この手の映画はそれほど多くはないけれど、古いところだとジョン・スタージェス監督の『宇宙からの脱出』(1969年)、ちょっと前だとロン・ハワード監督の『アポロ13』(1995年)なんてのを思い出してしまいますね。それでもかなり昔か。
ブライアン・デ・パルマ監督の『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)なんかも少しは似てますかね(こっちは火星探検ですが)。
本作はそれらよりも更にハードな極限状態が描かれます。
シャトルから宇宙服だけで放り出されたアストロノーツに、地上からの支援は皆無。自分達だけで地球への帰還を、限られた時間内に成し遂げなければならないと云う、実に厳しい条件が課せられます。
本作は尺にして九一分と云う、昨今のハリウッド大作にしては若干短めでありますが、圧倒的な映像表現に目を見張ること請け合い。ここまでリアルな宇宙を見せてくれるとは思いませんでした。
当然、3D上映での鑑賞することをお奨めいたします。出来れば IMAX で鑑賞した方が、より臨場感を味わえるでしょう(でも私はフツーの3D上映で鑑賞してしまいましたが)。
本作の監督はアルフォンソ・キュアロン。ハリポタ監督の一人ですね。『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)一作だけなのが残念デスが。他にはクライヴ・オーウェン主演のSF映画『トゥモロー・ワールド』(2006年)のラストの長回しが記憶に残っておりますが、それ以外だとあまり存じませんデス。監督よりも制作に回る方が多いようですし。
しかし、やはり「鬼才」と呼ばれるだけのことはある。
本作は、特に3Dカメラで撮影されたわけではなく、ポストプロダクション時に3Dに変換されると云う、ジェームズ・キャメロンに云わせれば「真の3Dではない」方式の作品である筈なのに、キャメロン大絶賛と云うのが凄いデス。
他にもスピルバーグとか、タランティーノとか、並み居る大監督達が称賛を惜しまない(話半分としても)作品ですが、それもこれもとにかく観れば判りますよね。でも大スクリーンでの鑑賞が前提です。
また映像美もさることながら、主演俳優の演技も特筆ものでしょう。
本作の主演はサンドラ・ブロック。共演はジョージ・クルーニー。
でもジョージの出番は思ったよりも多くはないです。本作はほぼ全編、サンドラ・ブロックの映画です。
サンドラはかつて同じ年に『しあわせの隠れ場所』(2009年)でアカデミー主演女優賞、『ウルトラ I LOVE YOU ! 』(同年)でゴールデンラズベリー賞(最低主演女優賞)を両方獲ったと云う、やろうとしてもなかなか出来ないことをやらかした女優さんですが(ハル・ベリーの上を行くのはこの人だけでしょう)、本作もまたサンドラの代表作となること間違い無し。
つい先日、私は『キャプテン・フィリップス』(2013年)で「トム・ハンクスに次のアカデミー主演男優賞を」なんてことを書きましたが、今度はサンドラ・ブロックに次のアカデミー主演女優賞を差し上げたいです。
併せてアルフォンソ・キュアロンにはアカデミー監督賞を。ついでに視覚効果賞も本作のものでしょう(テキトーに書いてますけど外れたら困るなぁ)。でもまあ、ノミネートは確実でしょう。
冒頭、字幕により「地球上空、高度六〇〇キロメートル」と表示されます。当然のことながら、空気なし、重力なし。「宇宙で生命は活動できない」旨が宣言されます。
当然とは云え、厳しい環境です。
国際航空連盟(FAI)によりますと、高度一〇〇キロメートルより上が「宇宙」であると定義されているようで、本作はそれより更に五〇〇キロ上空です。
スペースシャトルの乗組員が船外活動でハッブル宇宙望遠鏡を修理している。
一生懸命、修理しているのがサンドラ・ブロック。ジョージ・クルーニーは宇宙遊泳の記録更新を目指して、サンドラの周りを有人機動ユニット(MMU)で飛び回っております。なんか遊んでいるようですが、本人は大真面目。
ジョージはMMUで飛び回りながら、カントリー・ミュージックをガンガン鳴らしております。
「宇宙飛行士がカントリー・ミュージックを鳴らす」と云う演出に、ジョン・カーペンター監督のSF映画『ダーク・スター』(1974年)を彷彿するのは古いSF者だけですか。出来ることなら、ジョージ・クルーニーに宇宙サーフィンをして戴きたかった。 ♪ベンソン・アリゾナ~♪
ハッブルを修理しながらヒューストンと交信しておりますが、ここでミッション・コントロールを演じている声だけの出演者がエド・ハリスです。これはもう、明らかに『アポロ13』へのオマージュですね。
尺が短いので早々に緊急事態が発生します。
ロシアが行った衛星破壊実験は、当初は影響なしとみられていたのに、破壊された衛星の破片が別の衛星にぶつかり、それがまた別の衛星にぶつかり、連鎖反応的に衛星の破片が増大してシャトルめがけて猛スピードで飛んでくると云う。
これがいわゆる「ケスラーシンドローム」と云うヤツか。
