一方でJ.J.エイブラムス版『E.T.』(1982年)とも云われておりましたが。
まずは導入部の演出が巧い。出だしから引き込まれてしまいました。
とある製鋼所の無事故記録更新の看板がリセットされる。観ている側は、それだけで何か良からぬ事故が起こったのだと判る。
次に、黒いスーツを着てしょんぼりしている少年。雪の積もる風景で季節を暗示し、寂寥感も倍増。台詞が無くても、事故で家族の誰かが亡くなったのだと判る。実に見事な演出です。
親族らしい弔問客らの会話で、亡くなったのが少年の母親であり、父子家庭になったことが明かされる。
更に、場違いな弔問客らしい男がやってくるが、これがまたけんもほろろに追い返される。ああ、事故の原因となったヤツなんだなと察しが付いてしまう。ここで父親の職業が警官(保安官補)であることまでも説明してしまう。
始まって五分と経たないうちに状況説明を済ませる見事な演出です。
ちなみに、この映画にはナレーションなんて一切ありません。この導入部はもう満点でしょう。
本筋はそこから四ヶ月後。夏休みが始まるところから。
時代背景は七〇年代。スリーマイル島の原発事故が報道されているから一九七九年か。
新学期に開催されるらしい映画祭に出品する自主製作映画を撮影する少年達。低予算ゾンビ映画というのがいいですね。
どこにでもありそうなアメリカの小さな田舎町(オハイオ州か)。街並みの描写が実にスピルバーグ的で嬉しくなります。実に懐かしい感じがする。そりゃ製作がスピルバーグだからでしょうが、エイブラムスのリスペクトの腕前も見事なものです。
もう至るところ『E.T.』だったり『グーニーズ』(1985年)だったり。『スタンド・バイ・ミー』(1986年)的でもあるか。
自主製作映画にしては凝った撮影をしている。監督兼脚本のチャールズ(ライリー・グリフィス)は将来、有望な監督になることでしょう。その場で思いついては脚本に手を加えるので、友達から文句つけられるが我が道を行く姿勢を崩さない。
仲間の中には、やたらと爆発シーンを入れたがる火薬マニアもいる。こいつも将来有望な特撮マンになるでしょう。常に花火を持ち歩いているアブないヤツですが、これが後で役に立つという見え見えの伏線が実に楽しい。
模型造りが趣味の主人公ジョー(ジョエル・コートニー)は、塗装の腕を買われてメイク係である。ゾンビメイクもお手のものか。
そして主演女優のアリス(エル・ファニング)。『SOMEWHERE』(2010年)のときから実に可愛らしい。ゾンビメイクをしていても可愛い。可愛いよエルたん。
さて、勝手に駅舎を使って深夜のゲリラ撮影を敢行しているときに列車事故に遭遇するという、大事件が発生。この列車の脱線、転覆シーンは凄い迫力です。音響も凄い。
事故原因は、列車とトラックの衝突。トラックを運転していたのは自分達の学校の先生だった。しかも事故は偶然ではなく、先生の確信犯的行為だったという謎めいた展開。
実は先生は学校に赴任してくる以前に、軍のとある研究施設に在籍していたのだった。
そして放り出したまま、回しっ放しにしていたカメラは、ナニを写していたのか……。
エリア51から空軍が極秘に輸送しようとしていた謎の貨物。内側から破壊されたコンテナ。
その日を境に、町には奇妙な事件が頻発し始める。
町から犬の姿が消え、家電製品や自動車の部品が大量に盗難される。断続的に発生する停電。深夜パトロール中の保安官の失踪。
もう王道を行くかのようなジュブナイルSFですねえ。
あまりにも鉄板な展開で、意外なオチは無い。
だからもう予想どおり、すべては「逃げ出したエイリアン」の仕業なのである。他にどんな選択肢があるというのか。
失踪した保安官に代わって事件に対処するのは、保安官補である主人公の父親(カイル・チャンドラー)。母親が亡くなってから親子関係がギクシャクしている上に、町の怪事件に軍隊が介入してくる。公私にわたり大変なパパには御同情申し上げるが、やはり息子さんとはもっと話し合わなくちゃ……。
これまたすぐに判ることですが、エルたんの父親(ロン・エルダード)が冒頭に登場した「追い出された弔問客」。つまり「あの男さえしっかりしていれば妻は死なずに済んだのに」という思いが頭を離れず、ついつい息子に「あいつの娘とは付き合うな」と理不尽なことを云ってしまう。
お気持ちは判りますが、お父さん、そりゃあんまりデス。
ミステリアスな事件、軍の陰謀、もつれた親子の感情、小さな恋の物語、少年達の友情、更に撮影中の自主製作映画。様々な要素が絡まり合って進行していくドラマ。奇を衒ったような展開は一切無いのに、実に面白いです。
さすが二一世紀の『E.T.』ですなあ。
但し『E.T.』と違って、このエイリアンは結構、凶暴です(理由はちゃんとある)。しかもデカい上に、なかなか姿を見せない。
『クローバーフィールド』(2008年)と同じく、怪獣映画の基本を忠実に守って、エイリアンの姿ははっきり映らない。どんな姿をしているのか、最後にならないと判らない。そこにいるのに、よく見えないという演出がしつこく繰り返される。
観ている側としては、実にもどかしい。それがまた楽しいのですが。
大筋に於いて、この映画は良くできているし、楽しいし、特撮も見事です。
クライマックスでは軍隊も出動し、ドンパチが始まり、大騒動へと発展していく流れも巧い。ドラマが盛り上がっていくのは宜しいのですが……。
でもまぁ、ちょっと云いたくなるところも無きにしも非ず。
ぶっちゃけ、少年達とエイリアンの関係が薄い。
別に友情物語にしろと云うわけではありませぬが、もう少し何か関係を持たせて貰いたかった。最後の最後で一回、御対面して終わりにしないで……。
あと、エイリアンが「人間を食べる」のは、ちょっとやり過ぎでしょう。そこまで凶暴にしなくてもいいじゃなイカ。侵略しに来たワケでもなし。そりゃ軍の研究施設でヒドい目に遭ってきたと云うのは判りますが、人食いエイリアンではちょっと感情移入し辛いのですが。
もうちょっと友好的なエイリアンには出来なかったのだろうか。
結局、この映画で大事なのは親子の絆が回復し、双方の父親が和解し、人間同士の関係が修復されるというところであって、人間とエイリアンの関係は二の次なのである。そこが残念。
だからラストの宇宙船の発進シーンには、特別に感動するような要素がない。ただ単に凄いものが飛んでいく、というだけ。
ジョーの母親の形見が、エイリアンの宇宙船の一部となることに、それほど必然を感じなかったりして。ジョーがどのような想いを託したのか、イマイチ伝わらない。
このあたりがスピルバーグとエイブラムスの違いということなのでしょうかねえ。
少し想像していたものとは違ったなぁ。画竜点睛を欠いたか。
ところで少年達が撮影していた自主製作ゾンビ映画がその後どうなったのかと云うと……。
エンドクレジットでちゃんと全部編集された完全版を見ることが出来ます。列車の脱線シーンはミニチュア特撮。効果音はアカペラか!
チャールズは何とか全てのフィルムを回収できたらしい。本編よりこっちの方が面白いのでは(笑)。
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