実は長いことピューリッツァー賞って、報道関係の賞だと思っていたのですが、今や報道部門だけでなく、文学部門や音楽部門にまで対象が広がっているそうな。へー。
そのように原作が優れているからか──ピューリッツァー賞のみならず、舞台の方はトニー賞も受賞しているそうですから──、映画化された方も色々な映画賞にノミネートされました。
本作の監督はジョン・ウェルズです。ベン・アフレックやトミー・リー・ジョーンズ主演の『カンパニー・メン』(2010年)の監督ですね。制作にはジョージ・クルーニーの名前も見受けられます。
脚本は原作者トレイシー・レッツ御本人です。元が戯曲ですし、やはり脚本が肝ですね。
そして出演する俳優陣が豪華です。特に女優の面子が凄い。
何を云うにしても、まずはメリル・ストリープとジュリア・ロバーツでしょう。
今年(2014年・第86回)のアカデミー賞にも、メリルが主演女優賞、ジュリアが助演女優賞にノミネートされておりました。どちらも惜しくも受賞は逸しておりますが──主演女優賞は 『ブルージャスミン』のケイト・ブランシェット、助演女優賞は『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴ──、本作に於けるメリル・ストリープの演技は素晴らしいです(毎度の事ながら)。
本作は家族の物語でありまして、メリル・ストリープが母親、長女がジュリア・ロバーツですが、更に次女がジュリアン・ニコルソン、三女がジュリエット・ルイスと続きます。どうでもイイけど、ジュリア、ジュリアン、ジュリエットと名前が似通っていてややこしいわ。
本作は女優同士の熱演が火花を散らす大層熱い映画です。ついでに背景設定も暑い。
原題にあるとおり、本作は「八月のオーセージ郡」が舞台となります。オーセージ郡とは、アメリカ合衆国オクラホマ州北部の郡であり、カンサス州と隣接しているところですね(行ったことないけど)。
「オクラホマ」と云えば、フォークダンスのアレしか思い浮かびませんが、劇中にはそのような楽しげな楽曲は流れたりしません。ドロドロとした愛憎が渦巻くヒューマンドラマですから。
本作では背景に映るオクラホマの大平原が実に印象的です。見事なまでに何も無い、だだっ広い平原が地平線の彼方まで続いております。
しかも暑い。
劇中でも語られますが、八月のオーセージ郡とは最悪の環境であるそうな。うだるような暑さにメラメラと陽炎が立ちのぼる様子が、いかにも暑そうです。登場人物達も皆、汗ダラダラ。
エアコンなんて便利なものが無かった頃の物語であるらしく──劇中では詳しい年代は言及されません──、窓を開けて、扇風機を回すだけで涼もうとしております。よもや現代でもオクラホマにはエアコンが無いなどと云うことはありますまい(オクラホマの皆さんごめんなさい)。
でも本作を観ると、あまりオクラホマには行きたくなくなります。
だからなのか、本作は今年(2014年・第8回)のオクラホマ映画批評家協会賞の「隠れたワースト映画賞」を受賞しております。オクラホマ映画批評家協会の皆さんは本作が気に入らなかったようデス(それとも自虐的に気に入ったのか)。
確かに、本作を観る限りでは、オクラホマには平原と熱気とギスギスした人間関係だけしか無いように見受けられますからね。いや、オクラホマミキサーもありますか(オクラホマの皆さんごめんなさい)。
さて、本作は冒頭から男のモノローグで始まります。
「人生はとても長い(“Life is very long”)」──と、T・S・エリオットの詩の一節を引用している語り手は、サム・シェパードです。
先日も、マシュー・マコノヒー主演の『MUD マッド』(2012年)でお見かけしましたが、いつもながら燻し銀の男の佇まいです。あちらがアウトドアなワイルド系なら、本作でのサムは文学系の寡黙な男です。どちらも渋いッ。
すぐに判りますが、実はサムは自分の妻(これがメリル・ストリープ)の介護に雇おうとしている女性に家庭の状況を一通り説明しているのでした。面接を受けている女性は一見して明かなネイティブ・アメリカンです。
オーセージ郡自体が、オーセージ・インディアン居留地の中にあるそうなので(居留地の方が郡より大きいのか)、先住民率の高い地域なのだそうな。
ともあれ、サムの語りにより、妻メリルは初期のガンを患っており、抗ガン剤の治療が続いていること、妻の介護に疲れ切っているらしいことなどが判ります。そして、どうやら夫婦仲は冷めているらしい。
序盤から登場するメリル・ストリープの顔色が実に悪いです。不健康そうな面持ちに加えて、他人と接する態度がこれまたヒドい。傍若無人と云うか、ズケズケと言いたい放題。しかも精神的にも不安定のように見受けられますが、だからといって人種差別的な発言をしても良いと云うことにはならないでしょうに(イマドキは「インディアン」と云う呼称はNGですね)。
亭主であるサムは面接中に乱入してきた妻に好き勝手に云われても、じっと耐えております。大した忍耐力です。
でもやっぱり限界であったらしく、介護の女性を採用した後、サムは家を出て行ってしまう。特に何も告げること無く居なくなるので、失踪人扱いになります(実はサムの出番は多くありません。残念)。
そしてここからが本筋です。
