰囲気を漂わせているデップーですが、醜い素顔で恋人の元に戻ることが出来ないというナーバスな一面も垣間見せてくれるのが興味深い。
 ギャグ一辺倒ではなく、シリアスな場面も挟みながら緩急つける演出が巧いです。本人も云うとおり、「これは愛の物語」でもありますので(ついでにR15+でもありますが)。

 色々あって、悪党共の本拠地を突き止め、X-MENにも加勢を頼み、アジトに(タクシーで)乗り込んでいくデップー達ですが、クライマックスでも笑いを取ることは止められません。
 皆がやりたがる(でも膝には悪い)「スーパーヒーロー着地」もネタにされておりました。あれはやはり日本のアニメが起源なんですかね。『攻殻機動隊』かしら。
 洋画では『マトリックス』(1999年)や『エンジェル ウォーズ』(2011年)でもやってますし、アイアンマンの決めポーズとして有名ですね。最近じゃ、スーパーマンもやってるし。

 死闘の末、武装組織を壊滅させるものの、元の姿に戻ることは出来ないと知らされ、絶望するデッドプールですが、愛は外見的な美醜には左右されたりしないのだという展開に、ちょっと感動的なものも覚えます。デップーのくせに。
 ワム!の「ケアレス・ウィスパー」が流れる実にロマンチックなエンディングでありました。
 しかしそこで終わらず、ちゃんとマーベル映画恒例、エンドクレジット後のオマケ映像も忘れません。

 カメラ目線で「あれ、まだいたの。もう終わったよ」などと『フェリスはある朝突然に』(1986年)のマシュー・ブロデリックばりに語りかけてくるデップー。
 『デッドプール2』の予告は無いと云いながらも、次はケーブルも登場するとバラしてくれます(信じるからな)。しかしケーブル役はメル・ギブソンかドルフ・ラングレンあたりと云うところ、やっぱりネタのチョイスが古いわ。
 そうそう、恒例と云えばもう一つ。スタン・リー御大のカメオ出演も健在でした。
 本作では恋人ヴァレンタインが勤めるクラブのDJ役。ケバい照明の店内でノリノリで音楽をかけていました。いつにも増して楽しそうなスタン・リー御大のお姿でしたね。




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2016年4月13日水曜日

仮面ライダー1号

(Kamen Rider)

 仮面ライダーシリーズ生誕45周年記念作品であり、藤岡弘が主演の仮面ライダーの劇場版です。ついにこの時が来たか。
 『平成ライダー対昭和ライダー/仮面ライダー大戦スーパー戦隊』(2014年)で藤岡弘が登場してくれたときにはまだ共演でしたが、今度はもう堂々の主演ですよ。
 本郷猛が主役の劇場版。年寄りのファンとしては嬉しいデス。

 しかしイマドキの子供らにはどうなんでしょね。以前からうちのムスメらは「昭和ライダーはシンプルすぎるわ」と否定的でした。
 なので今回ばかりは「渋い系のライダーはちょっと……」とあまり食指が動かない様子。ぬう。ムスメがつき合ってくれないなら、パパだけで観に行くわい。

 やはり1号を前面に押し出しすぎた宣伝では子供にはウケないのか。もっとゴーストやスベクターも活躍するストーリーであることを強調しないとイカンです。
 劇中では、平成ライダーたちの〈眼魂〉を使ってゴーストとスペクターが次々にゴーストチェンジする場面がありまして、やはりこのあたりの場面をもっと予告編に取り入れていれば、あるいはムスメらの反応も違っていたかも知れません。
 まぁ、その歴代ライダーの〈眼魂〉はどこから手に入れたのかという説明が一切ないまま使用しておりますが、お祭り映画と割り切るのがよろしいのでしょう。

 劇中ではゴーストが、鎧武、ウィザード、ドライブへとチェンジしてくれます。
 そしてスペクターは、ダブル、オーズ、フォーゼとチェンジします。
 目まぐるしくスピーディに姿を変えつつ、クロスオーバー的に必殺技を連発するアクション場面なら、小さなお友達も楽しめると思うのですが。
 しかしマコト兄ちゃん(山本涼介)が「さぁ、お前の罪を数えろ」とダブルの決め台詞を口にするのはクールで決まっておりますが、フォーゼの「宇宙キターッ」は似合わないですね。

