2012年2月21日火曜日

最高の人生をあなたと

(Late Bloomers)

 『最高の人生の見つけ方』(2007年)の二番煎じ的邦題になってしまいましたが、内容はコレでも正しいような。
 熟年夫婦に訪れる人生の転機と云うか危機をユーモアを交えて描いたドラマです。主役となる熟年カップルを、ウィリアム・ハートとイザベラ・ロッセリーニが演じております。
 ウィリアム・ハートは割とお見かけします──近年も『ロビン・フッド』(2010年)に出演されておられた──が、イザベラ・ロッセリーニとはまたお懐かしい。ホントに『ブルー・ベルベット』(1986年)以来では無かろうか。『ワイアット・アープ』(1994年)とか『不滅の恋/ベートーヴェン』(同年)とか色々とスルーしておりまして申し訳ない。
 しかしイングリッド・バーグマンの娘さんも、もう還暦のオバちゃんか(泣)。
 『しあわせの雨傘』(2010年)のカトリーヌ・ドヌーヴを観たときと同じくらいショックでした(でもドヌーヴの方が年上ですが)。

 しかも本作では「老い」がテーマになっているので、殊更にイザベラの容色の衰えが強調される演出になっており、なかなかに衝撃的。
 鏡をのぞき込みながら、首筋のたるみを気にするイザベラ。うひー。
 若い娘さん達に混じって、水中エクササイズに精を出すイザベラ。水着が似合わねー(泣)。
 わざと「そういう風に」撮っているのは判りますが、あのイザベラ・ロッセリーニの「ダサいオバちゃん姿」なんぞ、観てはならぬものを観てしまった気分デス。

 三〇年におよぶ平穏な結婚生活を送ってきた夫婦に訪れる危機。事の発端は、六〇歳を目前にしたイザベラが、ある朝、起床してみると昨夜のことが思い出せなくてショックを受けたことに始まる。
 これは健忘症の始まりだ(いや、そんな大げさな)。
 喫茶店でわざと胸元を大きく開けても、チラ見しようとする男性がいない。
 バスに乗っていると、若者が席を譲ろうとする。
 気付かぬうちに、自分は老いの世界に足を踏み入れてしまっているのだ!

 何とかしようと焦る気持ちから、地域のボランティア活動にも参加してみるが、逆にボランティア内のシルバー人材の連中があまりに覇気が無くて、却って老け込みそうでイヤになる。
 旦那さんであるウィリアムの方は、老いを気にしすぎる妻のことをうんざりしながら見守っている。ウィリアムはそれなりに名の売れた建築家であり、長年の功績を讃えられて受賞もしていると云う設定。

 当初は、それ程気にすることでも無かろうと、老化防止のエクササイズに出かける妻を放置していると、ウィリアムの仕事の方にも変化が訪れる。飛行場とか公共交通システムの設計で名の売れた建築事務所なのに、今の仕事は「高齢者向け住宅の設計」である。
 おまけに奥さんのお節介で高齢者へのリサーチに参加させられ、ウィリアムの方も老いを意識せざるを得なくなっていく。
 そして遂に、家の中に異変が生じ始めたことで、旦那の我慢にも限界が訪れる。

 ある日、家の中の電話機が新しくなっていた。ボタンが大きく、文字が読みやすい高齢者用の電話機。
 「いい加減にしろ」と夫婦喧嘩になり、ウィリアムの方は職場の設計事務所に寝泊まりする羽目になる。別居した上に気の乗らない仕事の所為で気分は塞ぐ一方のところへ、事務所の若い連中が「新しい美術館の設計コンペティション」の企画を持ちかけてくる。

 かくしてウィリアムは「昼間は高齢者住宅の設計、夜間は美術館の設計コンペ企画」というハードな生活を送り始める。若者達には何でも無いことでも、やはり自分にはキツい暮らしである。栄養ドリンクを飲みながら老骨にむち打つ日々(欧州だとユンケルではなく、レッドブルになるらしい)。
 やはり自分が思っているほど身体は若くないという現実に直面するウィリアム。まぁ、建築家には定年はありませんから、自分の年齢を意識することが今まで無かった分、ショックなんですね。
 「妻が正気に戻るまでは帰らんぞ」という決意もぐらつき始める。

