二〇〇八年のコールデコット賞──アメリカの児童書を対象にした、子ども向け絵本に毎年授与される賞──の受賞作であると云うのも納得です。翻訳された本も文章は横書きで、左綴じですし。
これをマーティン・スコセッシ監督が、自身初の3D映画として映画化しました。今年(第84回・2012年)のアカデミー賞では同年最多の十一部門にノミネートされ、五部門で受賞。
但し、作品賞、監督賞等の主要部門は『アーティスト』に掠われ、撮影賞、美術賞、視覚効果賞、音響編集賞、録音賞という技術的な色彩の濃い受賞ばかりになってしまったのは残念デスが、鑑賞後はそれも納得でしょう。
ストーリーよりもビジュアル面で、より印象に残る映画と云えます(逆に、やはりドラマが弱かったような気がします)。ともあれ、「映画好き」な人の為の映画ですので、一見の価値ありと申せましょう。SF者にもオススメ。
パリが舞台の物語ですが、主人公の名前が「ユゴー・キャブレ」でなく、英語風に「ヒューゴ・カブレ」とされているのが、チト気になりました。『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』(2011年)は “Tintin” と表記されても日本語では「タンタン」になっていたのに。ユゴーはタンタンほどメジャーでないからか。原作者がアメリカ人だからか。
ビジュアル重視なので3Dでの鑑賞をお奨めしますが、その際には日本語吹替版の方がよろしいでしょう。
作風については、アカデミー賞授賞式典でも司会のビリー・クリスタルからネタにされておりました(候補作はみんなネタにされるのですが)。
「これがスコセッシ映画? 暴力シーンがないのに? ジョー・ペシも、デ・ニーロも、マフィアも出てこないよ~♪ パート2では少年が老人をブチのめそうぜ~♪」
まぁ、そう云われても仕方ないくらい、マーティン・スコセッシ監督作品であるとは信じ難いファンタジーな物語であります。
一九三〇年代のパリ。主人公ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)は時計職人の父(ジュード・ロウ)を亡くし、パリの駅構内で大時計のメンテナンスをして暮らしている。学校にも行けず、話し相手は亡き父が残した機械人形が一体あるのみ。それも壊れかけで、ヒューゴは父の遺したノートに従ってあちこちから部品を調達して(かっぱらって)修理にいそしんでいた。
駅構内の機械室に棲みついているワケですが、時計が動き続けている限り、誰も気にしないというのがおおらかな時代です。形式上は、アル中の叔父(レイ・ウィンストン)が時計の保守を請け負っているのですが、叔父はヒューゴを引き取って仕事を押しつけ、そのまま行方をくらまして音沙汰なし。
鉄道公安官(サシャ・バロン・コーエン)が、駅構内をうろつく孤児を片っ端からとっ捕まえて施設送りにしているが、ヒューゴはその目を逃れていた。
あるとき、駅の売店で玩具を売る老人(ベン・キングズレー)に万引きの現行犯で取り押さえられるが、その際にヒューゴの父のノートを目にした老人はひどく驚き取り乱すのだった。
全体として、機械人形に隠された秘密を探る少年と少女の冒険を描く物語です。
主演のヒューゴ役は『縞模様のパジャマの少年』(2008年)のエイサ・バターフィールド。ヒューゴと知り合う少女イザベル役が、『キック・アス』(2009年)や『モールス』(2010年)のクロエ・グレース・モレッツ。
エイサ・バターフィールドについては馴染みがないのですが──『ウルフマン』(2010年)にもチョイ役で出演しておりましたが印象が薄い──、クロエたんは大好きな女優です。しかし本作のクロエたんは、地味な衣装の所為もあってか、いまいちです。フツーの子役に見える(いや、それで正しいのでしょうが)。
共演はジュード・ロウ、サシャ・バロン・コーエン、クリストファー・リー、ベン・キングズレー等々。豪華な顔ぶれデス。
ジュードは出番はあまりないですが、優しく知的な父親を好演しておりました。
孤児達から怖れられている鉄道公安員がサシャ・バロン・コーエン。最初、誰だかよく判りませんでしたが、よく見るとこいつ、ボラットじゃなイカ(笑)。
クリストファー・リーは駅構内の書店の主。強面ですが、実はいい人。「良き家には本を贈る」というのも素敵な習慣です。
そしてベン・キングズレー。売店のうらぶれた老店主とは世を忍ぶ仮の姿で、実は娯楽映画の開祖にして、伝説的映画監督ジョルジュ・メリエスそのひとであったと云うのが驚き。
本作はフィクションではありますが、劇中に登場するメリエスについては、かなり史実に正確であるとか。本当に晩年は映画制作から退いて、駅の売店の店主であったそうな。
また、映画制作に携わる前身はマジシャンであったとか、機械人形(オートマタ)のコレクターでもあったと云われております。まぁ、実際に自分でも機械人形を設計し、制作したのかどうかは定かではありませんが、設定としてはなかなか伝奇小説ぽくていい感じデス。
アカデミー賞では「同年最多の十一部門にノミネート」な本作ですが、助演男優賞にはノミネートされていなかったのが解せませぬ。
ベン・キングズレーも、クリストファー・プラマーや、マックス・フォン・シドーらと一緒にノミネートしてあげて貰いたかった。いやもう、今年の助演男優賞はジイさんばかりに独占させてあげても良かったのでは。
いっそ主演男優賞でもいい。と云うか、本作の真の主人公はジョルジュ・メリエスでしょう!
