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2013年8月10日土曜日

ローン・レンジャー

(The Lone Ranger)

 白馬シルバーを駆る仮面のガンマン、ローン・レンジャー。懐かしいと云うか、また古風なヒーローが復活したものデス。あまりに古すぎて、イマドキに合わせてリファイン出来るのか心配でしたが、ブラッカイマー印の大作映画として見事に復活を果たしたようです。
 製作者ジェリー・ブラッカイマー以下、スタッフのほとんどが『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのメンバーで構成されているので──ジョニー・デップも出演しておりますし、音楽もハンス・ジマーですし──、興行成績が良ければ三部作化も夢では無いような。

 さすがに古すぎて私も元ネタのTVシリーズは記憶に残っておりません。白黒画面の時代ですしね。
 しかも更にルーツを辿れば、三〇年代のラジオドラマに行き着くわけで、そこからコミック化、TVドラマ化とメディア展開されていき(当時はそんな言葉は無かったか)、もはや私が物心ついたときには、元ネタのドラマよりもパロディの方が有名になっていたように記憶しております。
 あの「ウィリアム・テル序曲」のオープニングテーマや、「ハイヨー、シルバー!」の掛け声とか、「インディアン嘘つかない」なんて台詞も、何かのパロディとして先に覚え、それからそのルーツが『ローン・レンジャー』なるドラマにあると知った次第デス。
 友人を意味する「キモサベ」なる用語も、随分と久しぶりに聞きました。

 『ローン・レンジャー』はTVドラマ以外にも、映画化されてもいますが、覚えてないデス。
 一度、八〇年代に復活しようとして、失敗したらしいと云うことは、ゴールデンラズベリー賞の歴史を見ていく過程で知りました。なんと創設されて間もない頃の、第二回目のゴールデンラズベリー賞(1981年)受賞作が、そのリメイク版『ローン・レンジャー』でした。日本未公開とは残念。その頃なら、公開されていれば観ていただろうに……。
 八〇年代の『ローン・レンジャー』は、最低主演男優賞、新人賞、作曲賞受賞と云う、かなりのダメっぷりであったことが察せられます。うーむ。ジョン・バリーが音楽を担当していたそうなのに、何としたことか。
 是非、観てみたいものですが、DVD化もされていないか。

 さて、そんな化石のような代物を、酔狂にも二一世紀になってもう一度復活させようと企んだのが、大物プロデューサー、ジェリー・ブラッカイマー。監督はゴア・ヴァービンスキー。
 さすがデキるプロデューサーは目の付けどころが違うと云うべきなのか、下手な鉄砲も数打ちゃ当たると云うべきなのか。『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』(2010年)とか、『魔法使いの弟子』(同年)はイマイチ当たらなかったようですが、今度は大丈夫なのか。
 ジョニー・デップがいるから大丈夫か。

 結論から申し上げると、この二一世紀のリメイク版『ローン・レンジャー』は、かなり面白い仕上がりになりました。アクションもド派手ですし、全力で中身の無いエンタメ作品を体現してくれております。
 当初、ジョニー・デップが出演すると聞いたときは、主役かと思いましたが、トント役でした。
 ジョニー・デップが「インディアン嘘つかない」とか云うのか(結局、その台詞はありませんでしたけどね)。デップは先住民の血も引いているそうですし、問題なしか。
 しかし、またしてもジョニー・デップが強烈白塗りのキテレツ・メイクであるのは何としたことか。もはやこの人は素顔で映画に出る方が珍しいですねえ。

 本来の主役であるローン・レンジャー役は、アーミー・ハマー。うーむ。まぁ、無難なイケメンですねえ。
 アーミー・ハマーと云うと、『J.エドガー』(2011年)でのトルソン副長官役の強烈老けメイクや、『白雪姫と鏡の女王』(2012年)の脳天気な王子様役が印象的ですが、今度はマトモなヒーロー役です。逆に、マトモすぎるくらい。
 本作に於いては、ローン・レンジャーが融通の利かない真面目な堅物であると描かれており、相棒のトントの方がエキセントリックで、キャラクターの対比が効いています。

 おかげで案の定、ローン・レンジャーよりもトントの方が目立っています。もうこれは、「バットマン」の映画を観に行ったらロビンの方が活躍しているだとか、「シャーロック・ホームズ」なのにワトスン博士の方が目立っているようなものです。
 ここまで相棒の方が目立って良いのか。ジョニー・デップだから許されるのか。
 したがいまして、ほぼ全編「お堅くて、真面目で、正義一直線」なローン・レンジャーが、ちょっと間抜けに見えてしまい、それが笑いを誘う演出になっています。先住民のトントからは「バカな白人だ」と呆れられている。
 現代的にリメイクするなら、こちらの方が良いでしょうか。元のシリーズのように先住民を愚かに描くと人種差別的な問題が発生しますし、ディズニー作品ではそれは許されませんですね。時代の流れを感じます。

 ストーリー全体は、年老いたトントが過去を回想するという形式で進行します。
 まずは一九三三年(元ネタのラジオドラマが始まった年ですね)。金門橋もまだ建設途中なサンフランシスコに、開拓時代の西部を見世物にする「ワイルド・ウェスト・ショー」がやって来る。
 そこで年老いた先住民の男が、一人の少年に語り始める物語が、本編であると云う趣向です。この老先住民がトント。
 「本当に、あのトントなの?」と疑われるくらいのジョニー・デップの老けメイクが笑えます。そして語りが始まると、時代も六〇年ほど遡って、一八六九年のテキサスに。

