2012年1月1日日曜日

善き人

(GOOD)

 二〇〇八年製作の英独合作映画です。なんか公開までに間が空いていますねえ。もっと早く公開できぬものか。それとも公開してくれるだけ有り難いと云うべきなんでしょうか。
 舞台はヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が台頭著しいドイツ。不穏な社会情勢において、善人であろうと苦悩する平凡な男を描いた物語です。背景設定が特殊な状況ではありますが、普遍的なテーマである重厚な作品です。
 元はイギリスの劇作家C・P・テイラーの遺作となった戯曲であるとか。初演は一九八一年。映画化までに二〇年以上が経過しているワケですが、やはり名作なんですかね。米国の権威ある総合誌ナショナル・レビューが選ぶ「二〇世紀ベストの舞台劇一〇〇本」のひとつにカウントされているそうですから。
 監督はこれが長編二作目となるヴィンセンテ・アモリン監督。

 主演はヴィゴ・モーテンセン。ベルリンで教鞭を執る文学教授であり、善き人であろうとする平凡な男。
 病身の母(ジェマ・ジョーンズ)と、精神不安定な妻(アナスタシア・ヒル)と、子供二人を抱えて、家事と介護と講義に追われる忙しい身です。冒頭の家の中の様子が、てんてこ舞いで笑ってしまいました。こりゃ平時であっても大変だろう。
 しかし本人は何となくそれを楽しんでいるかのようでもあります。どちらかというと、一番煩わしいのは義父が勧める「ナチスへの入党」を断り続けることか。

 時期的にヴィゴは『イースタン・プロミス』(2007年)と『ザ・ロード』(2009年)の間に本作に出演していたワケですか(間には『アパルーサの決闘』もありました)。
 他の共演はジェイソン・アイザックスや、マーク・ストロング。
 ジェイソン・アイザックスと云えば、『ハリポタ』のルシウス・マルフォイ役が一番、印象的ですが、本作ではユダヤ人の精神科医という役であり、別人のような面持ちです。ルシウス役のメイクに見慣れてしまった所為だ。ルシウスの格好がデフォルトになっているので、『グリーン・ゾーン』を観ても別人に思えてしまいます。こりゃイカン(汗)。
 『ハリポタ』と云えば、もう一人。
 母役のジェマ・ジョーンズは、ホグワーツの校医マダム・ポンフリーだった方ですね。

 さて、一九三七年のベルリン。大学で文学の講義をするヴィゴですが、学問の世界に対するナチスの介入は日に日に激しくなっていく。非ドイツ的とされる好ましからざる書籍が、キャンパスに積み上げられていく。
 『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』でも観たとおりに焚書になるんだろうなあ。
 更にヴィゴの講義では、プルーストを取り上げているが、これにも講義中断命令が。
 プルーストと云えば『失われた時を求めて』が有名な、二〇世紀を代表する作家ですが、フランス人の筈なのに母親がユダヤ人だというので「非ドイツ的」な著作にされている。
 まったくバカげたことですが、抗議も許されない雰囲気。そのうちナチスに入党していない講師は解雇されるだろうとも警告される。

 あとにして思えば、一時的に大学から解雇されても信念を貫くべきだったのでしょうが、扶養家族と母の介護という現実を抱えていては、それも難しい。
 加えてある日突然、総統官邸から呼び出しがかかる。
 ヴィゴを呼び出したのはナチスの検閲委員長(これが強面のマーク・ストロング)。
 どうやらヴィゴの著作が総統閣下に気に入られてしまったらしい。

 問題となる著作とは、不治の病を抱えた患者に対する「人道的な死」は容認されるべきという内容の小説。現代で云うところの尊厳死とか安楽死というものでしょうか。何となく母の介護をモデルにしたような小説であることが察せられます。ストレス発散の為の余技に書いたようなフィクションに、ナチスが関心を寄せるとは。
 検閲委員長は、これを小説ではなく、骨子だけ抜き出した論文に仕立てあげろと云う。
 その後のナチスの所業を知っている側としては、「人道的な死」が何に利用されようとしているのか、容易く推測できてしまいます。いずれ実行に移す政策に理論武装したかったのか。
 総統官邸ではゲッベルスにも紹介され、ヴィゴの小説の映画化まで約束される。

