ドイツ・イギリス・オーストラリア合作映画です。「オーストリア」ではなくて「オーストラリア」か。監督のケイト・ショートランドはオーストラリアの人だそうな。
本作は二〇一三年(第85回)のアカデミー賞外国語映画賞に、オーストラリアから出品されております。ちなみにドイツからはクリスティアン・ペツォールト監督の『東ベルリンから来た女』が出品されていましたが、どちらも最終ノミネートには至らず。残念。
まぁ、その年のアカデミー賞外国語映画賞はミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』でしたからね。
原作はレイチェル・シーファーの『暗闇のなかで』(角川書店)だそうで、この作者のデビュー作にして、二〇〇一年のブッカー賞最終候補作にまでなったと云うから、こちらも相当なものですね。
原作は独立した三編のエピソードから成っているそうですが、第一部「ヘルムート」、第二部「ローレ」、第三部「ミヒャ」の中で、映画化されたのが第二部に当たるエピソード。当初、ショートランド監督は第三部の映画化を望んでいたそうですが、諸般の事情により第二部に。
しかしこれは全部映画化して戴きたいものです。鑑賞後、原作を読んでみようと思ったのですが、今や入手困難とは残念(増刷してくれないものか)。
ケイト・ショートランド監督は本作で長編二作目。デビュー作はサム・ワーシントンとアビー・コーニッシュ主演の『15歳のダイアリー』(2004年)だそうですが未見デス。青春ロードムービーの次がホロコースト絡みの戦争映画とは、ガラリと変わりましたね。
出演は当然ながらドイツ人俳優さん達ばかりなので、馴染み薄いです。主演のサスキア・ローゼンダールも初めてです。
他にも、カイ・マリーナ、ネーレ・トゥレープス、ウルシーナ・ラルディ、ハンス=ヨッヘン・ヴァーグナーと馴染みがありませんです(汗)。
敗戦直後のドイツ。しかと地名は表示されませぬが、原作にはドイツ南部のバヴァリアと表記されているそうです。
「バヴァリア」ってどこかと思ったら、「バイエルン」の英語読みだそうな。バイエルン州と云えば、州都はミュンヘン。劇中では他に「シュヴァルツヴァルト」と云う地名も出ます。これはバイエルンの西側のバーデン地方だそうで、よくは判りませぬが、ナンカその辺りでしょう。
子供の視点から描いておりますので、両親の仕事が何であるかは詳しく説明されませんが、父親は紛う事なきナチス将校、母親は医者であるように見受けられました。それなりに裕福な家庭らしいので、子供にとっては戦局の行方がどうなっているのか、興味もなければ知る術もないか。
しかし両親にとってはドイツの降伏はただ事ではない。何やら家の中にあるヤバそうな資料を処分しようと躍起になっております。
ちらりと「優勢人種云々」とか「民族浄化云々」といった書籍が本棚に並んでいるのが映り、そういった書籍と一緒に、医療カルテのような大量の資料がどっさりと庭先で燃やされたりしております。もうこれだけで両親がナチス関係者としてホロコーストに深く関わっていたことが明らかです。
そして夜逃げ同然に一家は住み慣れた屋敷を後にする(いや、これは夜逃げですね)。
どこか田舎の農家に間借りして暮らし始めますが、父親(ハンス=ヨッヘン・ヴァーグナー)は逃れられないと悟ったのか軍服を着たまま家族と離れて出頭していき、それっきり。
母親(ウルシーナ・ラルディ)と子供達──長女、次女、双子の兄弟、赤ん坊の五人──だけで、農場暮らしが始まりますが、生活は思わしくない。屋敷から持ち出してきた貴金属や銀食器などを少しずつ処分しながら食いつないでおります。
ラジオから流れてくるのは暗いニュースばかりで、「総統の自殺」などが報じられておりますが、子供達はまだ無邪気に「最終勝利」を信じている。親から説明したりはしないのか。
尤も、母親の方は自分のことだけで精一杯で、総統自殺のニュース以降、絶望して次第に育児放棄に近い状態になる。必然的に一番年上のお姉ちゃんローレ(サスキア・ローゼンダール)が妹や弟の面倒を見なければならなくなります。
ある日遂に連合軍に発見されたようで、母親は出頭を命じられて隠れ家を後にします。自分が帰ってこないときは、ハンブルグの祖母を頼るように云い残して家を出て行く。そしてこれまた、それっきり。
何故、両親が帰ってこないのかと弟たちに尋ねられても、お姉ちゃんには答えようがない。
しばらくは子供達だけでの生活が続きますが、いよいよ食べるものも無くなり、幼い弟が近所の農場から盗みを働いて、もはや住み続けていられなくなる。
意を決して、ローレは妹達を連れてハンブルグを目指す旅に出ます。ドイツ南部のシュヴァルツヴァルトからドイツ北部のハンブルグまで、ほぼドイツを縦断する過酷な旅です。
行く先々で、街は爆撃で破壊されており、死体を見かけることも稀ではない。最後に残った家財を売りながら困難な旅は続きます。
切羽詰まって死体の所持品を探ったりもしなければならない。
「赤ん坊を連れていると配給を優先的に受けられる」と云うのが救いではありますが、至るところに難民化したドイツ人が溢れている図は相当に荒んでおります。
そんな中で、街頭に貼り出された新聞に人だかりが出来ている。
これがホロコーストを大々的に報じており、収容所に山と積まれた死体の写真が掲載されている。これは子供が見るようなものではありませんが、大方のドイツ人にとっても初耳な出来事だったようです。
