吹替なのでこの映画では石丸・江角とか石丸・ショコたんの掛け合いを観ることが出来ます。
今年はジャッキー出演作も沢山公開される年らしく、『新少林寺』、『カンフーパンダ2』に続く出演一〇〇作目であるそうな(日本公開は『新少林寺』が後になりましたが)。この先もジャッキーには頑張って戴きたい。
そして記念すべき出演一〇〇作目にして、辛亥革命一〇〇周年記念として製作されたのが、本作『1911』。ジャッキーは総監督も務めております。
ジャッキーが演じるのは孫文の右腕となり革命を指揮する黄興。
孫文はウィンストン・チャオ。なんでも中国では「孫文を演じるならこの人しかいない」と云われるほど、あちこちで孫文を演じているそうな。本作でもかなり堂に入っております。
江角マキコは黄興の妻となる徐宗漢(リー・ビンビン)、ショコたんは革命の志士、林覚明の若き妻(メイ・ティン)をそれぞれ吹替ています。
これは紛う事なき歴史大作。そして中華万歳映画ですねえ。
まぁ、ハリウッドでもアメリカ万歳、海兵隊サイコーな映画なんてのは、よくあることです(他の国にもあるし)ので、特に製作されること自体は問題ないのですが……。
ハリウッドの場合は、国威発揚映画でありながらエンタテインメントでもあるので、観ていてツッコミながらも楽しめると云う部分に違いがありますか。本作の場合はツッコミ処がイマイチ少ないように感じました。
しかし史実の描写としては、かなり正確なのでしょう。
『北京の55日』、『ラストエンペラー』、『ウォーロード/男たちの誓い』、『孫文の義士団』なんかと併せて鑑賞すると、清朝末期の状況がよく理解できる……のかな?
とにかくやたらと場面が飛びながら、字幕で時間と場所を説明するとか、登場人物の下に字幕で名前が表示されるといった、歴史映画にありがちな演出が行われます。
歴史を知っていれば「この人がこの役か」と腑に落ちたり、納得も出来るのでしょうが……。
日本人には地理的にもいまいち判りづらいか。「武昌」って大陸のどのあたり?
始まる前に、やたらと親切に当時の世界情勢やら登場人物の説明をしてくれる「取って付けたようなナレーション」が入りますが(これは日本公開版だけですね)、とりあえずこの映画では、孫文、黄興、袁世凱、隆裕皇太后だけ覚えられれば大丈夫でしょう。林覚明とか、汪兆銘なんてのは、正直、判る人だけ判ればいいのでは。
あと、宮廷の中で子供がチョロチョロしていますが、あの子が『ラストエンペラー』でお馴染みの溥儀ですね。
「香港をイギリスに、台湾を日本にくれてやるのが王朝のすることか!」なんて台詞もあったりして、台湾が一時は日本の統治下にあったことを初めて知る若い人もいるのでは。
他にも「あなたこそ共和制国家の初代大統領となるべきだ」と云う台詞もあり、中国の民主化を願う国民も描かれております(未だに民主化はされてない……よね?)。
でも孫文を支援し続けた日本人、梅屋庄吉なんてのは欠片も描かれず。うーむ。アメリカ人の軍事顧問は描かれているのに。片手落ちだ。
やはり革命に外国人の手を借りていたという描写は極力、避けたいのでしょうか。
ただ、戦闘シーンの迫力、臨場感はスゴいです。邦画じゃこんな場面にはさっぱりお目にかかれません。それだけは純粋に羨ましい。
特に本作では孫文はずっと海外にいて、国内で革命を指揮しているのは黄興なので、アクション・シーンではジャッキーが活躍してくれます。戦場を単騎で駆け抜けていくジャッキーの勇姿に燃える。
更に、帰国した孫文を狙う暗殺者達を、黄興がひとりでバッタバッタと薙ぎ倒す──いささか史実にもとるような描写ではありますが──場面もあったりして、ジャッキー目当ての観客は一応、納得できる内容でしょう(笑)。
