前半は金城くんの緻密な推理が冴え渡り、後半はドニーさんの超絶カンフー技が炸裂するという、一粒で二度オイシイ映画デス。観て損ナシと申せましょう。
監督は『ウォーロード/男たちの誓い』(2007年)のピーター・チャン。
本作は凝った映像と、激しいアクション場面の編集が見事です。オープニングから人体の内部構造──脳、神経、血管といった──映像が意味ありげに流れていきます。CGの使い方も巧いですね。
一九一七年の中国雲南省(辛亥革命後ですが、政治的背景は全部スルーです)。
ドニーさんは平穏な村の紙漉き職人として登場します。奥さんと幼い息子が二人いて、村はずれに住んでおり、毎朝、ここから仕事に出かけていく。
山間の村の美しい自然を捉えた映像が素晴らしいです。「緑滴る」という形容がぴったりで、川の水の透明度も高い。
ちょっと不思議な光景として、民家の屋根の上で牛を飼うという光景が出てきます。本筋とは一切、関係ないし、特に説明もなにもありません。説明不要なくらいポピュラーなことなのか。
二階建て民家の一階の庇の上に牛が一頭いて、モグモグやっているんですけど。妙に気になりました。
ある日、指名手配中の凶悪犯が二人、村にやってくる。商店を襲い金品強奪に及ぼうとしたところを、たまたま居合わせたドニーさんが制止に入り、必死の奮闘の末にこれを倒す。この最初のアクション場面だけでもかなり激しい。
本作のドニーさんは田舎の職人なので素人のまぐれ勝ちという描写です(おいおい、ドニーさんだぜ。そんなワケねーだろ──と云うツッコミはさておき)。
村の英雄と讃えられるドニーさん。数日後に通報を受けて都から官憲がやってくる。
殺人事件が起きてから、おもむろに探偵が登場するあたり、金城くんは『刑事コロンボ』みたいです。丸メガネに麦わら帽子というスタイルも学者のような。ちょっとトボけた風貌ですが、実は冷静沈着で頭脳明晰な捜査官。
死体を検分し(腐敗が始まっている描写がリアル)、破壊された店舗の現場を検証し、村人達から目撃証言を聞き取っていく金城くん。何故、平凡な男が丸腰のまま武装した二人の凶悪犯を倒せたのか。
しかも凶悪犯のひとりは脳神経を破壊するツボを見事に突かれて絶命していたことが判明する。これは偶然か。
村人達の証言と、現場に残された格闘の跡を付き合わせて、格闘場面を再現していく場面が面白いデス。『処刑人』(1999年)のウィレム・デフォーのようと云うか、ブラッカイマー製作の推理ドラマ『CSI:科学捜査班』を彷彿とします。
金城くんのモノローグに沿って、凶賊とドニーさんの格闘がスローで再生されていく。その際に最初は気が付かなかった部分にまでスポットが当たったり、ある場面を別の角度から見たりします。このシークエンスは実に興味深い。
その結果、金城くんはドニーさんが只者では無いと結論づける。相当な武術の達人に違いないのに、何故正体を隠すのか。
朴訥な男を装うドニーさんの正体を見極めようと、あの手この手で探りを入れる金城くんですが、容易なことではドニーさんは尻尾を掴ませない。中盤の二人の腹の探り合いがなかなか楽しいデス。
本作は金城くんのモノローグによってドラマが進行していくワケですが、何気ない場面も金城くんの解説のお陰で判り易くなっています。
ドニーさんに「ハエがたからない」ところを見て、「あの男、ハエすら寄せ付けない〈気〉を発しているッ」と驚愕してくれるので、実に判り易い。ちょっと笑ってしまうほどです。
金城くんは、頭脳明晰だが病弱という設定。過去、逮捕した犯人に同情した所為で毒を盛られて以来、鍼治療が欠かせない身体になってしまったのだった。この設定で金城くんが人体のツボについて詳しいことが説明されます。また過去の過ちから、必要以上にクールであろうとする姿勢にも納得がいく。本当は情に篤い漢なのに。
クールであろうとする余り、必要以上に情を殺して法を貫こうとする。
ドラマの後半になって登場する金城くんの別れた奥さんとか、離婚に至った事情というのも、巧いキャラクター描写の演出でした。
本作はドニーさんと金城くんのキャラの描き分けが巧いです。動と静。情と法。
ドニーさんは何度か「縁」と云う言葉を口にします。「人と人の関わりは縁である」と。なかなか仏教的な考えです。
