しかしそう云われても納得できるだけの作品ではあります。私は号泣しませんでしたが(ちょっとウルウルしてしまったことは白状しよう)、人によってはハンカチ必須でしょう。
実はこれまた「難病もの」に分類されそうなドラマであります。
妻と死別後、男手ひとつで自閉症の息子を育ててきた男が、肝癌に冒され余命数ヶ月。自分の亡きあと、自閉症の息子はどうなる。安心して任すことの出来る施設を見つけることは出来るのか。息子に生きていく術を教えることは出来るのか。残された時間はあまりにも少なく、病魔は男の身体を蝕んでいく……。
ハビエル・バルデム主演の『BIUTIFUL/ビューティフル』と同様に、残された僅かな時間の中で、子供の為に奔走する父親の姿が描かれていくという趣向です。絶望的な状況の中で、それでも諦めずに奔走するジェット・リーの姿が感動的です。
監督の感性の違いか、演出方針の差異からか、『BIUTIFUL/ビューティフル』ほど暗くもなく絶望的では無い印象に、多少なりとも救われる心地です。全体的に画面も明るいし。
特に『海洋天堂』と題するだけあって、劇中で描写される海の美しさ、水中撮影の美しさは素晴らしいです。
ジェット・リーは本作では、水族館の職員という役。自閉症の息子(二一歳)は、泳ぐことだけは巧く、まるで魚のよう。父親が働いている間は、館内の水槽で魚たちと泳ぐことを特別に許可してもらっているという設定。
水族館の館長として『SPIRIT/スピリット』(2006年)でジェット・リーと共演したドン・ヨンが友情出演しております。
館内の床を清掃しているジェット・リーがふと見上げると、巨大なガラスの向こうで自由に泳いでいる青年の姿を見て和む場面が何度か挿入されます。
実は本作で描かれるのは、癌ではなくて、自閉症の方。ジェット・リーの病状については、もはや改善の余地なく、治療も行われません(既に手遅れなので)。ひたすら薬で病の進行を遅らせて、少しでも息子と一緒の時間を作ろうとしている(当然、限界はやってくるのですが)。
本作に於ける自閉症患者と、患者を取り巻く環境の描写に、監督の力の入れようが見て取れます。これが非常に細かくリアルです。
本作は『北京ヴァイオリン』(2002年)の脚本家だったシュエ・シャオルーの初監督作品。本作の脚本も監督自身が書いています。
シャオルー監督は一四年間、自閉症患者の介護ボランティアを続けていたという経歴があるそうですが、その経験が遺憾なく発揮されていると申せましょう。
加えて、肝心の自閉症の息子を演じるウェン・ジャンの見事な演技。『レインマン』のダスティン・ホフマンにも負けないくらいです。観ている間は、本当に自閉症患者の青年を出演させているのではないかと思うほどで。
自閉症患者の突出した才能として、ダスティン・ホフマンの場合は驚異的な記憶力として発揮されていたワケですが、本作に於いては水泳の能力になっているようです。イルカと一緒に泳ぐウェン・ジャンの姿は、『グラン・ブルー』のジャン=マルク・バールのようでもありました。
「息子は魚に生まれ変わった方が幸せなのではないか」と云う台詞にも頷けます。
実はこの物語は、ジェット・リーとウェン・ジャンが小舟の舳先から海に飛び込むという、いささかショッキングなシーンから始まります。
うわ、いきなり入水自殺か。してみるとこの映画は、親子心中が結末で、そこから過去の出来事が回想で語られるのか──と思ってしまいました。
実際には、自殺を図ったものの、二人して死にきれず──特に息子の方には死ぬつもりはなく、飛び込んですぐに足を縛った縄をほどいてしまったらしい──、疲れ切って帰宅するという場面が続きます。父親としては、本当に魚に生まれ変わってもらいたかったのだろうなぁということが、後になると容易く推察できます。
しかしこれにより、心中というネガティブな選択肢がまず消え、そこからジェット・リーの奔走が始まるのですが。
それにしても本作を観ていると、自閉症の人と接するのは、非常に難しいということを思い知らされます。コミュニケーションの断絶は、実の父親から見ても絶望的に思える。深く付き合っていてもなお、相手が何を考えているのか、よく判らないというのは辛いでしょう。
自閉症患者の特徴の一つに、相手の言葉をそっくり返すという反応があります。
何を訊いても、質問それ自体を繰り返されては、理解しているのかどうかすら判らない。とは云え、まがりなりにも言葉を喋ってくれるだけでもありがたいのか。
劇中では、ジェット・リーが養護施設の校長に感謝を述べる場面がありました。三歳の時に自閉症と診断されて以来、施設の先生方の尽力がなければ息子は喋ることすら出来なかったろうという台詞があり、養護施設の苦労というのは並大抵ではなかったのだろうなあと推察されます。
しかし完全に理解不能なのかというと、決してそうではなく、観ていると自閉症の息子が「何故、そのような行動をとるのか」がおぼろげながら理解できるようになってくるのが巧いです。
理由もなく行動しているのではなく、ちゃんとしたパターンというか、ルールに則って行動しているのですが、常人にはそれが判らないので理解できないのだという描かれ方。自閉症患者の方から理由を説明しないので、察してあげるしかないのですが。
全編を通して、自閉症の息子に対して注がれるジェット・リーの愛情や、周囲の人々の温かい眼差しが印象的です。とにかく誰も自閉症の青年を邪険にしない(扱いに困るという描写は多々ありますが)。虐待もない。
水族館の館長でさえ、仕事の邪魔になっても追い出そうとはしない(劇中ではジェット・リーと旧知の間柄であり、その顔に免じてと云う理由はありますが)。
シャオルー監督のポリシーが貫かれているようです。
さて、そうこうするうちにジェット・リーにも限界が訪れ始める。
もはや猶予はない。
息子に教えたいことはあまりにも沢山ある。日常的な身の回りのこと、公共交通機関の使い方、等々。水族館の館長を拝み倒して清掃要員として息子を雇ってもらう。
そして最後にジェット・リーは、ウミガメの仮装をして息子と一緒に水族館の水槽で泳ぎ始める。あまりにもアホな仮装なので、ギャグかと見紛うばかりですが、本人は真剣この上ない。
最後の最後に、ただひとつのことを是が非でも息子の頭に叩き込まねばならない。
「父さんは亀だぞ。これから亀になるんだ。亀になってお前と一緒に泳ぐんだ」
その言葉はどこまで理解されたのか……。
いきなり葬儀の場面となり、遂に父親が力尽きたことが示されます。お涙頂戴的な臨終のシーンをバッサリと省略した演出は素晴らしいです。
葬儀の場で、水族館の館長が「保護者の氏名欄に私の名前も書いておいて下さい」と養護施設の校長にお願いする場面や、父亡き後に身の回りの支度を自分で行う青年と、その様子を見守る養護施設の先生たちと云う描写にも救われます。
水族館までのバス移動も自力でやり遂げ、床清掃に励む青年。
父の願いが報われるという結末に、思わず安堵の溜息が漏れます。
青年がウミガメと共に泳ぐラストシーンは実に美しく胸に迫ります。本当に父はウミガメとなって息子を見守っているのだと感じられます。抒情的な音楽は久石譲でした。
「平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ」と云うメッセージもジワリと沁みます。
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