メリルはアカデミー賞主演女優賞と助演女優賞に合わせて十七回もノミネートされ、本作で三度目の受賞を果たしました。欧米ではテッパンな大女優です。グレン・クローズやヴィオラ・デイヴィスを押さえての受賞というのが強い。
御本人は受賞スピーチで、「またあいつか! と云う声が聞こえるわ。まぁ、気にしないけど」と仰っておられました(笑)。
本作は年老いたサッチャー元首相が過去を回想しながら、議員初当選から入閣、首相就任、フォークランド紛争を経て、退任するまでの様々な時期を取り上げ、彼女の半生を描き出していくと云う趣向のドラマです。現在と過去が複雑に交錯しながら展開していく演出が巧い。編集の手腕が冴えてます。
先頃公開されたレオナルド・ディカプリオ主演の『J.エドガー』と同じ構造ですが、さすがにメリル・ストリープが若い娘時代のマーガレット・サッチャー(旧姓ロバーツ)を演じるのは無理があるので、そこはアレクサンドラ・ローチが演じております。
しかしその所為で、無理矢理なメイクにならずに済み、『J.エドガー』よりは余程、自然に感じられます。メリル・ストリープ自身も、首相就任あたりの年齢から、老婆になった現代までの期間を、特殊メイクの助けを借りながら見事に演じておられました。
本作の見どころは何を云うにしても、メリル・ストリープの熱演に尽きる。最近の有名人伝記映画の中でも良く出来た部類でしょう。
マーガレット・サッチャー御自身に本作の感想を訊いてみたいものですが、認知症を発症して隠遁しておられるそうなので、ちょっと無理か。
本作でも、初期の認知症の症状によって記憶が混濁し、過去のエピソードが交錯していくという演出になっています。また既に亡くなっている夫デニスが、自分にだけ見えるという形で現れると云う演出も面白いです(幽霊というわけではない)。
このサッチャーの夫、デニス・サッチャーを演じるのはジム・ブロードベント。出演作多数の名優ですが、近年は「ハリポタ」シリーズで、スラグホーン先生を演じておられたので見覚えがあります(笑)。
また、長年サッチャー内閣を助け、後に副首相となるジェフリー・ハウをアンソニー・ヘッドが演じています。TVシリーズの『バフィー/恋する十字架』はスルーしておりますので、ジャイルズ役と云われてもちょっと……(汗)。
監督はフィリダ・ロイド。『マンマ・ミーア!』(2008年)でもメリルと組んでおられました。女性首相の半生を女性監督が描く所為か畢竟、政治の世界と家庭内の対比も印象的でした。
また、男ばかりの業界に挑んだ女性の「先駆者の苦難」もよく描写されております。
「政治談義に加わろうとする女性は煙たがられる」という描写に時代を感じます。今はもう、そんなことは無い……と思いマスが。
議員となって議会に入場する際の人の波を真上から捕らえたショットも冴えてます。紅一点状態であるのがハッキリ判る。
おまけに議会制民主主義の鑑であるべき英国の国会が、かくも凄まじい「狂乱の館」であるというのが凄い。しかも女性視点で演出されるので、議員が狂ってると云うよりは、男って皆バカなんじゃないのというニュアンスになるのが面白いデス。
一方で進行する現代のドラマでは、亡くなった御主人の遺品を整理することに抵抗がある老婦人の境遇も描かれる。生涯の伴侶を失い、かつての精彩も衰えた女性を、メリルは見事に演じ分けています。さすがオスカー女優。
老いたサッチャー元首相が、アルカイダの起こしたテロのニュースについてのコメントを求められ、かつて首相在任中に起こったIRAのテロと勘違いしたまま(認知症による描写がちょっと哀しい)、口にするコメントに驚くほど違和感がないという演出も皮肉です。
昔も今も大して変わっていないのか。
そして本作の白眉はフォークランド紛争ですね。首相在任期間中の英国最大の国難ですし。
個人的に──日本人としては──あそこは「マルビナス諸島」と呼んであげるべきなのではと思うところもあるのですが、それはそれとして、アルゼンチン侵攻の報せを受けた際のサッチャー首相の毅然とした態度が実に見事でした。
