最初にアニメ化されたOVA版(1988年)、劇場版の3Dライブアニメ(2004年と2007年)、全一三話のシリーズ化(2011年)と、私が知っているだけで四作。他にもゲーム版やら、ドラマCDやら色々あるようですが、もう追いかけ切れんデス。
本作の監督は3Dライブアニメの劇場版二作──『APPLESEED』(2004年)と『EX MACHINA』(2007年)──と同じく荒牧伸志。
個人的にはあの二作が気に入っていたので(特に後者はジョン・ウーのプロデュースでしたし)、またやるのかと云う気がしないではありませぬが、荒牧監督としては3DCGでもう一度、やりたかったのでしょうか。
近年は『スターシップ・トゥルーパーズ/インベイジョン』 (2012年)、『キャプテンハーロック』(2013年)と3DCG映画を監督しておりますからね。もはや荒牧伸志と云えば3DCG。「ジェームズ・キャメロン大絶賛」と云うのが、前作あたりから宣伝の枕詞に用いられております。
確かに、映像は凄かったデス。それは文句なし。
しかし何度もアニメ化されてきた経緯があるので、ちょっと食傷気味なのは否めませんです。何しろ原作の方は士郎正宗が凍結宣言出してストップしたままなので、同じ設定が繰り返されているだけのような気がして……。
本作もまたタイトルに「アルファ」と銘打つくらいですから、今までの作品は無かったことにして、リセットです。再び、原作冒頭の「世界大戦後の廃墟でサバイバルするデュナンとブリアリオス」が描かれます。
個人的にはESWATの基本設定だけ使ってオリジナルのストーリーにするのがよろしいと思うのですが、未来都市で特殊部隊が犯罪捜査する……と云うと『攻殻機動隊』との差別化が難しいのでしょうか。
但し、スタート地点は原作と同じですが、そこから本作では「オリュンポスには行かない」ことになりました。
本作は全編、廃墟と化したニューヨーク周辺を舞台にして、あえてオリュンポスは登場させない演出になっています。オリュンポスはデュナンの思い描く理想郷、いつか行ってみたい憧れの街として語られますが、ブリアリオスの方はオリュンポスの存在自体を信じていない。
そんなある日、二人は「オリュンポスから来た」と称する少女アイリスと知り合い、少女を狙う悪党共の陰謀に巻き込まれていく、と云う流れになりました。
原作のパターンで行くなら、少女はヒトミでなければならん筈ですが、そこはオリジナル設定になっています。
オリュンポスを一切登場させない──イメージや回想シーンにも出さない──と云うのは、思い切ったことをします。その分、リアルな廃墟でのバトルが重点的に描かれていきます。
モーションキャプチャを使用しているので、配役は動作と声の出演で、人物一人につき二人がクレジットされていますが、モーションの方はもはや誰なのか判りませんです(汗)。しかしアクションが実にサマになっている。
一方、声の方は、デュナンが小松由佳、ブリアレオスが諏訪部順一です。
もう何代目になるのでしょうか。勝生真沙子、小林愛、坂本真綾らが演じてきたデュナンを今度はキュアパッションが演じております。歴代デュナンの中でも、割とハマっております。
坂口芳貞、小杉十郎太、山寺宏一らが演じてきたブリアリオスも、今度はバーガー少佐というかスペース☆ダンディですね。総じて、配役が巧いのか違和感は感じません。
映像も実写ライクなので、洋画吹替のような感じでした。
しかし声の配役で一番印象的なのは、双角でしょう。原作に登場していながら、今まで映像になってはおりませんでしたが、今般初めて登場し、最後は主役を喰うほど活躍してくれております。
声は安心安定の玄田哲章。なんかイメージ通りと云うか、アニメになっていなかった頃は、あんな声かこんな声かと配役を考えていた時期もありましたが、玄田哲章ボイスで喋った瞬間に、もう「双角は玄田ボイス」で固定されてしまった感があります。
今後、デュナンとブリアリオスの配役を変更することがあっても、双角だけは変えないで戴きたい。
他の配役では、謎の少女アイリス役が悠木碧、悪の親玉タロス役が東地宏樹、女性サイボーグの暗殺者ニュクス役が名塚佳織、ドクター・マシューズ役に堀勝之祐といった布陣です。奇を衒った配役では無いので、実に安定しております。ベテラン揃いですしね。
名塚佳織のクールビューティな暗殺者がいい。ビジュアルもセクシー(サイボーグですが)。
ブリアリオスを含めてサイボーグのキャラが多いので、表情が変わらないまま喋るシーンが多く、CGの制作上は都合がいい演出になっているのは巧いです。その分、生身のデュナンや、アイリスの表情の変化が細かく描かれております。CGの表現力の進歩を感じます。
しかし一人だけ、サイボーグでありながら表情を変えられる奴がいます。それが双角。もうCGクリエイターが全力で、顔のパーツを細かく動かしながら、双角の表情を作っております。おかげで本作中、最も感情表現が豊かなキャラクターになりました。
それがまた玄田ボイスで叫ぶわ、喚くわ、高笑いするわと、非常にやかましい。本作の見どころは、この双角の顔芸なのではとも思えます。
で、そのように映像的には非の打ち所が無く、声の配役も安定している本作ですが、唯一の弱点が脚本です。そこの手を抜いちゃイカンじゃろー。
荒牧監督の近年の作品を観ていると、脚本が弱いと感じるものばかりなのですが、今度もまたその例に漏れず。なんとなく観る前から判っていたとは云え、期待通りに期待外れなストーリーなのは如何なものか。
