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2012年2月26日日曜日

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

(EXTREMELY LOUD & INCREDIBLY CLOSE)

 今年(第84回・2012年)のアカデミー賞の作品賞候補になっただけのことはある傑作です。残念ながら受賞は逸してしまいました。誠に残念です。
 今年は『アーティスト』と『ヒューゴの不思議な発明』で主な部門は占められてしまいましたからねえ。
 本作で、マックス・フォン・シドーは助演男優賞にノミネートされましたが、こちらも『人生はビギナーズ』のクリストファー・プラマーに持って行かれました。この爺さん対決は、どちらが受賞しても最高齢受賞になったのですが。惜しい。
 個人的には本作のシドーの方に期待しておりましたのですが。

 主演のトーマス・ホーンは、本作がデビュー作であると云う、まったくの新人子役。ちょっと信じられないくらい巧いです。
 少年の両親役がトム・ハンクスとサンドラ・ブロックのオスカー俳優。豪華な家族ですわ。
 マックス・フォン・シドーの他にも、ヴィオラ・デイヴィス、ジェフリー・ライト、ジョン・グッドマン等々の演技派が脇を固めております。
 原作はジョナサン・サフラン・フォアの同名小説。二〇〇五年に発表されて以来、「911文学の金字塔」とまで呼ばれたベストセラー小説だそうな。ベストセラーなのはともかく、そんなジャンルが確立しているのがちょっと驚きデス。
 監督はスティーヴン・ダルドリー。『めぐりあう時間たち』(2002年)、『愛を読むひと』(2008年)と監督作が色々と受賞しまくりの名匠ですね。本作もまた非常に出来がよい。

 主人公の少年はアスペルガー症候群という、ちょっと変わった病気の持ち主。
 社会性や他者とのコミュニケーションについて問題がある広汎性発達障害であるそうな。軽い自閉症というか、「知的障害がない自閉症」であるとも云われております。
 あのスティーヴン・スピルバーグも、自身がアスペルガー症候群であることを公表しておりますが、外見からは判断つきませんね。
 特徴は、他者の心を読むことが難しく、行間やら空気を読むのが超苦手。ズバリ口に出して言葉で云ってもらわないと、相手の意図していることが理解できないらしい。
 その一方で、何かに興味を持ったら偏執的なまでの集中力を示し、興味対象に関する大量の情報を記憶することがあると云う。

 劇中では、これが巧く活用され、主人公の少年がとにかく喋って喋って喋りまくります。通常のナレーションの域を遥かに超える情報量で、どうでも良さげな些細なことまで解説してくれます。その代わり、自分の喜怒哀楽や、他者の気持ちについては大雑把にしか語らない(語れない)。
 しかしどうでもいいことを事細かにベラベラ喋るときほど、怒っていたり哀しかったり、感情が高ぶっている。
 また、少年は情緒不安定なところがあって、パニックを押さえる為、恐怖を感じるとタンバリンの音を聞いて落ち着こうとするのですが、これをしょっちゅう振っている。見た目は冷静だが、内心はかなりドキドキしているのが判るという演出が巧いです。

 少年に対してマックス・フォン・シドー演じる老人の方は、言葉を一切、発することがない。
 実は若い頃、悲惨な戦時体験により声を失ったのだという。詳しくは語られませんが、「ドイツのドレスデンにいた」と云うだけで、戦争映画をよく観るひとなら察しが付けられます(日本人ならヒロシマにいたと云うようなものか)。
 言葉の代わりに、表情と筆談で会話する。そして簡単な質問には、掌に入れたタトゥーで返事をする。左手に「イエス」、右手に「ノー」と書いたタトゥーが彫られている。実にクール。
 これがアスペルガー症候群の少年にとっては、逆にありがたいのだろうと察せられます。表情やボディランゲージでニュアンスが読み取れなくても、文字に書き、「イエス」と「ノー」を明示してくれるのだから。

