カンヌ国際映画祭(第64回・2011年)でパルムドール(コンペティション部門)にノミネートされたのも納得です。惜しくも受賞は逸しましたが(そりゃ対抗馬がテレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』や、ダルデンヌ兄弟の『少年と自転車』とかですし)。
ティエリ・ジョンケの小説『蜘蛛の微笑』が原作だそうですが、かなり大胆に脚色されておるそうです(脚本もアルモドバル監督)。原作からどの程度、脚色されているのか判りませんが、本作の異様な展開はアルモドバル監督でないと出せない味でしょう。
主演はアントニオ・バンデラスとエレナ・アナヤ。当初は、アントニオ・バンデラスとペネロペ・クルス(またしても)の予定だったそうですが(それはそれで観たかった気もしますが)、エレナ・アナヤも相当なものです。
しかしエレナ・アナヤと云うと、『ヴァン・ヘルシング』(2004年)ではさっぱり印象に残らず(三人いたドラキュラの花嫁の一人だったそうですが、もはや誰が誰やら)、『アラトリステ』(2006年)でヴィゴ・モーテンセンと共演していた方がまだ印象深いです。
ペネロペ・クルスの出演していないアルモドバル監督作品は久しぶりな気がします。
スペインはトレド郊外。隔離病棟のような閉鎖された部屋に、肌色全身タイツの女性ベラ(エレナ・アナヤ)が収容されている場面から始まりです。どういう経緯でその女性がそこにいるのか判らない。食事も部屋の備え付けの小型エレベータで運ばれ、部屋の外の者との接触はまったく無いように仕組まれている。会話もインターホン越し。
どうやらベラは過去に自殺未遂を図ったこともあるらしく、刃物の差し入れは却下。
回想シーンを挟みながら、天才形成外科医のアントニオ・バンデラスが、画期的な人工皮膚の開発に成功したことが語られますが、人体への応用にはヒト遺伝子を使った実験を行わねばならず、倫理的に許可してもらえそうに無い。
研究の有用性を必死に訴えるバンデラス医師ですが、研究中止が決定される。
実は隔離された女性は、バンデラス医師の自宅に収容されており──かなり大きな邸宅で、資産家であることが察せられる──、ベラの存在そのものが秘密であるらしいと判ってきます。外部との接触を禁じられ、半ば監禁状態ではあるものの、バンデラス医師には重要な患者であるらしい。
先の人工皮膚の研究は打ちきりになった筈なのに、どうやらバンデラス医師はその後も秘密裏に研究を続け、遂に人体に応用できる域にまで達したことが伺えます。
しかし家政婦マリリア(マリサ・パレデス)は渋い顔をしている。どうもベラの存在そのものが気に入らない様子であるが、何か事情があるのか。
序盤からなかなかミステリアスな展開で、ぐいぐいと引っ張っていく演出は流石デス。
バンデラス医師の邸宅の内装も、美術品があちこちに置かれ、特にシュールな裸婦画が廊下のいたるところに掲げられている様子は、どっちを向いても「肌」を連想せずにはおられぬ演出が巧いです。
邸宅の内装以外でも、ベラの病室の壁一面の細かい模様──これが何なのかはドラマの後半で明らかになりますが──とか、美術スタッフの細かい仕事がお見事デス。
やがて明らかになるのは、ベラは全身がバンデラス医師の開発した人工皮膚によって覆われていること。どうやらかなり大きな手術を何回も繰り返してきたことが察せられ、奇妙な全身タイツも患部を保護する為らしい。
しかしそれだけでは無く、ベラの顔はバンデラス医師の亡き妻を模していることも明らかに。バンデラス医師にとってベラは単なる患者では無い。まったくの赤の他人を妻の代用にしようとしているわけで、事情を知っている家政婦が渋い顔をするのも道理です。
しかしベラの方もまたバンデラス医師に精神的に依存している様子であり、どうにも歪んだ愛情が支配する退廃的で不健康な関係であるようです。こういうのもヤンデレなんでしょうかね。
アントニオ・バンデラスの、一見まともそうでいて、狂気をたたえた目の演技が印象的です。なんかもう確信犯的にイッちゃっているのが伺えます。
医者と患者の関係を超えながら、全身の皮膚をケアする診察では、エレナ・アナヤが惜しげも無く裸体を披露してくれて官能的ではありますが、それほどエロス指向でもないか。でも皮膚移植に使用した人体模型のデザインも美術品のようでありますが、ちょっと生々しいので地上波でTV放送は出来ないような気がしますねえ(アレはカットでしょう)。
この危うい関係がどうなるのか思われたところに、家政婦マリリアの息子セカ(ロベルト・アラモ)が邸宅に押しかけてきて微妙なバランスが崩れていく。宝石強盗で手配中という極道息子セカは、バンデラス医師が留守中であるのを良いことに、母親マリリアを縛り上げ、病室に幽閉されているベラをレイプする。
スペイン映画デスから、こういう場合でも仄めかすような演出にはなりません。おかげで画面にボカシが入りまくりです。あまりエロい場面では無いのだから、どうにかならぬものか。