 全体的に仮面ライダー1号を主役にするために、タケル(西銘駿)もアカリ(大沢ヒカル)も御成(柳喬之)も、コメディ・リリーフな場面が多いデス。御成はいつもそうですが。
 仙人のおっちゃん(竹中直人)もギャグ場面が濃いです。全くストーリーに関係の無い、序盤のカラオケ熱唱シーンは強烈でした。
 総じて、『仮面ライダーゴースト』でお馴染みのメンバーのコメディ場面でお子様たちを引き留めつつ、昔懐かしい「仮面ライダー1号」を主役にしたシリアスなストーリーを展開したいという製作サイドの意向は理解出来るのですが……。
 お子様向けの映画ではないが、さりとて完全に大人向けでもないと云う印象です。この中途半端なところが残念でした。せっかく藤岡弘の主演映画なのに。

 でも藤岡弘が主演であるのを有り難がるのは年寄りだけなんでしょうねえ。
 劇中では、ドスの効いた藤岡弘の台詞を堪能できるのはよろしいのデスが、妙に説教臭くなる場面があって、如何なものかと思われました。
 シルベスター・スタローンが還暦を過ぎたロッキーを演じて、教訓的な台詞を口にするようなものですが、ちょっとストーリーに無理があるというか、いきなり高校生たちを前にして「生命とは」と説教垂れる場面はあからさますぎやしませんか。
 『仮面ライダーゴースト』のテーマに沿った説教と云えなくも無いのでしょうが。

 一方、その「仮面ライダー1号」のビジュアルには大幅な変更が加えられました。今までのクラシックなスタイルからかけ離れた重厚なシルエットです。
 当初、妙にガチムチ系になった1号のビジュアルに違和感を覚えましたが、藤岡弘がライブアクションもこなしながら変身もする演出上、これはやむを得ないことなのだと納得しました。
 なにしろ藤岡弘の体型がね……恰幅良くなってしまって、これは仕方ない。あの体型から、昔のスリムな1号に変身するのは無理がありすぎます。『平成ライダー対昭和ライダー』では目立ちませんでしたが、本作でソレをやると不自然ですね。
 まぁ、ガチムチ系の1号でも、それなりにカッコいいです。「闇夜に赤く目が光る」と云う、昔ながらの演出も踏襲してくれていますし。

 重厚なシルエットを強調するように、あまり派手に立ち回らずに、最小限の動作で敵を倒していく演出も巧いです。達人ぽい。その分、年輪を感じてしまうのですけど……。
 平成ライダーのCGエフェクト全開な必殺技に見劣りしないよう、シンプルなライダーパンチやライダーキックにもエフェクトを付けて、頑張っています。
 アクション場面にはあまり無理している感じはしません。

 無理があるのは、本郷猛のラブストーリーも描こうという脚本の方でしょう。
 本作のヒロインを演じているのは岡本夏実ですよ。「立花藤兵衛の孫娘マユ」という役どころですが、ストーリー上では女子高生な上に、これが本郷猛と恋人同士という設定。
 御丁寧に「城南大学附属高校」ですし。大学を卒業した先輩と、まだ在学中の後輩の恋人関係として描こうとしているようデス。
 しかしこれは「歳の離れた恋人」どころではない。
 「藤兵衛の死後、孫娘マユを置き去りにして、海外に戦いに行ってしまった」ことについて「タケシのバカ!」と劇中で責められていました。どうやら三年間も音沙汰なしだったらしい。

 え。たった三年? いや、それは無理あり過ぎなのでは。
 どうやら本郷猛の年齢設定を二〇代の青年に戻したいという意向が働いているようです。大人の事情なんですかね。
 でも劇中では仙人のおっちゃんから「この世に誕生した最初の仮面ライダーだ」なんて解説もされています。竹中直人の口調が実に重々しい。
 それにそもそも「昭和ライダー」とも呼ばれていたハズでは。

 だから劇中ではアカリから「本郷さんは何年くらい戦い続けているんですか?」と尋ねられるのに、はっきりと答えないという場面もありました。
 いや、四五年でしょ? 「仮面ライダーシリーズ生誕45周年記念作品」であると堂々と銘打たれていますし。
 でも「四五年戦い続けている男が、現役女子高生と恋人同士」というのはマズいわな。
 本郷猛の年齢は引き下げたいが、藤岡弘にも出演して貰いたいという二律背反。

