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2015年4月30日木曜日

セッション

(Whiplash)

 デミアン・チャゼル監督及び脚本による音楽ドラマです。サンダンス映画祭(2014年)でのグランプリと観客賞を受賞し、世界的な映画祭で片っ端から受賞しまくりの傑作ですね。
 今年(2015年・第87回)のアカデミー賞でも、作品賞を始め五部門にノミネートされ、助演男優賞と編集賞、録音賞の三部門を受賞しました。確かにこれは凄いドラマでした。観ている間はギリギリと緊張しまくり。下手なサスペンス映画よりも緊張します。
 ジャズ・ドラムがここまで凄まじいものだとは存じませんでした。

 大体、音楽映画でドラムがメインの楽器になること自体、あまり例がない感じがします。ジャズバンドやジャズマンを描いた映画は数々あれど、トランペットとかサックスとかピアノなんて楽器が主に目立っていたようで、ドラムは……覚えが無い。
 かろうじて『ドラムライン』(2002年)なんてのを思い出しますが、あちらはマーチング・ドラムだし、ちょっと違いますか。
 邦画だと、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』(1957年)とか……。まぁ、あれもドラマーが主役の映画ですけどね。きっと本作の後に観ちゃうと、かなりユルユルなんでしょうねえ(失礼な)。

 本作にはデミアン・チャゼル監督の実体験が反映されているそうですが──監督志望の前はミュージシャン志望だったそうな──、「ひとつの楽器を極める」とは生半可なことでは為し得ないのだと思い知らされます。
 チャゼル監督は本作が二作目と云う新人監督ですが、第一作は日本未公開。これを機にどこかで公開されたりとかしないものか。
 脚本家としては、イライジャ・ウッドやジョン・キューザックが出演したスペインのスリラー映画『グランドピアノ/狙われた黒鍵』(2013年)などもありますが、こちらも未見(これも音楽関連の作品か)。

 名門音楽学校を舞台に、ジャズドラマーを目指す生徒と、それをシゴキまくる鬼教師の狂気と暴力に彩られた師弟関係を描くドラマです。劇中では何度もジャズバンドの練習風景が登場しますので、ジャズ好きには嬉しいのかも知れませぬが、とてもリラックスして聴いてなどいられません。
 このドラマー志望の学生役がマイルズ・テラー、鬼教師役がJ・K・シモンズです。先述のとおり、J・K・シモンズは本作でアカデミー助演男優賞を受賞しました。ゴールデングローブ賞(2015年・第72回)でも助演男優賞でしたが、もうこの人が主役でもいいんじゃないかなと思えるくらいです。

 マイルズ・テラーはニコール・キッドマンが主演した『ラビット・ホール』(2010年)が記憶に残っています。『ダイバージェント』(2014年)にも出演していましたがイマイチ目立ってはいなかったですね(〈高潔〉(キャンダー)だし)。
 一方、J・K・シモンズは個性派俳優としてあちこちに出演していますが、個人的にはサム・ライミ監督版『スパイダーマン』(2002年)シリーズでの反スパイダーマン派である新聞社の編集長役が一番印象的でした(そう云えば、あの編集長も怒鳴ってばかりの人でしたねえ)。

 劇伴としてのジャズドラムが印象的な映画と云うと、本作と同時にアカデミー賞作品賞にノミネートされていた(そして作品賞を受賞した)『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』がありましたが、先にあちらを観ておいて良かったデス。いや、『バードマン~』も、アントニオ・サンチェズのドラムが大層印象的ではあったのですが……。
 こと、ジャズドラムの演奏に於いては、本作を凌駕するものは思いつけないし、この先もなかなか現れないのではないかと思います。
 特にクライマックスの一〇分近い壮絶なドラム演奏は、鬼気迫るなんてものじゃありませんです。ここだけでも一見の価値ありでしょう。本作の白眉と呼べる場面であります。

