もうジェラルド・バトラーが十字架片手に神の御名を唱えつつ、御心に沿わぬ不届き者どもをバリバリと撃ち殺して裁きまくっていく──ような映画ではなかったですね。全然。
いや。でも、まったく見当外れでもなかったか。確かにジェラルド・バトラーがAK-47を撃ちまくる場面はありますし。ロケット弾もぶっ放しますし。情け容赦ないのもその通りですし……。
これは実話に基づく物語。
かつては家庭を顧みず、酒とドラッグに溺れていた荒くれ者が改心し、やがてアフリカのスーダンで人道支援に戦い続けるようになる。男の名はサム・チルダース。実在の人物です。
このサム・チルダース役を演じているのが、ジェラルド・バトラー。
ミシェル・モナハンがサムの奥さんを演じています。ミシェルはこのところ『ミッション : 8ミニッツ』(2011年)とか『ミッション : インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(同年)とかで、よくお見かけいたします。
監督はマーク・フォースター。『チョコレート』(2001年)や『ネバーランド』(2004年)なんかとは、まるで作風が異なりますねえ。『007/慰めの報酬』(2008年)以来、アクション監督に目覚めてしまったのか。確か次回作はゾンビ映画だとも云うし。
冒頭は、二〇〇三年の南部スーダンから。武装勢力がある村に夜襲をかける。繰り広げられる虐殺の地獄絵図。成人は問答無用に皆殺し。そして子供達を兵隊として徴兵していく。
一人の少年に向かって、手始めに家族を殺せと強制する様はあまりに惨い。
本作で描かれる残虐行為は、LRA(神の抵抗軍 “Lord's Resistance Army”)と呼ばれる組織によって行われています。スーダンの南に隣接するウガンダの反政府武装勢力で、コンゴの東部、北部ウガンダ、南部スーダン一帯で活動しており、子供を拉致して、強制的に少年兵に仕立てるという非人道的な犯罪で、国際的にも非難を浴びているそうな。
さて、物語はスーダンでの虐殺に遡ること数年前、サムが刑務所から出所するところから始まります。もちろんこの時点で改心の様子は微塵もない。
しかし服役中に奥さんの方は随分と変わってしまった。もう場末の酒場でストリップなどしない。真っ当な食品加工工場で働いている。奥さんは敬虔なキリスト教徒になっていたのだ。
当初は妻と娘が教会に出かけても無関心だったサムは、あるとき人を殺しかけてしまう。飲酒と麻薬の恐ろしさにようやく気がついたサムは遂に教会に足を運び、洗礼を受ける。
実話なので、異を唱えても仕方ないこととは思いますが……。
そんなことで改心しちゃうのか、と拍子抜けしました。いや、もっと悪党だったのでは。序盤のジェラルドの演技が凄みに溢れていただけに、そんな簡単に善人になってしまうのは如何なものかと思うのですが、敬虔なキリスト教徒の方はこれで納得するんですかね。
この物語の中で唯一、違和感を覚えるところです(ジェラルドの演技がヤリスギだったのか)。
まぁ、サムが善人化してからが本題なので、いつまでもワルでいるわけにはいきません。
教会の説教でアフリカの惨状を知り、自分も何かしたくなる。最初は数週間だけの予定でウガンダへ行き、難民用の住宅建設ボランティアとして働くサムだったが、何か物足りない。ここで知り合うのが休暇中のSPLA(スーダン人民解放軍)の兵士達。サムは彼らに頼み込んでスーダンに越境させてもらう。
SPLAはスーダンで南部住民の為に戦っている。内戦の続くスーダンは、北部のアラブ系イスラム教徒が、南部の黒人非アラブ系キリスト教徒を弾圧するという、宗教と民族の対立が入り交じった様相を呈しており、そこにLRAまで絡んでくるので、ナニがナニやらという感じデス。
難民キャンプの惨状を目の当たりにしたサムはショックを受けて帰国する。
しばらく悶々としていたサムは地元ペンシルベニアに教会を建設することを思い立つ。そして自らが牧師となって説教し始め、寄付を集める。そんなに簡単に牧師になれるものなのかと疑問に思うのデスが、そこはスルーです。無資格でも牧師を名乗ることは出来るのですかね。
