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2015年5月1日金曜日

シンデレラ

(Cinderella)

 ディズニー・スタジオによる実写版の『シンデレラ』です。アニメ版(1956年)は古典名作として名高いですね。「夢はひそかに」、「これが恋かしら」、「ビビディ・バビディ・ブー」と云った名曲も忘れ難いです。
 ディズニーによる自社アニメ作品の実写化と云うと、『101』(1996年)とか『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)とかもありましたが、最近はこの傾向が加速しているようです。『眠りの森の美女』(1959年)も『マレフィセント』(2014年)として実写化されましたし、『美女と野獣』(1991年)や『ピーター・パン』(1953年)の実写化も進行中だそうな。『ダンボ』(1941年)もか。マジですか。

 但し、『マレフィセント』の主役はアンジェリーナ・ジョリー演じる魔女マレフィセントでした。
 ひょっとして本作も、ケイト・ブランシェット演じるトレメイン夫人が主役……と云うことはありませんでしたが、堂々とクレジットの先頭にお名前が表示されておりました(当然ね)。
 主役のシンデレラ役はリリー・ジェームズ。『タイタンの逆襲』(2012年)にも出演していたそうですが、憶えが無い(汗)。
 王子様役のリチャード・マッデンも、『ゲーム・オブ・スローンズ』(ロブ兄ちゃんの役ね)とかTVシリーズへの出演は多いそうですが、映画の方はほぼ新人状態。
 ケイト・ブランシェットが真っ先に表示されるのも宜なるかな。

 むしろ共演者の方に有名俳優を配していて、サポート態勢は万全の感があります。
 王子の父である王様役がデレク・ジャコビ、腹黒い大公役がステラン・スカルスガルド。魔法使いのお婆さん──最近じゃ「フェアリー・ゴッドマザー」と呼ばれておりますが──も、ヘレナ・ボナム=カーターです。そもそも「魔法使い」じゃなくて「妖精」なのか。
 『マレフィセント』ではオーロラ姫が勘違いして「あなたがフェアリー・ゴッドマザーなのね」とマレフィセントを呼んでおりましたが、こちらが本家のようデス(アンジョリ姐さんの複雑な表情も、ヘレン・ボナム=カーターと間違えられた所為だと考えると、ちょっと笑えます)。

 監督はケネス・ブラナー。元はシェイクスピア俳優として有名な方でしたが、監督としてもシェイクスピア劇の映画化作品が有名ですね。おかげで『マイティ・ソー』(2011年)なんてアメコミ映画を監督しても、シェイクスピア的時代劇の風格が備わっていたりします。
 本作もまた手垢の付いたような中世ヨーロッパ時代劇ですが、手を抜かずにしっかりと映像化しております。そこは実に手堅い。舞踏会の場面も豪華絢爛。
 ケネス・ブラナー監督がしっかりと真面目に背景を描写しているおかげで、明らかに「ディズニー側の意向で時代考証がねじ曲げられているよね」的なおかしな部分も、それほど目立っておりません。

 いや、だって、「王子様の側近」が黒人俳優で、役名も「大尉」ですよ。さも当然のように王子様の教育係も任じられていたり、王様からの信任も篤そうな描写は、よく考えなくても不自然でしょう。中世のヨーロッパで、それはアリエナイのでは。
 他にも、城下の商人や、舞踏会の招待客の中にはアジア人らしい人や、中近東ぽい人も見受けられ、「人種差別的だと批判されるのを避けようとするあまりに却っておかしな事になっている」と云う、最近のディズニー作品にありがちな演出になっています。
 それを云い始めると、「結婚が女性として目指すべきゴールだ」と解釈できる旧作のアニメ版も、いかにも現代的に変えられています。

 シンデレラの少女時代に、亡くなる前のお母さん(ヘイリー・アトウェル)が言い聞かせています。
 「人生のどんな試練も乗り越えられる秘密を教えてあげる。それは勇気と優しさを忘れないことよ」
 実に判り易い。勇気と優しさ。これが本作のテーマですね。
 小さなお子様にもはっきり判るように「勇気と優しさ」のフレーズは台詞の中に何度も登場し、ナレーションも念を押すようにラストで「こうして、勇気と優しさを忘れなかったシンデレラは幸せに……」なんて繰り返してくれます。あからさますぎて笑ってしまいましたが、純真な子供達はきっと感銘を受けたことでしょう。
 王子様との結婚は……まぁ、付録みたいなものね。

