しかも本作は題名通り、スーパーマンと並ぶDCコミックスの巨頭バットマンとの共演となりました。
しかしフタを開けてみると、二大巨頭以外にもDCコミックスの他のヒーローたち、ワンダーウーマン、フラッシュ、サイボーグ、アクアマンも登場しており、クロスオーバー作品〈ジャスティス・リーグ〉結成へ向けた助走が始まっているのが感じられます。
このあたりはマーベルコミックスの『アベンジャーズ』(2012年)と比べると、アプローチが逆になっていますね。
マーベルの方は、『アイアンマン』(2008年)、『インクレディブル・ハルク』(同年)、『マイティ・ソー』(2011年)、『キャプテン・アメリカ』(同年)と単体ヒーローの映画化を積み重ね、その集大成として〈アベンジャーズ〉の結成と相成ったわけで、手法としては正統的で手堅い感じです。
対するDCの方も、そうしたかったのでしょうが、『グリーン・ランタン』(2011年)はイマイチでしたし、バットマン以外はパッとしない状態が長く続いておりました。スーパーマンも一度はリブートに失敗しましたし(個人的にはブランドン・ラウスのクラーク・ケントや、ケヴィン・スペイシーのレックス・ルーサーは割と気に入っていたのですが)。
そうこうするうちにバットマンの方も、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』三部作が完結してしまい、また新たにバットマンをリブートするのは大変だなあと思っておりましたら、もう単発作品の積み重ねと云うアプローチよりも『マン・オブ・スティール』からそのままクロスオーバーへ発展させていく手法に切り替えたようです。
これが吉と出るか凶と出るのか興味深いです。かなり危うい感じがするのですが……。
本作は『マン・オブ・~』の続編にして、バットマンのリブートも兼ね、更に他のDCコミックスのヒーローたちの予告編的クロスオーバーの役目も果たさねばならず、ザック・スナイダー監督の責任は相当なものであったろうと推察されます。でも結果として、見事にその大任は果たされたようです。流石はザック・スナイダー。
この先は、まずはワンダーウーマンの単発映画化作品が控えているようで楽しみではあります。でも監督はパティ・ジェンキンスだそうな。シャーリーズ・セロン主演の『モンスター』(2003年)の監督さんですが大丈夫かな。
主演はヘンリー・カヴィルがスーパーマン/クラーク・ケント役のままであるのは良いとして、本作からのバットマン/ブルース・ウェイン役はベン・アフレックとなりました。
ベンの監督としての手腕は信じて疑わぬところでありますが、役者としてのベンは時々へっぽこになるのが玉に瑕(そこも愛すべき処か)。スーパーヒーローとしてはマーベル・コミックスのデアデビルを演じて、二〇〇三年のゴールデンラズベリー賞最低主演男優賞受賞を受賞してしまったのが忘れ難い(あの年のラジー三冠王ですからね)。
それが今度はバットマン。かなり不安ではありました。やはりクリスチャン・ベールの後釜としては苦しい。ちょっと精悍さに欠けるところもありますし。
ところがこのイメージが逆に良い方向に作用しております。本作に於けるバットマンは、少し年齢設定が上の壮年バットマン(初老と云うと行きすぎか)。独身貴族でプレイボーイとしてのブルース・ウェインではなく、責任あるビジネスマンとしての側面が強調されていて、スーパーヒーロー活動に疲れが見え始めたような年齢になっています(それでも頑張って鍛えた筋肉も披露してくれます)。
丁度、フランク・ミラー原作の『ダークナイト・リターンズ』のような感じですね。あるいはその続編『ダークナイト・ストライクス・アゲイン』のように、完全に老齢に達した爺さんのバットマンにしても良さそうに思われましたが、そんなことすればアルフレッドの出番が無くなってしまいます。
バットマン/ブルース・ウェインが登場すれば、万能執事アルフレッドにも登場してもらわねばなりません。ロビンの出番は無くてもいいが、アルフレッドは出さねばならんでしょう。
本作におけるアルフレッド役は、ジェレミー・アイアンズ。今までの歴代アルフレッドの中では、マイケル・ガフとマイケル・ケインが甲乙付け難いところでしたが、ガラリとイメージを変えてきました。実はどちらかと云うと、ベンのバットマンよりも、ジェレミー・アイアンズのアルフレッドの方に違和感を感じてしまいました。あまり執事らしくありませんデス。
イメージが変わったと云うと、もう一人いますね。スーパーマンの宿敵、レックス・ルーサーが本作でやっと登場してくれましたが、これがまた歴代ルーサーの中でも異色の存在です。
