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2011年11月30日水曜日

フェイク・クライム

(Henry's Crime)

 キアヌ・リーブス主演のユーモア・タッチの犯罪サスペンス映画なのですが、コメディと云うほど笑える物語ではありません。ビミョーな小品といったところでしょうか。
 それにしてもこの邦題。キアヌ主演作品には「フェイク~」と付けるのが慣例化したのか?

 表題にもある「ヘンリー」とは主人公の名前。
 無気力無感動な主人公をキアヌ・リーブスがヌボーッと演じております。
 目的も無く惰性で生きているような男が、あるとき利用されて銀行強盗の片棒を担がされるハメになるのですが、これがまた要領が悪くて、何もしないうちに自分だけ逮捕されてしまうというドジっぷり。そしてそのまま塀の中に。
 刑務所でキアヌと同房になるベテラン犯罪者のオヤジが、ジェームズ・カーン。お懐かしい。
 ここでのカーンは、元詐欺師という愉快な人物を好演しております。この映画は半分以上、カーンが支えていると云っても過言ではありますまい。
 馬が合うのか、服役中にカーンは色々とキアヌに教えを垂れていく。

 「本当の罪ってのはな、夢を果たさないことだ」

 一年後、キアヌは仮釈放されて出所。でもやりたいことは何もない。
 なんとなく「思い出の銀行(笑)」の前に佇んでいると……ヒロインとの衝撃的な出会いが待ち受けていた(素晴らしく衝撃的な出会いデス)。
 ヴェラ・ファーミガは『ミッション:8ミニッツ』で女性オペレータ役でしたね。本作では銀行の隣に建っている劇場に所属する売れない女優の役。

 それが縁となり、偶然に「禁酒法時代、劇場の地下に秘密の酒場があって、その昔は密造酒を隣の銀行の地下金庫に隠していた」という逸話を知る。
 そのトンネルは出入口だけ塞がれたが、まだ残っているらしい……。
 今でも銀行の地下に秘密のトンネルが存在していると知ったキアヌは、突如として「自分がやりたいこと」に気がつく。
 そうだ。僕がやりたいのは銀行強盗だ。

 自分は欺されて強盗の片棒を担がされた挙げ句、「やってもいない罪」で服役したのだ。
 これは「刑期の前払い」も同然である。
 ならば、その刑期に見合った犯罪を、あとから実行して何が悪い。

 とは云うものの、自分は犯罪の素人。プロの手助けが必要だ。キアヌは刑務所でのんびり暮らしているカーンに面会に行って助力を仰ぐ。半ば強引にカーンを仮釈放させて、計画に巻き込んでしまう。
 人間、目的が定まると受け身では無くなるようですね。

 かくしてベテランとド素人のコンビによる、銀行強盗計画が進行していく。信条は、荒事にはしないこと。
 トンネルを使って銀行の地下金庫から、ごっそりと現金を戴こうという、なんとも古風な計画。
 キアヌの思いつきに過ぎない計画に、ベテランのカーンが肉付けしていく過程がなかなか面白いです。正確な金庫の位置、トンネルの出口は劇場の何処か、細かい点を詐欺師ならではの話術で、関係者から聞き出していく。
 その間にもキアヌとヴェラの関係は次第に発展していく。
 ヴェラの稽古に付き合って台本読みをするキアヌ。自分でも気がつかなかったが、役者の才能があるらしい。

 ヴェラが稽古している演劇の演しものは、ロシアの劇作家チェーホフの『桜の園』。
 ヴェラは主役ラネーフスカヤ夫人の役。
 劇場側のトンネルの出口は、『桜の園』でロパーヒン役の役者にあてがわれている楽屋の個室に通じている。となれば、キアヌを本当の役者にして、ロパーヒンを演じさせれば個室を独占できる。ここで詐欺師の腕を存分に発揮し、ロパーヒン役の俳優が稽古から抜けてしまうように仕向けるカーン。
 急遽代役を立てねばならなくなり頭をかきむしる演出家に、キアヌを売り込むと……。
 なんとキアヌは見事、オーディションに合格してしまった。