 しかしこうして『シンデレラ』が実写化されてしまうと、これがスタンダードになってしまい、他社が制作する『シンデレラ』は駆逐されてしまうんですかね。
 過去、何度も実写化されてはおりますが、個人的にはブライアン・フォーブス監督版の『シンデレラ』(1976年)が馴染み深いのですが。何しろ王子様役がリチャード・チェンバレンでしたし。
 七六年当時としても、リチャード・チェンバレンの王子様は老けすぎだろうと思われましたが、今にして思えば懐かしい。もう再放送とかされないのでしょうか。WOWOWあたりに頑張って戴きたいものデス。

 ケネス・ブラナー監督としては決定版を制作するつもりだったようで、アニメ版の忠実な実写化を目指しつつも、シンデレラの名前の由来などもストーリーに盛り込んでおります。アニメ版は尺が七二分しかありませんので、色々と追加しながら補完しております。
 元々、「シンデレラ」は「灰かぶり姫」と和訳されていたように、「灰だらけ」で薄汚れているところから付けられた名前で、英語で “Cinders” (仏語なら “Cendre” )は「燃え殻、灰」を意味するのだそうな。そう云えばシンデレラの本名は、どの童話でも明かされていませんね(元から不明なのか)。
 本作では本名は「エラ」と云い、継母にこき使われて暖炉の灰にまみれた姿から「シンダー」だらけな「エラ」で「シンデレラ」だと呼ばれる場面も挿入されております。屈辱的な名前ですね。

 人間側のドラマが強化されているので、シンデレラの少女時代のエピソードが割と長いです。だからケイト・ブランシェットの登場までしばらくかかります。
 逆に、ネズミ達や納屋の動物達との交流がかなり削られています。まぁ、動物メインのストーリーでは無いので、ネズミの出番が減ってもクレームを付ける人はあまりおりますまい。リアルなネズミが泣いたり笑ったりすると不自然ですしね。
 一応、CG特撮がネズミにも演技をさせつつ、キィキィ声で何事か会話しているようなイメージは残りました。でも服は着ていない。現実とファンタジーのビミョーなバランスに腐心していることが伺えます。
 一番大柄なネズミが「ガス」と呼ばれているのはアニメ版のとおりですが、ネコのルシファーとの絡みはほとんどカットです。そもそも動物達がドレスを仕立てる展開にはならないので。

 また、シンデレラと王子様の出会いが舞踏会以前にあったことにされているのがブラナー版『シンデレラ』の特徴でしょうか。
 ある日、森の中で出会い、互いに素性を隠したまま惹かれ合う。おかげで王子に縁談が持ち上がっても王子はあまり乗り気にならず、父王の健康状態が悪いことから、やむなく政略結婚前提の舞踏会を承諾すると云う流れです。
 但し、舞踏会には国中の未婚女性も招待することを条件に付ける。それならあの森で出会った娘も来るはずだ……。
 とりあえず最近のディズニーのポリシーである「運命の出会いなんて無い」にも沿った展開ですね。舞踏会で一目惚れしないよう考えられています。「偶然、森の中で出会う」のがそもそも運命ぽいのではないか、なんて疑問もスルー。

 最初からシンデレラに再会することが目的の舞踏会であると明かされているので、意地悪な義姉──ちゃんと名前もアナスタシアとドリゼラでした──にはチャンスは欠片もありゃしないのはよろしいのデスが、政略結婚前提の相手国のお姫様には少し可哀想でしたでしょうか。
 出番が少ない割に、登場したときは国賓扱いなので豪華なドレス姿、しかも結構な美人ですよ(ヤナ・ペレスと云う女優さんですが全く馴染みなしデス)。
 政略結婚前提なのは承知の上だとしても、それだけで悪女かどうかなんて判らないし、王子からまったく相手にされないままなのが可哀想すぎる。あのお姫様にはナニか救済策を講じてもらいたかったデス。