その上、貼り出された新聞には「責任は国民にもある!」などと大きく見出しが付けられています。
長女ローレは初めて知るホロコーストの実態に愕然とし、強烈な写真が忘れられなくなる。トラウマ確定ですね。
おまけに両親がこれに関与していたらしいと察せられ、気は滅入る一方です。父も母も帰ってこないのは、これが原因だったのか。
当時のドイツは占領下で厳戒態勢だったというのが背景に描かれております。国内は各国が分割して占領しており、アメリカ統治下の地方から、ソビエト統治下への地方への旅行は許可証がないと出来ないと説明されます。
ハンブルグまではソビエト統治下の地方を抜けて、更にイギリス統治下の地方に入らないと辿り着けないと云う描写もあります。
旅券も何もない徒歩の旅を続ける姉弟たちですが、あるところから一人の青年が後を付いてくるようになります。つかず離れず付いてくる男が非常に怪しく感じられ、警戒していましたが、意外や米兵による検問で助け船を出してくれる。
青年(カイ・マリーナ)は許可証を提示し、自分達が兄妹であると偽り、全員で検問を通過。
得体の知れない青年ですが、許可証を挟んだ手帳に、「黄色い星」も挟まれていたり、青年の手首に「認識番号のタトゥー」があることから、すぐに青年がユダヤ人であると判ります。
恩人ではあるものの、当時の教育を受けた長女としては、ユダヤ人への偏見は拭うことが出来ないと云う描写には哀しいものがあります。
年齢の低い弟達にしてみれば、青年は頼りになる兄貴分であり、人種的偏見に満ちた教育を受ける前だったので、まったく警戒することなく懐いているのが、長女にとっては心配のようです。「弟達には触らないで!」などと拒絶の言葉を吐いてしまう。
長女ローレにとってハンブルグへの旅は、自分の信じていたものが覆されるようなカルチャー・ショックの連続であるようです。捨ててきたアルバムの中から残った一枚の写真──ナチスの軍服を着た父親のポートレイト──も、捨ててしまいたくなる。
他にも劇中では、喧伝される「不都合な真実」に目を瞑ろうとするドイツ人が描写されます。死後もまだアドルフ・ヒトラーを信奉していたり、ホロコーストはデタラメだと広言してはばからない人が見受けられますが、敗戦直後ではやむを得ないことでしょうか。
青年の方にも事情があるようで、ドイツ北部への旅は皆が協力し合わないとならないようです。説明台詞もないので、青年が抱える事情が何なのかは判りません。淡々としたヨーロッパ映画です。
道中では子供達は何度も野宿を繰り返しながら旅を続けていきます。
とある森の中に、擱座してさび付いた戦車の残骸があったりしますが、特に説明はありません。何となく曰くありげな戦場ぽいので、ミリタリ・ファンにはすぐに判るのでしょうか。
しかし弟が青年に懐きすぎたことが、不幸な事故を招くことにもなってしまう。
野宿が続き、食料も足りなくなってくると、どうしても盗みを働く必要が生じることもあるようで、青年は森の中に子供達を残してひとりで出かけていく。目的を告げずに行くのは、やはり後ろめたいからでしょう。
しかし盗みを働いたことで、銃を持った大人達に追われる羽目になり、幼い弟の一人が流れ弾に当たって命を落とす。何ともやりきれないです。
青年はここが潮時かと別れを告げようとするものの、その頃には長女の方が青年に頼っていて、置いていかないでくれと哀願するまでになっています。実は道中で命を助けられるような事件もありまして、淡い恋心を抱くまでになっていたように見受けられます。
しかしハンブルグを目前にして、最後の検問がある。突然、青年は財布をすられて身分証がないことに気づき、姉弟の前から姿を消してしまう。でも財布はもう一人の弟が隠し持っていたと云うのがやるせないです。
姉と青年の話を盗み聞きし、「お兄ちゃんと別れたくない」と身分証を隠してしまったのが逆効果でした。しかし身分証の写真をよく見ると、青年のものではない。彼は他人の身分証と許可証で旅を続けていたと判明します。当然、名前も偽名。
あの青年が本当は何者だったのか、何の目的で旅をしていたのか、遂に判らずじまい。
何とかハンブルグの祖母の家まで辿り着いて迎え入れてもらいますが、祖母の家はまったく戦火に見舞われておりません。それまでの旅路で見かけた風景とは別世界のようです。
やっとまともな食事にありつけますが、それまでの困難な旅でついてしまった癖は如何ともし難い。祖母にしてみれば、食事前のお祈りもなく、マナーもへったくれもなく皿に手を伸ばす孫の行為は許し難いものがあるのでしょうが、過酷な旅だったことを斟酌することなく、頭ごなしに叱りつけると云うのも如何なものか。
弟を厳しく叱る祖母に長女が反発するのも無理からぬものがあると思います。
長女の目からは祖母の態度が戦前の因習全体を象徴しているように感じられるのか。両親がホロコーストのことを自分達には隠していたこともあって、ローレは最後まで手放さずに持っていた家族の思い出の品を粉々に踏み砕いてしまう。
もはや自分自身も、自分を取り巻く世界も変わり果て、元には戻れないのか。
無表情なローレの瞳に、やりきれないものを感じます。何か救いがあるわけでもなく、沈痛な雰囲気のままエンディング。
淡々とした描写が続くので、感情移入もし辛いところがありますが(両親とホロコーストについてもう少し主人公には語ってもらいたいところでした)、真摯で骨太なドラマでありました。
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