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2011年8月29日月曜日

グッド・ハーブ

(Las buenos hierbas)

 あんまりメキシコ映画は観ないのですが、ミニシアター系文芸作品にふさわしく、のんびりまったりしたたゆたうような雰囲気は万国共通でした。
 正直、前半はちょっと眠かったデス(汗)。

 主人公ダリア(ウルスラ・プルネダ)はシングルマザーで、母ララ(オフェリア・メディーナ)と同居しつつ、幼い息子を育てている。母は薬草研究者。随分と昔に離婚しているらしく、祖母、母、息子の三人暮らし。
 自宅の庭には各種ハーブが生い茂り、自家製の軟膏作りもお手のもの。
 元気な母であったが、最近は物忘れが激しい。単純な勘違いかと思われていたが、検査の結果はアルツハイマー型認知症。
 しかも病状は急速に進行していく。日毎に物忘れが激しくなり、薬草の名前も思い出せなくなる始末。母の研究を手伝う為に、過去の研究資料を整理しながら、ダリアは母との思い出を蘇らせていく……。
 結構、重たくシビアな物語なのですが、湿っぽくならない感覚はラテン系だからなんですかね。劇中で流れる音楽も陽気なラテン音楽ですし。

 主人公はラジオ放送局に勤めているが、無認可放送局らしいのが面白い。DJ自らが「良心的無認可放送局」である旨を宣言している。いわゆる海賊放送なのか。でも取締当局と戦ったりはしない。なんか音楽の合間にゆるゆるとDJが政権批判している。のんびりしているのもラテンノリなのか。
 このあたりの本筋に関係ない部分が面白いです。

 劇中では、過去のメキシコ政府による弾圧事件についての批判やら、国旗からノパルを省略することについての批判的な意見なんかも披露されます。
 でもノパルって何だ?
 ちょっとググると、「ノパル」とはサボテンの一種であると出ました。薬草の一種でもあるとか。
 メキシコ国旗の中央に描かれている図案がノパルとな。正確には「蛇をくわえた鷲がサボテンに留まっている図案」ね。
 建国時からのシンボルであり、起源はアステカ文明にまで遡るという。
 これを省略したいと?
 国旗がシンプルになるのはいいのかも知れぬが、ノパルが無いとメキシコ国旗はただの三色旗なんですけどね。それも左から緑、白、赤の組み合わせ。
 ノパル無しでは、ただのイタリア国旗なのでは。
 そりゃ保守層でなくてもノパル省略はイカンでしょう。
 たとえバックの三色を省略しても、ノパルだけは残すべきである。最後まで守るべきメキシコの魂なのでは。
 ──などとメキシコ人でもないのに、ちょっと考えてしまいました。本筋にはまったく、これっぽっちも関係ないエピソードですけどね(笑)。

 題名が「グッド・ハーブ(心に効く薬草)」だけあって、薬草やハーブ等の描き方が巧いデス。
 特に随所に挿入される古い植物図鑑の挿絵や、背景として映る濃密な植物の空間が印象的です。植物園でもロケしたそうですが、大部分はマリア・ノバロ監督の自宅の庭だとか。ハーブだらけの家庭菜園。こりゃすごい。
 また開花した花の描写も美しい。ごく普通の街路樹が実に鮮やかに撮られています。好きな方には一見の価値ありかも。
 他にも、メキシコの伝説的呪術師(シャーマン)、マリア・サビナ本人がチラリと登場する……のですが、これは別のドキュメンタリー映画からの引用だそうな。
 でもマリア・サビナに馴染みがないので、あんた誰的な不思議な場面になっていました。心象風景かと思っていたら、カメラがパンしていきなり見知らぬ老女の横顔が映ったりするので。
 若い頃、母は研究旅行中にあのマリア・サビナにも会ったことがあるのだと云う説明はありますけどね。メキシコの人には説明不要の有名人なのか。

 そうこうするうちにも、母の認知症はどんどん進行していく。
 徘徊が始まるが、ここで驚くべき事実が明かされる。

 「貴方のパパは貴方が知っているあのひとじゃないの。小さな国の音楽家だった人よ」

 そんな、お母さん。ボケてきたからって、サラっととんでもない秘密を明かさないで下さい。
 母の人生は、それまで娘が考えていたような平凡なものではなかったのだ。それなりに波乱に富んでいたらしい。母の人生には娘も知らない秘密がある、というのは理解出来ますが、生涯秘密にしようと誓ったような事でさえペロっと喋ってしまうあたりに認知症の恐ろしさを垣間見ました。

 しかしダリアには出生の秘密に驚いている余裕はない。母の病状はどんどん進行していく。もはや事実を問いただすことさえ出来ない。娘の顔すら判らなくなり、遂には寝たきりになって介護を受ける身と成り果てる。
 特にはっきりした期間は明示されませんが、急速な病状の進行にちょっとびっくりしました。若年で発症した場合は進行も急だとは言及されますが、それにしても早い。
 薬草による症状の緩和も虚しく、死は時間の問題のように思えてくる。

 メキシコ人的死生観の一環として、介護を手伝ってくれる隣人ブランキータ(アナ・オフェリア・ムルギア)の孫娘のエピソードがあります。
 実は時々、ハーブと共にドレス姿の少女が映る。台詞はない。最初はこれが誰なのか判りませんでした。やがてそれが15歳で亡くなった隣人の孫娘であると判る。
 祖母の周囲に常に寄り添うように存在しているらしい。
 成仏しないのがメキシコ的なのか。何となく母ララもそうなりそうな予感を漂わせています。
 次第に衰弱するララに対して、ブランキータは孫娘に逢ったらよろしく伝えてと云うのだが、もはやララは無反応。

 そして遂にある晩、ダリアは決断を下す。
 心を込めて母の肌に自家製ハーブ軟膏をすり込み、良い香りを漂わせたハーブを枕に詰め、それを無反応となった母の顔面に押し当てる。抵抗はない。数回、痙攣して、それっきり……。

 確かに本人の意思ではありますよ。初期症状の段階でちゃんと言明していますからね。
 「誰かに依存して生き続けたくない。荷物になるのはイヤだ」と。
 そうなる前に死にたいとは、私だってそう思う。でもだからと云ってなあ。
 これが日本だと介護疲れの果てにやむを得ずとなるのでしょうが、この映画の場合は介護期間も疲れ果てるほど長くは続いていない。
 諦めが早いのではないかと思う反面、介護者も共倒れになる前の勇気ある決断と云えなくもない。でもそれって殺人……。うーむ。

 観終わってしばらくは考えさせられました。
 しかしツラツラと考えているうちに、冒頭のシーンが時系列的に一番最後であることに気付きました。
 幼い息子の熱が下がらない。薬草を煎じたりして手を尽くすダリアが最後に頼るのが、公衆電話。番号も押さずにいきなり受話器を手にとって喋り始める。
 「母さん、あの子の熱が下がらないの」
 ああ。亡くなった後もそうやって死者と繋がっているのか、とハタと気が付いた次第。ブランキータの孫娘のエピソードと併せて考えると、興味深い。これがメキシコ的なのかぁ。

 ところで最後にメキシコ政府にお願い。国旗からノパルは取らないで下さい。


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