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2008年11月15日土曜日

容疑者Xの献身


これまたTVドラマの映画化ですな。『相棒』と同じく『ガリレオ』観たこと無いのですが。
最近の邦画はこんなんばっかり。TVシリーズ終了後の劇場版制作というのはアニメ作品の専売特許ではなくなったのか。

まぁ、でも悪くはない。
はっきり云って導入部分なんかは素晴らしい。福山雅治が単純な物理の実験をしてみせるのだが、実に興味深い。
競演の柴咲コウや北村一輝もなかなか。

でも実は主演は容疑者役の堤真一である。
今年は『魍魎の匣』『クライマーズ・ハイ』に続いて堤真一の主演作品を三本も観てしまった。
知的で理論的で、探偵自身が「この世に〈天才〉がいるとしたら、それは彼だ」と断言するほどの数学者が仕掛けるトリックの数々。
この映画は、犯人は判っているのだが、犯行の偽装工作をどうやっているのかが判らないというミステリー。

探偵には直感で嘘だと判っても、証明できない限りそれは仮説に過ぎない。
このあたりの犯人=数学者、探偵=物理学者という微妙な立場の違いが面白い。
こういう知的な駆け引きが展開されている分には、まったく満足しておったのですが……。

何とも残念なことに、これもまたラストで失速してしまった。邦画の悪い癖である。『相棒』と一緒だ。
でも多分、多くの人はこれで満足するのだろうし、制作側も失敗だとは見なさないのであろう。私にとってはそれが理解できないのですが。

つまり「泣き」が入るのである。
終盤までまったく感情的にならず、淡々と計画を遂行してきた容疑者だったのに……。最後の最後で、堤真一があろうことか大泣きしてしまうのである。
きっと多くの観客はここで一緒に涙を流し、感動するのであろう。

何故だ。
相棒』でもそうだが、ラストで犯人が泣くのは犯則ではないのか?
だって、観ている側が同情してしまうじゃないですか。
なんて可哀想な犯人なんだと観ている側が思ってしまうでしょう?

でもよく考えろ。その犯人は偽装工作の遂行のために無関係な人間を殺しているのだ。そこで犯人に同情したら殺された人の立場はどうなる? 仕方なかったでは済まされないだろうに。

私としては、目的のために手段を選ばず殺人を犯したものは涙など一切見せずに退場していただきたいのである。犯人自身が「私が泣いては殺してしまった人に申し訳が立たない」と感情を押し殺して連行されていくシーンが観たかったのである。
その際に探偵と無言ですれ違い、目と目で会話する場面が欲しかった。
つまりチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンの『さらば友よ』が理想なのである。邦画には漢の美学が判らないのであろうか。

観客を泣かせるために、役者が泣いてみせる必要など無いと思うのですが……。


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