しかし監督がスティーブン・ソダーバーグか。
個人的にソダーバーグ作品とはイマイチ相性がよろしくないものが多いので、どうしたものかと迷いましたが、SF者として「新型感染症の流行を描いた近未来サスペンス」を見過ごしには出来ません。結果的としてこれは当たりでした(個人的にね)。
強毒性の新型感染症のパンデミックを描いた作品では『フェーズ6』(2009年)といった終末SFのような作品もありますが、本作は邦画『感染列島』(2009年)の方に近いです。でも邦画のように感傷的にならない点で、本作の方が好きです(スケールも大きいし)。
リアルなテーマが、ソダーバーグ監督らしい淡々とした演出で描かれていきます。ある種のドキュメンタリのように描かれているところが逆に怖い。
ウィルスが「ブタとコウモリ由来の変異種である」とか、発祥地は東南アジアだという設定がリアルです。
豪華なアンサンブル・キャストも話題のひとつ。
マット・デイモン、グウィネス・パルトロウ、ローレンス・フィッシュバーン、マリオン・コティヤール、ジュード・ロウ、ケイト・ウィンスレット。
それからエリオット・グールドも出演していたのが嬉しい。最近は『オーシャンズ』三部作とかソダーバーグ作品への出演が多い人ですね。
でもソダーバーグ作品なのに、ジョージ・クルーニーは出ないのか。マット・デイモンは出演しているのに。ジョージが医者の役で出ると、別のハナシになるからイカンか。
ことの発端は香港出張から帰ってきたマットの妻(グウィネス)がミネアポリスの自宅で発病するところから始まります。画面上は「第二日(Day 2)」と表示される。
つまり感染後、潜伏期間は二四時間しかなく、翌日には発症するらしい。
本作では時間経過を「第○○日」と表示しながら、感染が拡大していく様を描いていきます。
ミネアポリスでグウィネスが倒れた頃、時を同じくして世界各地で倒れる人々が描写される。ロンドン、香港、東京。一見、関連性は無さそうに思えるが……。
そして東京の通勤バス内で倒れる男性の動画がネットに投稿される。
うーむ。目の前で口から泡を吹きながら倒れる人がいるというのに、助け起こそうという人は少なく、取り囲まれてケータイで撮影されてしまうという描写にゾッとしました。日本人も薄情になったもんだ。
やがて新たな感染症の蔓延が話題になり始める。ネット社会の情報伝達は早い。
「第四日」にはグウィネスは死亡。母親から感染したと見られる幼い長男も死亡。
奇跡的に感染を免れたマットは、残された長女とともに茫然自失。
しかし最初の発病者とはいえ、グウィネス・パルトロウがこんな端役であると云うのが驚きです。あの美貌の大女優が、病にやつれた顔で、しかも出番が少ない。
『恋におちたシェイクスピア』好きなんですけどね。『アイアンマン』でも活躍しているのに。
本作では主に感染症対策に奔走する人々を描くので、必然的に登場人物は医療関係者が多くなります(さもなくば患者の役か)。
ローレンス・フィッシュバーンとケイト・ウィンスレットはCDC(疾病予防管理センター)、マリオン・コティヤールはWHO(世界保健機構)の医者。エリオット・グールドはカリフォルニア大学のウィルス学の権威。
ソダーバーグ作品らしく、相互に関連性の薄いキャラによる複数のプロットが交錯していく群像劇であります。世界的な流行ですから、対応に追われる組織もCDCのみならず、WHO、中国衛生部とさまざま。加えて昨今はバイオ・テロの可能性も疑わねばならない。複雑怪奇な世の中になったもんです。
ドキュメンタリ・タッチの群像劇なので、誰もヒーローではない。マット・デイモンも残された娘と一緒にただオロオロするばかり。
対策の陣頭指揮に立つのがローレンス・フィッシュバーン。
また、エリオット・グールド演じる大学教授も、出番は少ないけど印象的です。この教授が強毒性ウィルスであることも省みず実験を継続し、ウィルスの分離培養に成功したからこそ事態が打開できるのですが。
でもこれが献身的な行為なのか、独善的な行為なのかまでは、劇中では判定されません。
総じて、感傷的な演出は出来るだけ廃されています。感染経路を辿る調査で、グウィネスが浮気していたことも発覚しますが(不倫相手も発病していた)、それを知ったマットの描写も淡々としたものです。やるせなさは伝わりますが。