 補完される場面以外の設定はアニメ版に忠実でありますので、当然、舞踏会に履いていく靴は「ガラスの靴」です。シンデレラと云えばガラスの靴。
 しかし元の童話にも色々とバージョンがあるようで、フランスのシャルル・ペローによる『サンドリヨン』を基にしたアニメの実写化だから「ガラスの靴」ですが、グリム童話の方にも『シンデレラ』は収録されていて、こちらは「金の靴」と「銀の靴」になっているそうな。
 同時期にディズニーが製作したロブ・マーシャル監督による『イントゥ・ザ・ウッズ』(2014年)に登場するシンデレラは、グリム童話版の設定が採用されておりました(ドレスや靴の由来とか、王子様が階段にヤニを塗りまくってシンデレラを足し止めしようとしたり)。
 ちなみに『イントゥ・ザ・ウッズ』ではシンデレラ役はアナ・ケンドリック、王子様はクリス・パインでした。

 そして二人のベテラン女優、ケイト・ブランシェットとヘレン・ボナム=カーターがサポートしている態勢が頼もしすぎる。
 個人的には双方が互いに役を入れ換えてもそれなりに見えると思うのですが、やはりこの配役がよろしいですかね。ヘレン・ボナム=カーターがトレメイン夫人だと『レ・ミゼラブル』(2012年)のテナルディエ夫人みたいになって(小悪党感が半端ない)、ケイト・ブランシェットのフェアリー・ゴッドマザーは『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)のガラドリエル様みたいでしょうか(神々しすぎる)。

 本作では、トレメイン夫人の追加設定が興味深いです。それがラスト近くで、悪党が開き直る口上にも似て、ケイト・ブランシェット自身の口から堂々と語られる。
 それなりに困難な状況を二人の娘を抱えながら女の身ひとつで乗り切ってきたのであって、上昇志向があって何が悪い。凜として云い放つケイト・ブランシェットの姿がお見事でした。さすがに主役のリリー・ジェームズも気圧されておりましたね。
 その所為か、散々シンデレラに酷い仕打ちを重ねてきたのに、あまり報いを受けませんでしたね。とりあえず悪だくみは潰え、シンデレラが結婚すると同時に、娘達を連れて国を出て行くだけ。
 きっとこの先も行く先々で逞しく生きていくことでしょう(犠牲者も増えそうですが)。

 一方、ヘレン・ボナム=カーターは「魔法使いのお婆さん」と呼ぶにはまだ早いお歳ですが、老けメイクもキメまくりで、実に楽しそうに演じておられます。
 登場時の過剰な老けメイクには笑ってしまいそうでしたが、ホームレスのお婆さんに親切にしてあげると、お婆さんが光り輝くフェアリー・ゴッドマザーに変身すると云う下りは、世界各地の教訓話によく見るシチュエーションですね。
 そしてアニメ版と同様に、ちょっと間が抜けております。
 出来ればヘレン・ボナム=カーターにも「ビビディ・バビディ・ブー」を歌って戴きたかったですが、本作はミュージカルでは無いので、劇中歌は省略です。エンドクレジットでお馴染みの「夢はひそかに」が流れるのが救いでありました。

 大筋には変更ないので、シンデレラと王子様はめでたく結婚。相手の社会的地位など問題では無いと語られているのがイマドキの演出ですね。舞踏会以前に森の中で出会っているので、互いの肩書きや素性を知らないまま惹かれ合い、それを受け入れるかどうかが問題なのだ。
 靴のサイズが合ったからと云って、ただそれだけのこと。自分には財産も何もない。それでも受け入れてくれますか──と云うところで「ありのままの自分」と云うフレーズが使われていたのも最近のディズニーらしい。一貫しております。

 総じて、ケネス・ブラナー監督の手腕に文句などないのですが、本作でひとつだけ不満に思うのは、お城の外観です。
 冒頭の「ディズニー社のロゴ」がそのままリアルな映像になって、シームレスにドラマの導入になる部分で期待したのですが、後半になって登場したお城は「あのシンデレラ城」ではありませんでした。
 どうせならドイツのノイシュヴァンシュタイン城あたりでロケは……出来んか。そこをセットとCGで何とかしてもらいたかったですが、ブラナー監督のイメージはちょっと違ったようでした。残念。




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