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2013年11月20日水曜日

サカサマのパテマ

(PATEMA INVERTED)

 個人制作の短編アニメから有名になった監督と云うと、『ほしのこえ』(2002年)の新海誠が有名ですね。今ではもう劇場用長編を何本も監督されておられます。『言の葉の庭』(2013年)も観ました。私の好きなアニメーション作家の一人です。
 実はもう一人、『イヴの時間』(2010年)の吉浦康裕も気に入っておりまして、初期の短編『ペイルコクーン』(2005年)もDVDで持っていたりします。

 その吉浦康裕が原作・脚本・監督を務めた新作長編が本作。
 見た目のインパクトに意表を突かれますが、総じて非常にオーソドックスなジュブナイルSFにまとまっており、好感の持てる作品に仕上がっておりました。観終わって色々考えはじめるとツッコミ処も無いわけでは無いですが、そこも許容範囲内でしょうか。
 理屈よりもビジュアルの力で納得させるところもありますし、背景美術も美しいです。

 冒頭に、ビデオで撮影された都市が映ります。下から上へオープニング・クレジットが流れていく中、背景のビル群に異変が生じ始める。
 人々が何事か叫んでいる中、建物がバラバラに分解して上昇しはじめる。雲がねじれ、人も車も浮かんで空へ飛んで行ってしまう。晴天の中で静かに進行する、実に異様な天変地異。
 一切の事情が説明されないまま、映像にノイズが混じり、やがて途絶える。
 SFとしての掴みはOKですね。

 タイトルから推察されるとおり、重力に何やら異変が生じたらしいと云うところで、おもむろにストーリーが始まります。
 時代は恐らくは未来。SFぽい防護服を着て廃工場らしい建物の中を探検している少女が一人。背景はすべてが上下逆転しており、少女は天井を床にして歩いている。
 『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)を思わせる状況に懐かしさを感じてしまいます。説明セリフのないまま、状況を説明する演出が良いですね。

 どうやら重力に異常を来した大災害を生き延びた人々が、地底の巨大な空洞に地下都市を築いて暮らしているらしい。これが人類の末裔か。少女は危険地域へ無断で外出したことを咎められるが、多少の小言は馬の耳に念仏です。
 防護服に付いたホコリが下に落ちずに、天井に向かって落ちていく描写で、物質によって働く重力が逆向きであることが判ります。立入禁止の危険区域から先にあるものには、逆向きに重力が働いているようです。
 説明のないままビジュアルだけで納得させる演出がお見事です。

 地底の閉鎖的な空間に生き延びている人々。「掟に従う」ことを求められ、外界とは遮断されている世界。外の世界に興味を持ち、好奇心を抑えられない少女。
 ついでに少女は、地底で暮らす人々の長老の娘であります。一応、お姫様か。
 実によくある設定を堂々と描いてくれます。奇妙な状況ですが、大筋はパターンなので、古いSF者としてはニヤニヤしながら観てしまいます。

 大人達が子供を戒めるときに使う「危険区域には怖ろしいコウモリ人間が出没する」と云うのも、大体見当がついてしまいますね。
 案の定、監視の目を盗んでまたしても危険区域に出かけていった少女は、外界人──天井から逆さまに立つコウモリ人間──の少年と出会う。
 実にオーソドックスなボーイ・ミーツ・ガール的展開です。

 この少女の名がパテマ(藤井ゆきよ)少年の名はエイジ(岡本信彦)。
 前向きで明るいパテマと、ちょっと後ろ向きでヒネているエイジの組み合わせが楽しいです。
 声を演じる藤井ゆきよの方には馴染みがありませんが、岡本信彦の方は既に私の見知ったアニメに色々と出演されています。『青の祓魔師』の奥村燐役とか、『とある魔術の禁書目録』のアクセラレータ役あたりで馴染み深い。『TIGER & BUNNY』の折紙サイクロン役もそうか。

 外の世界の描写がなかなか秀逸で、パテマの目から見ると、自分が雲海を遥かに超える高い場所に居て、足下には何も無い。「下」を見ると、果てしない青空が広がっているばかり。
 エイジにしてみれば、地上数十センチのところでキャーキャー喚いているパテマがいささか滑稽でありますが、本人は手を離した途端に「空に落ちて」しまう。
 カメラのアングルがグルグルと回転しながら、双方の主観描写を映してくれるので判り易い。

 出遭った恋人同士の住む世界が互いに上下逆転した世界であると云うシチュエーションが、フアン・ソラナス監督、ジム・スタージェスとキルステン・ダンスト主演のSFラブロマンス映画『アップサイドダウン/重力の恋人』(2012年)と同じですが、本作の方が冒険SFぽい味付けになっています。
 この上下逆転の理屈については劇中では一切、語られません。重力に関係した何らかの実験が失敗した結果であるようですが、影響を受けた物質に永続的に働き続けている効果であるのが不可解です。

 互いの世界の水や食事は問題なく口に出来るようなので、外の世界で生活を続け、新陳代謝が進んで細胞を構成する物質が入れ替わっていったら、やがて重力の働く方向も変わってくるような気がしますが、劇中ではそんなことには言及されませんです。
 ライトノベル感覚のジュブナイルSFですしね。そんなハードSF的屁理屈を捏ねていては楽しくありませんので割り切りが必要です。
 SF者のマニアックなツッコミはお控え下さい。