 このおしゃべりな少年と無口な老人が、ある謎を解く為にNY中を歩き回る。

 そもそもは少年がパパと一緒にしていた「調査探検ゲーム」と云うのが発端。
 他人とのコミュニケーションが取りづらい少年に対して、パパはちょっとした課題を出して、息子を訓練しようとする。人文科学に関する課題をパパが出し、それを少年が調べて報告する。
 課題それ自体が目的では無く、調査の過程で否応なく様々な他人と会話しなければならないように仕向けるのがパパの目的。とてもユーモアのあるパパで、おかげで息子はおそろしく博識になる。
 回想シーンでしか登場しないパパですが、トム・ハンクスは実に素晴らしいです。

 だが幸せな家庭に不幸が降りかかる。二〇〇一年九月十一日、パパは帰らぬ人となる。当初はパパの死が実感できなかったが、次第に気持ちは塞ぎがちになり、へこたれそうになる。
 太陽が爆発しても、光が地球に到達するまで八分間のタイムラグがあるように、パパの死にもタイムラグがあるように思われる。しかしその猶予も尽きかけたように思われたとき──、パパの遺品の中から正体不明の鍵を発見する。これは何の鍵か。
 死んだ後でもパパから課題を出された気がして、少年は調べ始める。
 これを調べている間は、「パパの死」に追いつかれないでいられるかも知れない。タイムラグを引き延ばし、あるいは永遠に遠ざけておくことが出来るのかも……。

 手掛かりは鍵の入っていた封筒に書かれた「ブラック」のメモ。これは人名か?
 果たして少年はNY在住の四七二人の「ブラックさん」の中から、目当ての人を探し出せるのだろうか。
 調査探検の過程で少年が出会うNYの雑多な人々がなかなか味わい深い。
 色々と取り込み中であったりする人もいるのですが、そこは「空気の読めないアスペルガー症候群」ですから、相当ぶしつけにアポなし突撃取材を敢行する。
 特に夫婦喧嘩の真っ最中なヴィオラ・デイヴィスの泣いている姿まで記録として写真に撮ったりします。フツーの人には出来ん。
 少年の側の事情も判りますが、他者の事情をあまりにも鑑みないという態度は如何なものか。年端もいかない子供は、多かれ少なかれこんなものかとも思いますけどねえ(もっとミラーニューロンを鍛えないとイカンね)。
 ママに対して酷いことを云ってしまうのも、その所為なのか。

 そして少年が隠し続けていた、ある秘密も明らかになる。
 あの日、パパは世界貿易センタービルから家に電話をかけていた。その声は留守録に録音されたが、それをママにさえ秘密にしていたのだった(電話機をすり替えるという技能が凄い)。遺されていたパパの最期の言葉とは何だったのか。
 物語の語り手が、ある部分だけ故意に伏せている事柄がある、と云うのがアガサ・クリスティのミステリのようです。
 次第に、少年にとって問題なのは「鍵の謎」ではなく「再生できない留守録の内容」であることが判ってきます。ブラックさん探しは単なる口実に過ぎない。

 紆余曲折がありまして、最終的に謎はすべて明らかになるのですが、本題はソコではなく、人は喪失感を抱えてもなお生き続けていかねばならないが、自分は孤独ではないのだと少年が悟ることですね。
 911だけに限らず、愛する人を喪うことは誰もが経験することであり、喪ったものを取り戻すことは出来ないのは、自分だけではない。しかしそれでも人は支え合って生きていくことが出来るのである。
 他者との共感に問題がある少年が、それに気付くラストが感動的です。

 特にこのシーンはママがいい。サンドラ・ブロックもまたさすがの名演技。
 少年は調査探検のことは一切、秘密にしていたのに、実はママは何もかもお見通しであったというオチが素晴らしいデス。少年の視点で物語を追っていたので、うっかりとママを見くびっておりました(汗)。
 考えてみれば、あのパパが選んだ人なのだから、あれくらいは当然か。
 息子のやろうとしていることを知ってなお、「かわいい子には旅をさせよ」式に敢えて放置する母の愛は脱帽ものです。これもなかなか出来ん。
 そして最後の最後に、思いがけず発見された「パパからのメッセージ」にまた泣けます。

 うーむ。どうしてアカデミー賞で作品賞を獲れなかったのか不思議です。今年のノミネート作品はどれも皆、粒ぞろいなんですねえ。




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