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2014年5月2日金曜日

コーヒーをめぐる冒険

(Oh Boy)

 ドイツ出身のヤン・オーレ・ゲルスター監督の初長編監督作品であり、二〇一三年のドイツ・アカデミー賞主要六部門(作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞・音楽賞)を受賞した青春ドラマです。全編モノクロームの映像に、ジャズの劇伴がなかなか味わい深い逸品でありました。
 同年のドイツ・アカデミー賞では、『さよなら、アドルフ』や『ハンナ・アーレント』、『クラウド アトラス』といった強豪を抑えて受賞いるのが凄いデス(でも主演女優賞が『ハンナ・アーレント』のバルバラ・スコヴァだったりするのは仕方ないか)。
 それにしても大した新人監督です。これが卒業制作と云うから尚のこと。

 主演はトム・シリング。ドイツの俳優さんにもまた馴染みが薄いので、オスカー・ロエラー監督の『素粒子』(2007年)に出演していたと云われましてもサッパリです。ウリ・エデル監督の『バーダー・マインホフ/理想の果てに』(2009年)もスルーしております(汗)。
 他の出演者も、マルク・ホーゼマン、フリーデリッケ・ケンプター、ユストゥス・フォン・ドホナーニ、アルント・クラヴィッターと云われましても馴染みなし。
 ミヒャエル・グヴィスデクが、本作でドイツ・アカデミー賞の助演男優賞を受賞しております。この方の出演作もサッパリですが、出番は短いながらも印象的な役でした。

 本作は、ベルリン在住のとある青年の一日を追いかけるドラマになっていて、ある朝、一杯のコーヒーを飲めないまま、青年は様々な出来事に巻き込まれていき、翌朝になってようやくコーヒーにありつけるまでを描くと云う趣向です。
 だからドラマは、青年がコーヒーを飲むところでおしまい。劇中では様々な人間模様と事件が描かれますが、基本的に青年は傍観者であったり、また自身に関係する事柄であっても解決しないまま、持ち越しにされたりするので、明確な結末とは云い難いです。
 現代のベルリンの風景が青年の視点からスケッチされていくのみですが、同時に過去のベルリンの姿も浮かび上がってくるのが興味深い。

 モノクロ映像で、過去と現在のベルリンの風景が交錯するあたりが、ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(1987年)の現代版といった趣ですね。あそこまでファンタジーな内容ではありませんが、似ているものを感じます。
 決して、コーヒーに関係する事件が描かれるわけではありません。
 エチオピアのコーヒー生産農家を描いたドキュメンタリ映画、『おいしいコーヒーの真実』(2006年)のような、コーヒーをめぐる映画ではないのです。原題もコーヒーとは無関係。
 そこをあえて『コーヒーをめぐる冒険』と題した邦題のセンスは光ってますね。

 確かに青年は、劇中で何度かコーヒーを飲もうとしてはその機会を逸し続けるのがパターンになっていて、幾つかの事件が描かれる都度、今度はどうやって飲み損なうのかにちょっと興味を惹かれたりもします。
 あまり日本では、このシチュエーションは成立しませんかねえ。
 本作で描かれるベルリンの街には、自動販売機が少ないようです。日本のようにどこにでも置いてあって、缶コーヒーが飲める環境ではないのかしら(日本が特異なのか)。缶コーヒー自体が稀か。
 いや、無いと云うことはあるまいが──ドイツにはフランクフルトの自販機だってあるそうだし(さすがドイツ)──たまたま画面には登場しないだけか。そもそも青年はその日、金欠で小銭を切らしているので、自販機があっても買えないと云う事情もありますし。

 まずはある朝、ニコ青年(トム・シリング)は恋人のベッドで目を覚ます。恋人を起こさないようにそろそろと服を着て出て行こうとしますが、起こしてしまう。
 「コーヒーを淹れましょうか」と云われるのに、「約束があるから」とそそくさと恋人の元を辞するのが、ケチの付き始め。
 それにしても昨夜はベッドを共にした筈なのに、女性とはそれ以上親密になるのを避け、距離を置きたがっているように見受けられます。約束というのも単なる口実クサいし、ちょっと不実な青年のようです。

 自宅のアパートに帰ってくると、実に殺風景な部屋です。どうやら引っ越してきて間がないらしい。荷物の片付けも済まさぬうちに、郵便物の中に何かの通知を見つけ、慌てて飛びだして行くニコ。
 どこへ向かうのかと思っていると、役所で運転免許証を返還するか否かの面接を受けています。実はニコは飲酒運転で免停中だったようです。色々とプライベートに近い質問をする面接官に口答えしたニコは免停期間を延長されてしまう。
 面接官の心証によって免停期間が終了したり延期されたりする、と云うのはドイツならではのシステムなんですかね。

 気を取り直して立ち寄ったカフェでコーヒーを注文すれば小銭が足りず、街角のATMで貯金を下ろそうとすると、機械がキャッシュカードを吸い込んだまま戻してくれない。おまけに貯金を下ろす前に、ウッカリとATMの傍に居たホームレスに手持ちの小銭を与えてしまっていて、今更取り戻すことも出来ずに完全な一文無し状態となる。
 かくしてツイていない一日は、ますます冴えないものになっていく。

 しかしこのニコ青年、好青年と呼ぶにはイマイチ躊躇いを感じます。女性に対して不実なところがあるとか、面接官に生意気な口を利いたりした所為もありますが、帰宅後にアパートの上の階の住人と会話する場面で、ますますその印象が強くなります。
 多少、お節介で押しつけがましい隣人ではありますが、引越祝い代わりに戴いたミートボールを受け取るだけ受け取って、食べずにトイレに流して捨てるとは。食べ物を粗末にしちゃイカンじゃろー。
 他人との人間関係が希薄というか、あまり他人と関わり合いになりたくない人のようです。

