個人的感想を述べるなら、第二作『エリジウム』よりも、やはり第一作『第9地区』の方が良かったなと云う印象ですが、三作目で再び持ち直してくれたようで安心致しました。
どこが違うのかと見てみると、本作と『第9地区』は脚本がニール・ブロムカンプ監督と監督の奥様テリー・タッチェルとの共同脚本になっています。『エリジウム』はブロムカンプ監督の単独脚本だったところを見ると、監督のSFマインドは疑うべくもないが、脚本には奥様の協力が不可欠なのではなかろうか。
さて、自我を持ったロボット=人工知能の誕生を描くと云うSF映画にはよくあるネタです。近年もジョニー・デップ主演の『トランセンデンス』(2014年)がありましたが、あちらはナノマシン絡みの描写の所為で人工知能のインパクトがちょっと薄れてしまったところがありました。それに比べて、本作の方は人工知能ネタのみで押してきます。
シンプルですが、ドラマが力強くて感性に訴えてきますね。
そしてブロムカンプ監督作品なのでシャールト・コプリーが出演しております。皆勤賞。よほど監督と気が合うのか。
でも本作ではシャールト・コプリーの姿を見ることは出来ません。どこにいたのかと云うと、主役のロボット、チャッピーの「中の人」になっていたそうで、モーションキャプチャと声の出演であるとクレジットされています。しかし、おかげでチャッピーが存在感のあるロボットになりました。
共演は、デヴ・パテル、シガーニー・ウィーヴァー、ヒュー・ジャックマンといった皆さん。
デヴ・パテルは『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)や、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(2012年)のインド青年ですね(『エアベンダー』(2010年)の続編は……望みなしか)。今回は人工知能を開発する若き天才的科学者の役です。インド人だとコンピュータに強そうなイメージがあるのでハマってます。
シガニー・ウィーバーはデヴの所属する企業のCEOです。ブロムカンプ監督は『エリジウム』でもジョディ・フォスターに組織のトップを配役しておりましたが、今回も同じようなイメージですね。
そしてヒュー・ジャックマンがデヴのライバル役です。デヴとは異なる部門の責任者で、人型ロボットの開発のおかげで割を喰らっています。ヒュー・ジャックマンが悪役を演じているのが、ちょっと新鮮デス。最近、ヒーローの役が多いデスからね。
他には、ニュースキャスター役で本職のアンダーソン・クーパーが登場して、ロボット関連のニュースを報道してくれております。
そして、チャッピーを育てる三人組のギャング役に、ケープタウン出身のラップグループ「ダイ・アントワード」から、ニンジャとヨーランディ・ヴィッサーの二人が出演しております。役名もビジュアルもそのままだそうな。
二人ともミュージシャンなのに演技も達者です(三人目のギャング、ホセ・パブロ・カンティージョは普通の役者さんですが)。
しかし、本当に芸名がニンジャとは。あまり忍びの者には見えませんし、忍術も使いません。まぁ、最近のニンジャは「忍びなれども忍ばない」そうですが。
劇中ではニンジャが堂々と日本語がプリントされた衣装を身につけて登場してくれます。カタカナで大きく「テンション」とプリントされたパンツは本人のステージ衣装だそうな。シリアスなシーンでこれが映るものだから、笑ってしまいます。
冒頭から数人のロボット工学者のインタビューがあって、技術的な進歩が強調され、次いで一八年後の南アフリカ、ヨハネスブルクの様子が報道されます。
遂に実用化された自律稼働する二足歩行の人型ロボットが警察に大量に導入され、治安悪化を食い止めているというニュース。ロボット警官なので撃たれても平気だし、人間の警官の前に立って弾よけにもなってくれる有り難い存在です。
