昨年、九五歳で逝去され(2013年12月5日)、追悼式典には各国元首がゾロゾロ出席したことも記憶に新しいところです(ついでにデタラメな手話通訳者も)。
本作はイギリスと南アフリカの合作になりますので、監督、俳優、共に英国人や南ア人が多いです。南アフリカでロケした景観もリアルです。
ジャスティン・チャドウィック監督は、『ブーリン家の姉妹』(2008年)、『おじいさんと草原の小学校』(2010年)で存じております(と云うか、本作で長編三作目なので全部観てることになります)。ナオミ・ハリスを起用するのも監督の趣味でしょうか。
本作ではナオミ・ハリスがマンデラ夫人役で登場します。
そしてマンデラ御本人を演じているのは、イドリス・エルバ。
今まで観た「劇中にネルソン・マンデラが登場する映画」と云うと、『マンデラの名もなき看守』(2007年)と『インビクタス/負けざる者たち』(2009年)くらいしか存じませんです。
前者のマンデラ役はデニス・ヘイスバート。TVドラマ『24 -TWENTY FOUR-』のパーマー大統領ですね。後者のマンデラ役は名優モーガン・フリーマンでした。
本作のイドリス・エルバは、どちらかと云うと前者寄りの、ちょっと美化されたマンデラです。いや、イケメンすぎるでしょ。
イドリス・エルバと云えば、マーベル・コミックスの映画化作品『マイティ・ソー』のシリーズではアスガルドの門番ヘイムダル役であったり、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』(2013年)では巨大ロボ〈イェーガー〉を駆る男燃えな司令官役のイメージの方が強烈で、どう見てもマッチョな人です。
本作でもその背の高さが強調されていて、特に前半では反アパルトヘイト活動家として、如何にもリーダー然としていて頼れる男のように描かれておりました。
でも私の知っているネルソン・マンデラは、主に南アの大統領として有名になった晩年の頃でして、割としわくちゃで小柄な人といったイメージです。だから『インビクタス』のモーガン・フリーマンの方が実像に近いような気がします。あちらは大統領時代しか描いていませんから、モーガン・フリーマンでまったく問題なし。
しかし本作では、少年時代から始まって、青年期、中年期、老年期に至るまでのネルソン・マンデラを描いていこうという趣向です。
それをイドリス・エルバが頑張って演じているのですが……。
あまりにもカッコいい青年期から、二七年間に及ぶ獄中生活を経て、釈放後は大統領にまでなる老年期とのギャップが激しくて、シリアスなドラマなのに笑ってしまいそうでした。特に晩年になると、イドリス・エルバには当然のことながら、老けメイクが施されます。
段階的に進行していく老けメイクで、歳をとっていく様子が表現されるのですが、次第にメイクで実在したネルソン・マンデラに近づけていこうとするところに無理がある。
いや、本物に似せようという努力はお見事なのですが、それなら何故、青年期をあんなにイケメンにしてしまったのか。堂々としていたマンデラ青年が、獄中でも毅然としていたマンデラさんが、老人になった途端に妙にシワシワになって縮んでしまったようになります。
でもやっぱりイドリス・エルバなので、縮んだようでも背が高くて、ちょっと違和感が……。
このあたりは、役者の演技だけではどうにもならない部分でしょう。あのイドリス・エルバの顔を、ただ老人にするだけでなく、「老年期のネルソン・マンデラに近づけよう」とするので、尚のこと奇妙な老けメイクになってしまいました。
本作の場合は、あまり似せようと努力しない方が良かったのでは。
ともあれ、偉人の伝記映画としては本作は割とよく描けていたように思われます。あまり素行のよろしくなかったこととか、欠点も持ち合わせている人物として描いているところが興味深い。若い頃は結構、無茶なこともしていたのですね。
特に、アパルトヘイトに反対して過激な抵抗を指揮していた頃のマンデラと云うのは、大統領時代からは想像つきませんでした。爆弾テロ紛いの活動をしているところまで、ちゃんと描いております。そんなことをしていたのか。
今の御時世なら、確実にテロリスト指定されることでしょう。と云うか、これだけならただのテロリストですよ。偉人とテロリストは紙一重。
まずは冒頭、少年時代の回想から始まります。アフリカの乾いた草原を少年が走って行く。
「私は今でも同じ夢を見る」とイドリス・エルバのモノローグが入り、コーサス族の少年として通過儀礼を受けて「大人になる」と云うアフリカの風習が描かれます。
顔面を白く縫ったシャーマン然とした男から、成人の資格を与えられる。
アフリカの明るい民族音楽もいいですね。
そして一九四二年。法律を学び弁護士となったマンデラ青年の登場です。颯爽としたイドリス・エルバが男前です。この時代が一番、美化されていますね。
当時のヨハネスブルグでは日常的に白人が黒人に差別的言動を発しております。あからさまな人種差別が堂々とまかり通っている様子に時代を感じます。法律はあるものの、「法の平等は同一人種間でのみ」などと制限が設けられている。
友人からANC(アフリカ民族会議)への参加を誘われたりしておりますが、最初はあまり乗り気がしなかったようです。恋人も出来てリア充生活なので、まだあまり社会正義には目覚めていないらしい。しかし次第にデモ行進に参加したりして、頭角を現していきます。
一九四八年に完全なアパルトヘイトが実施され、人種隔離政策が露骨になった時点から、ようやく活動が始まります。強制的に引越を余儀なくされ、粗末な住まいをあてがわれては、嫌でも怒りを覚えますね。
街頭での演説も堂に入っております。「不平等な法律に従う必要は無い!」などと説いて回り、次第にANCの活動にも熱が入っていく。
