またか。またこんな「よくあるパターン」の恋愛モノを。
何故、観てしまうのだ俺(文句垂れるならスルーすればいいのに)。
それにケイト・ハドソンはイマイチ私の好みではありませんデス。『NINE』(2009年)での「シネマ・イタリアーノ」の熱唱は素晴らしかったし、『キラー・インサイド・ミー』(2010年)も観たかったのですが……。
しかし競演する俳優が、私の好みです。
ガエル・ガルシア・ベルナルに、キャシー・ベイツに、ウーピー・ゴールドバーグですよ。これは気の迷いを起こしても仕方ないよね。
さて本作の主人公ケイト・ハドソンは、ルイジアナ州ニューオーリンズの広告代理店に勤めるバリバリのキャリア・ウーマン。仕事中毒で恋する暇もない。
物語の舞台がニューオーリンズというのが、ちょっと興味深い。てっきりもうちょっと大都会が舞台なのかと思っていました。NYとかLAとか。
一応、ニューオーリンズであることに理由があるのですが、それはおいおい判ってきます。
三〇代の女性がバリバリ働くのは結構なことですが、最近、体調が思わしくなく、やむなく健康診断にかかる。
その際に受けた問診で、「血便が出たことは?」と問われて素直に「はい」と答えるシーンにちょっと驚きました。自覚症状が出ていたのに、医者に掛からなかったですと? おいおい。
結果、もう末期の大腸癌で余命半年と宣告される。なんと云うか、早期発見・早期治療のチャンスをみすみす逃している主人公の生活態度に呆れました。自分の身体のことなのに、そこまで放置できるものなのか。
主人公が難病に罹るというのが物語の大前提ではありますけどね。必然とは云え、なんか御都合主義を感じます。
ケイトの担当医になるのが、ガエル・ガルシア・ベルナル。『モーターサイクル・ダイヤリーズ』以来、気に入っております。『ブラインドネス』や『ジュリエットからの手紙』のように、ヒゲ面の方がラテン野郎ぽくて好みなのですが、本作のガエルくんは設定上、生真面目で大人しい優等生的ドクターなので仕方ないか。
娘の癌告知にオロオロするケイトの母親役が、キャシー・ベイツ。久々にフツーのオバちゃんの役ですねえ。
介護だ何だと世話を焼きたがって娘から煙たがられるという図は、『50/50 フィフティ・フィフティ』と同じですね。妙に構われて窒息しそうだという患者の気持ちも判りますが。
そして特別出演がウーピー・ゴールドバーグ。これが実に福々しい。
なんせ神様の役ですから、尚のこと。
ケイトの夢の中に現れて、ニコニコと「神様よ」と自己紹介します。この天国のイメージが実にオーソドックスと云うか、ベタな表現。ドライアイス的スモークの中に白いソファを置いて、白いドレス姿のウーピーが微笑みながら座っている。
しかしこの神様、ニコニコ微笑みながらひどい告知をしてくれます。
「あのね。貴方、癌でもうじき死ぬから。準備してね」
ウーピー直々にこんなこと云われちゃ、もう諦める他ないのか。
目が覚めると病院にいて、ガエル医師の検査が終わったところ。夢かと思いきや、ガエル医師はウーピー神と同じ事を告知する。正夢だったのだ。
そこから治療と平行して、ガエル医師と次第に親しくなっていくという展開。
物語は、予期しなかった人生の終わりに直面した主人公が苦悩と葛藤の果てに、悟りの境地に辿り着くというか、諦観と共に運命を受け入れるようになるまでを描こうという趣向。
いわゆる「苦悩の五段階」というヤツが、脚本上に現れているように思われました。
即ち「否定」、「怒り」、「交渉」、「絶望」、「肯定」という五段階。これは『オール・ザット・ジャズ』(1979年)を観て初めて知ったのですが。
主人公の心境の変化が、この五段階を順調に(?)経過していくように描かれています。
最初は否定し──「私がガンだなんて何かの間違いよ!」
次に怒り──「なんで私がガンなのよ! 世の中不公平だわ!」
第三段階がちょっと省略されていたような。小説の方はどうなんですかね。ニコール・カッセル監督自身の名前が作者になっている小説『神様がくれた最後の恋』は翻訳されて書店に並んでおりましたが(メディアワークスのMF文庫)、手に取ってまで確認しておりません。
原作小説と云うよりも、ノベライズ小説なのか。
そして絶望。気遣ってくれる友人達にも、両親にも、酷い態度をとる。酔っ払ってバカなことをして、サイテーな振る舞いに及ぶ。嫌われて当然です。
紆余曲折の末、全てを受け入れて穏やかな境地に達する。友人達とも和解できますが、もはや本人が諦観してしまうと、逆に周囲がオロオロし始めるのがオモシロ哀しい。
奇を衒った展開でない分、丁寧に演出しているなあという感じがしました。
ニコール・カッセル監督は将来有望な女性監督でありますね。
たまにファンタジックな展開が挿入されるのも特徴的か。
実はケイトは、ウーピー神から「若死にする分、三つの願いを叶えてあげる」と云われていたのです(笑)。
冗談だと思って「百万ドル」と「空を飛ぶこと」を挙げてみると……。
職場で掛けた団体保険の適用が認められて保険金が下りちゃったり、ラジオ番組の懸賞で「一日ハングライダー体験飛行」に当選したりする。
悲劇的な展開より、ユーモラスな展開の方が印象的な作品です。
小人症の俳優ピーター・ディンクレイジが意外な場面で登場してくれたのも面白い。原題の「小さな幸せ(“A little bit of Heaven”)」と云うのは、彼の異名のことだというのがちょっと笑えました。
そして神様に願う三番目の願いは、もちろん「運命の人」。乙女チックですね。
「心を開いて素直になるのが怖かった。本気になって傷つくのが死ぬより怖かった」と告白しますが、もはや怖いものは何もない。
最後には寝たきりとなったケイトの元に、恋人であるガエル医師や、和解した友人、両親が入れ替わり訪れ、枕元で本を朗読してくれる(もはや自分で読むことが出来ない)と云う図に、感じ入りました。残り少ない僅かな時間を穏やかに過ごせるというのは幸せなことです。
そして臨終と葬儀。
遺言により、葬儀は明るく楽しく執り行われる。これは『永遠の僕たち』でも描かれていましたが、本作の方がずっと派手でパーティ感覚です。
なんせ舞台がニューオーリンズですから。
葬儀もルイ・アームストロング式のジャズ・フューネラルですよ。
ラストシーンに限らず、全編にわたって随所に演奏されるジャズもなかなかいい感じです。サントラCDは聴きモノかも。
公園の一角でにぎやかにジャズバンドが演奏しながらの葬儀を、神様とケイトがふたりして離れたところから眺めているというのもユーモラスで洒落ていました。
哀しくて、お涙頂戴だけの「難病もの」ではなかったという点は、評価したいです 。
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