「目が大きい」とは、日本のアニメ作品を語る際によく云われる特徴ですが、米国にも同じ特徴のカワイイ女の子のイラストがあるんじゃないか。しかも六〇年代から。私が日本人でアニメに慣れ親しんでいる所為か、この「ビッグ・アイズ」のイラストは半世紀経っても古びている感じがしませんです。むしろイマドキの方がもっとウケるような。
これらキーンのイラストは、ポップアートの旗手にして芸術家アンディ・ウォーホルも絶賛したそうで、冒頭に「キーンのイラストは素晴らしい」旨のコメントが紹介されます。
但し、長らくこれらのイラストはキーン夫妻の旦那の方、ウォルター・キーンの作であると喧伝されてきたそうですが、実は描いていたのは奥さんのマーガレットの方だったというのが真相。
奥さんはゴーストライターと云うか、ゴーストアーティストだったのだ。このことは後に真相が明かされ、裁判沙汰にまでなったそうな。
近年の「現代のベートーベン」佐村河内ゴーストライター事件を想起しますね。
主役のマーガレット役はエイミー・アダムス。旦那のウォルター役はクリストフ・ヴァルツです。
エイミー・アダムスは『アメリカン・ハッスル』(2013年)に続いて、本作でもゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞しました。「ミュージカル・コメディ部門」と云うのがチト解せんのですが。
このイキオイでアカデミー賞主演女優賞も獲ってしまうかも……と思いましたが、今年(2015年・第85回)のアカデミー賞にはノミネートされておりませんでした。残念。
まぁ、ほら、今年は『ゴーン・ガール』(2014年)のロザムンド・パイクで決まりだから(勝手な希望)。
もう一方のクリストフ・ヴァルツはクエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(2009年)や『ジャンゴ/繋がれざる者』(2012年)でお馴染みの名優です。人当たりの良いお調子者から冷酷な殺人者までシームレスに演じられる人ですね(個人的にはスタンリー・トゥッチと双璧な感じです)。
本作に於いても最初は気さくなナイスガイとして登場し、次第に暴君と化していくDV亭主を熱演しております。コミカルな中にも、ちょっと鬼気迫るものが混じっている感じがするのが巧い。
その他の配役では、物語の語り手である新聞記者をダニー・ヒューストン、辛口の美術評論家をテレンス・スタンプが演じております。
劇中ではテレンス・スタンプがキーンのイラストを「子供の絵だ」とか「グロテスクだ」とか、散々に酷評する場面がありましたが、やはり最初はそうだったのでしょうか。本作にはアンディ・ウォーホルが登場しませんので、冒頭の称賛コメントがいつ頃に付けられたのか定かではありません。
ティム・バートン監督作品の実話に基づくストーリーとしては、『エド・ウッド』(1994年)以来でしょうか。『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)はどこまで実話なのか判らないから除外しますね。都市伝説ぽいし。
脚本がスコット・アレキサンダーとラリー・カラゼウスキーであるのも『エド・ウッド』以来か。
でもやっぱりティム・バートンの作品だなあと思わせる美術は本作でも健在でした。とりわけハワイの場面のパステルカラーな背景の配色がティム・バートンらしいです。
そしてバートン監督作品なので、当然のように音楽はダニー・エルフマン。
まずは冒頭、一九五八年のノースカロライナ。エイミー・アダムスが娘を連れて家出する場面から始まります。
見るからにダメ男な亭主が酔いつぶれている隙に、娘と共に車に乗って出て行ってしまう。荷物をまとめるところでエイミーが絵を描くのが趣味であるとさりげなく説明し、母と娘が向かう先はサンフランシスコ。西海岸の美しい海岸がなかなか印象的です。
友達を頼ってサンフランシスコで心機一転の生活を始める母と娘ですが、亭主と別居して生計を立てるのは難しい。美大で学んだ経歴があれどもイラストレーターの職はない。やむなく寝具メーカーに就職して、子供用ベッドにイラストを描く仕事にありつくエイミー。