 結果、堂々と藤岡弘が岡本夏実とデートすると云う場面が出来上がりました。二人で仲睦まじくゲームセンターや遊園地で平和な一時を楽しんでおります。
 うーむ。しかしこれは、本郷猛が援交しているようにしか見えませぬぞ。
 不自然極まりない。
 「オジサマ」でもキツい年齢差なのに、互いに「タケシ」「マユ」と名前で呼び合っています。

 本作にラプストーリーは必要だったのか? もっと年相応の大人の女性との恋愛にすればマシだったかも知れませぬが、ますますお子様にはソッポ向かれてしまいますか。
 この不自然な展開に比べれば、ショッカーが内部抗争の末にノバショッカーに分裂するなんてのは些細なことです。
 と云うか、ノバショッカーの方がリアルに感じられます。

 「世界征服は経済から」を掲げ、自らの活動を「ビジネス」と云い放つノバショッカーの方がイマドキらしい。エネルギー供給を主軸戦力にして日本政府と契約しようとするのも今までにない展開ですね。
 まぁ、ちょっと展開が短絡に過ぎるキライはありますが、尺の短い劇場版ではやむを得ないと割り切りましょう。
 分裂したノバショッカーに大半の戦闘員を引き抜かれてジリ貧になる元祖ショッカーの図が笑えました。

 今回のショッカーの怪人は、昔懐かしい毒トカゲ男、ガニコウモル、シオマネキングと云う面子です。幹部として地獄大使も登場します。
 地獄大使役は『仮面ライダーディケイド/オールライダー対大ショッカー』(2009年)と同じく大杉漣が演じております。今度はシリアスな役です。ダジャレでガラガンダに変身したりは致しません。

 対するノバショッカーの方は、ウルガ(阿部力)、イーグラ(長澤奈央)、バッファル(武田幸三)と云う新怪人三人衆。
 ウルガはTVシリーズの『仮面ライダーゴースト』のエピソードにクロスオーバー的に出番がありましたハイエナ怪人ですね。バッファルの方はリニューアルされたゲバコンドルのような外見です。
 でもイーグラは変身しません。最後まで長澤奈央がライブアクションをこなしています。フェンシングのサーベルで戦うあたり、蜂女かなぁと思っていたのですが変身しません。長澤奈央のファンには嬉しいのでしょうが、ここにも大人の事情を感じます(まさか予算が足りなくなったわけではありますまい)。

 『仮面ライダーゴースト』のストーリーとリンクするように、「地獄大使が甦ったのは〈眼魔〉の差し金であった」とか、「立花マユが狙われているのは英雄の〈眼魂〉を宿していたからだ」と説明されます。
 本作で登場する英雄は、アレクサンダー大王。劇場版らしく史上最強な英雄ですね。
 レオナルド・ダ・ビンチよりも英雄らしいし。
 しかしあまりにも強力な〈眼魂〉の為、争奪戦の末に手に入れたウルガは身体を乗っ取られてしまう本末転倒な事態に。

 クライマックスはウルガ=アレクサンダーに戦いを挑むゴースト、スペクター、1号と云う図になります。ここに地獄大使も加勢する流れです。
 新たな敵の出現に、かつての仇敵同士が共闘すると云う実にお約束な展開です。
 「勘違いするな。貴様を倒すのはこの俺だ」とツンデレな地獄大使が微笑ましい。

 大杉漣の地獄大使が割とカッコいいだけに、もっと本郷猛と地獄大使の関係を描けば良かったと思うのですが、ますますお子様向けにはなりませんね。
 そして激闘の末にノバショッカーは壊滅、アレクサンダー大王の〈眼魂〉も「制御できないパワーなど不要」と破壊されて一件落着。
 あとは地獄大使と本郷猛の因縁に決着を付けるのみですが、戦いの最中に地獄大使が重傷を負ってしまい止めを刺すのは忍びない。

