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2015年5月6日水曜日

THE NEXT GENERATION パトレイバー

 首都決戦

 実写版『機動警察パトレイバー』の最終章にして劇場版であります。一応、本作に先駆けたTVシリーズ全七章(全12話)も完全制覇した上で鑑賞しました。毒を食らわば皿までと云うか、骨も拾いに行かないと。
 本作の監督はシリーズ総監督でもある押井守自身が務め、脚本も押井守です。出演者はTVシリーズと全く同じで、筧利夫、真野恵里菜、福士誠治、太田莉菜、千葉繁といったお馴染みのメンバー。
 独立したストーリーではなく、TVシリーズの延長線上にあるエピソードでした。そもそもTVシリーズの最終話(第12話「大いなる遺産」)が、本作の予告編と云った趣でありましたし、当然そうなってもらわねば困ります。

 しかし、TVシリーズの最終話を丸ごと劇場版の予告編的造りにしてしまって、オチも何もなく「嵐が来るぞ」で終わらせてしまう演出なのは如何なものか。この台詞も、旧アニメ版の台詞を想起しますが、予感を感じながら、何か対策が練られているようにも見受けられませんでした(それほど時間経過が無かったのか)。
 最初から「大いなる遺産」を「首都決戦」と繋げて一本の映画にした方が良かったような。でもそれだと尺が長い上に本筋に至るまでが退屈で、冗長に過ぎますでしょうか。
 「大いなる遺産」も監督・脚本は共に押井守であったので、一貫した流れではありますが。

 本作はシリーズ全体も含めて、アニメ版の実写リメイク作品であるのと同時に、設定上は続編扱いになっている奇妙な構造の所為で、意図的にかつてのアニメ版と似たようなストーリーになりつつ、でもやっぱり異なる登場人物と異なる時代背景であるところに違和感を感じます。
 ぶっちゃけ本作は、劇場版『機動警察パトレイバー2 The Movie(以下、パトレイバー2)』(1993年)の実写リメイクであると申し上げてよろしいでしょう。
 出来する事件はほぼ旧作をなぞるように進行していきます。
 但し、その出来映えについては如何なものか。このあまりにも残念な出来は、「劣化コピーである」と断言しても差し支えないと思います。今般の実写TVシリーズの続きであるので、半ば諦めの境地で劇場に足を運びましたが、覚悟した上で観てもやるせないものはやるせない。

 アニメ版の劇場用作品は三作とも好きデス。中でも一作目と二作目は甲乙付け難い。特に押井守色が強いのは二作目でしょうか。
 アニメ版に思い入れが強い者ほど、本作に対する拒否反応は強いのでしょうが、では旧作を知らない若年層が本作を観て、「素晴らしかった」と喜ぶのかと問われれば、「それはないんじゃないかな」と答えざるを得ませんデス。
 いや、その、一本の劇場用作品として残念すぎる。
 と云うか、全七章のTVシリーズとの差異が見受けられません。本作だけ何故、「劇場版」なのか。「第八章」と称して、前後編のエピソードを同時上映しますよ、とした方がまだ納得も出来ようものを。やはり大人の事情か。
 劇場版だけは、少しくらい持ち直すのでは無いかと期待した方が悪かったのか。いや、本作は単なる「第八章」でしょう。

 冒頭で『パトレイバー2』の概要が、「二〇〇二年のクーデター事件」として説明されます。事件の概要と、その顛末をナレーションで語りながら、川井憲次の劇伴が流れる場面はなかなか懐かしくもありました。
 そして、首謀者である柘植行人は逮捕、当時の二人の隊長はその後間もなく消息を絶ったと説明されます。

 「大いなる遺産」では香川耕二が実写版の柘植行人を演じて、面会に来た後藤田隊長(筧利夫)と言葉を交わす場面もありましたが、ほんの僅かな出番だけでした。劇場版でもっと大々的に登場してくれるのかと期待したのですが、実は劇場版には柘植行人は登場しません。まず、そこが肩透かし。
 失踪していた先代の隊長も、南雲しのぶ隊長がちらりと登場しますが、大きな扱いではありません。南雲さんはほぼシルエットのみの登場で、声は榊原良子でしたが、演じていたのは別の役者さんだったそうな。
 後藤隊長に至っては影も形も現れません。まぁ、筧利夫と対面するワケにはいかんか(ほとんどドッペルゲンガーですしね)。

