前作の興行成績がよろしかったようで、やはり続編が出来てしまいました。監督は引き続き武内英樹で、出演者も前作とまるで変わりなしです。
主演のルシウス役の阿部寛は元より、ハドリアヌス帝役の市村正親、ケイオニウス役の北村一輝、アントニヌス役の宍戸開、マルクス役の勝矢と、ローマ帝国側のメンバーは全員そのまま。
前作では平たい顔族の俳優にローマ人を演じさせるのは如何なものかと思っておりましたが、だんだん見慣れてきたし、これはこれでいいでしょうか。
撮影も前作と同じくチネチッタのセットで行われ、行き交うエキストラの皆さんは外人さんばかりなので、邦画とは思えぬくらいに重厚な背景な上、コロセウムの外観などはリドリー・スコット監督の『グラディエーター』(2000年)に引けを取らないくらいです。
コロセウムについては、ブルガリアで大規模なロケを敢行したそうで、その際に実物大のコロセウムまで作ったとか。CG合成との相乗効果で背景は実にリアルです(予算が付いたんですねえ)。
他にも、エキストラの人数も割り増しされていて、前作ではちょっとチープだった戦場の合戦シーンの映像もグレードアップしているのが伺えます。
あまり引き合いに出すのもナンですが、頑張って『グラディエーター』に近づこうとしております。北村一輝が戦場で剣を振るっているシーンがワンカットありますが、なかなかの出来映えでした。
その反面、手を抜けるところは徹底して手を抜こうとしていて、渦に巻き込まれてタイムスリップする場面では、人形をトイレに流して撮影すると云う超チープな演出もありました。
映像の落差が激しすぎます(笑)。
今回は更にコロセウムで戦うグラディエーター役として、元力士の曙関や琴欧洲関が登場しておりました。ブルガリアでのロケのお陰で、琴欧洲関も出演できたのだとか。
役名は、曙関が剣闘士アケボニウス、琴欧洲関が剣闘士コトオウシュヌス。そのまんま。
まぁ、劇中では名前は呼ばれませんが。
特にアケボニウスの活躍が印象的でした。凄みのある形相で相手の剣闘士共を薙ぎ倒すアクションシーンはなかなかの迫力です(でもほとんど台詞は無い)。
曙関も結構、濃い顔ですし、更にメイクして衣装も着けると別人のようデス。最初、出演していることを知らなかったので、誰かと思いました。
現代日本側でも前作同様に、上戸彩、笹野高史、竹内力、いか八郎とお馴染みの顔触れが登場してくれます。
阿部寛の行き先々に何故か上戸彩がいるというのもお約束。
ローマ帝国では台詞は日本語(外国人俳優に台詞があるときは日本語吹替になる)で、日本に現れると阿部寛がラテン語を喋り始めるというバイリンガル演出はそのまま継承されております。上戸彩も前作で覚えたラテン語で阿部寛と意思疎通を図ります。
しばらく日本で時間が経過すると、台詞が日本語に切り替わります。このあたりの言葉の切替に苦心されている演出でしたが、わざわざ「日本語に戻ります」といったテロップを出すメタ演出は、ちょっとクドいでしょうか(判り易いけど)。
また、テルマエの中で穴に足を取られて転倒してタイムスリップすると云う、理屈も何も無い開き直った時間旅行も前作どおり。
時空を越えるときにオペラをガンガン鳴らすのもパターンになっております。前作に引き続き、パバロッティ似のオペラ歌手が朗々と歌っておりますが、タイムスリップとオペラの相関関係は不明なまま(多分、何も理由はないね)。
阿部寛がローマ帝国と日本の間を行ったり来たりする度にオペラが鳴り始め、その都度、オペラ歌手にお呼びが係って、パバロッティ似のオジさんがそれまでやっていたことを放り出して慌てて歌い始めるというメタ的なギャグもパターンです。
今回はそれに加えて、何やらオジさんの家庭内争議も描かれ、奥さんが子供を連れて出て行くとか、夫婦が和解し元の鞘の納まると云った、本筋とはまったく何の関係も無いサイドストーリーが進行していきます。
基本的に本作は前作と同じことを繰り返す、続編としては標準的な作りになっております。
前半は阿部寛がローマ帝国で問題を抱えては日本にタイムスリップして、カルチャーギャプ・ネタで笑いを取りつつ、そこで得た知見を元に帰国して問題を解決していきます。
後半に入ると阿部寛と一緒に上戸彩もローマ帝国へタイムスリップし、歴史の流れを変えてしまうタイムパラドックスの危機に立ち向かう。
フォーマットが変わりないので、ちょっと安易な感じがしないでもないですねえ。代わり映えしないと云ってしまうとそこまでですが、それがウケているのだから正しい続編なのでしょう。
洗浄機能付トイレを使った同じネタも繰り返されています(若干、ヒネっていますが)。
ヤマザキマリの原作コミックは、最初は一発ネタの読み切り短編の形式で、後半になって長編化しておりますが、本作ではまだ短編形式のネタを拾っていくだけで一本の映画になっています。
将来、三部作化するなら──何となく目に見えるようですが──三作目はローマ帝国に帰れなくなった阿部寛が、現代日本で長逗留するストーリーになるのでしょうか。
