ポーランドのモノクロ映画と云うと、アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』(1957年)とか連想してしまいます。古いですか。
しかしイマドキ全編、モノクロとは。部分的にカラーになったりするのかと思いましたが、最初から最後までモノクロのままでした。手間の掛かる古風な作りですね。
本作は、ワルシャワ郊外の森にひっそりと建つ古い木造建築の屋敷に、愛犬と共に暮らす老婆の日常を淡々と描いた映画です。
登場人物はほぼ「老婆と犬」のみ。しかも台詞のかなりの部分が、この婆さんの独白によるものです。
設定上、九一歳の老婆を演じるのは、実年齢もあまり変わらないダヌタ・シャフラルスカ。ポーランドの伝説的大女優だそうで、御高齢にもかかわらず矍鑠とした演技はなかなかお見事でした。ほぼ単独でこの作品を支えておられる。
しかし淡々とした日常を描く上に、登場人物が極端に少ないので、ちょっと単調な物語になってしまうのはやむを得ないか。
物語を盛り上げるようなBGMも極力廃されているので、なおさら単調に思えます(音楽が全くないワケではありませんが)。とても静かな映画なので、人によっては始まって数分で瞼が落ちてしまうかも知れません。
冒頭にちょっとだけワルシャワ市街地が登場しますが、それ以降の物語はすべて、屋敷の周辺に限定されます。森の中でもあり、敷地内には多数の樹木が生い茂り、自然環境としてはかなり良好と申せましょう。まさに「木洩れ日の家」。
でもこの屋敷、相当にボロい(味わい深いと云うべきか)。由緒正しい屋敷であるというのは判りますが、あまり修繕が為された様子がありません。新築当初は大家族で住んでいたことが婆さんの台詞により説明されますが、今や住人は婆さん一人きり。
外壁の羽目板も相当に痛んでいます。その上、敷地内は樹木が生い茂るというか、ぶっちゃけ草ボウボウなので、一歩間違えれば、ホラー映画の舞台として充分通用するくらいですよ。地下室にゾンビがいても、意外では無いな(笑)。
ガラス窓もなかなか年代物で、特に板ガラスが波打っている。均質な板ガラスではなく、年期が入りすぎて少し流動化しているようなガラスなので、そこから見える庭の景色や、ガラスに映る像も、なんだかボヤけたり、滲んだりして見えます(CG処理など一切ありません)。映像的にはなかなか面白い窓で、よくこんな家屋を見つけてロケできたものだと、ちょっと感心します。
でも婆さんが何を見ているのか判り辛いという部分もあるのですが。
このアニェラ婆さんの数少ない娯楽が、隣家の観察。なんかストーカーぽいです。
森の中とは云え、一軒家では無いので木々の向こうにはぽつぽつと他の家々も見える。 そこで隣は何をする人ぞ、と双眼鏡装備で覗きにいそしむ日々。あまり誉められた趣味ではありませんね。
御近所さんは二軒あって、一方は「セレブぽい金満夫婦」、もう一方は「音楽クラブを主催している児童館」。
不倫しているらしい隣家の怪しい男女の出入りを観察したり、児童館での下手くそな演奏に悩まされたりしている。どうやら児童館は手狭であり、演奏の練習は屋外で行わねばならないらしいが、それが常に屋敷の方を向いて行われるので、騒音の垂れ流しのように聞こえる。
しかも時々、敷地のフェンスの破れ目から、悪ガキどもが侵入してくる。どうやら「木漏れ日の家」は子供達には「怪しげな幽霊屋敷」に見えるようで、肝試しに使われているらしい。
事件らしい事件も起こらず、犬を相手に独り言をつぶやく日々という独居老人の寂しい生活ではありますが、不思議と悲惨な感じはしません。ひとつには婆さんがかなり気の強い頑固で偏屈な婦人であるという描写の所為もあります。独りでもよく喋るし。
嵐の晩には庭に出て、大自然からエネルギーをもらうのだという描写もあります。そんなことをしているから、子供達から「あの婆さんは魔女だ」と云われたりするのですが。
時折、去来する幸せだった若かりし日々の追憶が、ゆがんだ窓ガラスにおぼろげに投影されたりしますが、それで気を弱くするワケではなく、逆にそれを懐かしみ楽しんでいるという風情。老人にはTVやインターネットなんぞ不要であり、追憶を脳内再生することで足りるのか。
思い出の染みついた家や家具が婆さんの人生そのものなのであるという演出でしょうか。何かを見ると何かを思い出す。
淡々と進行していく日常ですが、時折、屋敷を訪問する者もいる。アニェラ婆さんの息子──既にいい歳したオヤジ──もそのひとり。婆さんに屋敷を手放して、都会で自分たちと同居するよう説得したりしますが、婆さんが首を縦に振る筈もない。
あんまり可愛くない孫娘も、お婆ちゃんにはまるで懐かない(どうも息子の嫁の教育の所為らしい)。
更に隣家から、屋敷の買い取りについて打診があったりしますが、これも婆さんにけんもほろろに撃退される。どうにも隣家の金満夫婦は、ガラの悪い連中を雇っていたりして、婆さん的には屋敷の乗っ取りを企む悪党にしか見えない。
高齢者に敬意を払わない嫌な時代であることを嘆く婆さん。
おまけに隣家は、婆さんの息子を懐柔して売却に応じるよう工作に出ていることも明らかになり、すっかり気落ちしてしまう。実の息子にまで裏切られるとは。
ここで、今まであまり良い印象を持っていなかった息子の嫁の方が、婆さんを庇う発言をするのが意外でした。
気落ちした末に、もはやこの世に未練はないと、身支度を調えてベットに横たわり、そのまま臨終を待とうとして……。
やっぱり、このままやられっ放しで死ぬワケにいくかッ、と思い直してリベンジを計画し始めるのが笑えます。ホントに元気な婆さんだな。こんな人が簡単に死ぬワケなかろう。
息子には何も遺してやらん。むしろ息子の嫁に形見の指輪を遺すよう遺言書を作成するあたりが愉快です。
そして隣家に乗っ取られるくらいならと、屋敷は児童館に寄付してしまう。条件は屋敷の修繕と、自分が亡くなるまで二階に永住させること。修繕費用は婆さんの所持していた宝石を売却して賄うので、児童館を主催する若いカップルに断る理由など無い。
かくして一人では広すぎた屋敷には、大勢の子供達の笑い声が響くようになり、外壁修繕も進んで屋敷は見違えるように賑やかになる。
人生の最晩年に思いがけず訪れた幸福で満ち足りた日々。やるべきことをやり遂げたアニェラ婆さんは、いつもの椅子に座り、静かに眠るように──。
御臨終と共に、故人の魂が昇天していくように、屋敷を捉えたカメラの視点が次第に高く俯瞰していくショットが印象的でした。屋敷の周囲がどうなっているのか、ここで初めて判ります。
高齢者の幸福な臨終を描いたモノクロの渋い作品ではありますが、若年層にはあまりウケない映画でしょうねえ。
それにしてもポーランド語の原題 “Pora umierac” は直訳すると「もう死ぬ時だ」となり、「死んだ方がまし」というニュアンスがあるそうですが、題名に対するセンスは日本とはかなり異なるようで。逆に邦題を『木漏れ日の家で』とした配給会社のセンスは素晴らしいです。
でも……正直、私も途中でちょっと……眠かったデス(汗)。
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