当時の子供用ベッドには一点ずつ、手描きの絵が描かれていたと云うのが興味深いです。大きな工場に出荷前のベッドがずらりと並び、絵描きが一人ずつ担当しているわけですが、大勢の社員がそれぞれに天使だのクマちゃんだのを描いているわけで、今よりずっと手間を掛けて作っていたわけですね。人件費の安かった時代であるのが伺えます。
他にも時代背景として、当時のサンフランシスコでは「エスプレッソ」なるコーヒーが流行り始めていたと云う描写もあります。スタバの無かった時代ですものねえ。
休日は公園に出かけ、生活費の足しに似顔絵描きのバイトに励むエイミー。当時のサンフランシスコの公園には絵描きがずらりと並んで露店を開き、それぞれに自作の絵を展示して売ったりしております。パリのセーヌ河畔のような光景です。
そこで知り合う男性がクリストフ・ヴァルツ。弁舌爽やかなナイスガイであり、惹かれるものを感じたエイミーは次第に親しくなって、遂に再婚。
休日は親子三人で過ごし、最初のうちは幸せそうな家庭に見えたのですが。
サンフランシスコには画廊が多いようで、クリストフは知り合いの画商の元に描いた風景画を持ち込んだりもしておりますが、さっぱり売れない。流行りはシュールで抽象的な路線であるのに、古臭い風景画なんて売れるものかと一蹴される。
しかし一緒に持ち込んだエイミーの女の子のイラストには画商もちょっと興味を引かれたようです。でも「印象的だが芸術ではない」とやはりNG。
結局、画廊ではなく、バーの廊下に飾ってもらって来店客に売り込もうとするものの、これまた巧くいかず。挙げ句の果てにバーの経営者と喧嘩になって、新聞沙汰になってしまう。
このときの記事を書いたのが本作の語り手となる記者(ダニー・ヒューストン)。
しかし記事になったことで世間の注目を集める。人生、何が幸いとなるのか判りません。
「ビッグ・アイズ」の絵は評判となり、次第に高値で売れ始め、家計は持ち直し、万事メデタシ……かと思いきや。
妻が描いて夫が売る、と云う二人三脚態勢も調子よく運んでいると思われましたが、実は夫は絵の売り込みに際して「作者は自分である」と偽っていたのだった。
「この方が買い手の理解を得やすいから」なんて説明に釈然としないものを感じながらも、家計のために描き続けるエイミー。
内気で口下手な自分よりも売り込みの巧い夫に任せておく方が安心だ──と思いはするが、絵描きにとって描いた絵は自分の分身。それを他人のものにされてしまうのは納得いかない。
エイミーが葛藤している間にも、クリストフの売り込みは順調で「ビッグ・アイズ」のイラストは売れまくる。遂には自分達の画廊まで構えるまでになり、クリストフは地元の名士になる。
このあたりからクリストフの振る舞いが鼻につき始めます。調子良すぎるのですが、本人に自覚はないようです。画廊を訪れる女性客とも必要以上に親密になろうとしている。
心の晴れないエイミーは教会で神父に告解するものの、六〇年代という時代の所為か、たまたま告解した神父の頭が堅かったのか、満足の得られる回答は得られない。
確かに夫は家庭を蔑ろにしているわけでも、子供を虐待しているわけでもない。とは云え、「夫は家長なのであるから、妻は従うべきである」なんて説教に納得できるものではない。
面と向かって女性にそんな説教をする神父がいたと云う描写に時代を感じます。
しかしクリストフが商売上手であることは否定できない。一点ずつ絵を売るのではなく、ポスターやポストカードに複製して安値で大量に売り捌く、なんて手法はエイミーには思いつけない。そもそも描いた絵が評価されればそれで満足という謙虚な女性です。
大金を手にしてどんどんリッチになっていくのですが、それでいいのか。
もはや世間的には「ビッグ・アイズの作者はウォルター・キーン」で定着してしまい、今更否定は出来ない。最初の段階で訂正していれば傷も浅かったろうと後悔しても後の祭り。
何より、年月が経つうちに自分の娘にも真実を告げることが出来なくなっていたと云うのは辛い。ティーンエイジに成長した娘も「義父が作者」だと思い込んでいる。
