野球界に革命を起こしたと云われるオークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャ(GM)、球界の異端児ビリー・ビーンを描いた実話に基づく物語。
ビリー・ビーン役はもちろんブラッド・ピット。
監督や選手が主役の野球映画と云うのは何本もありましたが、GMを主役にした映画と云うのは珍しいデス。試合の際には前面に出てこない存在ですからねえ。
本作を観ると、球団のオーナー、GM、監督の各々の役割がよく理解できるでしょう。
マイケル・ルイスの著作『マネー・ボール』により紹介されたので──これが映画の原作でもある──「マネーボール理論」と呼ばれるそうですが、理論それ自体は「セイバーメトリクス」という名で七〇年代からあったそうな。でも球界の常識に反していたので打ち捨てられていたとか。
要は「主観に頼らない客観的データに基づき判断する」と云う理論で、ものすごく真っ当に聞こえます。しかしデータの分析、有効なデータとそうでないデータの見分け方が難しく、従来のセオリーに反する部分もあるので、運用がかなり難しいようです。
「打率よりも出塁率を重視する」というのは、私でも何とか理解できます。どんな手段でも塁に出る選手が揃っていれば、そのうち点が入るものですから(笑)。
しかし「盗塁、犠打は無用の戦略である」と断じるのは如何なものか。数学的に「リスクの割に得点期待値が上昇しない」という理屈は……。いや、こりゃムツカシイ。
この理論が長らく顧みられなかった理由も判ります。専門のアナリストが絶対必要でしょう。
余談ですがマイケル・ルイスと云うと、『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』の著者でもありましたか。こちらは『しあわせの隠れ場所』として映画化されておりますね(サンドラ・ブロックはこれでアカデミー賞主演女優賞を獲りました)。
さて、アナリストとしてブラピを補佐するのが、ジョナ・ヒル。この映画のもう一人の主役です。この手の物語では、頭脳派なのは主役ではなく相棒の方であると云うのがお約束。ブラピもジョナがいなければ手も足も出なかったことでしょう
爺さんばかりのスカウトマン達が集まった会議の席上では、若造のジョナは実に目立つ。
ここでブラピが「ヤンキースの真似をしてもヤンキースには勝てない」と、新たな理論の導入を宣言するわけですが、ベテラン達からの風当たりがきつくなると云うのは非常に良く判ります。
貧乏球団なので背に腹は替えられないと云う切羽詰まった状況でなければ、こんな理論は導入されなかったことでしょう。
この理論に懐疑的で頑固に抵抗するのが、フィリップ・シーモア・ホフマン演じる監督。実在のアート・ハウ監督に似せているのか、えらい老けて見えます。
いくらGMが理論に則り選手を揃えても、監督にその選手を起用する気がなければイカンともし難いという、もどかしい状況が上手く描かれていました。
やはり最終的な判断は現場の監督にあると云うのは正しいのでしょうが……。
ここで云うことを聞かない監督に、無理強いするブラピの強権発動が凄いデス。
無理矢理、他の選手を他球団に放出して、目当ての選手以外の選択肢を無くしてしまおう作戦。駒のように扱われる選手にちょっと同情してしまいます。
劇中でも、ブラピは必要以上に選手達と接触しないように勤めています。情が移ると非情な決断は下しにくくなりますからねえ。なんかGMとは孤独な役職のようです。
そして強権発動の代償として、背水の陣というか何と云うか、これで失敗すれば全責任はGMにあると糾弾されるのは必至となる。
しかし憎まれようが恨まれようが、「信念を貫く」とはこういうことだと体現してみせるブラピの背中が素晴らしい。胸の内に不安や焦燥を抱えていても表には決して現さず、無言で夜中のスタジアムに一人佇む姿が実に印象的です。
でも怖いデスねえ。とても真似できませんわ(汗)。
ところで、本作には「GMと監督の対立」という構図があるワケですが、球団オーナーにはあまり出番はありません。序盤にチラリと登場した後は出番無し。
いや一般的に云って、これだけGMが監督やらスカウトマン達とモメていれば、少なくとも仲裁の労を執ったりしそうなものデスが、何もしない。
これが却って「信じたGMにすべてを任せる」という態度のようにも見受けられ、非常に好ましい印象でした。もの分かりの良さそうな紳士でしたね。
日本のどこぞの球団オーナーは、このアスレチックスの姿勢を見倣うべきでは。
当初は巧く機能しそうになかった理論でしたが、ブラピの強引な運用により、次第に調子が良くなってくるアスレチックス。弱かったチームが次第に勝ち始めるという展開はスポーツ映画のお約束ですね。
そして遂に、二〇〇二年の「伝説の二〇連勝」を達成するわけですが、最後の最後で懐疑的だった監督が理論を信じて選手を起用する場面がいいです。
そしてその期待に見事に応える選手も素晴らしい。
まるで「絵に描いたようなホームラン」でしたが、実話なんだから仕方ないよね。
しかし皆が浮かれる中、ブラピだけは冷めている。ブラピの目標は「連勝」ではなく「優勝」であり、「優勝しなければ意味がない」と云うセリフはシビアです。
映画は二〇〇二年のアスレチックスの快進撃と平行して、若かりし日のビリーのエピソードも随所に挿入されます。
期待のルーキーとして大学進学を蹴ってプロの道に進んだものの、結果を出せずに終わった苦い選手時代の思い出がブラピを苦しめ、優勝に拘る男にしてしまったのか。
そして何と云うことか、あれほど連勝したのにアスレチックスは優勝を逃してしまう。理論が巧く機能するまでの間に負け続けたのが原因か、あるいは理論以外にも何か要因があるのか。劇中では明示されません。
勝敗が全てであり、アスレチックスは優勝できなかったという現実だけが残る。
とは云え、他球団はブラピの理論を評価し、GM移籍の誘いがかけられる。あのレッドソックスが、破格の待遇でGMとして迎えようと云う。
しかしブラピはこの誘いを蹴ってしまう。
かつて自分はスカウトマンの提示した金額で、大学進学を諦めた過去がある。もう二度と、金銭で人生を売ったりはしない。
これもまたひとつの信念なのか。
結局、マネーボール理論の正しさは二年後にレッドソックスがこの理論を用いて優勝し、実証したとされるのですが……。釈然としませんねえ。元々、レッドソックスのような常勝金持球団に対抗する為の理論だった筈なのに、敵側までもがこの理論を応用してしまうとは、ますます貧乏球団には勝ち目が無くなるじゃないデスか。ズルいぞ。
しかし裏を返せば、いかにこの理論の正しさを球界が認めたかと云うことであり、今やどの球団にもアナリストがチームで常駐しているいう状態こそ、勝利の証であると云えなくも無い。
おかげでビリーの方は、現在もアスレチックスでリーグ優勝に向けて挑戦中であると云う。最初に実践した人なのに、優勝できていないのか。もはやマネーボール理論だけでは充分ではないのだろうか。
旧態然とした直感や前例に縛られた世界を、科学的・論理的・統計学的な理論で改革しようとして、半ば成功しかけていたというのに……。
勝負の世界は厳しい。
冒頭に引用される言葉が思い起こされます。
野球の奥深さにはいつも驚かされる。(ミッキー・マントル)
ミッキー・マントルとは、殿堂入りも果たした往年のメジャーリーガーで、ヤンキースの主砲だったお方。背番号7はヤンキースの永久欠番だそうな。
勘や精神論だけではどうにもならず、かといって理屈だけでも巧くいかない。野球とは誠に奥の深い世界と申せましょう。
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