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2010年4月1日木曜日

アイガー北壁

(NORD WAND)

 これは渋い。本格的山岳ドラマですよ。ドイツ版『剣岳 点の記』とでも云うのでしょうか。私は『剣岳』は未見ですが。
 どっちかと云うと『八甲田山』の方を連想してしまいました。

 二〇〇八年制作のドイツ・スイス・オーストリア合作映画だそうですが、米国では公開されていないのでしょうか。もし公開されていたら、その年のアカデミー外国映画賞はこれだろうと思うのですが。
 最近のドイツ映画は『善き人のためのソナタ』とか『ヒトラーの贋札』で、アカデミー外国映画賞を獲りまくり。多分、この『アイガー北壁』も獲るんじゃないのかなぁ、と思われるのですけど。
 ちょっと調べたら、どうも米国でも二〇一〇年公開らしいので、来年が楽しみです。

 グランドジョラス、マッターホルンと並ぶヨーロッパ三大北壁の一つで、アルプス登攀史上最後まで残されていた未踏の北壁がアイガー北壁。これは難攻不落の北壁登攀に挑んだ勇気ある登山家達の実話に基づく物語である。
 ──と云うから、登攀に成功した物語かと思ったら違いました!

 史実ではアイガー北壁の初登頂は一九三八年。この映画は一九三六年の物語。
 つまり……これは……。
 やっぱり『八甲田山』なのだあ!

 一九三六年と云うと、ベルリン五輪の年ですね。ドイツではナチスがブイブイ云わせていた頃です。
 前人未踏のアイガー北壁を最初に制するものは、何としてもドイツ人でなければならぬ。世界に対してアーリア人種の優位性を証明するだ。アイガー北壁初登頂に成功した者には、ベルリン五輪で金メダルを授与する。
 ──と、総統閣下が云っちゃったお陰で、優れた登山家が命を散らせる羽目になってしまったわけですが。

 ドイツ人登山家にとっては、何とも迷惑な話です。
 周囲から「いつ挑戦するんですか? 当然、挑戦するんでしょ」みたいな圧力がかけられ、世間が放っておいてくれない(こういうのは現代でも同じか)。
 〈国家の威信〉なんて重たいものを背負わされて北壁が登れるか!

 しかもアイガー麓のクライネ・シャイデックのホテルには観光客とマスコミが押し寄せ、あの雄大な景色を眺めるテラスから、望遠鏡で登攀の一部始終を見物されてしまうのです。こりゃ堪らんでしょう。
 見物する側からすれば、絶好のロケーションなのですが。
 競馬の予想屋のように、山岳ガイド達が登山家の登攀ルートを観光客達に解説する商売もあったりする様子が面白いです(笑)。

 このテラスからの眺めは今も昔も変わらないらしく、クリント・イーストウッド主演のサスペンス映画『アイガー・サンクション』と同じ場所が登場したので嬉しくなりました。登場する山岳鉄道なんかも同じ(ロケ地が一緒なんだから当然か)。
 なんかまた『アイガー・サンクション』が観たくなりました(山田康雄の日本語吹替付で再リリースしないものか)。

 この『アイガー北壁』の見所のひとつは、とにかく風景が美しく、しかも本物であることです。撮影スタッフの苦労は並大抵ではなかったでしょう。撮影隊は手持ちカメラを持って、実際に北壁を登攀したそうな。
 そのあとで、俳優達も現地ロケし、一部は冷凍倉庫内に組んだ巨大セットで撮影したシーンとを編集したそうだが、もはや全て現地で撮影したとしか思えぬほど映像はリアルです。
 凍傷のメイクとかもエグいまでにリアル(汗)。

 脚本も手掛けたフィリップ・シュテルツェル監督はCM畑の出身であるとか。やはり映像に拘りのある監督の作品はひと味違う。

 過酷な登攀の様子と、絶景の映像以外にも、当時の時代背景なども手抜かり無く描かれていて興味深いです。
 特に北壁初登攀を狙う各国の登山隊がキャンプしている様子とか。
 イタリア登山隊やフランス登山隊らに混じって、オーストリア登山隊の装備が充実しまくりなのを主人公達が見て、「あいつら国から援助を受けていやがる」とライバル視するあたり。
 実は援助しているのはドイツ政府だったりして。
 当時のオーストリアはドイツに併合される直前の、風前の灯火状態。台詞の中にも「シューシュニク政権も長くはないな」なんてのがあったりします(笑)。
 ドイツ政府としては、主人公達が失敗しても保険をかけておきたかったというのが露骨に判ります。オーストリア登山家が熱心なナチス党員でもあった、というのが何ともイヤな感じ。

 その一方で、肝心のドイツ人登山家──アンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツのコンビ──は、可能な限り国家からは距離を置いて、国籍とは関係なくアイガーに挑もうとしている。
 二人の職業は〈山岳猟兵〉というナニやら凄そうな名前。山岳専門の歩兵部隊だそうです。職業軍人なのだから一言「アイガー北壁に挑戦するから休暇をくれ」と申告すれば、政府は二つ返事で装備一式を用意してオマケに有給休暇も付けてくれたろうに。それを敢えて辞表を出してから、自費で準備に取りかかる。
 このあたりのドイツ隊とオーストリア隊の描写が対照的です。

 結局、史実としてここでの挑戦は失敗に終わる──ドイツ隊、オーストリア隊ともに全滅である──わけですが、大自然の情け容赦ない描写は凄まじいです。『八甲田山』が垂直になったような感じ。
 特にパートナーの命まで危うくなると見て、自らのザイルを断ち切り「お前は生還しろッ」と叫んで滑落していくヒンターシュトイサーの最期がむごい。
 そして最後の一人となったクルツもまた、救助隊の目前で力尽きる。こちらは救助隊員からほんの数メートル先で、あまりにも消耗が激しく自力でザイルを解くことが出来ずに宙吊りになったまま絶命するという更にむごい結末(泣)。

 実際に「宙吊りになったまま絶命したクルツ」という写真があるらしい。
 この結末のあまりのむごさに、一九三六年のヒンターシュトイサーとクルツの悲劇は、北壁登攀史上に永遠に刻まれることになったとか。そこまで酷い物語だったとは存じませんでした。

 大自然に果敢に挑戦した偉大な先人の記録として、DVD化されたら一家に一枚は常備しておきたいものです。

 この悲劇の後、一九三八年になってアイガー北壁登頂はドイツ&オーストリア合同登山隊によって達成され、ナチスはこれをオーストリア併合の象徴としてプロパガンダに利用しまくった──とラストの字幕でその後の顛末が説明されます。
 ベルリン五輪には間に合わなかったが、さすがはナチス──と云うかゲッベルズさんの手腕でしょうが──、転んでもただでは起きなかったようです(汗)。

● 余談
 このアイガー北壁の初登頂に成功した登山家のひとり、オーストリア人のハインリッヒ・ハラーはアイガーの後、今度はヒマラヤ登頂を命じられ──「アーリア人種のルーツはヒマラヤにある」という総統閣下のオカルト趣味に付き合わされて──散々な目に遭うそうですが、こちらの顛末についてはブラッド・ピット主演の『セブンイヤーズ・イン・チベット』として映画化されてますね(笑)。

 ボブ・ラングレーの冒険小説『北壁の死闘』もまたアイガー北壁登頂にまつわる物語だそうですが、こっちは映画化されないのかな。


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