 「ま、待て。俺との決着をゲホゲホッ」
 「ふ。身体をいたわれ地獄大使」
 「待て、行くな。俺と戦え、本郷ッ」

 うーむ。地獄大使を放置しておくと、またショッカーが再生してしまうと思うのですが、ヒーローものの演出としてはド定番なんですかね。
 ちょっと笑ってしまいました。

 そして再び恋人を残して世界平和のために旅立つ本郷猛です。しかし今度は「命は繋がっている。どこで戦っていても、タケシは私を守ってくれている」と理解を得られたようです。
 タケルも初代から「君も立派なライダーだな」とお墨付きを貰ってハッピーエンド。
 「本郷猛は、俺の永遠の英雄です!」なんてのは、パパ世代を代弁してくれる台詞ですね。
 懐かしの主題歌をバックにネオ・サイクロン号(やっぱりガチムチ系になったバイク)で去って行きます。エンドクレジットにメイキング映像を流してくれるのはサービスでしょうか。
 仮面ライダーはいつも君と共にいる──とメッセージを映しておしまい。いや、やっぱり本作はパパ世代の為の映画でしょう。もう少し大人向けに作り直してもいいのよ。




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2015年12月15日火曜日

007 スペクター

(007 : Spectre)

 ダニエル・クレイグ主演の六代目ジェームズ・ボンドの第四作です(シリーズ通算では二四作)。前作『スカイフォール』(2012年)がシリーズ五〇周年記念でしたが、まだまだ人気は衰えませんね。
 ダニエル・クレイグも続投ですし、監督のサム・メンデスも続投になりました。意外と相性がよろしいようで。

 六代目ボンドのシリーズがそれまでのシリーズと違うのは、「リアルなアクション重視」であることの他に、「ストーリーが繋がっている」と云うのがあります。
 『慰めの報酬』(2008年)は『カジノ・ロワイヤル』(2006年)の完全な続編で、『スカイフォール』で一旦、流れが途切れたかに見えて、実は本作で四作品がすべて繋がっていると明かされる趣向です。
 もうオープニングからして、エヴァ・グリーンやら、マッツ・ミケルセンやら、ハビエル・バルデムさん達の顔写真がチラチラ見えたりしております。先代M役のジュディ・デンチも見受けられます。この辺りのファンへのくすぐりがニクいですね。

 だから今までずうっと気になっていた、「ミスター・ホワイトはどうなってしまったンだよう」と云う、私の疑問も本作で決着が付くことになりました。本作では、ミスター・ホワイト役のイェスパー・クリステンセンが再々度登場してくれます。素晴らしい。
 今まで悪役側で何度も登場したキャラクターは、ソビエト情報局のゴーゴル将軍役のウォルター・ゴテルとか、殺し屋ジョーズ役のリチャード・キールがいますが、イェスパー・クリステンセンも本作で三度目ですね。
 もっとも、本作でミスター・ホワイトは無残な最期を遂げてしまいますので、出番はここまでとなります。残念。
 でもきっちり決着が付いたので、個人的にはスッキリいたしました(ちょっと取って付けた感が漂っていたように思ってしまったことは内緒デス)。

 しかし亡くなった後もミスター・ホワイトの影はストーリー上に色濃く落ちております。本作に於けるヒロイン──いわゆるボンド・ガール──は「ミスター・ホワイトの愛娘マドレーヌ」ですからね。演じているのは、フランスの女優さんレア・セドゥ。
 レア・セドゥと云えば、アブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』(2013年)で、アデル・エグザルホプロスと共に俳優として初めてパルムドールを受賞しておりますね(ケシシュ監督も勿論ですが)。
 でも個人的にはフランス版『美女と野獣』(2014年)で主演のベル役だった方が印象深いです(ヴァンサン・カッセルが野獣役でしたし)。

 しかもレア・セドゥは、ヴェスパー役のエヴァ・グリーンに続いて「六代目ボンドが本気で愛した女性」となりますので、次作以降への出演も期待できそうです。ヴェスパーみたいに死なない限りは。
 この点については、かなり危うい気がするのですが。何しろ、本作のタイトルが『スペクター』ですから。

 「スペクター」と云えば、過去のシリーズに於いては、超有名な悪の秘密結社の名前デスよ。ジェームズ・ボンドの敵ナンバーワンであったと云っても過言ではない。
 その首領ブロフェルドのイメージは幾多の作品に影響を与えまくり、パロディも多数派生し、「敵の組織のボスがネコを抱いている」と云う定番過ぎるイメージの元凶となりました。
 そして過去シリーズでは、「ボンドの妻をブロフェルドが殺害する」と云うエピソードもあり、ブロフェルドとボンドの因縁も深い。
 そう云えば、ブロフェルドも悪役としては何度も登場した人ですが、俳優の方がドナルド・プレザンスだったり、テリー・サバラスだったりしましたね。マックス・フォン・シドーがブロフェルド役だったこともありました。

