基本的にベタなコメディ映画でありまして、近年ではあまり類似の作品が思い当たりませんです。ピーター・セラーズの「ピンクパンサー」シリーズに少し似ている感じがしますが、ジョニー・デップはあそこまで大ボケかましたりはいたしませんでした(ちょっと残念)。
しかし一部のSF者にとっては、原作者のキリル・ボンフィリオリに懐かしさを感じたりするのでしょうか。何と云いましても、あの、サンリオSF文庫に収録された小説の作者ですからね。
とは云え、キリル・ボンフィリオリの名前を聞いて、即座に「ああ、『深き森は悪魔のにおい』の作者ね」なんて答えられる奴が何人いることやら。実は『深き森は悪魔のにおい』は「チャーリー・モルデカイ」シリーズの第三作目に当たるのですが、本作を観てしまうと「どこがSFなんだよ」とクレームを付けたくなるでしょう(実際、SFではないし)。
キリル・ボンフィオリはイギリスのSF雑誌の編集者でもありましたが、御本人はSFを書いたりはしなかったようです。なのにどうしてサンリオSF文庫に収録されてしまったのか。
そのあたりの事情については『サンリオSF文庫総解説』を読んでも書かれていませんです。
映画化に際して、原作シリーズが日の目を浴びて、シリーズ全四巻が角川文庫から訳出されました。何と申しましても、本作はジョニー・デップ主演の映画ですからね。
あの『深き森は悪魔のにおい』も、第三巻『チャーリー・モルデカイ/ジャージー島の悪魔』として復刊されました。わーい。ジョニー・デップよ、ありがとう。
サンリオSF文庫華やかなりし頃は私も金欠な学生でした。今にして思えば、あの頃に借金してでも全巻買っておくべきでした、と後悔しても後の祭り。
しかし今やあちこちの出版社が絶版になったサンリオSF文庫の諸作品を改めて刊行してくれたりしておりますので(しかも新訳で)、状況は随分と改善されました。フィリップ・K・ディックは云うに及ばず、ドナルド・バーセルミや、アンナ・カヴァンの小説だって、また読むことが出来るのデス。二一世紀は素晴らしい時代デス(でも放っておくと再び入手不可能になりそうだから、そういうのは見つけ次第確保するようにはしております)。
したがいましてキリル・ボンフィリオリの「チャーリー・モルデカイ」シリーズも今度は逃さぬよう、全巻確保したことは云うまでもありません(まだ読んでないけど)。
まぁ、シリーズ四作中、ボンフィリオリの手になるのは最初の三作までで、四作目は作者急逝に付き、別人の手によって遺稿に手を加えられて完成しているそうですが。
角川文庫版のあとがきによると、ボンフィオリは並行して第五作目にも着手していたそうですが、こちらはまったくの書きかけで途絶えてしまったそうな。惜しい。
とりあえずジョニー・デップには、映画化作品も三部作になるまで頑張って戴きたい。
そうすりゃ三作目は「サンリオSF文庫の映画化作品」にもなるわけで、これはSF者としても嬉しいことです。『V』(1983年)とか、『バトルフィールドアース』(2000年)なんて迷作だけではなくなるのだ。
がんばれジョニー・デップ──とは云うものの。
果たして「チャーリー・モルデカイ」シリーズは、ジョニーの代表作の一つに挙げられるまでになるのでしょうか。代表作と云うよりも、黒歴史なのではと噂されているようなので不安を覚えます。三部作どころか、続編すら怪しいのでは……。
ジョニー・デップが今まで演じてきた奇妙なキャラクターの中では、チャーリー・モルデカイはそれほど絶大なインパクトを持っているワケではないです(チョビヒゲは印象的ですが)。ジャック・スパロウや、ウィリー・ウォンカ、マッドハッター、バーナバス・コリンズなんかと比べると、真っ当であるとさえ云えます。
いや、まぁ、本作が抱腹絶倒なコメディではないのは確かです。その割に、登場人物達は皆、どこか抜けておりますが。
