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2012年2月13日月曜日

人生はビギナーズ

(Beginners)

 なんとも奇妙な味わいの人生ドラマでした。
 老いた父の晩年と、恋愛に疎い息子の恋模様を同時並行的に描いていくドラマなのですが、先に父の死があって、息子の恋愛はそのあとという順番なのに、時系列をシャッフルして並べ直しています。
 回想シーンが多用されると云うよりは、時間軸が複数あって、あちこち移動しながらドラマが進行していくという演出に、『(500)日のサマー』(2009年)と似たものを感じました。

 父親役はクリストファー・プラマー。本作で今年(2012年・第八四回)のアカデミー賞助演男優賞にノミネートされております。長年ゲイであることを隠してきたが、妻に先立たれたことを契機にカミングアウトし、晩年の人生を謳歌し始める姿を楽しげに飄々と演じておりました。
 息子役はユアン・マクレガー。内気なグラフィック・アーティストで、筋金入りの草食系男子。過去に付き合った女性とはすべて巧くいかず、今また新しい出会いがあるにもかかわらず、一歩踏み出すことが出来ない。
 そのユアンと恋人になるのがメラニー・ロラン。変わり者のユアンから見ても、ちょっと奇妙な女優志願の女性。何やら複雑な過去を抱えているようですが、簡単には明かしてくれない。

 『サムサッカー』(2005年)のマイク・ミルズ監督作品です。これが監督三作目になるそうですが、どことなく奇妙な人間ドラマになるのがミルズ監督のカラーなんですかね。
 本作は監督自身の体験を基に、自身で脚本を書き上げて映画化しておるそうで、やはりお父上からゲイだとカミングアウトされたとか。

 冒頭、ガランとした空き家同然の家を整理しているユアンの姿から始まります。不要になった家具類が、粗大ゴミとして家の前に積み上げられている。一見して遺品を整理しているのだと判ります。
 淡々としたユアンのナレーションで「父がゲイだとカミングアウトし、四年間人生を謳歌した後、癌で他界した」旨が語られます。ある意味、先に結末をバラしておるのですが、特に不都合はありませんです。大事なのは経過であって、結末ではありません。

 総じて淡々と進行していくドラマで、ユアン・マクレガーも父を喪った哀しみを号泣することで表現したりしませんです(少しは泣きますが)。
 しかしその後になって、冷静にしっかり感情をコントロールしているように見受けられながら、行動の端々にヘンな部分が現れる。実は全然、父の死を乗り越えていなかったというのが、窺い知れる。さりげないユアンの演技が見事です。

 父の死後、ペットの犬を引き取って育て始めるのですが、この犬が可愛い上に演技が巧い。
 もし動物の演技にあげる賞があったなら、間違いなく受賞ものでしょう──と思ったら、やっぱり世間にはそういう賞がありましたか。「ゴールデン・カラー(金の首輪)賞」と云うそうですが、今年が第一回だそうで、しっかりノミネートされておりました(笑)。
 でも受賞は逸したとか。最優秀俳優犬賞は『アーティスト』(2011年)に登場した犬だそうな。

 本作に登場する犬も結構、可愛いのになあ。残念デス。
 孤独なユアンの話し相手であり、適切なアドバイスや感想を述べてくれます。字幕で。
 この「喋らない犬」に、「もっともらしいセリフを字幕で付ける」という演出が面白いデス。しかも犬が本当にそういうセリフを喋っているような仕草をする。見事な演技と申せましょう。軽く小首を傾げるだけのビミョーな演技も巧い。
 対するユアンもちゃんとそれに応えて会話が成立している。犬のセリフはユアンの妄想とも考えられるのですが。

 カミングアウトした後、「残った余生でその道を究めたい」と云う七五歳の父に、恋人(ゴラン・ヴィシュニック)が出来る。服装も若々しくなり、まるで別人──以前は美術館の館長というお堅い役職だったのに──であるが、息子の方はイマイチ釈然としない。父がゲイであるなら、何故、自分は生まれたのか。父と母の間に愛はあったのか。
 少年時代、どこかよそよそしかった夫婦の間柄や、寂しげだった母の様子を思い出すユアン。父は長いこと家族を偽り続けていたのか。
 アイデンティティが揺らぐ息子を尻目に、ゲイの仲間達と楽しく過ごす父。
 クリストファー・プラマーとゴラン・ヴィシュニックのキス・シーンも楽しげデスが、先日の『J・エドガー』と云い、ゲイ描写が流行っているんですかね。勘弁してもらいたい(汗)。

