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2012年2月12日日曜日

ゲーテの恋/君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」

(Goethe !)

 かの文豪が如何にしてあの傑作を書き上げたのか、と云うドイツ版『恋におちたシェイクスピア』(1998年)な作品です。邦題を『恋に落ちたゲーテ』にしても全く差し支えありませんが、パロディに間違われてしまいますかね(笑)。
 基本的に青春恋愛モノで、なかなか後味爽やかな映画でした。
 
 本作で若き日のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)を演じるのは、アレクサンダー・フェーリング。ゲーテと恋に落ちるシャルロッテ役に、ミリアム・シュタイン。二人とも、ドイツ映画界の新しい顔だそうですが、新人俳優とは思えぬ見事な演技です。
 監督が『アイガー北壁』(2008年)のフィリップ・シュテルツェル監督。良作が続いていますね。前作同様、自然の風景描写が美しい。

 ときに西暦一七七二年のフランクフルト。ゲーテは弱冠二三歳。
 父親は息子に法律を学ばせて何とか弁護士にしようとしておりますが、当人にはその気がまるで見られない。文学に傾倒して、日々ナニやら書き散らかしている。チラリと『魔王』なんぞという詩が画面に映りますが、父親はまったく評価していないというのが笑えます。
 法律の博士号取得試験にも遅刻しそうになる。
 ギリギリで滑り込む上に、口頭試験で屁理屈こね回す不遜な態度。これでは試験に受かる筈も無い。試験官達がゲーテの態度を評して曰く──
 
 「まったく最近の若者は、本を読んで調べると云うことをしない。読むのはシェイクスピアとかレッシングとかの駄本ばかりだ」

 偉大な劇作家も、当時はまだ単なる流行作家程度にしか評価されていなかったという描写も面白いデス。それにしてもシェイクスピアを駄本呼ばわりとは。
 いつの時代でも年寄りの感想は似たようなものデスねえ。現代もあまり変わらんか。特に「本で調べない」という点は当たっていそう(笑)。

 かくして父の嘆きは頂点に達し、ゲーテは法学を再修得する為に、フランクフルト北方の小さな村ヴェッツラーへと送られる。この村の裁判所に父親のコネで押し込まれ、そこで出会うのが上司となるケストナー参事官(モーリッツ・ブライブトロイ)と、同僚になるイェールザレム(フォルカー・ブルッヒ)。

 中世の事務処理の様子も興味深いですが、街中の様子がまた汚い。さすが一八世紀。もう泥だらけのメインストリートに笑ってしまいます。時代考証に忠実だとこうなるのか。特に雨が降っていなくても、いつでも泥だらけらしい。アヒルや鶏も放し飼い。
 この汚い街中の描写と、郊外の田園や森の美しさの対比が印象的でした。

 あるときゲーテは同僚イェールザレムと共に、仕事帰りに舞踏会に出掛ける。一八世紀のクラブみたいなものデスか。そこで出会ったのがヒロイン、シャルロッテ・ブッフ。
 険悪な出会いをした二人が、後に熱烈な恋人同士になるというのが、ラブコメ風ですね。

 本作では、シャルロッテの方が強気で、ゲーテをリードしていくのが面白いデス。
 当時の女性としてはやはり、恋人には詩を詠んでもらいたいものなのか。渋るゲーテに無理矢理、詩作させて詠ませる。自信なげに詩をでっちあげるゲーテに「あなたは才能がある。自信を持って」と励ます(年下なのに)。彼女がいなければ、後の文豪は誕生しなかったのか。

 ところで晩年のゲーテは著作『色彩論』で、「青と黄をもっとも根源的な色とする」と主張したそうですが、本作ではそのルーツが明かされたりします。何故、青と黄色なのか。実はこれはシャルロッテが原因であるという解釈で、多分ゲーテのことを知っていればピンとくるネタなのでしょうが、ドイツ人じゃ無いからすぐには判りませんでした(汗)。
 他にも人物の横顔のシルエットを即席の肖像画にするというネタもあります。この技法をゲーテは好んだそうですが、そのルーツもシャルロッテにあった……らしいデス(ホンマかいな)。