そしてドラマは、社会が変貌していくシミュレーションのようでもあります。人々は互いに接触を避けるようになる。素手でものを掴む行為も危険。恋人同士がハグするなんてとんでもない。
そうこうするうちに公共サービスは麻痺し、物流が滞り、略奪と放火が横行する。
遂には軍が出動して、医薬品配給まで行われる。例えソレが気休め的な薬品であるとしても、配給トラックの前には長蛇の列。
しかしその配給も充分ではなく、自分達にまで配給が行き渡らないと知った行列後尾の人々が暴動を起こす。為す術なくそれを傍観するしかないマット・デイモン。
そんな社会で絶大な影響力を及ぼすのが、ジュード・ロウ演じるフリーのジャーナリスト(只のブロガーだろうに)。
ジュードのブログが人々の恐怖を煽る。しかも本人に罪悪感は皆無で、正義を遂行していると信じ込んでいる点が、なお始末に悪い。
政府は有効な治療法を隠しているとか、製薬会社は裏で大儲けしているとか、怪しげな民間療法が効くとか(レンギョウって漢方か)、さしたる根拠もないくせに書き立て、社会不安を増大させていく。自分のブログの訪問者数が跳ね上がっていくことに酔いしれている。
一躍、時の人扱いされるジュードですが、現実にこういうことが起こりそうに思わせる演出が巧いです。ネットのデマと風評被害の典型的な例ですね。
本作を観ながら、自分だけはこんな愚かなデマには踊らされるまいと自戒するのですが、絶望的な状況が出来すると、ワラにもすがってしまうのでしょうかねえ。
ある意味、ジュードは本作の中で一番の悪党です。
こんな奴、早く感染してしまえばいいのにと思うのですが、そういう野郎に限ってしぶとく生き延びてしまう。世の中ままならぬものです。
一方、ウィルスの発生源を特定すべく香港とマカオで現地調査を続けるマリオン・コティヤールは、中国奥地の農村へ拉致されて、村人へのワクチン配給を交換条件にした人質になってしまう。もう人間は助かる為なら、なんでもしますね。
人質として監禁状態に置かれながらも、農村の子供達の治療にあたるマリオン医師が献身的です。
感染者数は増加の一途を辿り、全世界に拡大していく。試算される推定死亡者数は、世界人口の一%。
つい先日、人間の数が七〇億人を突破した現代において、一%と云えども七〇〇〇万人か。スペイン風邪や、SARSなんて可愛いものですねえ。
一般的に潜伏期間が短く致死率の高い感染症は、あまり広範囲には広がらない(広がる前に宿主が死ぬ)という理屈は判りますが、現実にはどうなんでしょうね。人口過密な都市部ではやはり絶望的か。逆に田舎だと大丈夫なのかしら。
劇中では戒厳令が発令され、軍による都市部の封じ込めが強行される様子が怖いです。
最終的になんとかワクチン開発にも目処が立ち、恐るべき疫禍も遂に終息するであろうという希望を抱かせつつドラマは終わりを迎えるのですが、既に全世界で二六〇〇万人以上が死亡する事態となっていた。完全に終息するまでに、あと何万人が命を落とすことやら。
ワクチン配給の優先順位は抽選で決められるが、国民全てに行き渡るのは一年以上も先。
解決策が『アウトブレイク』(1995年)のようにお手軽ではないというのもリアルです。ワクチンはそう簡単には出来ない。医薬品として認可を受け、生産を開始しても全国民に行き渡らせるまでには時間がかかる。
この映画を観たら、現実もこういう流れだろうと覚悟しておく必要がありますね。
淡々としたドラマに、クリフ・マルティネスの乾いた音楽がなかなか効果的でした。
良くも悪くもソーダーバーグ監督らしいドラマと申せましょう。
最後の最後に「第一日」の真相が明かされるのも見事でした。やはりブタとコウモリか!
ところで劇中では、この感染症がブタ由来のウィルスであることを踏まえ、「豚インフルエンザ」と呼ばれますが──字幕はそうなっている──これは問題ないのですかね。
2009年の新型インフルエンザの流行でも、この呼び名は「感染経路は豚肉」という誤解を招くので、変更された筈ですが(宗教的な理由から忌避する国もあるし)、アメリカはその辺の事情には頓着しないのですかね。本作でも、養豚関連産業への影響までは描かれませんし。
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