 そしていきなり一発のミサイルが飛来し、レインボーブリッジを破壊する。横浜ベイブリッジ事件の再現です。中央部分が落とされたブリッジの外観が旧作にソックリであります。
 レインボーブリッジの竣工は『パトレイバー2』公開直後(1993年8月26日開通)くらいでしたから、アニメで描くには間に合わなかったが、本作ではしっかり標的にされております。
 事件は大きく報道され、特車二課に公安外事課から内々に接触がある。旧作では自衛隊幕僚調査部の荒川茂樹(竹中直人)でしたが、本作ではTVシリーズで何度か出番のあった公安の高畑警部(高島礼子)です。
 微妙にシチュエーションを変えつつ、本質的には同じ事をまた再現しております。この変奏曲の凝り方が、見所なのでしょうか。

 本作には随所に旧アニメ版の画面の構図を実写で再現した場面が登場します。
 特に隅田川から日本橋や首都高速の高架を見上げる場面や、警視庁の会議室で先代隊長らが糾弾される場面の回想などは実に再現度が高いと申せましょう。後者は台詞もそのままですし。
 そして公安から事件の首謀者らこそ、かつてのクーデター事件を起こした柘植行人の教え子らであったと明かされる。
 劇中ではかなり大掛かりな犯行組織が周到な準備の上で、かつてのクーデター事件をなぞるように行動を起こしていくのですが、集団内でのリーダーらしき人物はいても、具体的な人物像は判らないままです。
 また、この犯行グループの目的も最後まで明確になりません。

 劇中では、実に簡単に「思想犯の考えることは判らない」と切って捨てられております。「彼らなりの正義があるのだろう」とも語られますが、特にそれが明示されることはない。
 本作全体に、発生する事案に対応することばかりが描かれ、その背景について考えさせるような演出が無いのも、作品が物足りない印象になる原因でしょうか。
 首都圏を混乱の渦に巻き込み、武力行使しまくりなのに、犯行グループからは何の声明も出ない。「柘植行人の教え子達」であるなら、普通は「柘植の釈放」くらいは要求するものと思いましたが、それはない。
 『パトレイバー2』に於いて、柘植が何の要求も出さないのは、状況それ自体が目的であったからだと説明されますが、本作で同じ事をする意味が判りません。

 少なくとも柘植行人には犯行を行う思想が感じられましたが、「教え子達」にはそれがない。ただ、師がやったことを盲目的に模倣しているだけに思われ、十数年が経過した後に同じ事をして師の目的が達せられるのかというと、甚だ心許ない。
 『パトレイバー2』では自衛隊が出動し、また米軍の存在も伺えたのに、本作ではそのような描写がない為だと思われます。公安外事課が動き回っていますが、一般市民がそれを知ることは無い。
 その為、事件の影響があまり大きく感じられない。かなり矮小ですらある。いや、ぶっちゃけ「教え子達」の起こす事件が、非常に薄っぺらいものに感じられてしまいました。

 実写映画で「首都圏全域に自衛隊が出動し、東京が戒厳令下に置かれる」なんて描写が難しいのは判りますが(予算的にも苦しいでしょうし)、そこを描かないで『パトレイバー2』の実写リメイクとは云えないような気がします。
 似たようなシチュエーションの事件ですが、単なる模倣犯止まりですねえ。
 ビジュアル的には、光学迷彩機能を搭載した戦闘ヘリ〈グレイゴースト〉なんて代物が登場し、それなりに面白くはあるのですが、このヘリ一機で『パトレイバー2』が再現できるのか(かなり苦しい)。
 事実、本作には「戦争(のようなもの)が起きている日常」と云う描写が欠落しているように見受けられます。

