だからといって邦題に「雨傘」と付ければ良いというものではないでしょう。
それではスティーヴン・セガールの映画に「沈黙」と付けるのと同じでは。
まあ、本当に雨傘製作会社の社長夫人という設定なので、あながち間違いではありませぬが……。
実は最近のカトリーヌ・ドヌーヴ出演作は観ておりませぬ。いつまでも『昼顔』とか『暗くなるまでこの恋を』とか云っていてはイカんですね(汗)。
フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』(2002年)とか話題になっていた気はするが……。
これもまたフランソワ・オゾン監督作品。
私にとっての初オゾン作品でした。『スイミング・プール』とか『ぼくを葬る』とかも観なきゃいかんですかね(汗)。
共演はジェラール・ドパルデュー。しかし本当に本人なのかと我が目を疑いました。
いや、これはメタボと云うか……肥えている。いつの間にこんなに肥えたのか。昔はこんなでは無かったのに。
『ヴィドック』の頃に比べても更に重量が増している感じがする。いいのか。
あの肥え方は健康上よろしくないと思われるのですが。
ワンマン経営の雨傘工場の社長夫人が主人公。裕福な暮らしであるが、生き甲斐が感じられない人生というのはありがちですね。
趣味のジョギングや刺繍に精出してはいるが満たされない。
子供──娘と息子がひとりずつ──も大きくなり、子育てから解放されているとなると、ますます何もすることがない。
実の娘からも「お飾りの妻」と揶揄される。字幕での言い回しでは「飾り壷」と表現されていた。
原題の「ポティッシュ」と云うのがこれを指すそうな。実用性のない装飾品という意味か。
そこへ降って沸いた労働争議。ワンマン経営の旦那(ファブリス・ルキーニ)は発作を起こして入院。市長(ドパルデュー)の助言で労使交渉の席には奥さんが赴くことに……。
実は市長とは、若い頃にロマンスがあったという設定である。
経営のことなど何も知らない素人が、誠意と人柄だけで経営改革に乗り出し、成功していく。劣悪だった職場環境は、ワンマン社長が入院している間に、どんどん改善されていく。
何やら『9時から5時まで』を思わせるような展開です。予告編で観たときもそう思いましたが、実はそこで終わりではなかった。
ストライキを回避し、工場経営が上向きになっていく過程で、ドパルデューとの親密度が増していくのは判るのですが、そこから先は予想を裏切るストーリーでした。
ワンマン社長の復帰。そして工場経営の主導権を巡っての夫婦同士での争い。
株主総会の開催。うーむ。先が読めん。
実はこの奥さんが実はなかなかしたたかな人だというのが次第に判ってくるのが興味深い。ドパルデューとのロマンスも再燃していくのだが、それがゴールではない。
時代背景が1977年。女性の自立が目立ち始めた頃ですか。
もはや新しい恋人を見つけるだの、かつてのロマンスを取り戻すだのでこの映画は満足しないのである。
ワンマン社長の策謀により株主総会で破れるという意外な展開。実は息子はママの味方だったが、娘の方はパパの味方だったと云うのが何とも……。なかなか一筋縄ではいかない脚本が巧いですね。
「女同士の連帯」というのも幻想なのか。
ここで終わってしまうのかと思いきや、今度は政界進出を目論む。市長であるドパルデューの政敵になってしまうのである。
当然、再燃しかけていたロマンスも再び破綻。
長いこと押さえつけられていた奥さんは解き放たれ、もはや男にどうこうできる存在ではなくなっていく。一度転がりだした奥さんを止めるものなど何もない。
社長の座に返り咲いて勝ち誇っていた亭主が矮小に見えてくる。
もう男達はどんどん取り残されていくのである。
ラストは国政にまで打って出ようかというイキオイで支持者たちの歓呼に応える奥さん。TV中継されるその様子を見て、なんか寂しそうなワンマン社長との対比が笑えました。
フランソワ・オゾン監督は「家族が再生する」とかいうよくある甘い結末を選んだりはしないのか。離婚調停も継続されるし、もはやこの家庭はどう転んでも元には戻りそうにないのが苦い。それでも良しとする姿勢に潔さを感じました。
娘とワンマン社長がTVを見ながら言葉を交わす。
「ママのこと、ずっと飾り壷だと思ってた」
「飾り壷さ。だが空っぽの壷じゃなかった」
本当にカトリーヌ・ドヌーヴが輝いて見えました。
最後は歌まで歌っちゃうし。
「人生は美しい」というのはフランスの有名なシャンソンだそうですが、実に堂々とした歌いっぷりでした。
さすが大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。
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