2011年12月1日木曜日

ホーボー・ウィズ・ショットガン

(HOBO with a SHOTGUN)

 「ホーボー」とは放浪者。季節の移り変わりと共に働きながら北米大陸各地を移動していく「渡り鳥労働者」を指す呼び名であります。
 ホーボーの登場する映画として記憶に残っているのは、『北国の帝王』(1973年)とか 『ウディ・ガスリー/我が心のふるさと』(1976年)だったりするわけですが、本作はそのような印象深く崇高な映画とは無縁です(別の意味で印象深いか)。
 日本にも日活の無国籍アクション映画がありましたね。小林旭の〈渡り鳥シリーズ〉。
 日活に準えて云うなら、本作はさしずめ『散弾銃を持った渡り鳥』と云うところでしょうか。
 ただし、ルトガー・ハウアーは小林旭のように颯爽とはしておりません。第一、小林旭は季節労働者じゃないし(でも風来坊って、基本は無職なのでは……)。
 それにしても今の御時世にホーボーなんて存在するのですか。「ホームレス」と言い換えられているのかな?

 ともあれ主演は、あのルトガー・ハウアー!
 まず何をおいても、我が心の金字塔『ブレードランナー』。そして『ヒッチャー』。
 あとは……『レディ・ホーク』と『ブラインド・フューリー』。近年では『バットマン・ビギンズ』にも出演されていたのが、思い浮かぶのですが、これからはこの『ホーボー・ウィズ・ショットガン』が代表作ベスト3にカウントされることでしょう。俺的に(笑)。

 もうナンと云いますかね。
 グラインドハウスですよ。
 悪趣味な映画デス。下品、低俗、低予算と見事に三拍子そろってます。意味なく人が死ぬ。切断。血飛沫。サイケな色調の画面。エロエロなお姉ちゃんが意味なく脱ぐし。
 当然、R18+。よい子は観ちゃダメ。
 もう音楽からして七〇年代の低予算B級映画全開。これで画面にそれらしいスクラッチでも入れれば、本当に当時のグラインドハウス映画になったでしょうが、イマドキはそのような加工の方が予算を喰うか。
 もともとは例のタランティーノとロドリゲスによる『グラインドハウス』のプロモーション企画として行われたフェイク予告編コンテストの優勝作であるそうな。
 先に予告編だけ作って、優勝したので本編が製作されたワケですね。

 監督のジェイソン・アイズナーはカナダの人なので、これはカナダ映画。
 昔からグログロな映画を撮らせるとカナダの方がアメリカよりエゲツない作品になると云われておりましたが、これもまたそうですねえ。
 それをまたルトガー・ハウアー主演で撮ろうとは、いい度胸しているというか、何でも云ってみるものだなぁと感じ入りました。ルトガー・ハウアーも、よくこの企画に乗ってくれたものです(こういう映画が好きなのか?)。
 こうして観ると、本作は今までの〈グラインドハウス〉シリーズ諸作──『デス・プルーフ』、『プラネット・テラー』、『マチェーテ』──にも負けていないと云うか、グロでエゲツない点では一番突き抜けているように思えます。
 一番、スプラッタ。

 しかし「悪趣味な」という条件を、血まみれ描写だけでクリアするのは、ちょっと安直な気がしないでは無いデス。とにかく人がバンバン死ぬ映画を撮れば、それなりに悪趣味にはなりますからねえ。
 直接的でショッキングな場面を避けながらグラインドハウスものを撮るのは、実は結構、難しいのではないかと思ったりして。
 そう考えると、タランティーノの『デス・プルーフ』って、なかなか巧く作られていますねえ。

