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2012年2月26日日曜日

顔のないスパイ

(The Double)

 リチャード・ギアが主演のサスペンス映画でスパイものデス。アクション映画と呼べるほど派手なシーンはあまり無い──それなりにカーチェイスとかは激しい──ですが、全体として落ち着いた味わいのミステリでもあります(地味とも云う)。

 ギアは引退したCIAエージェントの役。冷戦時代の遺物のように扱われたロートルが再び最前線に復帰します。
 この手の映画では主人公に相棒が付くのは超お約束。ベテランのオヤジに対して新人の若造で、経験が浅い代わりに頭はキレる。演じるはトファー・グレイス。『スパイダーマン3』(2007年)でヴェノムになっちゃうカメラマンの役だった兄ちゃんですね。『プレデターズ』(2010年)にも出てました。
 マーティン・シーンもCIA長官役で脇を固めております。
 『3時10分、決断のとき』(2007年)や『ウォンテッド』(2008年)で、デレク・ハースと一緒に脚本を務めたマイケル・ブラントの初監督作品です。今回もデレク・ハースと共同脚本になっています。

 冷戦も終結して随分と経った現代。ロシア企業との黒い疑惑のある上院議員が何者かに暗殺される。その殺しの手口は、二〇年前に姿を消した筈のソビエトの伝説的暗殺者〈カシウス〉のものであることを示していた。
 CIA長官は、長年〈カシウス〉を追い続けたエージェントであるギアを呼び戻し、捜査に当たらせる。
 かつて〈カシウス〉は、六人の暗殺者を配下に従え、暗殺集団〈カシウス7〉として、欧米諸国から畏れられていた。ギアはその〈カシウス7〉を追いつめ、壊滅させた男だった。しかし手下は全員倒したものの、肝心の首領〈カシウス〉だけは取り逃がしたという苦い経験を持っていた。
 そしてそのまま二〇年が経過。
 果たして本当に冷戦時代の暗殺者が甦ったのか。あるいは模倣犯なのか。本物だとしたら、その目的とは何か。

 リチャード・ギアとマーティン・シーンというベテラン俳優が二人並ぶ場面はそう多くありませんが、やはり燻し銀の味わいです。
 引退したギアの元を訪れる長官の図とか、ホワイトハウス前の路上で言葉を交わす二人の場面がいい感じです。
 でも本筋は、オヤジと若造という捜査官コンビのドラマなのですが。

 二〇年前に消えた筈の正体不明の暗殺者を追う二人の捜査官……の筈でしたが、捜査開始早々にサプライズです。
 実は、ギア自身が〈カシウス〉本人でした。どおりで「模倣犯に決まってる」なんぞと強く主張できたワケです。最初から自分にだけは判っていたのか。
 超定番なバディ・ムービーかと思いきや、ちょっと意表を突かれました。

 さて、こうなると「自分の名を騙る偽物」を追いつつ、相棒には自分の正体を隠し続けねばならないという展開になるのが、なかなか興味深かったデス。
 更にもうひとつ、相棒の若造に対して語るセリフに謎があります。
 若造は研修生時代に〈カシウス〉をテーマに論文まで書いており、〈カシウス〉の過去の犯行の手口を研究し尽くしている。だがギアはそれだけでは不充分だと云う。

 「本当にヤツを理解したいなら、何故二〇年間も沈黙し続けていたのか、その動機も理解しなければ」

 暗に、自分が足を洗ったことには理由があるのだと云っておるワケですね。
 物語はミステリではありますが、「誰が?」ではなく「何故?」を探る展開になっていきます。また正体が先に判明しているので、倒叙型のミステリでもありますか。

 時を同じくしてロシアのスパイ「ボゾロフスキー」がメキシコ経由でアメリカに密入国したという報せを受けて、ギアは「奴こそが〈カシウス〉の正体である」とCIAに信じ込ませる。
 堂々とボゾロフスキー追跡の任に当たるギアであったが……。

