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2015年3月6日金曜日

6才のボクが、大人になるまで。

(Boyhood)

 リチャード・リンクレイター監督による、十二年間に及ぶとある家族を描いた人間ドラマです。劇中の経過時間が十二年ですが、撮影にも同じだけの時間を費やしております。ひとつのドラマ作品にかけた製作期間は本作が最長記録であろうと云われております。
 だから主人公の少年の年齢も六才から始まり、本当に十八才の青年にまで成長します。全編同一人物。
 新人エラー・コルトレーンくんも、気の長いドラマの撮影によく最後までつき合ったものです。彼は本作撮影の合間にもリンクレイター監督の『ファーストフード・ネイション』(2006年)にも出演しております。

 主人公以外にも、家族のメンバーはすべて同一人物です。父イーサン・ホーク、母パトリシア・アークエット、姉ローレライ・リンクレイターも皆さん、劇中で十二年の歳月が経過します。お姉ちゃんの苗字が監督と同じなのは、監督の娘さんだからですか。
 撮影期間が実時間の経過と同じなので、老けメイクとか必要ありませんですね。子役の少年少女もそのまま成長しますし。
 それにしても、イーサン・ホークもパトリシア・アークエットも、付き合いの良い人です。ふたりとも他のリンクレイター監督作品にも出演しておられますね。

 本作はベルリン国際映画祭(2014年・第64回)ではコンペティション部門では監督賞を受賞し、アカデミー賞(2015年・第87回)でも六部門(作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞)にノミネートされ、パトリシア・アークエットが助演女優賞を受賞しました。
 パトリシア・アークエットは、あまり映画の方ではお見かけしませんですね。お姉さんのロザンナ・アークエットほど映画には出演されておりませんが、TVドラマの方では『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』で主演を張っておられました。
 アカデミー賞は十二年間のブレない役作りが評価されたのか。できればイーサン・ホークの方も受賞して戴きたかったところですが、母親に比べて父親の出番は少なかったのでやむを得なかったでしょうか。それに今年のアカデミー助演男優賞は『セッション』のJ・K・シモンズでしたし(あれは強烈だった……)。

 リンクレイター監督と云えば、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが主演した『ビフォア・サンライズ』(1995年)、『ビフォア・サンセット』(2004年)、『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)の三部作が知られておりますが、あの三作も各々が公開時期と同じく、ドラマ上でも九年間ずつの時間が経過しております。リンクレイター監督はそういうのがお好きなのか。
 してみると本作は『ビフォア・サンセット』の前(2002年の夏)から撮影に入り、『ビフォア・ミッドナイト』の完成後も撮影していた(2013年の秋まで)と云うことになります。

 個人的にはリンクレイター監督作品では『ビフォア~』三部作よりも、ジャック・ブラック主演の『スクール・オブ・ロック』(2003年)とか、キアヌ・リーヴス主演の『スキャナー・ダークリー』(2006年)の方が馴染み深いです。特に後者はフィリップ・K・ディック原作のSF映画でありますし。
 ひょっとして『スクール・オブ・ロック』も、そのうち成長した子供達と老けたジャック・ブラックを出演させた続編とかが製作されてしまうのでしょうか。
 『スキャナー・ダークリー』にはその心配はありませんが(原作付ですし)。

 それにしても本作の脚本はどのようにして書かれたのか。最初から結末を考えて作られたドラマではありますまい。十二年後にどうなるか、なんて予想も付かないし、俳優達もどうなっているかなんて判りませんからね。
 時間が経過する都度、少しずつ方針を決めながら脚本を継ぎ足していったとしか思えません。場合によっては、かなりグダグダな出来になる可能性もあったであろうに、しっかりと一本のドラマとして継続性が感じられるのは大したものデス。編集の手腕が冴えてますね。