 さて、この『ホーボー・ウィズ・ショットガン』でありますが、筋書きなんてのは、あって無きが如しなのは云うまでもないでしょう。
 ある街にひとりのホーボーがやって来る(名前は無い。最後までホーボーのまま)。
 そこは邪悪な権力者が好き放題に支配する暴力と悪徳の街だった。
 逆らう者には死あるのみ。
 逆らわなくても面白半分に殺される。
 警察は頼りにならない──と云うか、警察署長からして仲間になっている。
 あるとき、ひとりの売春婦が暴行されかけたところを、流れ者のホーボーが助けたことから、ホーボーと悪党一味との戦いは始まる。報復が報復を呼び、次第にエスカレート。
 無関係な街の住民まで巻き込む非道に、ホーボーの堪忍袋の緒が切れる。

 燃えよホーボー! 怒りの弾丸をダニ共にブチ込め!

 ──と云う、ポスターの惹句そのままの、すンごくありがちで、どパターンな物語デス。
 ミもフタも無いと云うか、ヒネリなし。
 登場人物もありがちと云うか、画に描いたような悪党ばっかり。
 残酷な有力者ドレイクと、その無軌道な息子達。途中で敵側に雇われて現れる凄腕の殺し屋──いや、殺し屋と云うか、始末屋と云うか、なんだかよく判らない殺戮業者の人なんですケド──に至るまで、リアリティの欠片も無い。素晴らしいデスね。
 場所も時代もよく判りません。判る必要ナッシング。

 悪党の中では、ドレイク役であるブライアン・ダウニーの演技が突き抜けているのが印象的でした。人を殺すことをいちいちショーアップしないと気が済まないひと。野次馬というかギャラリーに向かってペラペラと口上を述べ立て、エキサイトしまくりの独演会状態。
 なんとなくイッちゃったジャック・ニコルソンのようです。
 それから雇われた殺戮業者の人もよく判りませんねえ。全身フルアーマー状態で素顔が判らない殺し屋ですが、見境なしに殺していくターミネーター(のような人)。もう人間じゃないよ。ワイヤーを射出する「首吊り銃」がなかなか面白いギミックでした。
 雇われただけなので、ホーボーと最終決着を付けないのがチト不満です。

 全編にわたって残酷描写がテンコ盛り。
 芝刈り機でザクザクとか。カミソリ・バットでザックリとか。火炎放射器と電撃もありますよ。
 観る者の神経を逆撫でするような残酷描写が次から次へ出てくるので、これは一種の「フォークト=カンプフ検査」なのかと疑ってしまいました(ルトガー・ハウアーがいる所為か)。

 ところどころ良心的な──取って付けたような(笑)──テーマらしい台詞があるのも御愛敬(案外、本気なのか)。
 ベッドが無いだけで人を差別するな。路上で寝るのは、ストリートがそのひとのベッドだからだ。ホームレスには家が無いんじゃない。街全体が彼らの家なんだ。彼らの家に、我々がいるのだ。だからホームレスをもっと敬え。
 そして家の中が汚れていたら掃除をするだろう。この家には大掃除が必要だ!

 また、病院の新生児室で寝ている赤ん坊達を眺めながら、ルトガー・ハウアーが未来の子供達に祈るように語りかける場面も良い感じです(ここだけは俗悪B級映画とは思えません)。
 いずれお前達も暴力をふるい、注射針を使い回して麻薬を打つだろう。それが悪いことだと誰も教えてくれないからだ。断じてそんな社会にしてはならん……。

 演出方針がもう少しシリアスであれば、ルトガー・ハウアーも起用したことだし、チャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』みたいに出来たかも知れませんが、アイズナー監督にそんなつもりはサラサラ無かったみたいですね。
 これは次回作も楽しみな新人監督です(笑)。


● 余談
 劇場では薄っぺらなパンフレットを販売しておりましたが、パンフを作ってくれるだけ良心的か。『マチェーテ』は作ってくれなかったしな。
 こうなるとロブ・ゾンビには『ナチ親衛隊の狼女』を、イーライ・ロスには『感謝祭』を、どうでも製作して戴かねばなりますまい。シリーズ全作揃えてあげるから、ちゃんと作ってね。


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