 本作では、やっぱり「スペクター」とは秘密結社の名前であると明かされます。あれ、『慰めの報酬』で言及されたクォンタムはどうなったのかいな……と思ったら、クォンタムはスペクターの出先機関と云うか下部組織に過ぎなかったようです。まぁ、かなり無理矢理なこじつけが苦しいですが。
 前作『スカイフォール』に於いて、ハビエル・バルデムが個人の復讐にしては潤沢すぎる資金と装備を備えていたのも、スペクターが後ろ盾になっていたからだと説明されます。そこは納得。
 そして敵の組織がスペクターである以上、その首領はブロフェルドです。そうでないとイカン。
 勿論、また新たなブロフェルド像が確立されるわけですが、「白いペルシャ猫」もちゃんと登場させるあたり、過去作品へのリスペクトも忘れません。

 しかしブロフェルドが登場する一方で、「ボンドが本気で愛する女性」も登場すると云うのはどうなんでしょね。
 なんかもう、レア・セドゥの出番も次作でお終いになるような気がしてなりませんのですが。これが杞憂に過ぎないことを祈るばかりデス。

 ちなみに本作のオープニング曲はサム・スミスの「Writing's On The Wall」ですが、映像では蛸が扱われています。これはスペクターの紋章が蛸をデザイン化したものであるので、当然と云えば当然なのですが、「007でタコ」と云えば『オクトパシー』(1983年)だろうと云う気がしますね。
 この映像でリタ・クーリッジの「オールタイム・ハイ」が聴いてみたいデス(笑)。
 まぁ、蛸にそれほど嫌悪を感じない日本人ですので、ちょっと妙な印象のオープニングではありました。それに「女体に蛸の触手が絡む図」なんてのは、作り手が想定しないイメージを喚起しちゃいますよ(日本ではね)。

 ところで本作でブロフェルドを演じているのは、まさかのクリストフ・ヴァルツでした。最初は違う名前で登場したので、別人がブロフェルドなのかと思いましたが、堂々と「今はエルンスト・スタヴロ・ブロフェルドと名乗っている」と明かしてくれます。
 ちょっとイメージ的には悪の首領らしからぬ風体で、フツーのビジネスマンぽいのが拍子抜けでありますが、リアルな世界観を重視する六代目ボンドの世界では、こういうのもアリなのか。その点、一見常人ぽいが狂気を秘めた人物を演じるのに、クリストフ・ヴァルツは適任であると申せましょう。

 劇中では一度爆発に巻き込まれて死んだと思わせ、ラストで実は生きていたと六代目の前に現れたりします。その際に、右顔面に深い傷跡が走っている容貌になりました。何となくマックス・フォン・シドー寄りのブロフェルド像から出発して、ドナルド・プレザンス的なブロフェルド像に近づけようと云う趣向に感じられます。
 本作ではボンドとブロフェルドの因縁に決着は付かず──と云うか、六代目ボンドの世界では、ボンドとブロフェルドの因縁はまだまだこれからというように描かれますので、クリストフ・ヴァルツも再登場確定な感じです。
 でも「二人は少年時代から顔見知りだった」と云う設定はちょっと蛇足ぽい気がします。

 しかし「白いペルシャ猫」と「右顔面の傷跡」が再現されたとなると、次に登場するときには更にドナルド・プレザンスに近づいていくことになるんですかね。あるいはテリー・サバラスのブロフェルド像へのオマージュも用意されているとか。
 そうなるとクリストフ・ヴァルツは次に「耳たぶが欠損する」ことになり、最終的に「髪の毛が全損する」ようになってしまうワケですが、果たしてそこまでやってくれるのでしょうか(ドナルド・プレザンスとテリー・サバラスのどっちに傾いても、そうなっちゃう)。
 何となく嬉々としてスキンヘッドになってくれそうな気もするのですが。