それに対して金城くんは徹底的に合理的であろうとする。科学的に証明できないものは信じないというスタンスですね。当然、縁など信じない。
加えて「人は変わることは無い」という持論の持ち主でもある。これは経験から来るものなので如何ともし難い。情けをかけてやった犯罪者は、改心するどころか自分を毒殺しようとしたわけで、毎日鍼を打つたびにそれを思い知らされている。
これに対して「人は変われるはずだ」と云うのがドニーさんの主張。己の過去を語りたがらぬ背景には忌まわしい記憶があり、そこから逃げようとしているのが推察されます。
果たしてドニーさんの過去に何があったのか。
当局の仲間の助力を得てまでドニーさんの素性を調査し、本人が主張するような人物では無いと確信を得た金城くんは畏るべき結論に到達する。
かつて滅んだ西夏民族の生き残りであり、漢民族に復讐を誓う暗殺集団〈地煞七二星〉の第二席に違いない。
いきなり〈地煞七二星〉とか云い出したので、ナニか『水滸伝』に話が及ぶのかとも思いましたが、あまり関係ありませんでしたね。「地煞」とか「天罡」とか云う名前がひょいと飛び出すあたり、道教なお国柄が伺えます。
それにしても西夏が滅んだのは宋代のことですよ(十三世紀頃)。それに西夏を滅ぼしたのはモンゴルだったのでは……などと云うツッコミはスルーです。
さすがに『武侠』と題名に冠するだけのことはあると妙に納得してしまいました。
ここは一旦、都に戻って逮捕状を取り、増援を要請しなければ自分だけで逮捕は出来ない。だが推理したとおりの極悪暗殺犯ならば、自分の口を封じることなど造作もない……。
正体を察知したことを感づかれぬようドニーさんに別れを告げる金城くん。最後に二人で歩く山道の場面はなかなかにスリリングでした。
結局、無事に都に戻った金城くんは逮捕状を取得するが、そのせいで〈地煞七二星〉の組織にもドニーさんの居所がバレてしまう。〈地煞七二星〉は暗殺教団と呼ぶにふさわしく、頭領は「教主様」と呼ばれ、鉄の掟で組織を統率していたのだった。
組織からの脱走など認めない〈地煞七二星〉は、ドニーさんを連れ戻すべく号令を発する。ドニーさんは教主(懐かしのジミー・ウォングですよ!)の息子だったのだ。
ここからはミステリ抜きで、ひたすらにアクションに次ぐアクションで押していきます。過去を捨て、別人になろうとしてもなりきれず、村を襲う〈地煞七二星〉の一団を単独で迎え撃つドニーさん。
村人たちの前で正体を現し、超絶カンフー技で戦うドニーさんを呆然と見送る妻子。なんかもう石森正太郎の変身ヒーローのような図です。
このあたりは男燃え必至のアクション・シーン。前半のミステリ色はどこへ行ってしまったのか(笑)。
金城くんが連れてきた官憲らは、〈地煞七二星〉に畏れをなして逃げてしまい、結局は独りで村に戻る金城くん。第一波は撃退したものの、さらに第二波の襲来が接近してくる中、村人達を避難させ、金城くんが一計を謀る。
アクション場面になると戦闘に参加できない金城くんに出番がないのではと云う心配をよそに、ここから二転も三転もする脚本が見事です。
仮死となるツボを突いてドニーさんの死を装ったり、それがバレるや、片腕斬り落としての絶縁宣言という壮絶な場面。さらにその状態で父親である教主との決戦にもつれ込むあたり、アクションとサスペンスのつるべ撃ち。
この「片腕を斬り落とす」と云うのが、ジミー・ウォング監督・主演の『片腕ドラゴン』(1972年)と『片腕カンフー対空とぶギロチン』(1975年)への明白なオマージュですねえ。狙ってますねえ。
最後は化け物のような教主──いやもう、このオヤジは人間じゃ無いヨ(ジミー・ウォングだしな)──に、隻腕となったドニーさんが命を懸けて挑む。そしてカンフー技はからっきしだが、人体のツボを熟知した金城くんの加勢。それでも勝てたのは僥倖と云う他はない。
シリーズものにならないのが勿体ないくらいキャラの造形が見事な映画でした。
エピローグとして描かれる、隻腕となったドニーさんの淡々とした日常描写もお見事です。
でもいざとなれば以前よりもパワーアップしてくれると信じています。もう鉄の義手を装着したドニーさんの勇姿が目に浮かぶようデス。
でもシリーズ化は無さそうで、残念至極。
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