「胡散臭いチョビヒゲの、インチキ美術商」と云うのが、チャーリー・モルデカイ。英国名門貴族の末裔ではあるものの、今や破産寸前で、広大な地所を売りに出すか、館を観光に供するか、それとも先祖伝来の収蔵美術品をオークションに出品してしまうかを迫られている。
遊び人ではありますが、趣味人としてそれなりの美術品鑑識眼も、ウンチクも備えているので、まったくの役立たずではない。ある方面に対しては信頼できる専門家ではある。早い話が美術ヲタクか。
破産を逃れようと、テキトーな贋作を古美術品であるかのように偽って商売するところまで追い詰められているワケですが、本人に悲壮感はあまり感じられません。
実に楽天的で、チョーシの良いトークで切り抜けようとしております。
冒頭の、中華マフィアに贋作売りつけようとしてトラブルになるあたりの描写が、何となく『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)の冒頭部分に似ています。パロディなのかな。
案の定、トラブルになるが腕っぷしの方はからっきし。そこへ助っ人に現れるのが、頼りになる忠実な従僕ジョック。ポール・ベタニーがマッチョな用心棒を演じております。ジョニーとは『トランセンデンス』(2014年)に続いて共演しておりますね。
しかし本作のポール・ベタニーは実に間抜けというか、腕っぷしは強いが、脳みそまで筋肉。ジョニーとふたりで、ようやく一人前でしょうか。しかし主人の方もやっぱり間が抜けているので、常に酷い目に遭わされている。
ジョニー・デップの所為で辛酸なめながらも旦那様に忠誠を尽くす姿が、本来ならギャグなのでしょうが、あまり笑えるようには思えませんでした。
少なくともクルーゾー警部(ピーター・セラーズ)とケイトー(バート・クウォーク)のようではないです。
ジョニー・デップとポール・ベタニー以外の出演者は、グウィネス・パルトロー、ユアン・マクレガー、ジェフ・ゴールドブラムといった面々です。何気に豪華です。
グウィネス・パルトローはジョニー・デップの妻ジョアンナ役。ユアン・マクレガーはMI5のマートランド警部補役。実はジョニー・デップとユアン・マクレガーは学生時代の同窓で、グウィネス・パルトローを巡って恋のさや当ても演じていたという設定。
実際にはグウィネス・パルトローはジョニー・デップにぞっこんであり、ユアン・マクレガーは失恋確定なのですが、今でも隙あらば手を出そうと狙っている。
あのユアン・マクレガーが、ちょっと間の抜けたコメディ演技を披露してくれるのが新鮮でした。あまり観たことないですねえ。
これは日本語吹替版で観るともっと笑える類のコメディなのでしょうか。まぁ、ある種のコメディ映画は台詞を字幕で追うよりも、日本語の台詞を耳で聴いた方が笑えますからね。これには声優さんの技量も追加されるのでしょうが(広川太一郎や大塚周夫が吹き替えると何でも笑えてしまうのは、神業ですけど)。
本作のジョニー・デップの吹替は、定番の平田広明。
以下、ポール・ベタニーが西凜太朗、グウィネス・パルトローが岡寛恵、ユアン・マクレガーは森川智之ですので、割と定番声優さんであるのが安定しておりますでしょうか。他にも大塚芳忠や大木民夫の名前もお見受けしますし、本作の日本語吹替版は話題作りに芸能人を起用したりしていないので大丈夫のように思われます。
多分、ジョニー・デップのナヨナヨしたヘナチョコ演技と貴族調の勿体ぶった話し方は字幕で読むより、平田広明の吹替で聞く方が何倍も可笑しいのではないか……と思われます(実際に吹替版を観たわけではありませぬが)。
あるとき修復中のゴヤの名画が盗まれる事件が発生する。実はその画は、第二次大戦中に一時的にナチス・ドイツに略奪され、ヘルマン・ゲーリングがスイスの秘密口座の番号を絵の裏に書き残したという代物だった。
