知人から薦められなければ、観に行かなかったでしょう(多分)。
なんというか、ここまでミニシアター系と云うか、文芸作品な映画を観たのは久しぶりな感じがする。
だから、どういう映画なのかと訊かれても非常に答えづらい。
筋立てらしいものが無い(と思われる)。但し、好きな人にはたまらないテイストなのだろうという雰囲気は漂っていましたね。一種、独特の雰囲気というか。
なんとなくデヴィッド・リンチのたゆたうような感じに似ていなくもない。
説明過剰な邦画やTVドラマを見慣れている人ほど、何がなんだかワケ判らんでしょう。それほどにシンプルで、簡潔で、説明セリフの無い作品。
劇的に盛り上げる音楽とかもない。実に静かだ。
私も最初は、主演のスティーヴン・ドーフ演じるマルコがどういう男なのかよく判りませんでした。仕事らしい仕事もせずに、ダラダラ暮らしいている。女遊びが激しい。ホテルに宿泊していると云うか、ホテル暮らしなのだ。あまり身なりはパッとしないが、それなりにモテるらしい。車もフェラーリだし、セレブなのか?
やがてマルコが有名映画俳優であることが判る。ダラダラしているのは、ひとつの出演作の撮影が終わってオフを過ごしているからなのだった。
ホテルにストリッパー(ではなくてポール・ダンサー)のデリバリーを頼んだりしている。そんなデリバリーがあるということ自体、知らなかったが(笑)。
そこへ突然、可愛い女の子が訪ねてくる。
実に可愛い。未成年なのにいいのか──と思ったら、娘だった。アイス・スケートとかのレッスンに送り迎えするのだが、どうも最近は娘と会っていなかったらしい。
やっとマルコがバツイチで、娘は離婚した奥さんの方に親権があるのだと判ってくる。しかし元妻はしばらく娘を預かってくれと伝言してくる。事情はよく判らない。そもそも過去の経緯なんか説明しないのである。
なんかよく判らないままに娘とのホテル暮らしが始まる。数日後にはサマーキャンプに連れていってあげねばならないが、自分の方にも仕事がある。
出演作品がイタリアで何か受賞したらしいので、受賞式典にプロデューサー達と出席しなければならない。やむを得ず娘を一緒にイタリアに連れていく。
うーむ。
どうにも淡々として、どうでもいいような短いエピソードの積み重ねが別に絡み合うでもなく、ずーっと続くのである。
ところが不思議なことに、私は眠くならなかった(爆)。
いや、大抵こういう静かでツマンネー映画を観てしまうと寝ちゃったりするんですよ。最近ではそれも甚だしくなってきて、たとえアクション映画でも、場合によっては展開がタルかったりするとウトウトし始め、それを我慢するのにツライ思いをしたりするのですが……。
不思議だ。ずーっと観ていられた。
ひとつには娘役のエル・ファニングちゃんが超可愛いというのがある。
まあ、うちのムスメだって十一歳になれば、こんな風に可愛くなりますがね(その筈だ)。
この子はダコタ・ファニングの妹だったのかッ。美少女姉妹か。『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』でヒロインの幼少時代を演じていた、あの娘か。
ダコたんの妹だから、エルたんですね。
で、このエルたんの演技が実にさりげない。
パパと一緒に暮らすのは楽しいが、パパが知らない女の人と仲良くすることに違和感を感じている。というか、楽しくないのである。当然だ。
しかし映画俳優──しかも世界的に人気があるらしい──である上に、離婚してフリーなのであるから、尚のこと女の出入りも激しい。食事をするときにパパと二人きりではなくて、知らない女も一緒に同席する。このときのエルたんのつまんなさそうな様子。
パパはもっと空気読めよ!
しかもあからさまに不満を表明するのではなく、ダダもこねず、静かに我慢している。これは萌えるッ。
いやもう、エルたんを観る為にもう一度、劇場に足を運んでもいい。DVDも買おう(爆)。
そしてサマーキャンプが始まる日が来るが、車が故障して一日延期。この娘と過ごすたゆたうような日常描写。
事件らしい事件なんて一切、起こらないのですが。
それでもとうとうサマーキャンプへ送らねばならなくなったところで、娘が静かに涙をこぼす。
「ママはいつ帰ってくるの? パパは忙しくていつも会えないのが寂しいよ」
この映画で唯一、感情が迸る場面ですね。
娘を泣かすなど、父親として恥を知れ(まぁ、私も人のことはそうキツく云えぬが)。
なんとか娘をキャンプに送り出し、ホテルに帰ってきたはいいが、元の生活のなんと空虚なこと。食事も一人ではさっぱり美味くない。
いつもなら、また意味のないパーティや女遊びで気を紛らわすのだろうが、そんなことをする気力もない。
とうとう弱音を吐くマルコ。
「俺は空っぽだ」
たった数日、娘と過ごしただけで、すべてが変わってしまった。
翌日、マルコは住み慣れたホテルをチェックアウトする。
そのまま宛てもなくフェラーリを走らせ、郊外に出て、やがて車さえ乗り捨て、何処かへ歩き始める。どこへ行くのか。
唐突に映画はここで終わる。
うーむ。これは一体、どういう意味か。スティーヴ・ドーフはどこへ行こうというのか。
このラスト・シーンは、ファースト・シーンと対になっているらしい。
実は映画は、フェラーリが意味なくグルグルとサーキットを回っている場面から始まるのである。そして意味なく周回するのを止めて、スティーヴ・ドーフは車を降りて、そこに佇む。
ラストはフェラーリは周回するのではなく、一直線に走る。そしてスティーヴ・ドーフは車から降りたら、佇むことなく歩き始める。
なにやら人生に目標が出来たのだろうか。多分、何事か決意したのであろう。
実に象徴的で、比喩的で、観客の解釈にかなり委ねられる作品デス。
惰性で生きてきた男が、空虚な人生に見切りを付け、目標を持って一歩踏み出す。
スパイスを効かせすぎた料理ばかり食べて味覚が麻痺していると判らないくらい微かで微妙な味わいの映画と云うべきか。まあ、たまにはこんな映画もいいですね。
ところで、ベニチオ・デル・トロが出演するらしいと聞いて期待していたのですが……。
ただのカメオ出演ではないか。
ホテルのエレベータでちょっと顔を合わせてスティーヴ・ドーフと一言、二言、言葉を交わすだけ。なんだ。
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