サムが失踪したことを受けて、家族と親戚が久しぶりに一堂に会します。サムとメリルの夫婦は三人の娘を儲けましたが、三人とも既に成長して家を出ております。地元に残っているのは次女だけ。長女はもう結婚して子供もいます。
更に、叔父叔母の夫婦とその息子までが集まってきます。この一族の配役も豪華なので壮観です。
長女ジュリア・ロバーツの旦那さんがユアン・マクレガー、絶賛反抗期中な一人娘がアビゲイル・ブレスリンです。
三女ジュリエット・ルイスは、婚約者ダーモット・マローニー同伴で帰省します。
叔父と叔母が、クリス・クーパーとマーゴ・マーティンデイル。その息子が、ベネディクト・カンバーバッチ。
女優同士の熱演もさることながら、男優さんもまた名優揃い。ユアン・マクレガーや、クリス・クーパーもそうですが、特に私はベネディクト・カンバーバッチが気に入りました。
ベネディクト・カンバーバッチと云えば、SF者ならば、J・J・エイブラムス監督の『スター・トレック/イントゥ・ダークネス』(2013年)での宇宙の帝王カーン役が記憶に新しいところです。他には『ホビット/竜に奪われた王国』(同年)での火龍スマウグ役とか(モーションキャプチャと声だけですが)。
他にも色々ありますが、総じて「理性的な役」とか「凛々しい役」が多いようなイメージがありました。しかるに本作に於いては、実にオドオドした草食系美男子の役を演じております。
このベネディクト・カンバーバッチの小動物的なヘタレっぷりは、ちょっと新鮮。
本作では、カンバーバッチとクリス・クーパーの親子関係が味わい深く、残念ながらユアン・マクレガーの方がちょっと印象薄かったように思われました。メインはジュリア・ロバーツの方なので、旦那さんの影が薄いのは仕方ないか。
そして久しぶりに実家に一族が集結したところで、失踪したサムの遺体が発見され、哀しみの内に葬儀が行われます。夫の訃報に接して、まったく関係のない行動を取ってしまう母メリルの態度が奇矯すぎて、怖いデス。
しかし故人を悼むどころか、葬儀のあったその日のうちに遺言が話題にされ、遺産相続の話が飛びだしたりします。そう云うのはもう少し、あとにすればいいのに。この、一族が集う食事のシーンが本作のハイライトでしょう。クリス・クーパーのグダグダなスピーチが忘れ難い(笑)。
そして、互いに今まで隠していた本音や、秘密が暴露されていきます。あまりにも歯に衣着せない母メリルの言動に、とうとう長女ジュリアと掴み合いの喧嘩になるのが壮絶でした。
ほんの数日間の出来事ですが、集まった人達の微妙な人間関係が本作の見どころです。
家族であり、特に憎しみあっているわけでも無く、互いに愛情すら感じているのに、一方では身勝手で、互いに傷つけ合う。親密に昔話を始めた割に、最後は怒鳴りあいのケンカ別れ。
それは姉妹間でも、夫婦間でも、親子間でも変わりません。
お互いの関係については、劇中でユアン・マクレガーがジュリアに向かって「愛しているがムカつく!」と叫ぶ台詞に集約されているようです。
まったくの傍観者であるネイティブ・アメリカンの家政婦さんだけが冷静に物事を見つめています。しかしこの人の忍耐力も相当なものです。普通の人なら、こんな家庭で働くのは願い下げでしょうに。
この手の家族の絆を描いた作品であると、大抵の場合は「雨降って地固まる」のがセオリーであると思っておりましたが、本作ではそのようにならないので意表を突かれました。雨降ってそのまま土砂崩れ。
互いを思いやっても、傷つけ合う。そして思いやるが故に、遠い昔に秘密にしていたことが、最悪のタイミングで明かされて破局をもたらしたりします。
もう人間関係は崩れていく一方です。決してハッピーエンドにはなりません。
三女の婚約者が未成年のアビゲイルに手を出そうとしたことが原因で、親子喧嘩になり、ユアン・マクレガーは娘のアビゲイルを連れて出て行ってしまう(元から離婚も間近でしたし)。
三女の方もまた婚約者を責めるよりも、家族の方を責め立て、捨て台詞を残して婚約者と一緒に出て行ってしまう(こちらもあまり長くは保たないでしょう)。
そして次女の恋にも破局が訪れる。本人に非がない分、これが一番、可哀想でした。
極めつけが父サムの死の真相。失踪した後の事故死と見られていたが、これが覚悟の上の自殺であったらしいと明かされる。そして母がその自殺を止められたかも知れないのに、何もしなかったことまで明らかになり、遂に長女の堪忍袋の緒も切れます。
結局、ガンに冒された哀れな母の元には誰も残りません。自業自得な面もありますが、これは厳しい。ネイティブ・アメリカンの家政婦さんだけが頼りとは、哀しすぎる老後でしょう。
ジュリア・ロバーツが独り車を走らせ、果てしない大平原の一本道の彼方に消えていくところでエンドになると云う、救いも何も無いラスト。それともしがらみから解放されたと見るべきなのかな。
セピア調のポートレイトで出演者が紹介されていくエンドクレジットがまた物悲しい。
誰もが冷静になれないのも無理はないとは云え、これが八月のオクラホマでさえ無かったなら、もう少し何とかなったかも知れないのにと思わざるを得ません。何しろ、劇中で表示される気温は四二度ですから(熊谷より暑い!)。
すべてを暑さの所為にして、もう一度やり直すことは……出来ないものでしょうか(多分、無理ね)。
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