 金銭的な理由から承諾するヴィゴですが、悪魔に魂を売る瞬間てのは、自覚できないものなんですかねえ。何となくヤバいことに足を突っ込んでいると判っていても、抜き差しならない。
 もう自動的にナチス入党まで決定してしまう。
 このあたりからヴィゴの生活環境が変わり始めます。一見、好転しているようですが……。
 大学の講義で知り合った教え子(ジョディ・ウィッテカー)に言い寄られ、そのまま愛人にしてしまい、とうとう奥さんとは別居。母親の介護は人に任せ、自分は愛人と同棲。大学では学部長への就任も決まる。
 今まで苦労してきたんだから、多少の楽は許されるだろう的なヴィゴの態度からは、以前のような善良な印象が消えていきます。堕落が始まっているのだ。
 親友だったユダヤ人精神科医からは軽蔑されても、大して痛痒を感じない。

 なんとなく「ゆでガエル理論」というのを連想してしまいました。
 最初から熱いお湯に入れると驚いて飛び跳ねるカエルも、常温の水に入れて徐々に熱していくとその水温に慣れていく。そして熱湯になったときには、もはや跳躍する力を失い飛び上がることができずにゆで上がってしまうと云う理論(実際は疑似科学的作り話ですが)。

 翌年の一九三八年、ヴィゴは遂に奥さんとは離婚し、愛人と再婚。ナチス党内ではコンサルタントとして出世し、親衛隊大尉となっていた。
 堕落した社会で成功を望めば、自分も堕落するしかないのか。
 いい気になって暮らしているうちに、世間ではユダヤ人への弾圧はますます厳しくなっていくのに気が付かない。友人はもはや精神科医を開業することが出来なくなっていると云うのに。
 とうとう友人は国外脱出を目論むものの、既に旅券の取得は不可能に近い。もっと早い段階で亡命すれば良かったのにと悔やんでも後の祭り。
 実は物語の序盤で一度、ユダヤ人は国を出るべきかという話題になったが「俺はドイツ人だ」とヴィゴの提案を突っぱねる場面があります。
 ここでもまた「ゆでガエル理論」を思い出しました。
 結局、ヴィゴもジェイソンも、どちらも愚かなゆでガエルなのか。人間は皆そうか。

 恥を忍んでヴィゴにすがるジェイソンに対して、何もしてやれないヴィゴ。
 今更、無力であることを謝ってもどうしようもない。
 加えて、人任せにしていたヴィゴの母親が、孤独な闘病生活に疲れて自殺を図り、そのまま他界してしまう。自分の生活を満喫し、母の介護を顧みなかった報いですね。母の最後の生活がどれほど酷いものだったのか知って激しく後悔しても、これも後の祭り。
 「すべてを捨てて、人生の新たなスタートを切る」ことの意味がこれか。
 妻と子供を捨て、母を亡くし、友人も助けてやれない。
 そうこうするうちにパリで、ドイツ大使館員がユダヤ人青年に暗殺される事件が起きる。そして始まる反ユダヤ主義大暴動。かの有名な「水晶の夜(クリスタルナハト)」。
 それでも暴動の夜、友を救う為に決死の覚悟で旅券を手に入れるあたり、「やれば出来るじゃないか」とヴィゴを誉めてあげたいが、すべては手遅れだった……。

 そして四年が経過した一九四二年。親衛隊幹部にまでなったヴィゴは、ユダヤ人収容所の視察を命じられる。その命令を利用して、ジェイソンの消息を突き止めようとするヴィゴ。
 こういうときには几帳面なドイツ人の資質が役に立ちますね。何もかも記録しているゲシュタポのデータ保管庫と、検索装置の性能の高さにちょっと感心してしまいました。さすがドイツ。
 ドイツのデータ検索能力は世界一ィィィ!(マジで一九四二年当時にこのシステムは凄い)
 ついでに四年前の夜に本当は何があったのかまで全部判ってしまう。ヴィゴにとってはますます悔やまれる結果に……。

 やっとジェイソンの居所を突き止めたヴィゴは、急いで目的の収容所に飛ぶが、そこで目にする悲惨な光景。自分の書いた「人道的な死」の論文の行き着く果てがこんな収容所とは、あまりにも惨い。あまりにも非人道的。
 なんとか親友を見つけ出すものの、もはやかつての面影はない。やせ衰え、目は虚ろで、過酷な環境に人格は破壊されてしまったかに見える。ヴィゴが駆け寄ってもまったくの無反応。
 呆然とするヴィゴ。自責の念から、現実的な感覚が失われていく。聞こえてくる音楽は幻聴なのか……。
 劇中ではマーラーの交響曲が効果的に使われておりました(マーラーもまたユダヤ人)。

 目を逸らして、何もしないこと自体が罪になると云うのも厳しい。善人であろうとしても、ついつい長いものに巻かれてしまう人間の弱さが描かれておりました。うーむ。救いがない。


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