ブロムカンプ監督作品ですから、物語の舞台は当然、南アフリカです。ヨハネスブルクの高層ビル街と、コンテナを改造した貧民街の対比が効いております。
実は本作は、ポール・バーホーベン監督の『ロボコップ』(1987年)に対するオマージュが強烈です。やはり「ロボットの警官」という題材ですからね。
リメイク版『ロボコップ』(2013年)よりも本作の方がオリジナルに対するリスペクト度が高いように感じられました。ブロムカンプ監督はSF者ですね。
そして大評判となっている人型ロボットのおかげで、まったく注目されていないのが「トリ脚逆間接の二足歩行ロボ」であると云うのも笑えます。もうデザインからして、『ロボコップ』に登場した〈ED-209〉に限りなく似ております。本作では「ムース」なるコードネームで呼ばれていますが「エド」と呼んで欲しかった……。
ロボット開発企業のCEOであるシガニー・ウィーバーはほくほくで、人型ロボの増産を決定し、開発担当のデヴもニコニコですが、そのあおりを喰らって注目されないムース担当のヒュー・ジャックマンは当然のことに面白くない。
元より設計思想が異なり、ムースは民生用と云うよりも軍用のロボットとして開発されているので、警察からはお呼びが掛からない。いかに高性能であることをアピールしても、強力すぎる兵装は治安維持には必要ないと断られてしまっております。
「よほど治安が悪化しない限り必要ない」と云われ、「じゃあ治安を悪くさせればいいのか」と考えてしまう当たりが悪党ですね。
一方、デヴは単なる人型ロボの開発だけではなく、人間と同様に感じ、考え、成長する人工知能の開発にも余念が無かったわけですが、自宅で余暇を使って開発してしまうあたりが天才すぎます。しかし、寝食を忘れて開発するも、それを実地で試してみることが出来ない。
シガニーCEOに直訴するも「兵器会社には感情を持ったロボットは無用です」とにべもない。かくなる上は、銃撃戦で破壊され廃棄処分になる人型ロボを持ち出して秘密裏に実験しようとしたところで、三人組のギャングに拉致される。
この三人組のギャングが凶暴な上にバカっぽくて楽しいです。
強盗するとロボット警官が邪魔をする。何とかロボット警官のスイッチを切ってしまいたい。家電製品にはリモコンが付いているのだから、ロボ警官にもある筈だ。開発者を拉致してリモコンを取り上げよう。
如何にデヴが「ロボットは家電じゃない」と理性的に話しても聴く耳持ちません。
そしてギャング達の前で、感情を備えた人工知能プログラムをインストールしたロボットを起動する羽目になる。動き出したロボットは赤ん坊同然だった……。
と云うところで、それまで凶悪ギャングだった女性がにわかに母性を発揮し始めるのが巧い展開ですね。しかし素人なので、あまり科学的とは云い難い「チャッピー」なんて名前を付けてしまう。
起動後、急速に学習し始めたチャッピーを見て、凶暴なニンジャは「こいつを味方にしてロボット警官に対抗しよう」と考える。
実はニンジャ達はギャングの元締めに借金があって、何としても期日までに現金輸送車を強奪しなければ、自分達の首が危ないという切羽詰まった状況。
デヴの方も、会社に秘密にしていることや科学者としての興味から、チャッピーの面倒を見ることに。
白紙の状態から善悪を学んでいくチャッピーの姿が楽しいです。アニメのヒーローに憧れ、絵本を読み聞かせてもらいながら正しいことを学んでいきますが、ギャング達からも「こっちの方がカッコいいし、イカスぜ」と悪いことも学んでしまう。動作も何だかヨタ者風に身体を揺すりながら歩くようになって、言葉遣いもギャング風になっていくチャッピー。
そして精神は無垢な子供でも、見た目がロボット警官なので、犯罪者達からは迫害されるというのも当然すぎる展開です。理由も無く暴力を振るわれ、怯えるチャッピーの姿は実に哀れで、人種差別の風刺的な演出としても冴えていますね。