さて、前作のハドリアヌス帝の後継者問題のトラブルを解決し、安泰かと思われた紀元一三六年のローマ帝国ですが、異民族との紛争を抱えた帝国版図の拡大路線から、領土の一部返還も行われる平和安定路線へと舵を切ろうとするハドリアヌス帝に対して、好戦的な一部の元老院議員が陰謀を企んでいた──と云うところから始まります。
実際、ローマが平和だったのは帝国時代であって、血生臭かったのはその前の共和国時代ですしね。どうも「帝国」と云うと、悪のイメージがついて回るのが解せんです(本作とは関係ないことですが)。
元老院議員役は外国人俳優ですが、日本語吹替で喋っております。最初から台詞が差し替えになる前提だからか、ちょっとオーバーな身振り手振りも交えた演技になっているのは御愛敬でしょうか。
コロセウムでは以前よりも遥かに血生臭い残酷闘技が行われるようになり、「強いローマを!」と叫ぶ元老院議員。ローマ市民の好戦意識を高めて、ハドリアヌス帝の施政に反対しようとしているのが見え見えです。
娯楽を利用して市民の意識を望む方向にねじ曲げようというのは、いつの世でも同じですねえ。何となくC国のトンデモ抗日ドラマを連想したりもします。
この元老院議員が担ぎ出すのがケイオニウス。前作と同じく北村一輝が尊大なケイオニクスを演じております。しかし辺境の戦場に派遣されている筈のケイオニクスが何故ここに。
当初は元老院からの依頼を請けてグラディエーターの為のテルマエを改良するべく仕事に励む阿部寛です。入浴剤だとか、足ツボマッサージ、マッサージ椅子のネタを日本から持ち帰っては成功していきます。
また、平和になって子供が増えてきたローマの為に、子供も楽しめるウォータースライダー付テルマエなども発明しております。実際は日本で見たものを再現しているだけですが。
一方、ハドリアヌス帝からも平和な世の中を象徴する理想の温泉郷の建造を依頼されます。
「理想郷 > ユートピア > 湯~とぴあ」と云う言葉遊びがベタですが判り易い。
本作では理想郷のモデルになるのは草津温泉です。湯畑や湯もみといった独特の様式が興味深いです。
これをそのままローマ帝国に再現しようとするわけですが、もはや歴史改変とかタイムパラドックスとかはスルーされてしまったようで、判り易いギャグに徹しているのを笑って観るのが正しいのでしょう。
それにしても、イタリア人のお姉さん達がローマ風の衣装で「チョイナチョイナ~♪」と歌いながら湯もみする光景はなかなかにシュールですが(笑)。
「草津節」の他にも、北島三郎の「与作」までローマ帝国に持ち込まれます。ローマ兵の皆さんがテルマエの中で「ヘイヘイホ~♪」と口ずさんだりしていて笑えます。しかも「与作」の歌詞には治癒効果があると信じられている。
前作よりも大規模に温泉ネタがローマ帝国に持ち込まれていきますが、大丈夫なのか。
とうとう指圧マッサージまで持っていきますが、指圧の神様、浪越徳治郎さんまでローマ帝国に連れて行くと云う徹底ぶりには笑ってしまいました。
いや、劇中では「浪越徳三郎」と云う似て異なる名前で、そっくりさんが演じておりますが(御本人は既にお亡くなりですし)、ちゃんと「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と名フレーズを披露してくれます。豪快な笑い声もそのままですね。
日本の指圧がハドリアヌス帝の病を癒やし、ローマ帝国を救うのでした(ついでに温泉も掘り当てたようで)。
歴史改変しまくりですね。もう絶対、世界史の記述が変わっているだろうと思われるのですが、湯~とぴあはハドリアヌス帝の故郷バイアエに建設される設定ですし、現在ではナポリ湾に沈んだ海底遺跡になっているから大丈夫か。
将来、ナポリ湾から浪越徳治郎先生の大理石像が発見されないことを祈るばかりデス。
一応、ハドリアヌス帝が元気になって、元老院議員達の企みも暴かれるのですが、ケイオニクスについては、何となくうやむやにされてしまっております。
辺境の地に赴任しているケイオニクスが、ローマ市街にもいたり、手紙では温厚な人柄が偲ばれるのに、実際に会うと傲慢だったりしたのは、ケイオニクスの偽物を元老院が仕立てて後継者のすり替えを企んでいたのであると云うストーリーになっていて、劇中では北村一輝が一人二役を巧みにに演じています。
二人のケイオニクスが対面する場面も、CG合成とかは使わず、カットの切り返しをつなぐ古典的な演出です。やはりセットに予算を使いすぎたのか。
ケイオニクスは疫病で亡くなるとか、ルシウスもテルマエ建設中の事故で亡くなるとかいった歴史書の記述についても、ハッピーエンドの前にはスルーされてしまっておりますが、これは故意にやっているのか。第三作が制作される暁に、北村一輝が出演できないと困るからでしょうか。
ラストシーンでは現代に戻った上戸彩が『テルマエ・ロマエ』をヒットさせて(やはりヤマザキマリの分身ですね)、遂に映画化が実現すると云うメタ展開。
お気楽なコメディとして、気楽に笑って観るのがよろしいでしょう。イタリアの人が本作を観たら、どんな感想を抱くのか、ちょっと知りたいところです。
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