フォークランド諸島の防衛予算を削った為にアルゼンチンにつけ込まれたワケですが、侵攻されると即座に軍事行動で応える。財政が逼迫していてもやるべきことはやると云う信念を貫く。
アメリカ大使の仲裁案に対しても即妙に切り返す。
「かつて真珠湾が日本の攻撃を受けた際に、あなた方はハワイが遠い太平洋の小さな島だからと云って見捨てましたか?」
これには大使も返答に窮して沈黙してしまう。
うーむ。日本の政治家にこれだけの決断力と行動力を持った人は見あたりませんねえ。そこはもう純粋にうらやましい。「日本の小さな島」もあちこちで他国に乗っ取られているというのに。しかもそんなに遠いところにあるわけでも無いのですが。
まぁ、結果として紛争には勝利し、英国の経済状況は活性化するワケですが、少なからぬ戦死者を出し、黙々と遺族に弔文を書き続ける。これは孤独な作業です。
一方でカリスマ的リーダーとして三選を果たしたのはいいけれど、ちょっといい気になっているようにも見受けられます。強気になって「人頭税」を提唱し、欧州統合へも反対するなどした為に、その人気も陰り始める。
やはり国民から支持を得ている首相であっても、増税と云うのはなかなか支持されないか。如何に鋼の信念の持ち主であったとしても、党内協力が不可欠だというのに、閣議では説得するよりも男達を叱り飛ばす。こりゃ、ちょっとヤリスギたか。
おかげで副首相は辞任し、閣僚達もサッチャーの首相続投には否定的となり、遂には退任に追い込まれる。議会で不信任決議されたわけでもなく、身内の議員達の造反によって辞任に追い込まれてしまう。イギリスなので『リア王』的な悲劇とも云えます。
やはりワンマンに過ぎたのでしょうか。何となく、自業自得という描かれ方もされているように感じます。もう少し言動が穏やかだったなら、閣僚達も協力してくれたのか。しかしそれでは三選されるまで保たなかったとも思えます。
劇中でメリル・ストリープが「良かれと思って苦渋の決断を下しているのに責められる」ことについてボヤいているのが印象的です。ホントは政治家とは損な稼業なんでしょう。
「いずれ後の世代からは感謝されるわ」と負け惜しみめいた台詞もありますが、夫デニスが即座に「さもなきゃ、ゴミと一緒に捨てられるかだね」と切り返す。
このあたりのジム・ブロードベントのユーモア溢れる演技も忘れがたいです。この旦那がいてくれたからこそ、サッチャーは独善に陥りすぎずに何となったのだろうと思われます。
そして遂に首相退任の時がやってくる。
この場面の衣装がとても印象的でした。それまでずっと、メリル・ストリープの衣装は青を基調にしたドレスばかりで──保守党のカラーがブルーだったから──、「サッチャー=青」のイメージが続いてきたところで、この場面だけは「真っ赤なドレス」を着て官邸を後にする。
衣装デザインが良い仕事しています。
終盤では、夫デニスの遺品整理も終わらせ、それと共にデニスの幻影もまた去って行く。
毀誉褒貶の多い人物の、孤独な晩年。権力を失い、愛するものを喪い、あとはもう消えていくのみという人生に無常を感じます。
評価の分かれる政治家ではありましたが、それくらいでないと国難は乗り切れないと云うことなんですかね。
ところで、主役が美化されるのは当然とも云えますが、本作のアルゼンチンに於ける評価というのが気になるところです。いや、そもそも上映されているのかしら。本作のお陰でまたぞろ領有論争に火が付きそうだというのが心配デスわ。
● 余談
世紀も変わった所為か、八〇年代や九〇年代の政治家の伝記映画が制作されるようになる、という御時世に時代を感じます。ついこの間のような気もするのですが、もう「歴史」か。
そのうちマーガレット・サッチャーに続いて、『ロナルド・レーガン/冷戦の終結』とか『ミハイル・ゴルバチョフ/ペレストロイカの果てに』なんて伝記映画も制作されたりするんですかねえ。
……と思ったら、既にレーガンの伝記映画は企画がありましたか(2010年当時)。なかなか続報が聞こえてこないところを見るとポシャったのかしら。
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