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2012年2月19日日曜日

TIME/タイム

(In Time)

 すべての人間は二五歳で成長が止まり、時間が通貨として使用される未来──。
 文字通りの「時は金なり」が適用され、時間本位制が確立された世界。格差社会に於いて搾取されるのは「時間=自分の寿命そのもの」である。まさに究極の搾取が行われている。
 監督・脚本は『ガタカ』(1997年)のアンドリュー・ニコル。『シモーヌ』(2002年)も『ロード・オブ・ウォー』(2005年)も好きな作品です。SF映画のベストテンを選べと云われたら、今でもその中に『ガタカ』を入れるでしょう。
 が。
 今回ばかりは如何なものか。寓意に溢れた設定であるのはいいのですが、設定が目を引くだけで、あまりSFらしくない。まぁ、『ガタカ』も、その「あまりSFらしくない」描写が却って新鮮だったりしたワケですが、本作はちょっとソレが悪い方に転がってしまったような気がします。
 先に個人的評価を下してしまうと、残念ながら「中の下」くらいの出来だと云わざるを得ません(ちょっと厳しいか。「中の中」くらいにしておこうか)。

 主演はジャスティン・ティンバーレイクとアマンダ・サイフリッド。
 ジャスティンは『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)に企業家の役で出演していましたが、他の出演作はイマイチ観ておりません。ブリトニー・スピアーズとか、キャメロン・ディアスの元カレであることの方が有名のような。
 アマンダは近年、『ジュリエットからの手紙』(2010年)、『親愛なるきみへ』(同年)、『赤ずきん』(2011年)と、どんどん売れているようで目出度いデス。本作のように恋愛モノ以外にももっと出演していただきたい。
 加えてキリアン・マーフィー、オリヴィア・ワイルド、マット・ボマー、アレックス・ペティファー等が共演しております。
 設定上、二五歳以上の外見はあり得ないので、若い俳優さんばかりですね(笑)。

 冒頭、ジャスティンのナレーションでざっと基本設定を説明してくれます。
 老化が完全に克服された未来。人々は自分の寿命をデジタル表示する時計を体内に仕込まれている。誰もが腕に光るデジタル表示で、残りの寿命を知り、日々の糧や光熱費の支払い等をここから差し引いている。
 破産は死を意味する。残高ゼロになるとき、強制的に死が訪れる。
 路地裏には日々、体内時計(ボディ・クロック)がゼロになった行き倒れが転がっている。
 ただでさえ秒刻みで寿命が縮んでいくのが判るのもイヤな感じデスが、支払いの都度にすり減らしていくのも怖い。「コーヒー一杯で五分」は高すぎだ。

 寿命を延ばすには働くしかない。給料もまた時間で支払われる。つまり日当が二四時間以下だと、早晩、死が訪れるという過酷な世界。二五歳を過ぎてからの貧しい者は、元手がたったの二三時間。
 更に一攫千金を狙って、アームレスリングのような「バトル」で、寿命をやりとりする賭けが流行っているので、尚のこと早死にする者が続出している。
 その一方で、体内時計の残り時間を延長し続ければ、理論上は不死が約束される。裕福な者の平均寿命は一〇〇歳以上。
 貧富の差によって地域は厳密に分割され、各「タイムゾーン」間の交流は事実上不可能に仕組まれている。ディストピアの設定としては素晴らしいと思いマス。

 貧しい労働者階級のジャスティンは、あるとき自殺志願の富豪(マット・ボマー)の命を救ったことで一〇〇年以上の時間を譲渡され、トラブルに巻き込まれていく。
 時間を奪ったり奪われたりで、余命数分な状態となり、延命の為に友人の家まで走って行く、という描写がアクション・ゲームのタイム・アタックのようでした。
 また、オリヴィア・ワイルドがジャスティンのお母さん役だったり、大富豪の義母・妻・娘が見た目が同世代だったりするという描写も、なかなか面白いです。

 総じて、基本設定から生じる様々な描写については、よく考えられています。
 「裕福な者は走らない」のに、つい癖で走ってしまい、出身がバレるとか。
 事故に遭わなければ理論上、死なないので、富裕ゾーンの者は、押し並べて臆病だったり。
 海水浴も溺れることが怖くて誰もやりたがらないと云うのには笑ってしまいました。
 確かに「いつでも出来る」のだから「今する必要も無い」という理屈は判ります。だから倦怠に見舞われるのでしょうが。