 一方、父が亡くなってからのユアンは鬱々としている。表面上はデザイン事務所に出勤し、絵を描き続けるのであるが、描く絵がみんな悲しい──と云うか陰鬱な──絵ばかり。クライアントの意向に添わないイラストばかり描いた挙げ句に、仕事をキャンセルされてしまう体たらく。
 クリエイターの仕事は難しいとは云え、あまりプロとは云えない仕事っぷりですねえ。
 とは云え、劇中でユアンの描くイラストの数々が、なかなか個性的で面白かったです。ちょっとヘタウマな感じで、味があります。

 淡々と進行していくドラマではありますが、ユアン自身のナレーションで、生前の父の様子と共に、両親が健在だった頃の子供時代、更には自分が生まれる前の時代、あるいは自分や恋人メラニーが生まれた年などの時代の流れを説明していく語り口が独特でした。
 ある時代のエピソードを語る際に、「当時の太陽」、「当時の空」、「当時の大統領」、「当時の話題の映画」、「当時に行われていた戦争」等々の画像をスライドショー式に見せてくれると云う、なかなか面白い演出です。懐かしい映画のスチール写真も拝めます。
 また、出番は少ないですが母親役のメアリー・ペイジ・ケラーも、ちょっとエキセントリックなお母さんでした。ユアンが個性的な女性に惹かれるのは、このあたりに原因があるのか。

 カミングアウト後の暮らしを満喫する父であったが、あるとき癌の告知を受ける。既に転移しており、完治は難しい。恋人やゲイ仲間に告知できないまま、病状が悪化していく父につきっきりで介護するユアン。そこで初めて明かされる夫婦間の秘密。

 父と母が若かりし頃、同性愛とは精神疾患の一種とされていた。そして実は母は、父の性癖を承知の上で結婚したのだという。母には、「父を治療する」という目的があったのだが、遂に父のゲイは治らなかった(そもそも病気じゃないし)。
 意外と云えば、実は母はユダヤ人のハーフであったというのも、初耳。ユダヤであることを隠したい時代だったと云うのは、『サラの鍵』でも言及されていたことですね。
 父はゲイであることを隠し、母はユダヤであることを隠し、互いにそれを承知の上で結婚した──と云う、誠に夫婦の間のことは実の息子にも窺い知れぬことなのですねえ。

 結局、誰も家族を欺いてなどおらず、双方合意の上での、淡泊ではあったもののそれなりに幸せな生活だったのでは。一人でショックを受け、悩んでいたのは息子だけか(笑)。
 間もなく遂に父の寿命も尽きる。愛する人達に囲まれての臨終は幸福でありましょう。

 父の晩年は、「人はいつでも新たなスタートが切れる」ことを体現していた。
 では自分はどうか。
 過去、何人もの女性と付き合いながら、常に決定的な一歩に踏み出せず破局していた恋愛。自分が何を望んでいるのか判らず、巧くいかなる事を怖れるあまりに、自分の手で関係を壊すことの連続だった。
 今こそ、父と同様に「殻を破る」ときだ。一度はメラニーとの仲も破局を迎えたが、今度は違う。関係修復の為に奔走し始めるユアン。
 その過程で、父の恋人とも関係が修復されるという図がいいです。ゲイの男とノーマルの男でも、同じ男性を愛した者同士なのだ(あまり長時間ハグしていたくはないが)。

 何とか恋人メラニーと縒りを戻したものの、まだ関係はぎこちない。二人がこの先、どうなっていくかは神のみぞ知るところでしょうが、とりあえずは試してみよう。
 人生、何事もチャレンジあり、人は皆、常に初心者(ビギナーズ)なのであるという、なかなかに味わい深い趣のドラマでありました。
 劇中に流れる音楽も、洒落たジャズ・ピアノでイイ感じでした。


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