 ところで、スポーツものの映画でも「選手と鬼コーチ」の物語なんてのはよく見かけるところですが、本作のような「師弟関係」を描いた作品もちょっと見当たらないのではないか。
 フツー、師弟関係を描くと、まずは努力とか友情とか絆とか、なんかそんなものが描かれて心温まるものになる筈なのに、本作では「師弟」とは敵同士を表す用語であったと勘違いしそうです。

 また、教育の現場に於いてよく聞かれるのは「誉めて伸ばす」と云う言葉ですが、本作はそのような言葉とは無縁です。誉めて伸びるタイプの人は、本作ではまず挫折するか、最悪の場合は死に至ることでしょう。
 それほどにシモンズ先生のシゴキは凄まじい。
 ジャズに情熱を傾けるのはいいが、それ以外のことは一顧だにしない。学生の人格など屁とも思わない教師です。到底、尊敬など出来る筈もない。実に苛烈な人です。

 本作の原題が “Whiplash” であるのも宜なるかな。
 「ウィップラッシュ」とは本来の意味は「鞭打ち」でありまして、主人公をいたぶる鬼教師のシゴキそのものを指しているようです。
 マーベル・コミックスのアメコミ映画『アイアンマン2』(2010年)に登場した、ミッキー・ローク演じる悪役の名前も〈ウィップラッシュ〉でしたが、これは電磁ムチを振り回すからで関係ないですね。

 もうひとつ、ハンク・レヴィ作曲の「ウィップラッシュ」と云う曲があります。劇中で何度も演奏される曲ですが、難易度が高そうです。ドラマー泣かせの曲なのか。
 劇中では主人公が何度も「テンポが違う!」と怒鳴られておりました。
 特訓に次ぐ特訓でスティックを握る手が擦り剥け、血が滲むどころか流血し、汗の滴がドラムの上で波紋を描くと云う描写が演奏の激しさを物語っております。

 劇中では、シモンズ先生は「第二のチャーリー・パーカーを見出すこと」を人生の目標に掲げていると語られます。まぁ、チャーリー・パーカーはサックス奏者でしたが、「偉大なジャズマン」と云う意味で使われているようです。
 そして、第二のチャーリー・パーカーは誉めて伸ばすようなヌルい指導では見出すことなど出来ないと信じている。これはもう信仰とも呼べる鋼の信念です。
 厳しすぎる指導の下に去って行く学生の中に、ひょっとしたら「第二のチャーリー・パーカー」になり得たかも知れない人材がいたのではないか、自分は将来有望なミュージシャンの芽を摘んでしまったのではないか、なんて迷いは一切、持ち合わせておりません。

 偉大なジャズマンは必ずそれを乗り越えて現れるのだと信じている。挫折したものは所詮、そこまでの人材だったのだ。諦めがいいと云うか、挫折した生徒のケアなど一ミリたりとも考えておりません。
 そして誉めてしまえば、そいつの才能はそこで止まってしまう。だからシゴくしかない。そのことを語るJ・K・シモンズの台詞が強烈でした。

 この世で最悪の言葉とは、「上出来だ( “Good Job” )」だ。

 劇中では何度かチャーリー・パーカーのエピソードも語られておりました。
 曰く、チャーリー・パーカーも最初は凡庸なミュージシャンだった。しかしある時、演奏でミスして、怒ったバンドのドラマーからシンバルを投げつけられる。これで一念発起したチャーリーは研鑽を重ねて、遂には「ザ・バード」とまで呼ばれる偉大な奏者となったのだ。
 決してチャーリー・パーカーは誉められて才能を伸ばしたのではない。貶され、逆境から自力で這い上がったのだ。

 確かに、クリント・イーストウッド監督がチャーリー・パーカーの半生を描いた映画『バード』(1988年)の中で、シンバルを投げつけられる場面があったのを思い出します。スローモーションで飛んでくるシンバルが印象的でした(かなりトラウマ的な描写だったような)。
 いや、でも、チャーリー・パーカーは偉大なジャズマンではありましたが、過剰なストレスから酒とドラッグに溺れて、三四歳の若さで夭折したのでは……。
 シモンズ先生的には、そこはスルーしても差し支えないのか。ミュージシャンが命を削って演奏するのは当たり前だろうと考えているのか。実に非情な教師です。生徒にストレス与えまくり。