ケスラーシンドロームについては、アニメ化もされた幸村誠のSFコミック『プラネテス』でも描かれておりましたので存じております。
スペースデブリ(宇宙ゴミ)が加速度的に増えていくというシミュレーションで、提唱者の名を取ってこう呼ばれるのだそうな。現実に起きるのかどうかはともかく、デブリが怖いものであるというのは本作でも非常にリアルに描かれておりました。
このあたりの、大量のデブリが無音でビュンビュン飛んでくる場面は、3Dの効果がよく感じられます。
セリフ上でも「デブリ(“debris”)」と発音されておりましたが、字幕では「破片」とされておりましたね。まだそれほど市民権を得ていない用語なのか(SF者には言わずもがなですが)。
シャトルから伸びた船外活動用のアームに固定されていたサンドラは、アームをデブリにへし折られて宇宙空間に放り出される。この事故の場面のCG合成の出来映えは見事です。
多分、撮影中は俳優は何がどんな風になるのかサッパリ判らないまま撮ったのでしょうねえ。サンドラが回転しながら飛んでいくところから、次第にカメラが相対速度を合わせて、サンドラが静止したら今度は背景の地球がぐるぐる回り始めるといった描写になっていて、『2001年宇宙の旅』(1968年)を更にダイナミックにしたようなカメラワークが印象的でした。
シャトルは全壊。船外にいたサンドラとジョージを除いて、乗員は全滅。デブリが顔面を直撃した乗組員の遺体がエゲツないです。
救いはジョージがMMUを装備していたこと。ここからシャトルを離れて、二人で国際宇宙ステーション(ISS)に避難することになる。軌道上を飛行しながら、二人で宇宙の道行きとなるわけですが、このあたりの衛星や宇宙ステーションの位置関係にちょっと御都合主義的なものを感じてしまいました。判りやすさ重視の演出なんですかね。
劇中では、ハッブルのあった位置からISSへ、更にISSから中国の宇宙ステーション〈天宮〉へと、地上へ生還するための手段を求めて、軌道上の旅を続けていくことになると云う展開なのですが……。
どれもこれもほぼ同一高度を、似たような軌道速度で飛んでいるように見受けられます。
まあ、そうでないと宇宙服だけでステーションの船外に突きだした構造物にしがみつくなんて行為は出来ないと云うのは判りますが、ホントにそんな相対速度でいいのかしらと疑問に感じてしまいました。
うーむ。ジョージがMMUの調整で相対速度を合わせたのかしら。
次から次へ、生還手段を求めて軌道上を渡っていく間も、デブリ群が地球を周回して、また襲ってくるという描写が、次の行動までのタイムリミットとして描かれているので緊迫します。
そしてその間に語られるサンドラの過去。極限状況での遭難に絶望して、諦めてしまいそうになるサンドラを叱咤激励するジョージ。
人生、色々なことがある。辛いこともある。だが諦めてはいけない。
「くよくよせずに〈旅〉を楽しめ」と云うジョージの言葉が実に前向きでした。でもそうは云いながら、ジョージも犠牲になってしまうのですが……。
本作の後半はもう、サンドラ・ブロックの独壇場になります。それだけで間が保つほどの演出と演技であるのがお見事でした。当初はシチュエーションがレイ・ブラッドベリの短編『万華鏡』のようだと感じておりましたが、本作では最後まで諦めず生還の手段を模索します。
とりあえずハッブルやら、ISSやら、ISSにドッキングしているソユーズやら、現在の宇宙に存在するものがちゃんと描かれているのはお見事です。更に中国の宇宙ステーション〈天宮〉まで登場しますが、〈天宮〉はまだちょっとフィクション臭いか。
高度六〇〇キロメートル前後に〈天宮〉が来るのは、もうちょいと先のことでしょう。二〇一五年打ち上げ予定の天宮三号か、もっと先のシリーズのどれかになるのか。
これはリアルな近未来描写と云うより、ハリウッドの中国への配慮と云う感じがしますです。
そして〈天宮〉もまた、デブリとの衝突により高度を下げていく。このままでは大気圏に突入して燃えつきてしまう。
最後は〈天宮〉にドッキングしていた宇宙船〈神舟〉を切り離し、ほぼ運を天に任せて決死の大気圏突入。なかなか迫力ある場面で、もはや3Dで観ていることも忘れてしまうくらいでありました。
〈神舟〉のカプセルの周囲を、バラバラに分解した〈天宮〉の破片が幾つも白熱して飛んでいく描写に、日本の小惑星探査機〈はやぶさ〉帰還の図を思い起こしました。製作スタッフはやはり色々とリサーチをしているのでしょうねえ。
只一人になりながらも最後まで諦めなかったサンドラが奇跡の生還を果たす。何処とも知れぬ場所に着陸し、九死に一生を得ながらも大地に立つサンドラ。
本作の原題は実は「ゼロ・グラビティ」ではなく、只の「グラビティ」。味も素っ気も無い『重力』と云う題名なワケですが、九〇分近く無重力シーンが続いた後なので、ラストシーンの立ち上がるサンドラの姿に、「重力があるって素晴らしいことなんだ」と思わずにいられないエンディングでありました。
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