 主演俳優達が劇中で十二年分、歳を食うわけですが、脇役達も実は同じ人達が演じているようです。出番は少ないが、パトリシア・アークエットの友人役は、数年が経過した後も同じ人が演じておりますし、移民の配管工役だった役者さんも数年後には流暢な英語を話す同一人物として現れたりしております(単なるエキストラだと思ってました!)。
 それぞれがリアルな老け方をしているので、ドラマと云うよりも実際の家族に密着したドキュメンタリでも観ているかのような気がしてきます。

 逆に、ドキュメンタリのようなドラマでありますので、劇中ではあまりドラマティックな展開は発生しません。周到な伏線を張っておいて、「そうだったのかーッ」と仰天するストーリーでは無い。何年も前からそんな仕込みが出来るようなら、大したものデスが。
 少しずつ撮り溜めながら、撮った素材に後付けで意味を持たせていったような印象を受けました。だからドラマとしては、ヨーロッパ映画のような淡々とした味わいの作品に仕上がっております。尺が一六六分もありますけど。

 事件らしい事件も起こらない。まぁ、一般的な家庭に、そんなに劇的なことなど起こるものではありませんが。せいぜいが「両親の離婚や再婚、転居」といった事柄で、まさにそういった事柄が描かれます。しかし幼い少年にはそれもまた大事件ではあるか。
 まずは冒頭から、両親が離婚し、シングルマザーとなったパトリシア・アークエットが育児のために実家のあるヒューストンに引っ越すところから始まります。父親はアラスカに行ってしまったそうですが、仕事なのか旅行なのかよく判りません。
 荷物をまとめ、空家になった我が家を後にするわけですが、家の中の柱には成長する子供達の背丈を測った跡が付いているのがやるせないです(それもきれいサッパリ消してしまうのが勿体ない)。

 ストーリーは淡々と進行していくので、年代事に様々なエピソードが語られますが、相互に関係しているわけでも無い。
 ヒューストンに引越し、祖母と一緒の新生活が始まり、母パトリシアは大学に復学する(学生結婚だったらしい)。一年半ほどしてアラスカから父イーサンが帰ってくるが、特に復縁するでも無く、子供達とは定期的な面接で顔を合わせるのみです。
 母親の方は受講している大学の講師と新たな恋愛を始め、遂に再婚。互いにバツイチの子持ちだったので、いきなり兄弟姉妹が増えたりします。
 しかし、再婚相手とは次第にそりが合わなくなって、また離婚。せっかく仲良くなった兄弟姉妹とはまた別れ別れに。結局、このときの子供達が互いに再会することはありません。通常のドラマなら、数年経って再会という流れもアリだったのでしょうが、このエピソードはここまでです。

 やがて母パトリシアは大学を卒業して、そのまま講師の資格を取って教職に就く。そしてまた再婚。
 一方、父イーサンの方も別の相手と再婚し、そっちはそっちでまた新たな家族関係が結ばれ、歳の離れた弟が生まれたりします。互いの再婚相手とは良好な関係のようで、特に人間関係が荒れることも無く、子供達も複雑な家庭環境に順応しています。
 それにこの頃になるとティーンエイジ後半に差し掛かるので、子供と云えども道理を弁えているようです。淡々とした描写なので、内心葛藤を抱えていたとしても表には現れません。
 そして高校に進学するまでになり、次第に少年はアーティスト気質を開花させ始め、写真家への道を歩み始める。
 やがて奨学金を得て大学へ進学し、実家から離れた寮生活を送ることになって、遂に新生活に突入する……あたりでおしまい。

 うーむ。それなりに興味深い事件が幾つか起こりますが、全体として単調です。母パトリシアの最初の再婚相手が酒浸りになって暴力的になるあたりが一番、波乱な出来事でしたでしょうか。
 それよりも、子供が成長していくにしたがって、時代の移り変わりを感じる背景描写の方が面白かったです。これは特に計算しているわけでもなく、撮影時期に起きたことをそのまま取り込んでいるだけなのでしょうが、なかなか巧い演出でした。