 主人公マイルズ・テラーは、家庭の事情からジャズドラマーとして成功する他ない状況なので、シモンズ先生の特訓にも果敢に食い下がっていきます。実家の兄弟は全員マッチョで、ミュージシャンに理解がない家庭なので、逃げ帰ることも出来ない。根性のある奴です。
 結果、人生の全てをドラムの特訓に捧げ、ガールフレンドにも別れ話を切り出し非難されまくりですがやむを得ない。
 しかし容赦のない特訓の果てに得るものが罵声とビンタのみとは辛すぎる。

 劇中では、マイルズより以前の教え子で、シモンズ先生がかなり有望だと見込んでいた生徒が、亡くなったとの報せを受ける場面もありました。実はその生徒は過激な特訓の末に精神を病み、鬱を患い、そして自ら命を絶ったと明かされますが、シモンズ先生は生徒の才能を惜しみこそすれ、後悔はしません。ブレなさすぎる男です。
 もう、こうなってくるとシモンズ先生が求めるものは、テストパイロット達が云う「ライトスタッフ」のようなものかなとも思えます。フィリップ・カウフマン監督の『ライトスタッフ』(1983年)の原作小説の方では、「正しい資質」を持ち合わせているかいないかは死ぬまで判らないと語られておりました。テストパイロットが殉職すると、「持っていなかった」ことが判るだけで、生きているテストパイロットは常に「持っているかも知れない」だけなのだそうな。

 あまりにも過激な特訓の末に、一時的にマイルズはドラマーになる夢を絶たれ、同時に指導のやり方が問題になってシモンズ先生も解雇されるわけですが、数年後に再び再会します。しばらく音楽から遠ざかっていたマイルズですが、教職を去っても信念を持ち続けるシモンズ先生に誘われ、ジャズフェスティバルで演奏するバンドに参加することに。
 「実は一番、有望なのはキミだったのさ」なんて言葉にほだされ、ドラムの練習を再開するマイルズですが……。

 ちょっと待て。シモンズ先生がそんな優しい言葉をかけるワケないだろとか疑わないのか。
 甘い言葉に希望を持った私がバカでした。シモンズ先生は自分が解雇される原因になったマイルズへの復讐を企んでいたのであり、ジャズフェスティバルでマイルズに大恥かかせることが目的だったとは執念深い。
 たとえかつての教え子だろうと、自分の邪魔をした奴は許さない。ミュージシャンとしての芽は完膚なきまでに摘み取り、貴様の音楽人生を破壊してくれるわ。
 いや、もう師弟でも何でもないですよね、コレ。単なる私的制裁ですよね。

 ステージ上でシモンズ先生の悪意に満ちた罠を悟るマイルズですが既に手遅れ。ジャズマンとしてのデビューの可能性は完全粉砕されるかに見えたのですが……。
 ここからが圧巻。窮鼠猫を噛む。自棄になったマイルズが見せるドラム演奏の凄まじさは筆舌に尽くしがたいです。この場面は観なければ判りませんですよ。
 あまりにも凄まじいドラムの演奏に、遂に「第二のチャーリー・パーカー」が爆誕するのであった……と云うエンディング。もはや演奏こそ全てであり、その後のマイルズとシモンズ先生の関係がどうなったのかなんて疑問は吹き飛んでしまいます。

 とりあえずハッピーエンドと云えなくも無いのでしょうが……。
 私としては「第二のチャーリー・パーカー」となったマイルズが、命を磨り減らして夭折しないことを祈るばかりでございます。
 しかしチャーリー・パーカーを引き合いに出すから悲惨な印象になるのであって、ルイ・アームストロングとか、ベニー・グッドマンとかにしておけば、もう少しドラマも和んだかも(台無しだよ)。




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