当然のことですが、孫文がすごーく美化されています。私利私欲のない清廉な人物。
対極的に袁世凱が俗物の極みであるように描かれ、これはこれで判りやすい。
特に「孫文とはどんな人物だ?」と尋ねた袁世凱が、「孫文には私欲がありません」という答えを聞いて、これを豪快に笑い飛ばす場面が良い感じです。
袁世凱は悪党は悪党なのですが、憎めない悪党という描かれ方をしています。
共和政府の総統に就任できなかったことに立腹し、屋敷中の皿や壺を割りまくると云う場面は笑えます(使用人が次に割る壺をどんどん運んで手渡していく描写はギャグですな)。
吹替では、孫文が野島昭生で、袁世凱が樋浦勉なので、キャラの特徴も掴みやすいし、やはり吹替版での鑑賞をお勧めしたいデス。
図式としては、次第に勢力を拡大していく革命派が国の南半分を占め、清朝が北半分を占めて、何やら南北戦争の様相を呈し始めるのが判りやすいです。「北伐」なんぞという言葉も聞こえます。しかしこの時点で、もうドラマは終盤。どうなるのかと思っていたら……。
最後の最後で、ナンジャコリャとなってしまったのも事実でして。
誕生した中華民国の臨時総統に就任した孫文であったが、いまだ清朝を倒すことは出来ず、皇帝を退位させた者に総統の地位を譲るなどと発言した為に、黄興とケンカになる。
「俺は政治のことは知らん。だが袁世凱のことは知ってるぞ。奴を総統にしたら、新たな皇帝が誕生するだけだ!」
まったくその通りですね。そうなることが予感できるような演出になっているのが巧いです。
結局、地位を保証された袁世凱が強引に宣統帝(溥儀)を退位させて、遂に清朝は終わりを告げ、孫文は公約どおりに潔く臨時総統の任を辞して、袁世凱が初代総統となる……。
閉まっていく扉の向こうで、独りほくそ笑む袁世凱(多分、心の中では笑っている筈だ)。
その後も革命は継続され、多くの人民の尊い犠牲の下に現在の中国はあるのです。終劇。
今度こそ本当に「取って付けたナレーション」が流れて終わってしまいました。あれえ?
孫文や黄興のその後なんて一切、描かれないのです。余韻もへったくれもない。
そりゃまあ、これは「辛亥革命」の映画であって、孫文の伝記映画ではありませんけどね。辛亥革命を「武昌での蜂起から宣統帝の退位」までだとするなら、そこで終わってしまうのもやむを得ないとは思いますが、武昌での蜂起より以前の描写にはかなり力を入れていたのになぁ。
孫文と黄興を主役にしていながら、そんな結末でいいのかと云わざるを得ません。
革命に中心的役割を果たした中国同盟会が、後の国民党になるという部分は遂に描かれませんでしたし(国民党のコの字も呼ばれない)。
黄興の予想どおり、総統就任後、袁世凱は強権的な弾圧を開始し、孫文は今度は袁世凱打倒を目指した「第二革命」を起こすとか。
「第二革命」を鎮圧されて、孫文が日本に亡命するとか。
袁世凱は、とうとう中華帝国をブチ上げて自らが大皇帝に即位するが、あっさりポシャるとか。
諦めない孫文は「第三革命」を起こすも、志半ばで「革命未だならず」と遺言し世を去るとか。
色々と波乱に満ちた展開が続いていく筈なのですが、その部分は描かれないのか。現在の中国の政治的情勢では、描いてはナニか差し障るのか。
総じてなかなか面白い映画ではありましたが、この中途半端なラストさえなければ、もっと面白かっただろうにと思えてしまいます。
この映画だけでは、歴史のお勉強にはならないかも知れませんが、逆にこのラストのあまりの唐突感に違和感を覚えた人が、興味を持って自分で歴史を調べて勉強するきっかけになりそうな気がします。ジャッキーがその後、どうなったか知りたい方はきっと沢山いるのでは。
ランキングに参加中です。お気に召されたならひとつ、応援クリックをお願いいたします。
にほんブログ村