演じているのがジェシー・アイゼンバーグですからね。今までのシリーズの中ではレックス・ルーサーの方が大抵はクラーク・ケントよりも年上だったり、同年代であると云う設定もありましたが、ここまであからさまに年下の青年であると描写されたのは初めてです。しかもこれが、どう見てもマーク・ザッカーバーグがモデルであるように感じられてなりません(ちょっとエキセントリックですが)。
まぁ、ジェシー・アイゼンバーグですし、『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)のイメージが想起されるのもやむを得ないでしょうか。
だから最初は髪の毛がちゃんとあります。しかもロン毛だ。レックス・ルーサーはハゲていると云う設定は今回はスルーか……と思われましたが、ラストで見事にスキンヘッド化されました。素晴らしい。
スーパーマン側の登場人物としては前作に引き続き、ローレンス・フィッシュバーンの編集長、エイミー・アダムスのロイス・レイン、ダイアン・レインのケント夫人が登場してくれます。のみならず回想シーンではケビン・コスナーが亡きジョナサン・ケント役で顔見せしてくれたのが嬉しいデス。
その上、前作で倒されたゾッド将軍役のマイケル・シャノンにも出番がありました(主に死体役で)。実はゾッド将軍は本作でアッと驚く復活というか転生を遂げてしまうのですが、原作コミックの別のキャラとコラボするアレンジの仕方に感心してしまいました。
バットマン側の登場人物は、本作ではブルース・ウェインとアルフレッド以外に出番はありません。実は劇中ではジョーカーの存在が匂うように演出されていて、チラチラと痕跡が散見されています。
スピンオフ作品である『スーサイド・スクワッド』の公開も近いし、ジョーカー役のジャレッド・レトにも出番が欲しかったところですが、あまりゲストが多いと混乱するでしょうか。個人的にはジェシー・アイゼンバーグのレックス・ルーサーと並べて比較してみたかったところです。
まぁ、只でさえワンダーウーマンを始め、フラッシュ、サイボーグ、アクアマンの顔見せがありますから、バットマン側は抑えた方がよろしいでしょうか。おまけに劇中には「ランタン」に言及した台詞もありますし(単語だけとは云え、かなり苦しいッ)。
本作でワンダーウーマン/ダイアナ・プリンスを演じているのはガル・ガドットです。ヴィン・ディーゼル主演の『ワイルド・スピード』シリーズで準レギュラー的に出演しておりましたが、他ではあまり存じませんでした。
私の中のワンダーウーマンのイメージは、長いことリンダ・カーターでありましたが、本作のワンダーウーマンは素晴らしいデス。もう本作では主役の野郎二人を喰いまくっております。
劇中では謎めいた女性として登場し、その正体が語られないまま、クライマックスでいきなりスーパーマンとバットマンを助けに現れるという仰天展開。もうワンダーウーマンが主役でイイんじゃないカナ。
ワンダーウーマンはスーパーマン、バットマンに並ぶ〈ジャスティス・リーグ〉の中核メンバーでありますし、残りのフラッシュ、サイボーグ、アクアマンよりも扱いが大きいのも肯けますね。
劇中ではレックス・ルーサーが、スーパーマン以外にもいるらしい超人の存在を探っていると云う設定で紹介されております。
中でもジェイソン・モモアがアクアマン役だったので笑ってしまいました。
他にはフラッシュがシリーズの先を予感させる役として扱われていて楽しみデス。原作コミックスの中にあるエピソードの一つがアレンジされて本作に組み込まれていました。
即ち、光速を越えたフラッシュが時間を越えてブルース・ウェインの元に現れる、という場面。原作コミックスのエピソードを御存知ないと、ナンジャコリャな場面でありまして、かなり危ない橋を渡っているような演出でした。
劇中ではフラッシュは異なる時間線から来たことを匂わせ、危機の到来を予告するメッセンジャーの役割を担っておりました。恐らくは制作予定の『ジャスティス・リーグ』に向けた伏線だと思われますが、本作が興行的に失敗して『ジャスティス・リーグ』が製作中止になったらどうするのだろうと心配になります。
他にも本作には、バットマンがスーパーマンと敵対しているらしい荒廃した未来のヴィジョンが描かれていて──夢オチではありましたが──、本筋以外にも他作品の予告編要素がかなり盛り込まれています。
こんなに盛大に伏線と予告を打ちまくって大丈夫なのか。
また、バットマンのリブートも兼ねていますので、ブルース・ウェインの生い立ちもサラリとではあっても語られねばならないし大変です。例によって、少年時代に目の前で両親が射殺される場面や、洞窟の中でコウモリの群れに遭遇するといった場面が展開します。