結局、帰宅したバンデラス医師が異変に気付き、極道息子を射殺して落着。すべては元に戻るかと思われましたが──。
家政婦マリリアの語るセカとバンデラス医師の関係。亡き妻ガレが全身に火傷を負った悲惨な事故と、自殺の顛末。献身的な看病の果てに愛する妻を自殺で亡くしたバンデラスの失意。
更にまた、残された一人娘も六年前に自殺したことが家政婦の口から語られます。それをじっと聞いているベラ(これが伏線だったとはねぇ)。
実は物語は二部構成になっていて、ここがドラマの驚愕の折り返し地点です。ここから先は何とも予想外でした。
時系列的には、ここからが先に語られるべき順番ですが、前半と後半の順序を逆にした構成が素晴らしいです。単なる回想シーンかと思っていたら、なかなか終わらない上に、物語の核心的な部分がここで語られるという演出。
前半だけでも相当に異様な物語でしたが、更にここからベラの素性が明かされ、驚天動地とはまさにコレかと感じ入りました。
マリリアも知らなかった六年前のバンデラス医師の一人娘が自殺したという事件の真相とは……。
異様な物語とは思っておりましたが、まさかここまで異様であるとは。恐れ入りました。実にグロテスクな愛の物語です。ゆがんで狂っているけれど、これもまた愛のなせる技か。
印象的だったのは、劇中でバンデラス医師が盆栽いじりをしている場面があったことです。
「盆栽」が意味するところは、非常に象徴的ですね。まさにバンデラス医師は、人間を盆栽のように扱い、枝をたわめ、望みの形を作り出そうとしているのですから。
SF者としては、「盆栽」が画面に登場した瞬間に、シオドア・スタージョンの短編「ゆるやかな彫刻」を思い出しました。
昔はこの短編、収録された短編集が絶版状態で入手困難な時代が続いたんですけどねえ。今はスタージョンの再評価が進んで、翻訳された短編集も沢山出版されるようになりました。SF者としては嬉しい限りデス。
その短編の中でスタージョンは、盆栽を「世界で最も時間のかかる彫刻である」と書いております。そして「ときには彫刻されているのが人なのか木なのか、疑いさえ生じるほどだ」とも(伊藤典夫訳)。
まさに盆栽は人と木の対話によって作られる彫刻であり、一方的な人間の意思だけでは決して完成しない代物なのです。
ところで何故、「盆栽」を扱ってSF小説になるのかについては、実際に読んでいただく方がよろしいでしょう(ヒューゴー賞受賞作ですから未読の方には是非、読んで戴きたい)。現在は『時間のかかる彫刻』(創元推理文庫)として楽に入手可能になっていますが、でも “Slow Sculpture” は、やはり「ゆるやかな彫刻」と訳した方が馴染み深いです。
うーむ。すっかり脱線している(汗)。
このスタージョンの盆栽についての考察が、記憶の片隅に引っかかっておりましたので、バンデラス医師が破滅を迎える展開は、非常に理解しやすかったです。
どうもバンデラス医師は、人工皮膚移植の腕前は超一流ですが、盆栽アーティストとしては二流だったようで、彼は「木との対話」を怠り、自分の考えを押しつけるだけで、相手を理解しようとはしなかった。両者が互いに理解し合うには、長い時間が必要なのです(と、スタージョンも云っておられる)。バンデラス医師は明らかに、事を急ぎすぎたように見受けられます。
あるいは、すっかり完成したと思い込んで、いい気になって手を抜いたのか。
人間を彫刻しようとするなら、尚のこと(いや、ホントはそんなことやっちゃイカンのでしょうが)、相互理解と長い時間が必要なのでしょう。
スタージョンによれば、「盆栽には所有者などいない」のだそうです(所有していると主張する奴は二流ですな)。そこには「盆栽の友」がいるだけの筈なのに。
よもやペドロ・アルモドバル監督はシオドア・スタージョンの「ゆるやかな彫刻」の愛読者だったりするのでしょうか(笑)。
わずかな油断がベラの記憶と感情を呼び起こし、自分が「ベラになる」前は何者だったのかを思い出す。部外者が介入するという危機は去ったものの、もはやベラは元に戻らず、愛憎入り交じった裏切りと破局を招来する。
バンデラス医師も、マリリアも手に掛け、ベラは逃亡する。女を信用したのが運の尽きか。
しかしそもそも狂気の愛が原動力ですから、最初から巧くいく筈なかったのだとも云えます。
ラストシーンは数年ぶりに実家に戻ってきたベラを前に(いや、ベラじゃないけど)、二の句が継げない母親との対面で終幕です。果たしてこの先、失われた人生は取り戻せるのか。
完成しかけた盆栽の手入れを怠ったとき、その盆栽がどうなっていくのかを想像すると、あまり明るい未来であるとは思えませんのですが……。
エンドクレジットに映る「二重螺旋のオブジェ」がなかなかに意味深でありました。
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