 その一方で、両親が別居してシニア離婚の危機に瀕していることを知った子供達──長男はビジネスマン、長女は看護士、末っ子の次男はアーティスト──は、一計を案じて夫婦の縒りを戻そうと何やら企み始めていた。

 家族の描写がなかなかに面白く、三人の子供達も既に成人しており、自分達の家庭を持っているので──長女に至っては既にバツイチであったりする──、当然のこと、孫も何人もいるという状況ですが、それだけではなくイザベラの母親もまだ存命中だったりします。
 この曾お祖母ちゃん役がドリーン・マントル。老いを気にしてアタフタするイザベラと対照的に、自分は飄々と老後を楽しんでいる様子が面白いデス。
 公聴会に出かけていき「若者達の愚かな行為」を見聞きするのが趣味という、なかなかブラックなユーモアをお持ちのお祖母ちゃん。裁判は結審するまで時間が掛かるが、公聴会はその日のうちに結論が出るので、老人仲間と判定結果を賭けの対象にして楽しんでいる。なんかイヤなバアさんですね。

 ユーモア溢れる演出は、監督であるジュリー・ガヴラスの手腕ですね。『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年)が長編初監督作品で、これが二作目。
 それにしては巧いと思ったら、コスタ=ガヴラス監督の娘さんでしたか。コスタ=ガヴラス監督というと、『ミッシング』(1982年)とか、『ミュージックボックス』(1989年)、『マッド・シティ』(1997年)なんてのが記憶にあるのですが、サスペンス映画の名匠の娘さんは、ユーモア溢れる映画をお得意とするようで。
 「映画は重要な社会的、政治的問題を扱うべきだ」と云うのがお父上ガヴラス監督の信念だったそうで、二代目にもそれは受け継がれているようです(ちょっと切り口は違いますが)。
 「老い」は普遍的なテーマです。

 結局、別居してもうまくいかず、二人揃って不倫に走りそうになるけどこちらもイマイチ。
 でも一応、試すだけは試してみるという描写に、フランス的な感覚を感じました(物語の舞台はロンドンですが)。さすが愛に寛容な国の監督ですねえ。こういうのは裏切りとは云わんのか。罪悪感の描写なんてのは皆無デス。

 ボランティア活動やコンペティションの企画は互いの不在を埋め合わせるには足りないと気付いて、夫婦は元の鞘に収まるわけですが、やはりまだギクシャクしてしまう。
 ウィリアムのいない間に自宅が様変わりしていたのが笑えました。
 二階に上がる階段に手すりが付けられている。トイレや、風呂場にも手すりが。
 いつの間にかベッドも電動式になってるし。
 風呂に入り、バスタブから身体を起こそうとして、うっかり手すりを掴んで慌てて手を離すウィリアムに笑えます。いや、そんなに嫌がらなくても。便利だし、いいじゃなイカ。

 夫婦仲が完全に修復されるのは、曾お祖母ちゃんの葬儀の場面になってから。
 いきなり曾お祖母ちゃんが倒れてお亡くなりになってしまったので、ちょっとビックリしました。まぁ、相応のお歳ではありましたが。
 実は曾お祖母ちゃんは五年も前から胃癌を患っており、それを娘のイザベラには黙っていたことが明かされる。しかし娘婿のウィリアムには打ち明けており、ウィリアムはイザベラに心配をかけまいと、その秘密を守り続けていたのだった。
 隠れたところで夫が努力していたことに気付き、やっとのことでわだかまりが解ける。

 「墓には一緒に重なって入ろうな」
 「でもそれまではやることがまだ沢山あるわ」

 葬儀の後、急に仲良くなってベタベタし始める両親を見守る子供達。別に策を弄する必要も無かったような……。
 「雨降って地固まる」というオーソドックスと云うか、よくあるパターンなオチで、意外性はありませんが、手堅い演出のドラマでした。全体的に乾いたコミカルな描写はなかなか好ましいです(でも設計コンペの結果については放置されてしまったのが気になりますが)。
 分別のある大人でもバカなことをしてしまう、というのは万国共通ですねえ。生前の曾お祖母ちゃんの台詞が印象深い。

 「歳を取れば突然、賢くなるとでも思ってたの?」

 そうですね。自分もまだまだ未熟でございます(汗)。


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