但し、ラノベと侮ることなかれと云うのは近年のラノベSF映画化作品を観ても判りますね。『ダイバージェント』(2014年)も、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(同年)も、予算もかければ有名俳優も起用した大作でした。
ストレートなSF設定を正面からブチかましてくれる分、ラノベSFの方が判り易いでしょうか(ベストセラー小説ぽいSFよりも)。
しかしその反面、ややもするとティーンエイジャーな主人公達の色恋沙汰に比重が置かれて、SFが何処かへ行ってしまう危険もあるのですが。
また、近年の傾向としては原作が長大であれば最初からシリーズ前提で製作されるようで、本作もよくある「三部作前提」の映画化作品となっております。もう最初からエンディングが「つづく」で終わるのが約束されていて、そこはどうなのかなと思うのですが、面白ければ楽しみが続くと考えて良しとしましょう。原作の方も三部作ですし。
ラノベSFで、原作がベストセラーで、三部作のシリーズ、と云うと『ハンガー・ゲーム』(2012年)などもそうですね。あちらは映画化は四作になりましたが、本作は原作と同じく三作で完結するようです(多分)。
三部作と云うのが区切りとしては標準的なのでしょうが、途中で打ち切りにならないか心配であります。過去には三部作だと云われながら、最初の一作だけで終わってしまい、中途半端な出来で放置されるものもありましたからね。
とりあえず本作については続編も製作決定していて、エンドクレジットの後に第二部の予告編映像も流してくれたので、期待できると思います。
しかし私、原作者のジェームズ・ダシュナーにも、監督のウェス・ボールにも、まったく馴染みがありませんデス。原作者の方は翻訳がこれ一冊きりで(角川文庫)未読ですし、ウェス・ボール監督もこれが初長編監督作品でありますので当然か。
実はこの監督は、ユアン・マクレガーやクリストファー・プラマーが出演したマイク・ミルズ監督の『人生はビギナーズ』(2010年)で、視覚効果担当の一人であったそうな。うーむ。あの作品にそんなエフェクトを使った場面がありましたっけ。
ウェス・ボール監督の長編映画の経歴としては『人生はビギナーズ』以降、いきなり本作が来るようなので、大抜擢とも云えそうです。しかも、かなりその期待に応えております。頑張ってますネ。
実は、この手の視覚効果出身とか、ビジュアル系の映像センスのある監督のSF映画と云うものには懐疑的なところがあります。つい最近もウィリアム・ユーバンク監督の『シグナル』(2015年)なんてものを観たばかりですし……。
しかし本作にはしっかりした原作があって、本職の脚本家がついてくれていた所為か、ストーリーに破綻も無く、それどころか大変面白く仕上がっておりました。
まぁ、「つづく」で終わってしまう三部作の導入部分と云うかプロローグ的な作品ですから、これだけで評価するのも如何なものかと思いますが、期待は出来ます。
そして監督にも馴染みがないが、出演している俳優さん達にもほとんど馴染みがありませんデス。
そりゃもうヤングアダルトSFですから、メインの登場人物がティーンエイジャーになるのは当然です。したがいまして、ディラン・オブライエン、カヤ・スコデラーリオ、アムル・アミーン、トーマス・ブローディ・サングスター、キー・ホン・リー、ウィル・ポールター等々と名前を並べられましても判りませんデス(汗)。
まず主演のディラン・オブライエンからして、本作が初主演作品ですし。
辛うじてヒロイン役のカヤ・スコデラーリオは、ダンカン・ジョーンズ監督の『月に囚われた男』(2009年)でサム・ロックウェルの娘の役だったとか、ウィル・ポールターは『ナルニア国物語/第3章 アスラン王と魔法の島』(2010年)のユースチス役だったことくらいしか……。
とりあえず『ナルニア国物語~』ではまだ少年だったウィルが、エラく逞しくなって登場してくれたので見違えてしまいました。でも主人公に対するライバル役でしたので、ちょっと残念。憎まれ役ですから。