 謎が幾つも提示されるので興味は尽きないのですが、何もかも一度に解いていこうとするので観ている側としては、ちょっとややこしいデス。

 〈カシウス〉は何故、足を洗って姿をくらませたのか。
 密入国したボゾロフスキーの目的は何か。
 ギアは何故、ボゾロフスキーを〈カシウス〉に仕立ててまで追うのか。
 ボゾロフスキーは上院議員殺害とは無関係の筈だが、だとすると真犯人は何者か。

 強引にボゾロフスキー追跡を続けるギアの姿に疑念を抱いた若造は、もう一度過去のデータを洗い直して、〈カシウス〉の謎に迫っていく。ある時点を境に〈カシウス〉の犯行が不規則になる。その原因とは何か。

 回想シーンで紹介される〈カシウス〉の鮮やかな暗殺のアクションが見事です。
 〈カシウス〉が暗殺に使う武器はワイヤー。これを腕時計に仕込み、竜頭を引っ張るとワイヤーが延びる。一瞬にしてターゲットの首に巻き付け、喉笛を掻き切る(絞め殺すのでは無くて、ワイヤーで斬る)。
 なかなか007の秘密兵器みたいです。と云うか、『ロシアより愛をこめて』(1963年)でロバート・ショウが使っていましたね(あっちは絞殺用でしたが)。
 雑踏の中で白昼堂々とターゲットを暗殺する場面があり、これが実に鮮やかでありました。
 リチャード・ギアもなかなかやるねえ。

 緻密に組み立てられた脚本であるとは思いマスが、序盤に〈カシウス7〉なんぞというちょっとカッコいい暗殺集団の設定だけ紹介されたのに、本筋から見事にスルーされてしまったのが残念と云えば残念デス。
 『ウォンテッド』みたいにコミックさながらの展開になるのかと思ったのデスが……。
 まぁ、最初から壊滅状態でしたけどね。新生〈カシウス7〉が結成されて、ギアと若造の行く手に、六人のキテレツな暗殺者が立ちふさがる──という物語では無かったです。いやもう全く。
 どっちかと云うと『3時10分、決断のとき』路線のシリアス人情系な物語というか。

 如何にスパイ稼業は非情であると云っても、スパイも人の子。愛するものがいないワケではない。
 しかし所帯を持ったスパイには、悲劇が待ち受けている。
 「正体を隠す為の擬装である」と云ってみたところで、情が移るのを止めることは出来ないし、愛してしまえばスパイも普通の人と何ら変わるところが無い──と云う、誠に尤もなお話でありました。

 ドラマが進行して行くにつれ、いずれ相棒が〈カシウス〉の正体に気付くのであろうという予想は当たりましたが、実は相棒の側にもちょっとした秘密があったというのは意外でした。
 原題の “The Double” に、色々な意味を持たせていると云うのが面白いデス。

 しかしその分、最も悪役である筈のボゾロフスキーの影が薄くなってしまったように感じられます。結局、何しに密入国までしたのか。
 何やら武器の調達を行っていたところを見ると、大きなテロでも計画していたように見受けられましたが、詳しくは語られませんでした。クライマックスの対決場面で、テロを防ごうという展開にはならなかったのが残念。
 脚本の焦点が主役の二人の関係に絞られてしまった感があり、色々と謎が明らかになった時点で、お役御免にされてしまったような……。

 もっとド派手なアクションを期待したのですが、予算の都合でしょうか。
 還暦を過ぎているギアが頑張っているのはお見事なのですが。

 結局、ギアは見事にボゾロフスキーを仕留めるものの、相討ちとなり殉職。その正体は相棒の胸の内に秘められ、口外されることは無かった。
 殉職したギアの遺体を見届けに来たCIA長官は、最後まで勘違いしたまま「そうか。彼は遂に二〇年来の宿敵を倒したのだな……」と感慨深げに呟く。
 あまり出番の無かったマーティン・シーンですが、おかげでラストは渋く決まりました(哀愁漂う背中で、おいしいところを掠っていったとも云う)。


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