 さて一方、エイジの世界もあまり住みやすいところとは云えません。
 「アイガ」と云うのが都市の名前ですが、ここもまた閉鎖的で、強圧的なディストピアです。すべてが管理された社会であり、思想統制させられた共産主義的な監視社会です。
 前例のないことは異端と見做され、社会から抹殺されてしまう。
 エイジの父は数年前に「空を飛ぶ」機械の公開実験中に転落して死亡したことから、息子であるエイジも異端視されている。
 アイガでは「空を飛ぶ」どころか「上を見上げる」行為さえもタブーとなっているのが極端です。
 かつての大災害によって「罪深い者達は空に落ちた」とされており、空を忌み嫌う独裁者イザムラ(土師孝也)が都市を牛耳っています。

 学生達は動く歩道に乗って都市の中を移動しますが、皆が無言で俯き、下を見て、決められた道を唯々諾々とベルトコンベア式に運ばれていくという描写が象徴的です。
 半ば宗教的に空を忌み嫌うイザムラには、「空に落ちてしまう」パテマは実に罪深い。
 パテマを捕らえ、「サカサマ人」を全員抹殺しようと企む独裁者イザムラ。果たしてエイジはパテマを助け出すことが出来るのか。

 このイザムラ役の土師孝也の声は深みがあって大変よろしいのですが(アラン・リックマンの吹替でもお馴染みですし)、往年の家弓家正を思わせるところがあって、イザムラの設定上、どうにも『未来少年コナン』を連想してしまいます(レプカと云っても若い人にはピンと来ないか)。
 他にも『風の谷のナウシカ』とか、『天空の城ラピュタ』なんぞのテイストがあちこちに見受けられる気がするのは、きっとオマージュですよね。
 新海誠の『星を追う子ども』(2011年)にも通じるのですが、若い世代のアニメーション作家が「王道を行くジュブナイル冒険SF」を制作する際には避けては通れないことなのでしょうか。
 決して「だから詰まらない」と云っているワケではありませんデス。

 外の世界といっても、劇中に登場する都市はアイガしかなく、地下の世界もまたひとつしかない。アイガの外がどうなっているのかは描かれない為、多分に寓話的な印象です。ストーリーの進行上、最初から全部バラしては面白くありませんからね。
 パテマをイザムラの手中から救い出し、逃亡するエイジ。
 二人の逃避行によって、やがてアイガの外に広がる世界がどうなっているのかも明らかになっていく趣向です。

 閉じた世界の外に、まったく別の世界があり、更にまたその世界の外にも驚くべき世界が広がっている。それまで信じていた世界が、まったく異なる様相を呈し始める、と云う異化作用的な描写が実にSF的です。
 これは吉浦康裕の初期の短編『ペイルコクーン』にも通じるところがありますね(と云うか、やはり処女作には作家のすべてが詰まっているものなのか)。

 世界が広がっていくにつれ、上下が逆転し、また逆転し、やがて「本当にサカサマなのはどっちなのか」が明らかになる。このあたりは、少年少女を主人公にしたストーリーなので、実に王道的展開です。
 それまで星だと信じていたものが、実は星では無かった、と云うあたりのビジュアルは実に壮大で、SF者にはぞくぞくする展開ですね。無人で稼働する巨大なシステムと云うのも大好きです。

 実は地下世界の大人達は、秘密を全部知っていたのに、あえて伏せていたわけで、そもそもの経緯説明があとになってやってきます。併せて、冒頭の大災害の意味と、地下世界の住人達の正体も判明する。
 色々と明らかになったところで、遂にアイガからの追跡部隊が地下世界に到達し、クライマックスを迎えると同時に、最終的な世界の様相も明らかに──と云う展開は実にオーソドックスで奇を衒わない演出です。
 独裁者イザムラは自業自得的な最期を迎え、誰にとっても新世界となる「外の世界」に、不安を感じながらも少年と少女は臆することなく踏み出していくラストシーンは、なかなか感動的でありました(最後まで上下逆転した二人の姿が、ちょっと笑いを誘いますが)。

 よくよく考えると、そんなに小さな閉じた世界が長期にわたって自給自足できるのかとか、それまで誰も外の世界がどうなっているのか知ろうとしなかったのかとか、そんなに長い間メンテナンスも受けずに無人で動き続けることの出来るシステムとはどうなっているのかとか、ツッコミ処も見受けられはしますが、そういう野暮は云わずにおきましょう。
 やはりビジュアルの力で有無を云わさず見せてしまう演出が巧いので、特に文句も出ませんです。

 大島ミチルの劇伴もなかなか美しく、エンドクレジットで流れる主題歌「Patema Inverse」も大島の作曲であります。なかなか透明で美しい歌曲でありましたが、フランス語かスペイン語で歌われているような(英語でないことだけは判る)曲でしたが、あとでエスペラント語であったと知りました。
 エスペラント語の歌というものは、初めて聞いた気がします。世界観を表現する為とは云え、なかなか作曲家も苦労されてますねえ。




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