 シャルロッテは大家族の次女であり、家には幼い弟や妹がわんさか。ゲーテは子供達からも好かれるようになるが、彼女の父は一介の書生よりも、裕福な参事官との縁談を望んでいた。
 しかしケストナーは善人ではあれど、堅物で面白味がなく、女性に向かって気の効いた台詞が出てこない。
 思いあまって部下のゲーテに相談し、女性へのアプローチをアドバイスしてもらう姿が微笑ましいです。よもや同じ女性に想いを寄せているとは露知らず、上司の恋を応援する為に秘策を授けるゲーテ。
 策は見事に図に当たり、めでたくケストナーとシャルロッテの婚約が成立。

 しかし婚約記念パーティの席で互いの関係が発覚し、ゲーテは失意のどん底に。時を同じくして同僚イェールザレムも人妻との不倫が破局する。二人そろって仲良く失恋し、やけ酒をあおるのはいいが、ベラドンナでハイになるのは危険です。その挙げ句に、イェールザレムは拳銃自殺を遂げてしまう。
 友人の自殺を目の当たりにしたゲーテに、上司ケストナーは死者を中傷する言葉を投げつけ、それが原因で二人は決闘する羽目に。

 ケストナーを演じるモーリッツ・ブライブトロイは、『ミケランジェロの暗号』(2010年)にも出演しておりましたが巧いですね。嫉妬から意地悪な態度を取って(しかもちょっと卑怯な)、ゲーテを陥れますが、悪役と呼ぶのも可哀想という感じが出ていました。恋で理性が曇っている男。
 当時、決闘は法律で禁じられており、決闘の原因となる行為も罪と見なされる。裁判所の参事官であるケストナーがこのことを知らぬ筈が無く(事実、劇中の裁判シーンでそういう台詞がある)、ゲーテは罠に嵌められ、逮捕されてしまう。
 ここでちょっとケストナーを弁護すると、官憲が逮捕しに来る前に、先に一発だけ自分を撃たせてやるという態度に、彼なりの男らしさを感じました。

 婚礼の鐘の音を獄中で聞くゲーテが哀れです。
 やがて官吏に紙とインクを差し入れさせ、憑かれたように猛然と何かを書き始めるゲーテ。それまでの経緯を手紙の形で書き連ねていく。
 それは恋文のようでもあり、遺書のようでもあり……。
 書いて書いて書きまくった末に、結末で失恋した主人公が自殺する場面に、御丁寧に自らイラストまで描いて、これをシャルロッテに発送する。当然、一読するやシャルロッテは面会にすっ飛んでくるのですが、気の強い女性なものだから、慰めるより先に活を入れてしまう。
 おかげでゲーテは自殺を思いとどまり、同時にシャルロッテとの恋も終わりを告げる。

 半年後、刑期を終えたゲーテを実家に連れ戻すべく親父が迎えに来る。失意の息子にかける言葉も見つからぬまま、馬車がフランクフルトに着いてみると──。
 書店の前に黒山の人だかり。人々は先を争ってある本を購入し、在庫切れになったことを説明する書店の主がつるし上げを食らっている。その本の題名が──『若きウェルテルの悩み』。
 実はシャルロッテは送られた原稿を破棄せずに、出版社に持ち込んでいたのだった。持ち込まれたゲーテの原稿を読んだ編集者とシャルロッテの会話が印象深いです。

 「素晴らしい……。これは実話なのですか?」
 「実話以上のものですわ。それが、文学です」

 著者の姿を見つけて群がり寄ってサインを求める人々に応えるゲーテ。
 予想外に故郷に錦を飾った息子の姿を見た父親も「お前を法律家にしても、三流弁護士にしかなれまい」と、遂に作家になることを許してくれる。
 ゲーテの恋は失意のうちに終わりましたが、明るく爽やかなハッピーエンドでありました。

 本作は若干、史実を脚色しております(ドキュメンタリじゃないからいいか)。
 史実によると、『若きウェルテルの悩み』はフランクフルトに帰郷してから執筆された(出版は一七七四年)とか、イェルーザレムの失恋と自殺もゲーテの帰郷後の事件だったとか、ケストナーは非常に紳士的な人物で決闘は行われなかったとか、色々ありますがそこはスルーしましょう。
 『若きウェルテルの悩み』はベストセラーとなり、ウェルテル風のファッションが流行し、青年の自殺が急増するといった社会現象まで引き起こしたそうな。ブレイクする時ってのは、イキナリなんですねえ。

● 余談
 後年、ゲーテの作品には多くの作曲家によって曲が付けられ、シューベルト、モーツァルト、ベートーヴェンなどとも交流があったと云われますが、そのあたりの時代でもう一作くらい制作してもらえないものでしょうか。


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