本作はほぼ全編が、孤立した危険な環境で少年少女達がサバイバルすると云うストーリーなので大人の出番がありません。
かろうじてラスト近くで大人が数人登場し、続編へのつなぎを紹介してくれます。そこでやっと有名俳優が顔見せしてくれました。
パトリシア・クラークソンは『エイプリルの七面鳥』(2003年)でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた女優さんですね(でも受賞は『コールドマウンテン』のレネ・ゼルウィガーでしたけど)。割とあちこちでお見かけする方です。
主に「誰かの母親役」であるイメージが強くて──『ワン・デイ/23年のラブストーリー』(2011年)ではジム・スタージェスの母親役だったりしましたし──、優しい人という印象があるのですが、本作では実にクールな役どころです。
さて、いずことも知れない場所に送り込まれた記憶をなくした少年少女達が、壁に囲まれて外界と隔絶された環境で、決死のサバイバルを行いつつ、巨大な迷宮に挑んで脱出路を探す──と云うストーリーですが、かなりオーソドックスな設定のひとつと云えるでしょう。
SFにはよく閉鎖的な環境で進行する作品がありますからね。特に「壁に囲まれて外がどうなっているのか判らない」と云うシチュエーションは、七〇年代あたりのSFによくある設定であったと記憶しております。最近またこの手の設定が流行りだしたのか。ちょっと興味深いデス。
この手のストーリーでは、ラスト近くで「実は……」と驚愕のオチが用意されていることがパターンになっております。でもオチ前提の安易なストーリーも多かったような。
しかし本作はそこで終わらないのがいいですね。三部作と云うから、三作ともずーっと迷宮探索だけで引っ張るストーリーだとツラいのではないかと思っておりましたが、実に思い切りよく、ラストで種明かしをしてくれます。意外なほど潔いです。
巨大迷宮が何なのか、何故造られたのか、どうして少年達がそこに送り込まれたのか、かなりの疑問に答えてくれます。
そして秀逸なのは、それがストーリーの終わりではないと云う点です。逆に答えを聞けば聞くほどに不明なことが出てきて、それが第二作への引きになっている。同時に物語の舞台も、迷宮の外へ出て行くわけで、『メイズ・ランナー』と云うタイトルも、この一作だけになります。
二作目が『スコーチ・トライアルズ(“The Scorch Trials”)』、三作目が『デス・キュア(“The Death Cure”)』と続いていくそうで、「メイズ」が出てくるのは本作のみか。まぁ、読んでないので(翻訳も一作だけだし)、ストーリーが再び迷宮に戻ってくる可能性も無きにしも非ずですが、スケールが格段に広がったのでそれはないですかね。
でもやっぱり『メイズ・ランナー』シリーズと呼ばれてしまうのでしょうか。
とりあえず原作が完結していると判っているのは有り難いです。実は作者のジェームズ・ダシュナーは、完結後にシリーズの前日譚を書き始めたそうで、これもまた三部作になったりするような気配を感じます(既に前日譚の二作目まであるらしいし)。すると興行成績如何では映画の方も……。
まずは主人公(ディラン・オブライエン)が業務用リフトのようなものに乗せられて上昇していく場面から幕開けです。何やらドラム缶や幾つかの資材を運び上げているようで、そこに自分も乗せられているらしい。
ドラム缶の側面には「WCKD」なる謎の略号が記されている。何故ここにいるのか記憶の無いままリフトが到着した先は、〈グレード〉なる壁に囲まれた場所。そこには既に数十人の少年達がキャンプ生活を営んでおり、日々〈グレード〉からの脱出できる方法を探りながらサバイバル生活を続けていたのだった。
結構、〈グレード〉の敷地は広く、壁に囲まれていますが森もあり、川も流れています。畑も作られ、可能な限り自給自足態勢が整えられつつあるようです。
新米の主人公にルールを教えながら世界設定が紹介されていくのが判り易いですね。壁に囲まれた〈グレード〉と、そこに面した巨大な〈メイズ〉のビジュアルが圧巻です。