 数少ない友人マッツエ(マルク・ホーゼマン)から呼び出され、レストランに行ってみるとコーヒーメーカーが故障中でオーダーできず。
 そこで偶然に小学生時代のクラスメイトの女の子ユリカ(フリーデリッケ・ケンプター)と十三年ぶりに再会しますが、自分が女の子をイジメた昔話は居心地悪いですね。劇団員となっていたユリカは、今夜の公演に是非来てくれと誘いますが、ニコはイマイチ乗り気ではない。友人のマッツエの方が人当たりが良くて、いい人のようです。

 マッツエは売れない役者で、今日も映画撮影のエキストラにニコを誘いに来たのでした。ストーリーの中に映画撮影のエピソードが入るのは、『ベルリン・天使の詩』へのオマージュでしょうか。でもピーター・フォークのような有名俳優のカメオ出演はありません(いや、卒業制作の映画にそれは無理)。
 劇中劇の映画が「ナチス将校とユダヤ娘との悲恋物語」と云う、実にベタな内容です。
 また、エキストラの中に「迫害されるユダヤ人」役と「ナチス親衛隊の兵士」役の人がいて、二人で仲良くセットの裏でタバコを吹かしている姿が微笑ましい。現実にはあり得なかった光景ですねえ。
 ここでもニコはコーヒーを飲もうとして、飲むことが出来ない。エキストラ達に用意されたコーヒーポットは空っぽ。ニコが立ち去った後で補充されるのがタイミング悪いです。

 突然、ケータイに父から呼び出しのメールがあって、撮影現場を後にするニコですが、このあたりで次第にニコの状況が掴めてきます。
 実はニコはもう二年も前に大学を中退していたのに、家族にはそれを伏せていたのだった。しかし遂に中退の事実は父親の知るところとなり、呼び出されたのもその所為だと判ります。
 「二年間も無駄に仕送りし続けていたのか!」と父親が怒るのも当たり前でしょう。当然、仕送り用の口座は解約されたと告げられ、今朝方のATMの一件はそれが原因だったようです。
 しかし口座が解約されるとATMはカードを戻してくれず、それをアナウンスもしないのか。ドイツのATMシステムは不親切ですねえ。

 親の仕送りを使い込み続けて二年間もダラダラ生きていたと云うあたりで、あまり同情の余地は感じませんです。仕送りは打ちきり、自分で稼いで生活しろと突き放されるのも当然です。厳しいがこれは愛のムチか。
 実家に戻って来いとは云わずに、自分で生計を立てろと云うあたりに親心を感じます。まぁ、父親としてはしばらく顔も見たくないのでしょうが。
 どうにも不実なニコ青年ですが、中退の理由もはっきり説明できないのは、自分でもよく判っていないのではないかと思えます。ただ、何となく中退してしまったと云う感じ。

 要するにニコ青年とは、他人と関わり合いになるのを避け、流されながらグータラ生きている野郎であるらしい。おまけに飲酒運転で免停中。何たるロクデナシ。
 それともこれが「現代の若者」と云うヤツなのかしら。
 人生の目的が見つけられずに自分探しをするのも結構ですが、働くことなく親の金で遊んで暮らしながらでは、見つかるものも見つけられないと思うのですがねえ。

 この後、文無しで地下鉄に乗ろうとして駅員とトラブルを起こして逃げ出すとか、再び友人マッツオが現れてユリカと約束したアマチュア劇団の公演を観に行こうと誘われたりします。
 この友人マッツオがいてくれるおかげで、ニコは辛うじて世間と接点を保っていられるような気がします。独りではきっとニコはどこにも出かけず、引き籠もりの自宅警備員と化したのではなかろうか(そこまでオタクではないか)。
 まぁ、売れない役者が友人なので、怪しいドラッグの売人とも接点を持ってしまうのが玉に瑕ではありますが。

 アマチュア劇団の公演に出かけてみると、ものすごくアングラな小劇場で、意味不明のパフォーマンスが繰り広げられていたのが笑ってしまいます(実にアバンギャルドです)。
 公演終了後、ユリカと良い雰囲気になったりしますが、他人と深い関係を築くことに躊躇いが生じて、せっかくの甘い雰囲気もブチ壊しになります。何となく、ニコの冴えない日常は彼自身に原因があるような気がしてなりません。

 独りさみしくカフェバーに立ち寄れば、夜間営業中はアルコールしか出せないと、またしてもコーヒーにはありつけず。
 ここでカウンター席の老人(ミヒャエル・グヴィスデク)に絡まれ、半ば愚痴にも似た昔話を聞かされる羽目になるのですが、この老人の語りが非常に興味深い。ナチス政権時代の思い出話は、どう聞いても「水晶の夜事件」です(1938年11月9日)。なるほどこれは助演男優賞だけのことはあります。
 前半の映画撮影のエピソードと併せて、ベルリンの過去が描かれております。

 老人はニコに絡むだけ絡んだ後、発作を起こして倒れてしまい、行きがかり上からニコも救急車で病院に。夜が明けるまで待合室で待っていると、老人は息を引き取ったと知らされる。
 身寄りのない老人と最後に会話したのが自分であると云うところに縁を感じますが、親族ではないニコには老人の名前も住所も「個人情報」として開かされません。現代は他人との関係を築くのもままならないのか。

 独り感慨に耽りながら病院を後にして、帰宅途中のカフェでようやくコーヒーにありつく場面でエンドです。特にニコの進退に光明が差すとか、人生に転機が訪れるようなこともない。
 何となくまた冴えない一日が始まるだけのような気がしますが、とりあえずコーヒーはちゃんと飲めたので、今日は昨日よりマシな一日になるのだと信じたいですね。




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