 さて一応、富豪マットが死ぬ前に説明してくれるのですが、時間本位制は「死ななくなった人間を、否応なく死ぬようにする」為の措置であると云う。人口過密に陥った地球を救う手段として採用されたらしい。物価と税金の額を上げて人口を調節する仕組みなのであるという。

 古いSF者なので『2300年未来への旅』(1976年)なんてのを思い浮かべてしまいます。「人口調節の為の強制的な死」とか、「腕に光るタイマー」というのも発想が似ているような。
 あるいは不老不死が実現した社会として『未来惑星ザルドス』(1974年)とか。
 はたまたミヒャエル・エンデの『モモ』の時間泥棒も連想されますね。
 「寿命から時間を差し引いて死をもたらす」という設定も、ハーラン・エリスンのSF小説『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』の一場面を観ているようです。
 ──と、思ったら案の定、ハーラン・エリスンに訴えられているようですが、映画が公開されたと云うことは和解が成立したんですかね?
 本作は基本的には面白い映画だと思うのデスが、却ってその為に難癖付けてしまいます。

 例えば、マット・ボマー演じる富豪ですが、一〇〇年生きたくらいで倦怠に取り憑かれて死を選ぼうとするものですかね。そこまで長生きしたことないので判りませんが、もっとSFらしく二〇〇~三〇〇年くらいは生きてもらいたいところです。流行りのバンパイア・ムービーでも四〇〇年生きてる連中がザラにいるんだし……。まぁ、設定の匙加減については、ニコル監督の趣味の世界でしょうが。

 また、主人公がディストピア体制に反抗するという物語は大変、結構であるし、そうでなくてはイカンと思うのデスが、この物語はその結末まで描ききっていないのが不満です。
 いや、もっと世界がドカーンと変わってしまうくらいのシステム破壊が行われるのかと思っていたので。
 『サロゲート』(2009年)でブルース・ウィリスが、後先考えずシステムのスイッチを切ってしまったようなことを、本作でもジャスティンがやってくれるのかなぁと期待したのですが。
 もう全人類の腕から、ボディ・クロックの表示が消えてしまうところまでやってくれるのかと。
 システム崩壊と同時に、人は全て本来の年齢に戻ってしまい、人の時間を奪って若さを保っていた連中は軒並み、一気に老け込んだり、一足飛びに白骨化し、富裕層は全滅し、労働者階級は解放される──くらいのところまで描いていただきたかったデス。
 CGも使って豪快に。開き直ったB級映画並みに。

 その代わりにジャスティンとアマンダは、人々に「時間を開放する」為に、銀行を襲い始める。
 奪った大金(時間)を庶民にバラ撒く義賊となるワケですが、なんか『俺たちに明日はない』(1967年)を彷彿といたしました。インタビュー記事でも「ボニーとクライド」に言及されていたので、確信犯的にオマージュを捧げているのでしょうが……。
 本当にそんなので体制が崩壊するのかと、甚だ疑問に思えます。一応、劇中では「体制崩壊も時間の問題」と云われたりしてましたけど。
 ニコル監督は「本作をSF映画と考えてはおらず、現実から離れすぎない描写にしたかった」旨の発言をされておりましたが、たった二人が拳銃武装しただけで、大銀行を襲撃するというラストの方が現実離れしているのでは。

 もうひとつ云ってしまうと、ジャスティンの父親について、なにやら仄めかされていた件については、途中で忘れ去られてしまったように思われます。
 かつて富裕層の中にも、体制を批判する者がおり、志半ばにして追放されたという事件があって、ジャスティンがその男に似ていると言及されます。ジャスティンの父親は彼が少年の頃に死んでおり、詳しい経歴は語られていない。
 「君は自分の父親を覚えているかね?」とも訊かれるし、当然、そのあたりについても、もっと明らかになると思ったのデスが、匂わせるだけでスルーされました。
 キリアン・マーフィがジャスティンを追跡する〈時間監視局(タイム・キーパー)〉として登場し、敵ながらクールでカッコいいのになあ。

 設定が魅力的なだけに、もうちょっと何とかならなかったのか。
 いつものニコル監督らしからぬ残念な出来映えだと云わざるを得ませんデス。


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