洞窟のような地下迷宮ではないので、「ダンジョン」と云うよりも「メイズ」なのか。天井が無く、屋外に建設されていますが、相当に巨大です。
また、〈ランナー〉を始めとする様々な用語を説明無しにポンポン投入してくるのもSFにはよくある演出です。しばらくすると各々の用語の意味も判ってきます。
朝、〈メイズ〉の扉が開き、〈ランナー〉が探索行に出て行くが、日が暮れると扉は閉じてしまい、〈メイズ〉の構造は夜間のうちに変更されるので、翌日にはまた様変わりしてしまう。そして扉が閉まるまでに〈メイズ〉から帰還しない者は生き残ることは出来ない。何故なら、〈メイズ〉の奥には正体不明の怪物〈グリーバー〉が棲んでいるからだ。
最初からリフトと搬入される資材や食料があるので、地下か壁の外に誰かがいて、この環境が維持されているのが推測できますが、その目的は見当もつかない。
資材の搬入は月に一回。その都度、誰かが一人送り込まれてくる。最初の少年が送り込まれてから、既に三年が経過しており、脱出路はまだ発見されていない。そしてもう何人もがこの環境で命を落としている。
誰もが記憶をなくしているが、どうやらこれは人為的な処置らしい。自分の名前程度は思い出せるが、〈グレード〉に送り込まれる以前の経緯はさっぱり判らない。
そんな中で、主人公だけには少しずつ記憶が戻り始める。どうやら自分は今まで、人材を送り込む側──これがWCKDなる謎の組織──の一員であったらしい。
朧な記憶をたぐりつつ、次第に状況が明らかになっていくと同時に、主人公は〈グレード〉内での保守派と革新派の対立の渦にも巻き込まれていくと云う図式です。
危険を冒して〈メイズ〉の謎を解き脱出するか、できるだけ危険を避けて〈グリード〉内で安住する途を選ぶか。
ディラン・オブライエンは当然、革新派ですね。それに対してウィル・ポールターが保守派の代表格。
様々な設定にドコカデミタ感を感じますが、なかなか巧いアレンジです。
「構造が変化する迷路に閉じ込められた集団」と云う設定は、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の不条理SF映画『キューブ』(1997年)を彷彿しますね。
また少年達だけの弱肉強食的サバイバルと云うとウィリアム・ゴールディング『蝿の王』でしょうか。自分達のルールを設けて、違反者はメイズの中へ追放すると云うのが厳しい(実質的な死刑判決ですね)。
そして怪物〈グリーバー〉が、どうやら人工物であるらしいと判明するあたりから(ロボットにしてはかなり生物的な振る舞いをしますが)、次第にSF設定が表に出てきます。単なる不条理SFではありません。
WCKDは〈メイズ〉で何らかの実験を行っているらしい。このWCKDと云う略称の意味は、原作では第一巻で明らかになっているそうですが、本作ではまだ伏せられております。
そして〈グリーバー〉の大規模襲撃という惨禍を機に、遂に革新派は〈グレード〉を離れて〈メイズ〉からの脱出を図るクライマックスに突入です。
幾つかの伏線を回収しつつ、割と簡単に──それでも犠牲者を出しながらですが──「外の世界」へ脱出できてしまうところに意表を突かれました。
そしてパトリシア・クラークソン演じる博士が最後に登場し、外の世界の状況が判明するところで第二部に「つづく」。
実は外界は文明が崩壊するまでに追い詰められていて、その災厄を打開する為にWCKDは〈メイズ〉を使って非人道的な実験を行っていたのだと明かされますが、どうにもパトリシア・クラークソン博士の挙動が怪しすぎます。
全てを明かしたようでいて、重要な事項はまだ伏せられているらしく、脱出組は更なる困難に直面しそうな雲行きです。
この先、少年達は世界を救うところまでやらねばならないらしいがどうなることか。割と先行き楽しみなシリーズものになりそうなので、続編公開の暁にはまた観に行く所存デス。
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