 本作で初登場となるのが、この〈グレイゴースト〉のパイロット灰原零(森カンナ)。パトレイバーの直接の敵となる役柄ですが、謎めいた存在です。自衛官である経歴は判っていますが、詳細は不明のまま。個人データを周到に抹消し、自身がゴーストと化したような印象です。
 このあたりもアニメ劇場版第一作の帆場暎一を思わせる設定ですね。
 まぁ、監督自身の手によるセルフ・リメイクですし、過去の設定の「あれを使った、これに似ている」なんてイチイチあげつらうのは本意ではありませぬが、どうしても……その、ツッコミ入れたくなってしまうのは仕方ないですよね。
 ついでながら、世の中、セルフ・リメイクが巧くいかないこともある。マーテイン・キャンベル監督が傑作『刑事ロニー・クレイブン』をセルフ・リメイクしたら『復讐捜査線』(2011年)になっちゃったとか。同じ事を二度やっても傑作が二回出来上がるわけでは無い(例外もありますが)。

 この謎めいたパイロット灰原は、何故か常にバスケットボールを手にしていて、キャラクターの印象付けには有効な演出でしたが、これが主人公の泉野明(真野恵里菜)との接点になると云うのがイマイチ理解出来ませんでした。
 そもそも明は、アウトドアなことに縁の無い引き籠もりに近いゲーマーと云う設定だったような。実写版TVシリーズのエピソードで、ゲームに傾倒している設定は強調されていますが、何かスポーツをやっていたような設定は見受けられないので、本作だけ観て、灰原の遺留品のバスケットボールを手にして、まだ見ぬ敵に対抗心を抱く……といった流れになるのがピンと来ませんでした。

 それがクライマックスの、東京ゲートブリッジ上での一騎打ちで活かされる、のも不自然ですねえ。
 本作では序盤にレインボーブリッジ、終盤に東京ゲートブリッジと、ドラマが「橋に始まり、橋に終わる」構図なのはよろしいと思います(多少、強引な展開だとは思いますが)、そこでステルス擬装した戦闘ヘリとサシで勝負することになる。
 最後の対決の場面で、パトレイバーはズタボロで稼働限界、残弾は一発限り、見えない敵は次にどこから撃ってくるのか……と云うところで、明が「必ず正面から止めを刺しに来る」と灰原の手を読む根拠が、どうにも薄弱に感じられました。
 これがバスケットボールのシュートを決めるときの、相手の癖というか戦術を読み切った上での勝利なら、素晴らしかったのにと思う次第デス。どうにも伏線が巧く張れてない。

 結局、主人公と敵パイロットとの関係も薄弱のまま、事件は収束し、公安外事課は首謀者グループを全員拘束し、一件落着。ただ一人、実は生存していた灰原零だけを除いて。
 灰原零とは何者だったのか明らかになることは無い。戸籍上の灰原零は既に死亡しており、あのパイロットは故人のなりすましだったことが判明する。まさにゴースト。
 フレッド・ジンネマン監督の『ジャッカルの日』(1973年)のエドワード・フォックスみたいになってしまった灰原零ですが、これが特車二課にリベンジするエピソードは……もう製作されないか。

 同じ監督で、どうしてこうも出来が違うのかと比較すると、本作と『パトレイバー2』は脚本が違いましたね。旧作の脚本は伊藤和典の手によるものでした。
 それだけでこうも変わるものなのかと、驚きを禁じ得ません。まぁ、映画は脚本が命ですけど。
 蛇足ながら、九三年当時に「十年後の近未来」を描いたアニメ版で、「戦争を忘れて平和ボケした日本が云々」といったフレーズで事件を描くのはそれなりに効果的でしたが、二〇一五年現在で現代日本を描きつつ、同様の事件を起こしてもそれほど効果は感じられませんでしたね。
 むしろ「存立危機事態」とか「集団的自衛権の行使容認」といったフレーズをドラマに盛り込む方が、昨今の日本には馴染み易いような気がします(いや、これは押井守の責任ではありませぬが)。
 リメイクするには時代が変わりすぎたと云うことなのでしょうか。




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