『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、かつて英国で一度TVドラマ化されましたが(1979年)、日本では未放映。是非ともDVD化して戴きたいものです。当時のTV版では、主役のスマイリー役はアレック・ギネスだったそうで、本作では同じ役にゲイリー・オールドマンが挑戦しています。
原作では、「小太りで猫背で風采の上がらない男」であるスマイリーも、ゲイリー・オールドマンのおかげでナイスミドルですよ(アレック・ギネスもそうか)。地味なコートを着こなし、背筋を伸ばして佇む姿が印象的です。
意外にもゲイリー・オールドマンは本作で初めてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。今までアカデミー賞とは無縁だったのか、ゲイリー。
しかし本作でのゲイリーの抑えた演技は主演男優賞ノミネートも納得の燻し銀の味わいです。『アーティスト』(2011年)のジャン・デュジャルダンの受賞でなければ、ゲイリーにオスカーを獲って戴きたかったです。
でもあまりにも燻し銀すぎて一般受けしないか。それよりも『ファミリー・ツリー』のジョージ・クルーニーの方が共感を呼ぶのかしら。
東西冷戦もたけなわの一九七〇年代。英国諜報部(通称「サーカス」)は老練なチーフ〈コントロール〉と五人の幹部によって運営されていた。
しかし〈コントロール〉はある疑念を抱いていた。東側に寝返った二重スパイ(モグラ)が組織内部にいると。それは中枢にいる幹部の中の何者かである筈だ。
冒頭で、ジョン・ハート演じる〈コントロール〉が、一人の諜報員(マーク・ストロング)に極秘任務を授ける場面から始まります。
亡命を希望しているハンガリーのある将軍が、二重スパイの名を知っている。将軍の亡命を助けて、誰が〈モグラ〉なのかを突き止め、コードネームで報告せよ。
そして容疑者である幹部に振り当てたコードネームが、〈ティンカー〉、〈テイラー〉、〈ソルジャー〉、〈プアマン〉。
ジョン・ハートとゲイリー・オールドマン以下、四人の幹部の配役が豪華です。
〈ティンカー〉役が、トビー・ジョーンズ。
〈テイラー〉役が、コリン・ファース。
〈ソルジャー〉役が、キーラン・ハインズ。
〈プアマン〉役が、デヴィッド・デンシック。
原作小説では〈コントロール〉は自分の右腕であったゲイリーすら疑っており、彼には〈ベガマン〉と云うコードネームを付けていましたが、映画の方ではそこは微妙に省略されていましたね。
しかし情報はソ連側に筒抜けで、諜報員はブダペストで撃たれて作戦は失敗。作戦を指揮した〈コントロール〉は引責辞任。ついでに諜報部のナンバー2だったゲイリーも引退を余儀なくされる。
一年後、再び二重スパイの存在が問題となるが、既に〈コントロール〉は亡くなっており、ゲイリーが呼び戻される。一度は引退した人間だからこそ信用できると云うわけで、ゲイリーの調査が開始される。信頼できる部下(ベネディクト・カンバーバッチ)を指名し、調査チームが結成される。
時を同じくして〈モグラ〉容疑を掛けられたかつての部下(トム・ハーディ)がイスタンブールから帰国し、ゲイリーに助けを求めてくる。彼の証言を元に調査を進めていくゲイリー。
〈モグラ〉はKGBの大物幹部〈カーラ〉と通じている。かつてゲイリーは現役時代に一度だけ〈カーラ〉と対峙したことがあった……。
あまりにも抑えた渋い演出なので、一見しただけでは判り辛いという欠点もありますが、何度でも観たくなる映画デス。後を引くというか、見逃した場面が幾つもあるような気がして、もう一度確認したくなります。
監督は『ぼくのエリ/200歳の少女』(2008年)のトーマス・アルフレッドソン。スウェーデンの方ですので、これが初英語作品となります。なんか映画一家であるようで、父上のハンズ・アルフレッドソンも俳優兼監督だし、兄のダニエル・アルフレッドソンも監督ですね。
兄ダニエルは、あのスウェーデンの傑作ミステリー『ミレニアム』シリーズの監督ですよ。でも『ミレニアム2/火と戯れる女』(2009年)、『同3/眠れる女と狂卓の騎士』(同年)の監督。と云うことは、弟の方が腕がいいのか……(げふげふ)。
宣伝文句である「一度目は欺かれる。二度目で真実が見える」と云うのは正しいですね。
最初はもう、ストーリーを追うだけで精一杯という感じ。回想シーンが随所に挿入されて時系列が前後しますが、それほど難しい物語というワケではありません。
むしろ単純明快で、〈モグラ〉は誰なのか、と云う犯人当てのミステリー。犯人が明らかになれば、そこでお終いです。