本作ではジョルジュ・メリエスの制作した映画について詳しく語られるので、当然ながら当時のメリエス作品が次々に紹介されていきます。もちろん、あの有名な『月世界旅行』も。
それら映画の草創期を彩った作品を3Dで観ることが出来る、というところに本作の技術的な意義があるように思われます。メリエス作品だけでなく、チャップリンやロイドの喜劇が挿入されるのも楽しい。細かい部分で古典映画に対するオマージュが捧げられていますし。
そしてメリエスの回想シーンでは、映画の制作現場、撮影風景が再現されるのですか、ここが本作の肝です。映画好きにとっては、夢のようなシーンであると云っても過言ではない。
劇中で、ベン・キングズレーが撮影現場を見ていた少年に語りかける台詞が印象的です。
「夢がどこから来るのか不思議に思ったら、思い出してくれ。夢はここから生まれるのさ!」
映画一筋に打ち込むメリエスの実に楽しそうな様子が素晴らしいデス。
しかし第一次世界大戦が始まり、娯楽映画は売れなくなり、経営難に陥ったメリエスは遂に撮影所を畳んで引退を決意してしまう。セットに使われていた大道具を積み上げて燃やすベン・キングズレー。夢敗れた男の悲哀が胸に迫ります。
その後、売店の店主となり、生きた屍のように余生を暮らすメリエスが出会ったのがヒューゴであるという次第。
本作は、夢を失った男が、少年と少女の尽力によって、再び夢と人生を取り戻す物語と云えます。ハッピーエンドとなる発掘されたフィルムの上映会で、ベン・キングズレーが見せる悪戯っぽい笑顔がまた素敵です。
もうひとつ、時計職人であった父親の言葉を引用しながら、「世の中とは大きな機械であり、人々はそこで動く部品である。しかし時計がそうであるように、どんな小さな部品にも目的があり、余分な部品などはひとつも無いのだ」というメッセージもポジティブです。
普通、人を部品に例えると、「交換可能な消耗品」というネガティブなイメージになってしまうものですが、真逆な結論を導き出すところに感心しました。
でも物語として幾つか、難点もあるように感じます。
まず、ヒューゴが頑なすぎる。メリエスから「このノートはどこで手に入れた?」と詰問されても、簡単には明かさない。いや、別に正直に話しても差し支えないのでは。素直に話せば、物語はあそこまでこじれなくて済んだのに。
ドラマの展開の為だけに、ヒューゴが理由もなく意固地になっているように感じられて、ちょっと不自然でした。
それに中盤以降、ノートの存在が忘れ去れてしまったのも如何なものか。機械人形が本来の持ち主の手に戻った以上、修理にノートなど無用であるのは判りますが、父親の形見の品なんだし、そう簡単に忘れてもらいたくはなかったです。
それと題名ね。原作の原題からして “The Invention of Hugo Cabret” なので、翻訳は正しいのでしょうが、劇中ではヒューゴは別に何も発明しておりません。あの機械人形はメリエスの作品ですし、看板に偽りありなのでは……と思いましたが、原作小説ではヒューゴもまた発明しておりました。
小説のラストで、読者が今まで読んできた物語と多数のイラストは、メリエスに影響を受けたヒューゴが大人になって自分で作り上げた機械人形にプログラムしたものだと明かされる。
実は、本自体が「ヒューゴの不思議な発明」によるものだった、ということになるので、あの題名でも正しいのでしょうが、映画の方はそこまで描かれませんからねえ。
邦題もただの『ヒューゴ』にした方が良かったのでは。いや、正しくは『ユゴー』か。
『ジョルジュ・メリエスの数奇な人生』では……売れないか(汗)。
ランキングに参加中です。お気に召されたならひとつ、応援クリックをお願いいたします。
にほんブログ村