 ブロフェルド像に限らず、本作には過去作品へのオマージュが炸裂しまくりであります。まぁ、シリーズ通算二四作目ともなりますと、描かれるアクションのネタもほぼ出尽くしている感がありますから。
 いつもの通りのカーチェイス、ガンアクション、高所からの落下、爆発、格闘とそつなくこなしておりますが、いずれもドコカデミタ感を感じてしまいます。
 何となく開き直ってやっているような気がします。勿論、それぞれのアクション演出は見事ですし、緊迫感は大したものだと思いますが、頑張ってド派手にやっても「007シリーズじゃフツー」とか云われてしまいそうなのがツラい。長く続くとハードルも自然に上がりますから。
 逆に、本筋とは関係の無い冒頭の「建物が崩れて隣のビルの屋根まで抜ける」なんて、お笑いのアクション・シーンの方に力を入れているように感じられました。いや、そこまでしなくても。

 背景となるロケ地も、ドコカデミタ場所が多いです。世界中を飛び回るボンドさんですから、これは仕方が無いことなのか。
 冒頭のメキシコシティが一番、目新しくて、その後ロンドン、ローマ、アルプス、タンジールといずれも過去の作品に登場した場所でストーリーが進行します。懐かしいと云えば懐かしいし、同じ場所でも異なる状況が描かれるので、あまり問題はないのですが。
 それなら日本にも来て欲しい。前作で長崎の軍艦島をモチーフにした背景が登場したので、次ではもっと本格的に日本で……と期待していたら、とある国際会議が東京で開催されるという場面で、チラリと東京が映りました。でも来日したのはボンドじゃなくて、M(レイフ・ファインズ)だけでした。うーむ。

 過去作品へのオマージュの最たるものが、豪華な列車のコンパートメントでの殺し屋との格闘でありまして、プロレスラー出身の俳優デビッド・バウティスタは『ロシアより愛をこめて』のロバート・ショウと云うよりも『私を愛したスパイ』のリチャード・キールへのオマージュ的なキャラクターであります。これはオマージュのオマージュなのか。
 デビッド・バウティスタもまた、かなりしぶとくてなかなか死なない人ですので、あの「客車から放り出される」だけでは死ぬ筈も無いのは明かでしょう。
 この人も次作で再登場してくれると嬉しいデスね。

 過去作へのオマージュ全開にしてくれたおかげで、ダニエル・クレイグもやっと「歴代のジェームズ・ボンドに近く」なってきました(それは良いことなのか悪いことなのか)。
 本作ではリアル路線を踏襲しながらも、秘密兵器を駆使したり、正装をキメてくれたり、美女とラブシーンを演じてくれたりもします。本作では本命のレア・セドゥだけではなく、モニカ・ベルッチとの絡みも見せてくれます。
 個人的にはモニカ・ベルッチが前座扱いなのが寂しいところです。もっと早くに出演できていれば主役のボンドガールにもなれたものを。先代ボンドのピアズ・ブロスナンくらいの頃だったなら……。

 前作でようやくレイフ・ファインズのM、ナオミ・ハリスのミス・マネペニー、ベン・ウィショーのQという新体制が確立されたわけですが、本作では早くも組織の存続が危ぶまれております。遂に00課が廃止となる……と云うかMI6そのものが他の省庁と統合されるらしい。
 結局、それ自体がブロフェルドの企みだったりするわけで、いつになく英国諜報部が劣勢に立たされております。あまり派手な作戦ではないのですが、ここまでMI6が追い詰められるというのも珍しいですね。
 おまけに前作でド派手に爆破されたMI6本部ビルは、本作では再建されることなくそのままテムズ河岸に無残な姿をさらしております。そして更なる追い打ちがかけられる。
 ブロフェルドの陰謀により、MI6本部ビルはボンドの墓標となるべく、完膚なきまでに爆破されてしまうわけで、実在する建物をそこまで酷く描いてしまってエエんかいなと心配になります(逆に名所になるか)。

 クライマックスのMI6ビル壊滅から辛くも逃れ、反撃に転じたボンドは逆にブロフェルドを追い詰めますが、止めは刺しません。劇中ではレア・セドゥの言葉に迷いながら、人生の選択について悩む六代目ボンドの姿が描かれておりましたが、ここで決心が付いたようです。
 殺しのライセンスは返上し、諜報部も辞して、愛する女性と共に新たな人生を歩み始める六代目ボンド……となるのですが、果たしてそう巧くいくものやら。
 アストンマーチンに乗って去って行くボンドですが、ブロフェルドは生きているし(逮捕はされましたが)、ここで打ち止めにはなりますまい。エンドクレジットではちゃんと「ボンドは帰ってくる」と明示されます。
 ブロフェルド共々、なるべく早めの御帰還をお待ちしております。




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