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2011年2月13日日曜日

太平洋の奇跡

フォックスと呼ばれた男

 太平洋戦争に於ける島をめぐる戦争映画と云うと──
 ガダルカナル島だと『シン・レッド・ライン』(テレンス・マリック)。
 硫黄島はもちろん『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド)。
 サイパン島は……『ウィンドトーカーズ』(ジョン・ウー)があったか。

 確かに『ウィンドトーカーズ』と同じく、この『太平洋の奇跡』にも米軍側にネイティヴ出身の兵士が登場しておりましたな。小ネタですが。

 しかし戦争映画ではありますが、激しい戦闘シーンを期待すると、ちょっと肩すかしかも。冒頭のナレーションで概略説明を済ませ、米軍のサイパン上陸から始まるのである。
 そして開巻間もなく1944年7月7日の玉砕攻撃(バンザイ・アタック)。
 一番激しい戦闘シーンが真っ先か(しかも割と短い)。

 本編は、主にこの戦いで生き延びてしまった大場大尉と兵隊さん達のサバイバルの物語である。なんとなくダニエル・クレイグの『ディファイアンス』を連想します。
 生き残りの日本兵はサイパン島最高峰タッポーチョ山の密林に民間人を含む二〇〇名近いキャンプを作り上げ、米兵の目を逃れながらサバイバルしていく。

 先に投降して島の収容所に入れられた日本人等と連絡を取り合いながら、抵抗し続ける。なんかパルチザンというかレジスタンスと云う趣である。まぁ、大して抵抗できるほどの兵力はないので、もっぱら逃げ隠れ専門ですが。
 結局、散発的な銃撃戦は何カ所にもあるが、本格的な戦闘は最初だけ。

 有名な「マッピ岬からの民間人の投身自殺(バンザイ・クリフ)」も、米兵の報告として語られはしますが、映像にはならなかった。やはり出来ぬか……。
 報告を聞く米軍司令官(ダニエル・ボールドウィンだった)に、物語の語り手であるルイス大尉(ショーン・マクゴーウァン)が将棋の駒を使って説明する。

 「日本のチェスでは、駒は取っても殺すのではなく、自軍の駒として利用できるのです」
 「それが彼らの考え方なら、どうしてさっさと投降しない?」
 「敵軍に協力することは、即ち天皇を裏切ることになり、それが耐えられないので自決するのです」

 観客にも判るように米兵視点で日本兵の精神構造を解説する場面は、やはり必須なのですね。これが無いと今の若い世代には理解できないでしょう。
 特に、総攻撃前夜に日本側の将校がそろって自決していたという報告を、米軍の基地司令は理解できない。

 「攻撃前夜に将校達が自決? そんな無責任な」
 「違います。決戦に際して命を惜しむなと、自ら命を絶ってみせることで部下達に範を垂れたのです」
 「クレイジーだ」

 ショーン・マクゴーウァンはなかなか流暢に日本語を喋る俳優さんですな。設定上は戦前に日本に留学したことのある親日家の兵士という役でした。
 英語を喋る日本人と云うのは今までの戦争映画でも登場しましたが──ここでは阿部サダヲが熱演しています──、日本語を喋る米兵と云うのはなかなかお目にかかれなかった。
 阿部サダヲは『大奥』でもかなり良い役でしたが、今回も頑張ってますね。

 主役の竹野内豊の他に、徹底抗戦を主張する山田孝之、兵隊ヤクザな唐沢寿明、他にも中嶋朋子、井上真央、ベンガルといった方々が出演されておりました。やはり竹野内豊の大場大尉は実に立派な指揮官として描かれていました。謙虚だし。

 原作自体が物語にも登場した米兵の体験に基づく実話だから──親日家の作家ですし──今までの戦争映画とはかなり毛色の違うテイストでした。
 いや、そこまで日本を持ち上げていただかなくても……。
 ホントにそんなに米兵から尊敬と畏怖の目で見られていたのであろうか。なかなか信じられぬが。

 戦後教育を受けた身として、日本軍にネガティブなイメージを抱いてしまう点については忸怩たるものがあるのですが、この映画を信じるとやはり素直に「兵隊さんよ、ありがとう」と云うことになるのですかね。
 サイパン島って戦前から日本の民間人が相当、住んでいたので山中に隠れている民間人もかなりいたらしい。また収容所にも結構な数の日本人がいて、大場大尉が民間人を安全に山から下ろすことに腐心するという場面がありました。

 物語としては米兵視点と日本兵視点で交互に語られていくという、なかなか公平な演出が為されておりました。その所為で結局、極端な悪人は誰も登場しないという、不思議な戦争映画になってしまいましたが。
 イマドキの戦争映画──特に邦画として──は、こうなる他ないのであろうか。

 ルイス大尉はなんとかして大場大尉を死なせることなく下山させたいとあの手この手を考える。
 しかし一年が経ち終戦を迎えてもタッポーチョ山から日本兵は下りてこない。説得と交渉の末、1945年12月になり大場大尉らの512日間の戦いは終止符を打たれることになるのですが……。
 「戦争は終わっているのだから〈投降して捕虜になる〉のではない」と云う理屈に意地のようなものを感じました。

 エンドクレジットを眺めていると、やたらと外人が多い。役者もそうであるが、スタッフはほぼ米国人なのでは? これも邦画としてはかなり珍しい製作体制ですね。
 日本兵視点の場面は平山秀幸が監督し、米兵視点の場面は脚本も書いたチェリン・グラックが監督したそうな。『トラ・トラ・トラ!』みたいですなあ。


 ところで劇場内では年輩客の方が多いように感じられました。
 だからラスト近く、大場大尉らが下山してくるときの場面で面白いモノを見た。
 47人の兵隊が軍歌「歩兵の本領」を歌いながら堂々と行進してくる場面。ここは実に立派というか、観ていて同じ日本人であることがちょっと誇らしくなります。

 ♪万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は隅田に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵戔(さんぺいせん)の花と散れ~♪

 劇場内の数列離れた席から、小声で一緒に歌う年輩男性の声が聞こえた。年齢的に考えると、刷り込まれたメロディは忘れ難いのであろうか。
 隣に座っていた老婦人に──奥さん?──たしなめられたらしく、歌声はすぐ途切れたが(笑)。

 なかなか印象的な歌だったのでネットで検索すると、YouTubeに色々と転がっておりました。それはいいのですが。
 初音ミクにまで「歩兵の本領」を唄わせているのは如何なものか(爆)。
 なんかクラクラしました(映画とは関係ないが)。




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