 このあたりからキアヌが急激に精彩を放ち始めるのが面白いデス。前半の朴念仁演技の単調さから、打って変わって生き生きと演劇に打込み始めるキアヌ。
 キアヌが舞台で稽古している間、楽屋に自由に出入りできるようになったカーンがトンネルを使える状態に整備していく段取りですが、もはやキアヌは強盗計画よりも舞台の稽古の方が楽しくなっていく。ヴェラとの演技の息もぴったりで、まさに俳優は天職だったのだ……。

 計画が進行していくうちに、メンバーも増え、計画の詳細も詰められていくものの、芝居の方にのめり込んでいくキアヌには、もはや強盗と芝居のどちらが「本当にやりたいこと」なのか判らなくなっていた。
 そして計画実行に絶好のチャンスが訪れるが、その決行日は『桜の園』の初演の日だった。

 ネタとしてはそこそこ面白い物語だと思いますが、テンポが悪いような気がします。
 前半のキアヌの演じる主人公が、本当に無気力無感動な男なので、ドラマが退屈です。勿論、わざと退屈にしているのでしょうが、後半になってキアヌが生き生きとしてくるまでが長い。
 対比が効いてくることを計算しているのでしょうが、短気な観客なら、後半に差し掛かる前に「つまらん」とか云って、観るのを止めてしまうのではないかと思えます。
 もうちょっと笑える部分があっても良さそうなものだとも感じました。

 それから脚本がちょっと予定調和ぽい。
 仲間を増やさないと人手が足りず、二人だけでは無理だというのは理解できますが、仲間になるかどうか判らない相手に、素直に計画を打ち明けるという展開はやはりマズいでしょう。
 でもキアヌはヴェラにあっさり打ち明けてしまう。
 当然、ヴェラも協力者になりはしますが、素人だとしてもキアヌは迂闊です。そんな間の抜けた主人公には感情移入できません。
 あまりにもキアヌの演技が見事なのか、本当に「空気のような男」になってしまって、応援しようと云う気にならない。これは演出のミスでしょう。
 その分、ジェームズ・カーンが楽しそうに演じていますけどね。

 劇中劇である『桜の園』と同時進行していく展開は、なかなか面白いのですが。
 強盗計画もさしたる障害もなく──ちょっとしたアクシデントはあるものの──、成功してしまう。
 この映画のクライマックスは、銀行強盗そのものではなく、キアヌが奪った大金と共に逃げ出して舞台を台無しにするのか、それとも逮捕される危険を冒して舞台を継続するのかという二者択一を迫られる部分なのでしょう。
 最初は舞台よりも強盗の方を選んだので、ヴェラとは喧嘩してしまうし。

 結局、ラストでカーンに別れを告げ、ひとりで劇場に駆け戻るキアヌ。
 ヴェラはキアヌが戻ってくるとは思っていなかったので、開いた口が塞がらない。
 客席から舞台に乱入するや、芝居もナニも全部無視してヴェラに愛を告白する。でも衣装がそのままなので、観客の方はいきなりロパーヒンが戻ってきてラネーフスカヤ夫人に語りかけているように見えるというのがお笑いです。
 アドリブでロパーヒンを演じながら、ヴェラに自分の気持ちを打ち明ける。
 当然、『桜の園』はそんな物語ではありません。舞台の袖では演出家が唖然としているのですが、観客の方は斬新な演出だと評価している。
 ロパーヒンがラネーフスカヤ夫人に熱烈に愛を告白する『桜の園』。
 アントン・チェーホフも仰天の展開でしょう。
 でもアメリカ人って、本当にハッピーエンドが好きなんですねえ。もう原作がどうであれ、とにかくハッピーに終わるならそれで良しと云うか、なんかウケてますよ?

 総じて犯罪ドラマとしてはイマイチ──可も不可も無い──と云わざるを得ませんです。
 その後のキアヌとヴェラがどうなったのかとか、舞台は成功しても銀行強盗が露見すれば(金庫室の床に大穴空けたままだし)即逮捕は目に見えているのに、どうするつもりなのかとか、なんか色々なものを投げっ放しで終わってしまう展開も、如何なものかと思うのですがねえ。
 とりあえずジェームズ・カーンの元気な姿を確認できたのでいいか。
 ドラマの脚本はイマイチでしたが、音楽はジャズでブルースでなかなかイイ感じだったので、尚のこと惜しいです。


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