 ストーリーの進行は、途中で何度か中断しては、老トントの語りに戻ってきます。かなりの年寄りなので記憶もあやふやで、聞き手の少年がいちいちツッコミを入れてしまう。ツッ込まれると、物語の中のジョニー・デップがカメラ目線でこちらを振り返るというメタ演出が楽しいデス。
 この「ところどころ中断したり、前後したり、端折ったりする」演出が、実は伏線になっていて、ラストでひとつに繋がるようになるのが見事でした。
 序盤、明らかに「ローン・レンジャーはそんなことしないよ」とツッ込まれたところが、実は理由があって、トントのホラ話では無いと明かされるのが巧い。
 でも多少、御都合主義的な展開があるのも御愛敬で、都合の悪いところは老トントが耄碌している所為ですね。個人的には、「トントの牢破りの経緯」が是非、知りたいところです。

 本作はシリーズの第一作的な位置づけですので、ヒーローものの例に漏れず、普通の男性だったアーミー・ハマーが、悪党に殺され、先住民の信仰する神秘のパワーでスピリチュアルに生き返るといった、「ヒーローになるまでの経緯」が前半に描かれています。
 そして「死んだと思われているなら、正体は隠しておけ。マスクを付けるのだ」とのトントの助言に従い、ローン・レンジャーになるのですが……。
 なかなかアーミー・ハマーがローン・レンジャーにならないので、ちょっとモタモタしている感は否めません。だから老トントの語りも時系列的では無く、流れを前後させて、先にローン・レンジャーになった姿を先行して見せてくれたりしているのだろうと察せられ、脚本上の苦労が偲ばれます。

 本作はかなり丁寧に設定を説明してくれます。やはり元ネタが古すぎるからですかね。
 脱獄した悪党を追跡していたテキサス・レンジャーのメンバーが全員返り討ちに遭い、その中で只一人、息を吹き返したので「ローン(孤独な)・レンジャー」を名乗ることになる経緯や、白馬の名前も本編の事件の経緯から、ラストで「シルバーと名付けよう」と云う流れになる。
 ストーリーが一件落着したとき、最後にローン・レンジャーのスタイルが完成するという趣向になっています。

 しかし中盤過ぎるまでの展開も、クライマックスのアクションが見事なので、観終わった後はさほど気になりません。むしろクライマックスのアクションで爆発する為に、抑えに抑えていたようにも感じられます。
 己が信じる正義に裏切られ、法律を逆手にとって好き放題する悪党共にしてやられ、「奴等が法の側に立っているのなら、俺はそちら側には付きたくない。むしろ無法でいい」と腹を括るまでが、ちょっと長い。
 けれどそこからが全力疾走のクライマックス。遂に自分の意思でマスクを付け、白馬を駆って悪党共の陰謀を阻止する為に駆けつける。
 ここで初めて高らかに鳴り響く「ウィリアム・テル序曲」が実に印象的です。ハンス・ジマーの編曲もお見事。

 開拓時代の鉄道建設が背景に描かれているので、走る列車を馬で追跡すると云う、実に古典的なアクション展開ですが、ダイナミックな演出でアドレナリンが沸きまくり。
 多少、「そんなに複雑な線路が敷かれているのかよ」とツッ込みたくなりますが、エキサイティングな演出の為なのです。不自然に線路が曲がりくねっていたり、意味なく複線化したりしていても気にしてはいけません、キモサベ。
 ついでに「覚悟を決めただけで、いきなり銃の名手になるのも不自然なのでは」なんてことも口にしてはいけません、キモサベ。

 本作はクライマックスだけでなく、序盤にも壮絶な列車アクションが描かれておりまして、どちらも迫力ある場面になっています。CGの威力が遺憾なく発揮されております。
 脱線した車両から放り出されながら九死に一生を得る場面もCG合成あっての演出です。
 思い起こせば、クライマックスで機関車が突っ込んでくる西部劇が昔もありましたですねえ。ジョン・スタージェス監督で、クリント・イーストウッドが主演した『シノーラ』(1972年)。
 今観ると、ホントに機関車が脱線して突っ込んでくる場面は、のんびりしたものです。そんな西部劇の列車アクションの進化の果てに本作があるのかと思うと、隔世の感があります(イーストウドはカッコ良かったデスが)。

 悪党達の野望を挫き、愛する女性を救って一件落着。しかしヒーローはそのまま去って行くのが、お約束です。
 最後にまた老トントの語りに戻ってきますが、その後、彼らがどうなったのかは判りません。本作の興行成績が良くて、続編が製作された暁には、きっとまた語られることでしょう。ちょっと煙に巻かれたようなエンディングでした。
 老トント自身が既に大西部の精霊と化しているのか(ちょっとボケてますが)。

 本作で難を付けるとすれば、主人公達ではなく、ゲスト扱いのヘレナ・ボナム=カーターです。いや、もっと本筋に絡んでくれるのかと期待していたのですが、基本的に野郎ばかりが活躍する映画になってしまい、あまり女性キャラが目立たなかったのが残念と云えば残念デス。
 ヘレナ・ボナム=カーターは予告編での扱いが素晴らしかったので、きっと「西部の『プラネット・テラー in グラインドハウス』(2007年)のように活躍してくれるのか」とも期待していたのですが……。
 そこだけが画竜点睛を欠きますデス。続編では是非、再登場して戴きたい。
 それからちゃんとジョニー・デップには「インディアン嘘つかない」と云わせて下さい。




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