これが副題にもある「華麗なる名画の秘密」でありまして、画を手にした者はスイスにあるナチスの莫大な隠し財産を我が物に出来ると云う設定です。
絵画の断片的な構図から、歴史的なウンチクを迸らせるジョニー・デップがなかなかに名探偵です。単なるおバカではないのがいい。
そして何者かに奪われたゴヤの名画を巡って英国情報部MI5やら、ロシアン・マフィアやら、国際的テロリストやらの名画争奪戦にジョニー・デップが巻き込まれていくと云うストーリー。
ジョニーは旧友ユアン・マクレガーから依頼され、滞納した税金の返済のために名画捜索に奔走する羽目になる。画を手に入れなければ、土地も屋敷も人手に渡ってしまうわけですが、楽天的というか脳天気というか、生来のお調子者なので悲壮な感じは微塵も感じられません。コメディですし。
行方不明のゴヤをめぐって、ジョニー・デップがあっちこっちへ引きずり回され、ピンチに陥りながらもポール・ベタニーに助けられ、やがてアメリカの大富豪が闇ルートで名画を入手したとの情報を得て、カリフォルニアにまで出張していく。
この変人でコレクターな大富豪を演じているのがジェフ・ゴールドブラムです。今回はあまり出番がなかったのが残念でした。劇中では中盤で登場したあと、すぐに殺されちゃうし。
ジョニー・デップがある場所から別の場所に移動すると、CGを駆使した立体的な地図が表示され、インディ・ジョーンズよろしく移動経路が判り易く説明されます。地名も立体的に表示され、そのまま地図上の地形が実景に重なってシームレスに場面転換される演出が面白かったデスが、なんかCGの無駄遣いのようにも思えました。
何となく無理して必要以上に笑わせようとしているような。
本作の監督はデヴィッド・コープ。ジョニー・デップ主演の『シークレットウィンドウ』(2004年)の監督ですが、他は存じませんデス。劇場未公開のビデオスルーが多いそうですし。
『メン・イン・ブラック3』(2012年)や、『エージェント : ライアン』(2014年)の脚本も他の脚本家と共同で執筆しているそうですが、あまり一貫した傾向が見受けられませんですね。
本作はジョニー・デップが製作者にも名を連ねていますので、デヴィッド・コープは雇われ監督に徹しているのでしょうか。
ドラマとしては、前半はちょっとモタつきますが、すべてが水の泡になったかと思いきや、思わぬところに手掛かりが残されていたり、クライマックスではロシアン・マフィアも、テロリストも、中華マフィアまでもが一堂に会したりする展開は割と楽しかったです。
本物のゴヤの名画を偽物とすり替えようとして邪魔が入り、ドタバタしている内に計画通りにすり替えが成功したのか判らなくなる……と云うのも定番展開ですが、ちょっと演出的に判りにくかったでしょうか。
一応、謎解きもあり、アクションもあり(カーチェイスも、爆発も、チャンバラもある)、ユーモア・タッチのミステリ映画としては過不足ない出来映えであるように見受けられますが、もうちょっとドタバタしても良かったように思われました。
実は予告編で観たけど、本編ではカットされている場面がありました。ジョニー・デップがポール・ベタニーに救出されて、サイドカーで見知らぬ街を爆走する場面。悪党に追われ、カーチェイスしつつ、頼りの地図を広げたら風で吹き飛ばされてしまうと云うお笑いのシチュエーションだったのですが、何故か本編にはありません。
あのシーンは残した方が良かったのにと思わざるを得ませんです。何故カットしたのか。
とりあえずジョニー・デップの名前に免じて続編もお願いしたいところです。SF者としては『深き森は悪魔のにおい』まで辿り着いてもらいたいが、どうでしょう。虫が良すぎますかねぇ。
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