気がつくと、家の中にアトリエという名の牢獄が完成し、自分はそこに軟禁も同然の状態。子供にも秘密にして絵を描き続けているエイミー。
しかしクリストフにも弱点がある。実際の作者ではないので、「何故、女の子の絵ばかり描くのですか」と訊かれても答えようがない。
クリストフはエイミーを問い質し理由を尋ねるが、アーティストが自分の内面を理路整然と言葉にして表現できるのか。そもそも口下手なエイミーには説明できない。
するとクリストフは勝手に理屈を作り上げてTVのトーク番組で嘘八百を並べ立て始める。厚顔無恥というか、知ったかぶりの才能は本当に大したものデス。
しかし調子の良いナイスガイの仮面もここいらが限界。メッキが剥げるというか、クリストフが隠していたことが次第に明らかになっていきます。
実は前妻との間に隠し子がいた。自分もバツイチだが相手もそうだったとは。
実はパリに住んだことなどない。パリの風景画も実際に見て描いたものではなかったのだ。
実はそれらの自作と称していた風景画すら、本人の作ではない。他人の絵画を自分の絵だと偽っていたのだ。本当は絵心すらないペテン師野郎だったとは。
次から次へ隠し事があり、嘘の上にも嘘で塗り固められていたと知って愕然とするエイミー。
信じていた夫は、自分に才能がないことに我慢できず、他人の努力の成果を奪い続けていた寄生虫だったのだ。正体を現すクリストフはもはや全くの別人(さすがの演技です)。
しかしエイミーの男運の悪さには同情を禁じ得ません。最初にダメ亭主から逃げ出してきたのに、また別のダメ男とくっついてしまうとは。男を見る目のない「だめんず・うぉ~か~」体質なのか。
もはや愛も冷め果て、娘を連れて逃げ出すエイミー。また振り出しに戻ってしまいます。
ハワイへ渡って再びやり直そうとするものの、クリストフは離婚に応じようとしない。離婚して欲しければ、全ての権利と新作を一〇〇枚描いて寄こせとは図々しいにも程がある。
疲れ果てたエイミーは地元のラジオ番組にゲストで招かれた際に(有名画家の妻ですから)、ペロッと真実を口にしてしまう。このあたりのエイミーの言動が、いかにもアーティストらしいと云うか、考えた末の行動ではなさそうなのが笑ってしまいます。
よもやのカミングアウトに世間は騒然。アート界のスキャンダルにまで発展してしまう。
当然、クリストフはマスコミから叩かれ、それを取り繕うために名誉毀損でエイミーを訴えると云う暴挙に出ます。まぁ、嘘を取り繕うにはそれしかないか。
自分で作り上げた虚像に自分が振り回されていますが、自業自得というものでしょう。
法廷でも舌先三寸で調子よく乗り切ろうとするクリストフの姿は実に滑稽ですが、本人は大真面目。だがそんな自作自演の小芝居につき合わされる判事と陪審はたまったものではない。
放っておくと際限なしに喋りつづけるクリストフにウンザリした判事が、「じゃあ描いてみて」と告げて万事休す(当然、そうなるわな)。
各々に絵筆とカンバスを用意し、目の前で描かせれば、どちらが「ビッグ・アイズ」の作者なのか誰の目にも明かです。この期に及んで、云い訳を並べ立てるクリストフの姿には哀れすら催します。
堂々と勝訴し、名誉を回復するエイミーの晴れ晴れとした姿でエンドとなります。エンドクレジットでは、まだ御存命のマーガレット・キーン御本人の写真も披露されます。
その後はまた再婚し、自分の画廊も構え、八七歳を越えてなお創作を続けているそうな。
一方のペテン師亭主の方は、それでも自分が作者だと主張しながら、最後まで新作を一枚も描くことなく(描けるわけないデスが)、無一文で亡くなった──と字幕説明が付きます。
つい半世紀前のこととは云え、女性が自立してて生きるのが難しい時代だったのですねえ。
予備知識なしに観たので、仲睦まじい画家の夫婦の心温まるストーリーかと思っていました。とんでもねー。完全に裏切られましたが、これはこれで面白い作品でした。
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