しかし活動に熱心になると、家庭の方が疎かになるのは如何ともし難い。幼い息子もいるのに家庭を顧みず、奥さんとは口論が絶えず、とうとう別居してしまう。
ネルソン・マンデラの結婚生活が破綻していたとは存じませんでした。まぁ、最初の奥さんはナオミ・ハリスじゃなかったので、そうでないと辻褄が合いませんが。
実はネルソン・マンデラは生涯に三度結婚していたそうで、ナオミ・ハリスは二度目の結婚相手として登場します。これが一番長く続いた結婚生活になりますが、獄中生活が二七年あるので、あまり夫婦として暮らしていた期間は長くないのか。
ちなみに釈放後、九〇年代になってから離婚して、晩年に三度目の結婚をするのですが、本作ではそこまで描かれておりません。大統領に就任するところがラストシーンになるので(伝記映画としては妥当なラストシーンでしょう)、二度目の離婚と三度目の再婚までは描かれずです(しかしナオミ・ハリスと疎遠になるところまでは描かれています)。
まだ別居中で離婚していないのに、別の女性とつきあい始めて不倫していると云う展開になり、実家の母親がマンデラを責めるという場面もあります。偉人ではありますが、欠点も持ち合わせている人物として描かれているのは、割と公平でしょうか。御本人の自伝に基づきながら、非はマンデラの方にあると云い切っているのはさすがと云うべきでしょうか。
また、実家の母親は英語では喋らず、現地の言葉(多分、コーサ語)を喋って英語字幕が付けられるという演出になっていました。
でも離婚後、再婚することには反対しなかったようで、民族衣装を着たナオミ・ハリスとの挙式は郷里で挙げられています(サラっと流してますが、いいのかしら)。
なお、余談ですが、実家の母親が住んでいる郷里の村として登場する南アフリカの風景には見覚えがあります(少年時代の回想もそうです)。
黄色く乾いた草原の景観は、デンゼル・ワシントン主演のサスペンス映画『デンジャラス・ラン』(2012年)でも登場した場所でしょう。同じ場所でロケしているのかな。
更に時代は下って一九六〇年代。黒人達の抗議集会は激化し、当時の報道写真を使用したリアルな映像も挿入されつつ、暴動鎮圧の様子などが描かれます。ANCの武闘派としてマンデラも地下への潜伏を余儀なくされる。
しかし遂にアジトにも官憲の手が及び、逮捕。裁判では仲間達と共に終身刑を宣告される。
そして、あの有名なロベン島の刑務所送り。『インビクタス』でマット・デイモンが訪れた場所そのままの景観です。
非人間的な扱いを受けながらも、過酷な獄中生活に耐えるイドリス・エルバですが、ナオミ・ハリスが夫に代わって抵抗活動に身を投じ始めると云う展開は存じませんでした。実は奥さんの方が、より過激な活動を行っていたようで、このあたりに釈放後に夫とは主張が異なり、疎遠になると云う展開の種が蒔かれております。
まぁ、旦那の方も武闘派だった筈ですが、獄中生活で少し丸くなってしまったのでしょうか。
六〇年代以降は、当時の資料も良く保存されているのか、たびたびリアルな映像や写真が挿入されて、時代の流れが描かれていきます(七〇年代と八〇年代は囚人ですから)。「マンデラに自由を!」と云うキャンペーンは、別のドラマでも観た憶えがあります。
このあたりからイドリス・エルバのマンデラ化が始まっていきます。
ところが時々面会に来る奥さんの方はあまり老けていきません。まぁ、ナオミ・ハリスの老けメイクなんて、あまり見たくはありませんけど、イドリス・エルバの方ばかり皺が増えて白髪化していくのが少し不自然でした。
また、実在の人物としては、フレデリック・デクラーク大統領も劇中に登場します。こちらもちょっとカッコ良く描かれていたような……。
やっと一九九〇年に釈放されますが、黒人暴動は激化の一途を辿っています。困り果てたデクラーク大統領に協力を要請されますが、民族融和を掲げるマンデラはかつての過激な武闘派とは別人のようです。
もう少し、マンデラの思想の変遷がよく判るようなドラマだと有り難かったのですが。前半、若い頃のマンデラを過激に描き過ぎましたかねえ。
ともあれ、白人との和解に反対する仲間を押し切るようにして、声明を発表します。
「私は闘争に身を捧げ、二七年を失った。だが彼らを赦そう。私に赦せるのだから、君たちにも出来る筈だ。戦闘には勝てない。だが選挙には勝てる」
本人に云われてしまえば、他人がそれ以上、口出しできないとはいえ、常人にはなかなか理解しがたい言動です。
『インビクタス』でも、マンデラの「赦し」について、マット・デイモンが感嘆する台詞がありました。また、先日観た『あなたを抱きしめる日まで』(2013年)にも、ジュディ・デンチが他者を赦す台詞があり、「赦しには苦痛が伴う」と云われておりました。
だとすれば、マンデラが味わった苦痛は如何ばかりか。
しかし偉人の心中は常人には計り知れないので、イドリス・エルバも、チャドウィック監督も、ちょっと開き直ってサラリと流してしまったように見受けられたのが残念と云えば残念でありました。ただ事実だけを追いかけていくだけで充分凄いことですけどね。
そして冒頭の「私は今でも同じ夢を見る──」と云うモノローグが再び繰り返され、大統領として民衆の前に立つマンデラ。失ったものは多く、孤独な道でもあった。しかし憎しみの道では無かった、と人生を回顧します。
ネルソン・マンデラ御本人の若い頃のポートレイトやスナップ写真を並べながらエンドクレジットが流れていきます。それらの写真を見ていると、本作の再現性は非常に高かったことが伺えて興味深いです。
「憎むことが学べるならば、愛することも学べるはずだ」
もはや、この人は何を云っても名言になりそうですねえ。
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