しかし思わせぶりな演出を極力廃した描写は、非常に淡々としており、どこが伏線なのか最初は判りません。
一回だけの鑑賞でもストーリーは理解できます。〈モグラ〉が誰なのかも判ります。事件は解決し、万事丸く収まる。
が、ゲイリー・オールドマンに「何故、判ったのか」が理解しづらい。
沈思黙考するゲイリーのアップ。今までの調査の過程で関係者から聞き取った証言が脳裏を交錯する。その中で、ひとつの証言の中にあった「ある言葉」にピンときてハッと顔をあげる。
明らかにこの時点で、心当たりがあるのですが、「何故、ピンときたのか」が説明されない。
でもちゃんと注意深く観ていれば、「その言葉」を使った人物が四人の幹部の中にもいて、ゲイリーもそばでそれを聞いていた場面があります(それも始めの方に)。
……と書いていて、だんだん自信が持てなくなってきました。一応、二回観たのですが。リピート鑑賞は割引されるという劇場側の罠に掛かってしまいまして(汗)。
最初はもう、セリフを追ってストーリーを理解するだけでも一苦労です。大体、登場人物の名前とコードネームがなかなか一致しない。
えーと。アレリンって誰だっけ。あぁ、そうそう〈ティンカー〉な。エスタヘイス、エスタヘイス……〈プアマン〉か。
こんな調子で、顔と名前とコードネームを一致させるのに多大な労力を費やしてしまいました。うーむ。
もう一回くらいは観て、問題のシーンを確認できれば、自信を持って云い切れるのですが。
本作はDVDでの鑑賞向きでしょうかねえ。
画面のレイアウトもなかなか凝っていて、やたらとガラス越しに眺めてみたり、格子やフェンス越しに風景を映してみたりしています。室内も暗めで陰影が強調されている。
天候もイギリスらしく晴れた日がなく、どんよりした曇り空ばかり。やはりサスペンス・ミステリには晴天は似合わないのか。ロマン・ポランスキー監督の『ゴーストライター』(2010年)と同じですね。
陰鬱な物語に拍車を掛けるのがアルベルト・イグレシアスの音楽。もの悲しいジャズ調のメロディが印象的です。スペインの作曲家で、よくペドロ・アルモドバル監督作品の音楽を手掛けていますが、ル・カレ原作の『ナイロビの蜂』(2005年)の音楽も担当しているので、そのつながりでしょうか。
イグレシアスのテーマ曲は今年(第84回・2012年)のアカデミー賞作曲賞にもノミネートされていました(他にも脚色賞でもノミネート)。
またイグレシアスの渋いメロディと共に、七〇年代当時のナツメロも時代を表す小道具として巧く使われておりました。
それから何を云うにしてもゲイリー・オールドマンの名演技は忘れがたい。
特に自分の現役諜報員時代に、それと知らずにKGBの大物スパイ〈カーラ〉と接触していたというエピソードを語る場面が白眉です。
大抵、こういう場面では回想シーンとなって、具体的に若かりし日のキャラクターが登場したりするものですが、ここは敢えてゲイリーの「語り」だけで乗り切りました。
一つのテーブルに向かい合わせの椅子が二脚。片方にゲイリー・オールドマンが腰掛け、聞き役である部下に当時の思い出を語っていく(部下は少し離れたソファに座って聞いている)。
向かい側の椅子は空いたまま、誰も座っていないのに、ゲイリーの「語り」が進行していくに連れ、どう見てもそこに敵である〈カーラ〉が座っているように感じられる。
舞台劇の一人芝居の妙技を目の当たりにするようで、背筋がゾクゾクしました。
そして厚いメガネのレンズ越しに、過去を背負ったベテラン諜報員の陰影のある風貌がアップで映る。静かな場面ですが、凄みのあるゲイリーの演技は素晴らしいです。
繰り返しますが主演男優賞を獲って戴きたかった。まぁ、アカデミー賞ではありませんが、サンフランシスコ映画批評家協会の主演男優賞は受賞しております。
共演したジョン・ハートはゲイリー・オールドマンのノミネートの報せを聞いて、「獲らせてあげたいが、アメリカ人にあの映画は難しいのではないか」と云う旨のコメントをしたそうですが、やはり明朗快活な映画の方が受けが良いのですかねえ。
ル・カレの小説ではジョージ・スマイリーを主役にした小説が何冊かありますので、やはり同一スタッフ、同一キャストで続編、続々編まで制作して戴きたいです。
本作と『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』の三部作で、宿敵〈カーラ〉と決着が付くところまで。そしてこれがゲイリー・オールドマンの新たな代表作となりますように。
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