更に定職に就いた稼ぎで、スーダンに孤児院建設を思い立つ。
最初のうちは困難を克服しながら、人道支援に邁進するサムの姿が共感を呼びます。
LRAの焼き討ちで孤児院が灰燼に帰しても、奥さんから「これは試練なのよ。負けないで」と励ましを受けて、サムは頑張り続ける。何の後ろ盾も無い個人の活動というのが立派です。
かくして、アメリカとアフリカを定期的に行き来しながら、サムの支援活動は続いていく。
序盤で小さな女の子だった娘さんも成長していることで、時の流れが感じられます。
立場上、SPLAと一緒に行動することが多いので、当然のことながらLRAとの戦闘にも巻き込まれていく。ごく自然に撃たれるから撃ち返すという流れで、機関銃をバリバリ撃ちまくるサム。他の人道支援団体から非難されても、反省なし。このあたりのサムの姿勢は、犯罪者だった頃の名残が感じられます。こういうのも昔取った杵柄と云うのか。
でもこれ、暴力に対して暴力で応えていますよ。『未来を生きる君たちへ』と真逆のことをやっているのですが、サムは迷わないし、疑問も感じません。現場では悩んでいる暇なんか無いと云うのは判りますが。
そして「LRAを狩る白人牧師」として有名になり、付いた仇名が「マシンガン・プリーチャー」。
あるときLRAの少年兵にさせられた子供達を助け出すが、この中にいた一人が、冒頭で母親殺しを強制された男の子だった。何とか力になってやりたいと思うサムだが、少年の心は頑なに閉ざされていた……。
武闘的人道支援という独自路線を歩みながらSPLAからは信頼を受け、LRAからは賞金首に指定されるサムであったが、この頃から支援活動に曇りが生じ始める。どこまで支援しても終わりが無いと云う泥沼にはまっているワケです。どんなに頑張っても全員は助けられない。
しかし犠牲になって死んでしまう子供達の姿はやりきれない。
子供達を助ける為には、もっと資金が必要だ。
サムの活動は次第に熱に浮かされたようになっていく。最初は周囲から共感を得ていた活動も、あまりに狂信的で強引な言動に反発されるようになっていく。友人を失い、家庭もまた崩壊の瀬戸際(またか)。私財を投げ打つにも限度があります。
このあたりのジェラルド・バトラーの鬼気迫る熱演には狂気すら感じます。
思うにこの極端な性格に問題があるのでは。荒くれだった頃も妻子を顧みず、今また同じ過ちを犯そうとしているのに気が付いていない。
理想と現実のギャップから次第に怒りっぽくなり、孤児院経営も巧くいかず、SPLAの兵士からも「もう君にはついて行けない」とまで云われてしまう。
完全に行き詰まるサムであったが、そのとき初めてあの少年兵がサムに語りかけてくる。
「憎しみに囚われてはダメだ。心を奪われてはヤツらの勝ちだよ」
憑き物が落ちたように正気に返るサム。
再び謙虚な姿勢を取り戻し、子供達とSPLAの兵士達も彼の元に戻ってくる。
だが戦いは終わらない。LRAは未だ健在であり、サム・チルダースは今もなお戦い続けていると云う。
エンド・クレジットでは、本物のサムの写真やインタビュー映像が流れます。また、奥さんや娘さん、さらにSPLAの兵士まで、ちゃんとモデルになった人達が紹介されます。
インタビューに応えるサム・チルダースの言葉が印象深かったです。
「正当化する為に言い訳はしないよ。だが想像してほしい。もし強盗が、あるいはテロリストが、あんたの愛する家族を誘拐したとしたら。そして私があんたの御家族を助け出すと約束したとしたら。あんたはその方法を気にしたりするものかね?」
いやまあ……。そうなったら如何なる手段を用いても、まったく構いませんけどね。
でも、目的の為に手段を正当化させすぎるのも如何なものか。本音と建前の板挟みデス。
● 余談
二〇一一年七月、住民投票の末に、スーダン共和国の南部一〇州が、「南スーダン」として分離独立しました。確か国連のPKO活動で日本の自衛隊もここに派遣される筈ですが(既に第一次隊は派遣されたのか)、こんな物騒なとこに行くのか。大丈夫なのか、自衛隊。
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