そしてニンジャ達に騙されて強盗の片棒を担がされ、おだてられて悪事に手を染めていくチャッピー。
次第に世の中を学習し、生物の「死」についても学び、自分のボディにあるバッテリー表示にも気がついてしまう。バッテリーが尽きるとき、自分も死ぬのか。
身体に余命を表示するゲージがあり、たった五日で尽きるというのも残酷です。「造物主」であるデヴを問い詰めると「まさかこんなことになるとは思わなかったから」なんて答えが返ってくる。
案外、人間も神様に対して問うことが出来たとしても、その程度の答えしか返ってこないような気がします。
このあたりからチャッピーの生存に向けた戦いが始まっていきます。ボディの寿命が尽きる前に精神を別のボディに移し替えられないか。
急速に学習し、精神の転移方法まで考えつくチャッピーですが、大学や大企業のコンピュータに頼ることが出来ないので、ギャング達の仕事を手伝って盗んできた大量のゲーム機を使って演算させている光景に笑ってしまいました。
さすがソニーピクチャーズ配給。プレイステーション4を何台も繋いで並列処理させてスパコン並みの性能を発揮させております。
そして遂に人工知能のみならず、人間の精神すらも同様に取り出すことが出来るようになる。プレステ4で精神のアップロードが可能になるとは凄すぎます(笑)。
一方、ヒュー・ジャックマンの悪事も順調に進行し、遂にヨハネスブルク中のロボット警官に悪質なウィルスを送信し始める。街中でロボット達がバタバタ倒れ始め、それを見た悪党達が「狩猟解禁だーッ」とばかりに集団で武装強盗に決起するわけで、ヨハネスブルクは大混乱に陥ります。
この展開は『ロボコップ』にもありましたね。警察がストライキに突入した為、一気に治安が悪化するデトロイトの街に重なって見えます。
そんな中でニンジャ達とギャングの元締めの間でもトラブルが出来し、そこへまた出動要請のかかったムースが襲撃してくると云う展開で、クライマックスの戦闘シーンはド派手な上にもド派手。
『第9地区』でも描かれていましたが、日本のアニメに影響を受けたブロムカンプ監督の戦闘ロボ描写は素晴らしいデスね。特にミサイルの飛び方がイイ。
そう云えば、チャッピーのデザインも、ウサ耳のようなセンサーが頭部に付いていますが、日本のコミックスかアニメの影響でしょうか。
戦闘中にヨーランディが撃たれ、デヴも巻き添えくらって重傷を負う中で、ムースと対決してこれを撃破するチャッピー。
やっぱり本作の方が『ロボコップ』の正統派リメイクといった趣です。
その後、ムースを遠隔操縦していたヒュー・ジャックマンも捕らえるチャッピーですが、「それでもボクは君を許す」と命までは取りません。いつの間にやら並みの人間よりも高潔に成長しております(ボコられるヒュー・ジャックマンが新鮮)。
撃たれたデヴも無事にロボットのボディに意識を転送して助かり、チャッピーも新たなボディを得て万事メデタシ。更には亡くなった筈のヨーランディすらも、精神のバックアップから復活するところまでが示唆されます。
何やら新人類の誕生というか、ある種の不老不死が実現したようで、この先の社会の変容が見たいのですが、アクション映画としてはここまでなのが残念。
そもそも犯罪者としてチャッピーは指名手配されているのに大丈夫なのかとか、自我を持った人工知能や、精神をアップロードされた人間に人権は認められるのかとか、問題山積のような気がするのですが。
実はもっとSFぽく、チャッピーも新たなボディに乗り換えるのではなく、精神がネット上に拡散して遍在するようになるとか、更に大規模な変革を期待していたのですが、欧米人には宗教観が邪魔してあまりウケない展開でしょうか(『トランセンデンス』はそこに挑戦して難解になってしまったので、避けた方が無難か)。
ともあれSF映画としては素晴らしい出来映えでありました。
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