本作の脚本は、マリアンヌ・クラブジックなる女性脚本家の方だそうですが、他の作品を存じませんです。どうもビデオゲーム関係の仕事が多い方のようです。
だからなのか、とは云いたくないが、もう少し何とかならないものでしょうか。あまりにストレートすぎて、ヒネリの無いストーリーなので先の展開が読めまくり。
良く云えば、よくあるB級アクションものです(誉めてないな)。
廃墟や荒野が主たる背景なので──設定上も文明が崩壊した世界大戦後だし──、一時期粗製濫造された低予算B級SF映画並みのストーリーをそのまんまなぞるように進行していくストーリーなのは如何なものかと思うところであります。
まぁ、ストーリーの基本構造がB級なだけなので、昔の低予算SF映画では描けないような派手な戦闘やアクションが描けるところは救いではあります。画面上は少しリッチ。
やはりビジュアルがメインの作品は、まず「画ありき」から始めるのがマズいんですかね。
ここが見せ場だろうと思われるシーンは何カ所もあります。多分、先に見せたい場面(作りたい場面)があって、それを辻褄が合うように繋げていく作業で脚本が書かれているのではないかと思うのですが、そうやって場面と場面を繋ぐだけの脚本は、随所に不自然な穴があったり、辻褄を合わせきれなかったりして破綻する、と云うのもよくあるハナシです。
多少の破綻も、ノリとイキオイで気にさせない作品があるのも事実ですが、本作の場合はそこまでハイテンションなストーリーではありませんので、余計に不自然なところが目立ちます。
しわ寄せを喰らうのが、登場人物の感情の推移でしょうか。
劇中でデュナンが泣き出す場面があります。それまで気を張って頑張ってきたのに、ある場面に遭遇し絶望に襲われ、不意に号泣し始める。
「泣くシーン」だけ取り上げると、本当に見事にCGが人物の表情を描いているのに、ストーリー上「何故そんなところで泣くのだ」と意表を突かれてしまいました。観ている側としては、デュナンはそんなところで泣くようなタマじゃないだろうとツッコミを入れたくなります。
双角の性格についてもそう。当初は凄い悪党面で登場する双角ですが、後半になるに従い、コミック・リリーフ的なキャラクターになっていく。
本当に悪党なのはタロスなので、双角が「憎めない小悪党」になるのはやむを得ないし、狙っているのだとは思いますが、それにしては「登場してからタロスに悪党の座を奪われるまでの間」の行状がひどすぎる。
序盤でデュナンとブリアリオスにかなりひどい仕打ちをしている双角が、後半で主人公を助けるために柄にもなく命を張ったりする理由がよく判りませんデス。途中で性格が変わってます。
そういうところに目を瞑れば、双角が何度爆発に巻き込まれても、ブルース・ウィリスばりに「ひどい目に遭ったぜ」と這い出してきてOKだし、そういうキャラクターなのだと納得も出来るのにねぇ(玄田哲章ですし)。
クライマックスの大爆発が起こって生死不明になっても、「双角は死なない人だ」と確信が持てるようになるまでパターンを繰り返してくれるのは巧いです。
やはり何を云うにしても、ラスボスであるタロスが、あまりにも底の浅い悪党であるのがイカンのか。もう少し深謀遠慮を働かせる悪人であってもらいたかった……。
いや、だって、多脚砲台を一台だけ動かしてどうしようと云うのか。荒牧監督も、『APPLESEED』(2004年)では複数の多脚砲台を暴れさせていたのに、妙にスケールダウンしているような気がします。
ついでに云わせてもらえるなら、「また多脚砲台なの?」なのですが。
いや。多脚砲台のビジュアルは見事なんですよ。そりゃもう入魂の3DCGです。音響設計も見事です。迫力のあるメカです。
エンドクレジットの制作スタッフの名前が妙に少なかったように思えるのですが、もはや大人数のCGクリエイターを揃えなくても、これほどの映像を作り上げることが出来るのだと云う、技術的な側面には素直に称賛を送りたいです。
でもストーリーが本当にヒネリなしで、「文明崩壊後の世界」で「世界大戦前のハイテク・スーパー兵器を復活させて世界征服を企む悪党」を「主人公達が阻止する」だけのストーリーには、もはや新鮮みも何も感じることは出来ませんデス。懐かしいと云えば懐かしいが、それを狙って制作したわけでもありますまい。
ビジュアル面に傾注する労力の、半分でイイから脚本にも注いでもらいたかった……。それとも脚本が先にあって、監督と云えども変更できなかったのか。そんなことないと思うのですが。
本作は日本では劇場公開されましたが、欧米ではビデオスルーになってしまったそうな。さもありなん。
エンドクレジット後にオマケのシーンが用意されていて、ファン・サービスにもなっているのですが、やっぱり脚本家が原作の設定をよく理解していないのではとツッコミ入れたくなりました。
劇中ではバイオロイドがクローン人間と同義に扱われているようでしたが、そういうものではなかったと思うのですがねえ。特にヒトミがアイリスのオリジナルだと示唆するような台詞は間違っているような気がしてなりませんデス。
色々と文句垂れてますが、『アップルシード XIII (サーティーン)』よりは遙かにマシでした(あまり救済にはならんか)。
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