 他の映画でもやっていますが、アップル・コンピュータの型式で時代を表現する、なんてのは常套手段ですね。本作の劇中では、 iMac が丸くてシースルーなボンダイブルーだった頃から始まり、薄っぺらい iBook に進化していく様子が伺えます。同時に、 iPod なども生活の中に現れてきたりします。
 しかし、どちらかと云うとアップル・コンピュータよりも『ハリー・ポッター』シリーズで時代を表現しているのが面白かったです。最初は母親に読んでもらっています──内容的には『ハリー・ポッターと秘密の部屋』ですね──が、次第に自分で読むようになり、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』が出版される際の、書店でのカウントダウン・イベントにコスプレして行列に並ぶまでになる(2005年でしたね)。
 そう云えば、そんなこともあったねえ的な出来事が面白いデス。
 他にも、『スターウォーズ』の新三部作が話題になったり、年頃になると『トワイライト』シリーズに夢中になったりもしております(主にお姉ちゃんが)。

 社会的にも様々なことが背景で発生しております。911同時多発テロに端を発して、イラクで戦争が起こったりしております。
 子供が成長してくると、大人の話題にもついて行けるようになるし、大統領選挙のキャンペーンも手伝わされるようになるので、「オバマ対マケイン」の選挙キャンペーンが背景に登場したりします(2008年ですね)。
 また、父イーサンの再婚相手の家族が、ばりばりに愛国的で信心深く、教会での説教につき合わされたり、プレゼントにライフル銃を贈ってくれるのもアメリカならではの描写でしょうか。未成年の少年に銃を贈る感覚が驚きですが。
 母パトリシアの再々婚相手もイラクへの派兵経験があったりもしていますし、ある時期のアメリカの世相としては特殊なものでは無いのか。
 特に字幕で年代が表示されることはありませんが、憶えのある出来事が多いです。

 そしてその間にも子供はどんどん成長していく。特にお姉ちゃんの変わりようが凄い。最初から最後まで同一人物であるという予備知識が無いと、ちょっと判らなくなるくらいの変わりようです。
 歯にブリッジをしていた女の子が、髪を染めて化粧をして、Facebookを始めるようになっていく。うーむ。リアルな成長とは、かくも怖ろしいものなのか(うちのムスメもこんな風になっちゃうのかなぁ)。
 主人公の少年もヒゲを生やし始めるし、スマホでLINEを始めるし、ガールフレンドは出来るし、失恋もします。そしてまた新たな恋も始まるらしい。

 逆にパトリシア・アークエットとイーサン・ホークがそれほど変わっているように見えないのが興味深いです。まぁ、さすがに十二年の歳月が経過しますので、若干の皺が出来るのは当たり前ですか。
 それでもラスト近くで母パトリシアが十二年の歴史を思い返して感傷的になるのが、ちょっとオーバーに思えるくらいです。「こんなに歳を取ってしまって」なんて嘆くほど老けているようには見えませんですよ。「あとは死ぬだけだわ」なんてのも、まだ早すぎでしょう。
 でも子供が独立して、残された親の心境としてはこんな風に考えてしまうのもやむを得ないのか。このあたりはアカデミー助演女優賞も納得の演技力です。

 写真家への道を歩み始めた青年が(もはや少年ではない)、「瞬間は常にここにある」と口にするラストシーンが印象的でした。いかにも一瞬を切り取るフォトグラファーぽい台詞ですが、一六六分かけて十二年の歳月を追いかけてきた本作ならではの、重みのようなものも感じました。
 でも、全編がたゆたうように流れていくドラマなので、人によっては退屈に感じてしまうかも。
 実は私、このドラマの着地点がさっぱり見えてこなくて、後半はかなりダレておりました。「主人公が一八歳になったら終わる」ことを予め知っていないと辛かったでしょう。
 その分、見応えはあります。ありすぎるのが問題なのか。このストーリーで、一六六分てのはやはり長すぎますかねえ。




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