題材として、七〇年代のレバノン内戦をモデルにした民族と宗教の対立を背景に、数奇な運命を辿った一人の女性の半生が描かれていきます。
実にミステリアスで興味深い内容でしたが、かなり衝撃的で重たい文芸映画でもあります。
原作があって、これはワジディ・ムアワッドの戯曲『焼け焦げるたましい』の映画化だそうな。原作者はレバノン生まれだそうですが、フランス亡命後、現在はカナダ在住。
ちなみに『焼け焦げるたましい』は日本でも上演されていますね。ワジディ・ムアワッドは「フランス語圏演劇界のトップ劇作家兼演出家」であるとか。演劇の方面には疎いもんで存じませんでした(汗)。
戯曲は上演時間三時間超だそうですが、映画の方はなんとか二時間少々に収まりました。監督の手腕ですね。
監督と脚本は、これが長編四作目となるドゥニ・ヴィルヌーヴ。
最初、台詞がフランス語なのでフランス映画かと思いましたが、ケベックか。カナダ映画と云うよりも、ケベック映画とも云われております。監督もケベック出身だそうですが。
冒頭、中東らしいいずこかで、何人かの子供達が集められた施設から始まります。
まったく説明の無いまま、一人の少年が丸刈りにされていく。何かの儀式なのか。少年の踵には奇妙なホクロのような徴が並んでいる(縦に三つ並んだ黒い点で、タトゥーらしい)。
まったく無言のままですが、カメラ目線でこちらを見つめる少年の瞳が印象的です。
場面変わって、現在のケベック。一人の中東系カナダ人女性が他界し、公証人が亡くなった女性の子供達(双子の姉弟)に遺言状を開示する。
シングルマザーで変わり者だった母ナワルの死後、初めて明かされる父と兄の存在。奇妙な遺言の内容は、その二人を探し出して、各々に宛てられた手紙を手渡すこと。
双子の姉ジャンヌには父宛の手紙が託され、弟シモンには兄宛の手紙が託される。謎めいた母の遺言に従い、ジャンヌは母の故郷である中東某国に飛ぶが……。
劇中でははっきり「レバノンである」とは言及されません。中東某国。明示すると何か差し障りがあるのでしょうか。
映画でのロケ地はヨルダンだったそうですが、予備知識ゼロの状態で鑑賞したので、ちょっと背景が判り辛かったです。最初、イスラエルかとも思っていました。
まぁ、宗教的対立のある中東の国であればどこでも成立しそうな物語ではありますので、特にレバノンと明示する必要は無いのか。シリアでもヨルダンでも、どこでもあり得ると云いたかったのでしょう。
そう云えばケベックであることも明示はされなかったですね。
だから最初はずっと、この都市はパリかどこかだろうと思っていました。中盤過ぎてから、「カナダから来ました」と云う台詞があって、初めて「え。フランスじゃなかったの」と気がついた次第デス。
カナダ人の目から見ると、特に説明が無くても自明のことなんでしょうか(汗)。
本作では、母の故郷を目指す娘ジャンヌの探索行と、母ナワル自身の若かりし日々の遍歴が交互に語られていくという構成になっています。
短いエピソード毎に章立てられて、各エピソードのタイトルも表示されます。まるで小説を読み進めていくかのような印象を受けました。
だから時系列も前後します。娘の目から見た故郷の様子が先に来て、その後で母が故郷を出奔する原因になった事件が語られたりします。なかなか面白い構成です。
台詞もフランス語になったり、アラビア語になったり。
そして次第に明らかになっていく母の人生。カナダでの平凡な毎日しか知らなかったジャンヌからすると、母は想像を絶する過酷な経験を乗り越えてきていたのだった。様々な人から得た証言が指し示す人物は、本当に母なのかと疑いたくなるのも判ります。
「人は見かけによらない」とは、まさにこのこと。
七〇年代のレバノンでは、異なる民族、異教徒同士の男女が恋に落ちるなんぞということは、許されるものでは無かったという描写が凄いです。駆け落ちしようとする恋人達を捕まえて、白昼堂々と問答無用で男の方を射殺する。なんかもう一族の掟に背く者には死あるのみという感じです。法治国家じゃ無いのか。
しかしそのときには既に、ナワルは男性の子供を身籠もっていて……。
故郷の村に連れ戻され、一族の面汚しとして虐待に耐えつつもナワルは男児を出産するが、不憫に思った祖母の計らいにより村を出て、都会の親戚の家に身を寄せることとなる。生まれた男児は孤児院に送られるが、その前に祖母が赤ん坊の踵にタトゥーを施す。
生き別れになろうとも、再会出来るように目印を入れたわけですね。
ここで冒頭のシーンにも合点がいく。あの少年こそが、ジャンヌが探さねばならない実兄でありましたか。
でも、父親の方はあっさり殺されてしまっているのですが、どうするのだ──と、思っていましたが、そこから先の母の人生は更に過酷で容赦ないものとなって続いていきます。
都会の大学で教育を受け、いつの日か息子を迎えに行くことを願うナワル。
しかし勃発する内戦。混乱の末、政権を握った社会民族党(キリスト教右翼)による虐殺事件。いやもう人間、ここまで残酷になれるものなのか。
「言葉と書物が平和を築く」と云う台詞が、非常に虚しく感じられます。
内戦により母と子の再開は叶わない。孤児院は反政府ゲリラに襲われ、拉致された子供達はイスラム戦士としての教育を施されていく。やがて少年は立派な聖戦士へと成長し……。
息子を見つけ出す為、どんどん危険な運命を辿って行くナワル。遂には人権蹂躙も甚だしい収容所送りとなり、そこで十五年の長きにわたる囚人生活を送ることとなる。
母の足取りを追跡するジャンヌが辿り着いたときには、収容所は既に閉鎖され廃墟と化しており、関係者を探して更に奔走することに。探し当てた関係者は、長期の囚人生活の中でも反骨精神を失わなかった母ナワルのことを覚えていた。
そして反抗的な態度をとり続けるナワルに、更なる虐待が加えられたという証言まで飛び出す。悪名高い拷問人が招聘され、繰り返されたレイプの果てに、ナワルは収容所内で双子の男女を出産したのだった──って、ソレ自分達のことか。
まさか自分達に、そんな出生の秘密があったとは。
してみると、探さねばならない「父親」とはその拷問人のことか。
兄は、伝説的なテロリストとして手配中。
父は、悪名高き戦争犯罪人として手配中。
なんという家族構成。
しかも、そこから更に明らかになる驚愕の事実。この世には神も仏もいないのか。
一体、母の残酷かつ数奇な人生はどこまで続いていくのか。
その上、遠い中東での過去の出来事だと思っていたら、それが現在と地続きになるという展開が凄いです。実は、母ナワルは何もかも承知の上で──探すべき人物がどこにいるのかまで知った上で──、遺言状と手紙を遺したのだったという事実に唖然としました。
物語が進行して行くにつれ、謎が解き明かされ、それが次なる謎を呼ぶというミステリアスな展開は実に素晴らしいのですが、観ていてかなり暗澹たる気持ちにされます。最後に待ち受けるのは、誰にとっても残酷な運命ですよ。
すべての謎が明らかにされた後に読み上げられる、最後の手紙がまた切なく哀しい。
真実と向き合うことは、実にハードかつ重たいことです。
劇中では「事実は知るべきだ。さもないと心に平安は訪れない」という台詞がありますが、果たして全ての関係者の心に平安は訪れたのか……。
ランキングに参加中です。お気に召されたならひとつ、応援クリックをお願いいたします。
にほんブログ村