おかげで本作は二時間半と云う長尺になりました。それを飽きさせずにストーリーを引っ張るザック・スナイダー監督の演出力がお見事でした。
本筋のストーリーとしては、前作のクライマックスから始まり、スーパーマンがゾッド将軍と死闘を繰り広げていた時、メトロポリスにあるウェイン・コーポレーションの支社ビルが倒壊する場面が導入として描かれます。前作では単なるビルの一つでしたが、実はウェイン・コーポレーションだったと云うのが巧い処理ですね。
そして社員からも犠牲者になる者が出てしまい、ブルース・ウェインはスーパーマンを敵視するようになると云う流れです。
監督も同じだし、脚本もデヴィッド・S・ゴイヤー、音楽もハンス・ジマーと、同じ顔触れが続投しておりますので世界観がちゃんと統一されています。
前作では、災害並みの破壊を繰り広げたスーパーマンに対する世間の見方は冷たく、まったく歓迎されずにスーパーマンは姿を隠し続けるというエンディングでしたが(一応、クラーク・ケントとしてデイリープラネット社に入社しますけど)、人々から怖れられながらも人命救助活動を止めることはしなかったと描かれ、一部からは神の如く敬われていたりします。本人の意思とは関係なく、巨大な記念碑も建立されています。
どうにも極端な扱われ方ですが、現実にこんな超人がいたら神様扱いされてしまうか、排斥の対象となるかの二者択一なんでしょうねえ。
劇中では「人は理解出来ないものを怖れる」と語られておりますが、その一方では「民主主義とは対話を重ねて互いの行動を尊重することだ」と云う台詞もあります。
何とか地球人と和解したいと望むスーパーマンですが、影で悪事を働き、それをスーパーマンの仕業に見せかけるという陰謀が進行していたりして、なかなか誤解を解くことが出来ないでおります。
当然、その陰謀の黒幕はレックス・ルーサーだったりするわけで、劇中では政府に取り入ってゾッド将軍の遺体やクリプトン星の宇宙船を解析したりしております。もう悪事は不動産絡みに限定されないようで、新しいルーサー像ですがちょっと寂しいデス。
またバットマンはバットマンで、その苛烈な犯罪者狩りが報道されて批判を呼んだりしていて、ブルースとクラークが互いに反感を抱いてしまうのは避けられない。
〈ジャスティス・リーグ〉を結成し、無二の親友となるまでにはまだまだ紆余曲折があるようです。まぁ、親友同士の出会いは最悪なものだったという方がドラマチックではありますが、本作の流れだとライバル関係のままになりそうな。
それでもなかなか直接対決には至りませぬが、バットマンの活動に都合の悪いものを感じたルーサーが、人質を盾にスーパーマンを脅迫して対決を強制する展開になりました。
この辺りの展開はフランク・ミラー原作の『ダークナイト・ストライクス・アゲイン』をアレンジしていますね。バットマンの方も対スーパーマン用の重厚なアーマー装備で挑みます。
二大巨頭激突の戦闘シーンはなかなか燃えるものがありますが、対決がスーパーマンの本意では無かったと知ったバットマンが矛を収めて和解に至ります。このとき、両者の母親の名前が同じ「マーサ」であったと云うのが巧い処理の仕方ですね(これは偶然か)。
劇中では養母マーサ・ケントがバットマンを見て「息子にもケープ友達が出来た」と喜ぶシーンが笑えました。やはりヒーロー衣装にケープは不可欠なのか。
本作は、原作コミックスの幾つかのエピソードを組み合わせてアレンジしながら進行していきますが、クライマックスに『スーパーマンの最期』が持ってこられていたので、ちょっとタマゲました。ザック・スナイダー監督、出し惜しみしない人ですね。
「無敵のスーパーマンが死ぬ」と云うショッキングな結末ではありますが、色々あってちゃんと復活するのは判っているので──案の定、ラストシーンで復活を匂わせる描写も見られましたし──、〈ジャスティス・リーグ〉結成まではこの路線で頑張って戴きたいところです。
本作でようやくDCコミックス作品の映画化も、クロスオーバー展開に向けて弾みがつき始めたようなので、一安心といったところですね。
きっとそのうち、他のヒーローたちの単体主演映画も製作されることでしょう。今度こそグリーンランタンも失速することなく〈ジャスティス・リーグ〉のメンバーになれる日が来ることを願っております(実はバットマンとグリーンランタンのいがみ合う関係が割と好きなので)。
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